上 下
22 / 31

第四章(7)

しおりを挟む
 由季はベッドで伸びをして起き上がるとカーテンを開け、朝日を全身で受け止めた。

 ――今日で熱海ともお別れか。

 残念だ。あと一週間くらい、ここで過ごしたかった。
 とはいえ、彰は由季にも仕事がある。

 ――また来れば良いよね。

 この熱海での旅行体験を他の企画に活かせるかもしれない。
 そんなことを考えつつ、階段を下りていく。

「おはよう、彰」
「おはよう。メシは?」
「食べる。あ、手伝うよ」

 とはいえ、食器を用意したりする程度だが。
 由季が食器棚から皿を取り出していると、

「なあ、取材のことなんだけど、あんなんで大丈夫か?」

 そう声をかけられた。
 振り返ると、彰は申し訳なさげな顔をしている。

「何よ、いきなり」
「いや、三日も拘束しといて取材らしい取材って二日目のあれだけだっただろ。さすがに少なすぎて、今さらだけど心配になってきた……。あ、もしあれじゃぜんぜん足りなかったからスケジュール度外視で答えるからな」

 彰の慌てる姿に、由季は吹き出してしまう。

「笑うなよ」
「今さらすぎない?」
「今さら不安になったんだからしょうがないだろ」
「安心して。二日目のクルーザーでの言葉、すごく良かったから。あれだけで十分、良い記事は書けるわ」
「そっか。良かった」

 かなり心配してくれていたのか、彰は本当に安心したように表情を緩めた。

「それで、いつくらいに出発するの?」
「メシを食ったら。あ、出るって言っても、土産を買うから駅前に寄らせてくれ」
「私も買わないと」

 朝食を済ませて後片付けをし、そして忘れ物がないかを確認を終えると、二泊三日を過ごさせてもらった保養所を後にした。
 運転席で軽快にステアリングを操作する彰の横顔を盗み見る。
 真剣に正面を見る姿は凛々しく格好良かった。
 当たり前のように一緒に過ごした二泊三日という時間。それが終わろうとする。純粋に嫌だ、と感じた。もっと彰と一緒にいたい。

 結婚。クルーザーでの言葉が自然と頭に浮かぶ。
 あの時は恥ずかしくって慌ててしまったけど、とても魅力的な響きだった。

「ん、なんだ? 忘れ物か?」

 彰が視線に気付いて見てくる。

「う、ううん、なんでもない……」

 彼の目にかかれば、今考えていることを全て見透かされてしまうのではないかと、由季は思わず顔を背けてしまった。そんな由季に、彰は首を傾げた。



 熱海駅前には商店街があって、今しがた来たばかりの人たちと、これから地元に帰るであろう人たちで賑わっている。
 商店街には土産物屋はもちろん、飲食店などが軒を連ねる。

「へえ、熱海って干物とか温泉まんじゅうのイメージしかなかったけど、色々と売ってるんだ」

 驚いたのは、熱海の地名を冠したスイーツが大人気だということだ。

「だろ。干物はちょっとって言う場合も、他にも色々あるし、見て回れば良い」
「そうだね」

 さつきからは干物を頼まれているけど、それにプラスして編集部の人たちにはスイーツを買っていったら喜んでもらえるかもしれない。
 いくつくらい必要だろうかと指折数えていると、

「あれ、島原さん?」

 そんな声が聞こえた。
 騒がしい人混みの中、聞き間違いだと思った。でも人混みをかきわけるように現れたスーツ姿の男性を見た瞬間、息が止まりそうになってしまう。
 由季はその男性に見覚えがあったのだ。

 ――嘘……ど、どうして?

「やっぱり、島原さんだ。久しぶり! 元気にしてたっ?」

 男がにこやかに近づいてくる。

「申し訳ない。あんたは?」

 唖然としている由季を背中にかばうように、彰が前に出た。
 男はドキッとしたように、苦笑する。

「あ、彼氏さんですか? すみません。いきなり声かけちゃって。俺、島原さんの元同僚の橋本って言います」
「同僚って……フリーライターの?」
「フリーライター? なに、島原さん、今ライターなんてやってるんだ。びっくりしたよ。突然辞表を郵送してきたと思ったら、マンションも引き払って。ケータイ番号まで変えて連絡がつかなくなっちゃって、みんな心配してたんだからさ」

 ――お願いだから、それ以上、余計なことを喋らないで!

