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第二章 悪女への道

天敵・皇太后(皇帝の母親)

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(皇太后様に、ご挨拶を――ね……)
 屈強な兵士、八人で担ぐ大きな輿の中で、旬果は小さく溜息をついた。
 初めて後宮に詣でるということで輿の中には菜鈴がいて、外の護衛には泰風がついていてくれるから、多少は気が楽ではある。しかし二人がついて来てくれるのは、後宮の外まで。そこからは、旬果一人でどうにかしなければならない。
 後宮までは歩いても行けるようだが、女が歩くなんてあり得ない!というのが宮廷世界らしい。
 実際、歩いて行くと言ったら、菜鈴から非常識だと言われてしまった。
(つい十日前までは、動物を追いかけて野山を駆けまわっていたけど……)
 菜鈴によると、旬果という名前で、旬果を先帝の娘だと思われる可能性はないらしい。 なぜなら公主の旬果はとうに死んだ事になっているらしい。しかし詳しい話は菜鈴は知らないと言う。
(一体ここで、私に何があったの……?)
 自分のことなのに、全く分からないことが尚更、怖かった。
 旬果は、菜鈴に言う。
「ね、皇太后様ってどんな方?」
 菜鈴は、表情を曇らせる。
「大変厳しい方です」
「厳しい……」
 自分は形の上では、瑛景の皇后候補の一人である。皇帝の母、皇太后である劉才蓮からすれば、将来の嫁にそそぐ眼差しは、自然と厳しいものになるだろうことは想像に難くない。
「旬果様の方が、お詳しいのでは?」
「……さあ、どうだろ」
 苦笑した旬果は肩をすくめた。
 皇太后というのだから、先帝の正妻だ。
 となると、旬果の母は側室なのだろう。
 と、輿がゆっくりと下ろされる。
 大きな門の前である。【鳳凰門】の額が飾られている。
 旬果が輿から下りると、泰風が傅く。
「これ以上は、お側にはおられません。無事のお帰りを、お待ち申し上げております」
「泰風、菜鈴。ありがとう」
 心細さを覚えながらも、待ち構えていた女官に先導され、宮殿の奥へ招かれる。
 後宮には女性以外にも、宦官《かんがん》という男を捨てた男がいる、というのは物語で読んだことがある。
 黒ずくめの格好の宦官たちは、恭しく旬果に頭を下げ、静かに去って行く。
(宦官って、本当に声が高いのかしら……)
 そんな呑気なことを考えているのもその場くらいで、庭先に面した回廊の先の東屋、一際大勢のお付きの侍女たちに囲まれた、黒い襦裙をまとった貴人を目の当たりにすれば、緊張と不安で胸が痛くなる。
「こちらでお待ちを……」
 案内に立っていた女官が侍女に近づき、何かを告げる。
 旬果はじっとその場で待つしかない。背中にはじっとりと嫌な汗をかいていた。
 女官と話していた侍女が、こちらに背に向けた黒い襦裙の女性に耳打ちする。
 すると、腰まで届く黒髪の女性がこちらをちらと振り返り、何かを侍女に言う。
 そして侍女が女官に伝え、女官がようやく旬果の元へ戻ってくる。
「こちらへ」
 旬果は皇太后の顔を直視しないように俯き気味に、しずしずと皇太后の前に出る。
 事前に菜鈴から教えられていた通り、ひれ伏した。
 皇帝である弟の前では直立不動で、その母の前で恭しく平伏するというのも変ではあるが。
 旬果は告げる。
「皇太后陛下にお目通り叶《かな》いまして、ありがたき幸せに存じ奉ります。余州《よしゅう》北山《ほくざん》県壬午村《みぶむら》より参りました、王旬果と申します」
「……旬果」
「は、はい……っ」
 顎に何かを差し入れられた。それは綴じられた扇だった。
 くいっと顔を上げさせられれば、そこには皇太后の顔があった。
 目尻に紫色の愛嬌紅を差した切れ長の眼差しに、細面。
 しかしその眼差しには一切の愛嬌はなく、氷の眼差しと言って良いかのように硬い。
(こんな目をする人が、いるんだ)
 冷酷というのか、背筋が寒くなるというのか。村や町ではこんな目を見たことが無い。
 紅を差した薄い唇は引き結ばれ、菜鈴の言っていた通り、厳しいという性格がありありと表情に表れていた。
 矯《た》めつ眇《すが》めつ、旬果の顔を見た挙げ句、鼻で笑われてしまう。
 苛立ちを覚えたが、顔に出ないように注意する。
「そう、旬果というの……」
「は、はい」
「どうして片田舎者の小娘を、陛下が招じ入れたのか。全く理解に苦しみますね」
 すると、侍女たちが声を重ねるように笑った。
(何なのよ、こいつら!)
 扇を広げた皇太后は目元を笑みで細める。初めて見せた表情は、嘲りだった。
「陛下はどうやら気紛れを起こしたご様子……。まあ、王者には下手物も必要なのでしょう……」
(げ、下手物って!)
 さらに笑いが大きくなる。
 皇太后は椅子に深く座り直すと、頬杖を突く。
「あなたがどれほど頑張れるか、楽しませてもらいますよ」
「はい……」
 旬果は怒りを押し殺し、再びひれ伏した。

                      ※※※※※

 身の縮まるような時間が終わり、後宮を出る。
 駆け寄ってくれる泰風の姿が、本当に嬉しかった。
「旬果様! 皇太后様は、いかがでしたか?」
 本当はどれだけ馬鹿にされたかを言いたかったが、心配させるのも忍びないと、誤魔化す。
「……厳しい人だとは聞いていたけれど、まあ、悪い人ではない、かな?」
 泰風はほっとしたように頬を緩める。
「そうでございましたか。悪いことにならなければ十分かと……」
「そ、そうよね。――それじゃあ、あの馬鹿……じゃない、陛下の元へ行きましょう」
 旬果が言って、輿に戻ろうとして菜鈴と擦れ違えば、
「――田舎者、とでも言われて、馬鹿にされたんじゃないですか?」
 そう、ぼそりと言われた。
 旬果は苦笑混じりに、肩をすくめるだけに留めた。
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