 由季は叫びたい気持ちで一杯だったが、そんなことができるはずもない。
 グラグラと揺れる意識の中、由季はただ自分の爪先を見続けた。そうすることで、何もかもなかったことにならないかと都合の良い妄想をしながら。

「由季」

 次に意識が覚醒したのは、彰に肩を揺すられた時だった。
 はっとして顔をあげると、元同僚の姿はどこにもなかった。

「行こう」
「……わ、私、新幹線で……」

 とても今は彰と一緒にいられない。
 彰には大卒ですぐライターの仕事をしたと説明したのに。

「駄目だ」

 有無を言わさぬ言葉だった。
 声のトーンも低い。しかし怒っているのとは違うようだった。
 車中はずっと無言で気まずさを抱えながらも、由季はどう説明するべきかずっと考えていた。
 もう何年も前のことだ。ただ会社員時代のことを説明すると、自然と別のことも説明しなくてはいけなくなる。それが、由季に話すことを躊躇わせる一番の原因だった。

 ――今さら過去が追いかけてくるなんて……。

「あ、彰……」
「平気だ。説明しなくても良い。お互い大人だし色々あるんだから。そんなことをいちいち聞かなきゃいけないほど、由季への信用は薄っぺらくない」
「……ごめん」
「謝るな」

 由季のマンション前まで送ってもらう。

「ありがとう」
「また連絡する」

 笑みを交わし、車を降りた。そして彼の車が見えなくなるまで見送った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

愛のない政略結婚で離婚したはずですが、子供ができた途端溺愛モードで元旦那が迫ってくるんですがなんででしょう?

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お腹の子も君も僕のものだ。 2度目の離婚はないと思え」 宣利と結婚したのは一年前。 彼の曾祖父が財閥家と姻戚関係になりたいと強引に押したからだった。 父親の経営する会社の建て直しを条件に、結婚を承知した。 かたや元財閥家とはいえ今は経営難で倒産寸前の会社の娘。 かたや世界有数の自動車企業の御曹司。 立場の違いは大きく、宣利は冷たくて結婚を後悔した。 けれどそのうち、厳しいものの誠実な人だと知り、惹かれていく。 しかし曾祖父が死ねば離婚だと言われていたので、感情を隠す。 結婚から一年後。 とうとう曾祖父が亡くなる。 当然、宣利から離婚を切り出された。 未練はあったが困らせるのは嫌で、承知する。 最後に抱きたいと言われ、最初で最後、宣利に身体を預ける。 離婚後、妊娠に気づいた。 それを宣利に知られ、復縁を求められるまではまあいい。 でも、離婚前が嘘みたいに、溺愛してくるのはなんでですか!? 羽島花琳 はじま かりん 26歳 外食産業チェーン『エールダンジュ』グループご令嬢 自身は普通に会社員をしている 明るく朗らか あまり物事には執着しない 若干(?)天然 × 倉森宣利 くらもり たかとし 32歳 世界有数の自動車企業『TAIGA』グループ御曹司 自身は核企業『TAIGA自動車』専務 冷酷で厳しそうに見られがちだが、誠実な人 心を開いた人間にはとことん甘い顔を見せる なんで私、子供ができた途端に復縁を迫られてるんですかね……?

腹黒御曹司との交際前交渉からはじまるエトセトラ

真波トウカ
恋愛
デパートで働く27歳の麻由は、美人で仕事もできる「同期の星」。けれど本当は恋愛経験もなく、自信を持っていた企画書はボツになったりと、うまくいかない事ばかり。 ある日素敵な相手を探そうと婚活パーティーに参加し、悪酔いしてお持ち帰りされそうになってしまう。それを助けてくれたのは、31歳の美貌の男・隼人だった。 紳士な隼人にコンプレックスが爆発し、麻由は「抱いてください」と迫ってしまう。二人は甘い一夜を過ごすが、実は隼人は麻由の天敵である空閑(くが)と同一人物で――? こじらせアラサー女子が恋も仕事も手に入れるお話です。 ※表紙画像は湯弐(pixiv ID:3989101)様の作品をお借りしています。

私を溺愛してくれたのは同期の御曹司でした

日下奈緒
恋愛
課長としてキャリアを積む恭香。 若い恋人とラブラブだったが、その恋人に捨てられた。 40歳までには結婚したい! 婚活を決意した恭香を口説き始めたのは、同期で仲のいい柊真だった。 今更あいつに口説かれても……

誘惑の延長線上、君を囲う。

桜井 響華
恋愛
私と貴方の間には "恋"も"愛"も存在しない。 高校の同級生が上司となって 私の前に現れただけの話。 .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ Иatural+ 企画開発部部長 日下部 郁弥(30) × 転職したてのエリアマネージャー 佐藤 琴葉(30) .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ 偶然にもバーカウンターで泥酔寸前の 貴方を見つけて… 高校時代の面影がない私は… 弱っていそうな貴方を誘惑した。 : : ♡o。+..:* : 「本当は大好きだった……」 ───そんな気持ちを隠したままに 欲に溺れ、お互いの隙間を埋める。 【誘惑の延長線上、君を囲う。】

とろける程の甘美な溺愛に心乱されて~契約結婚でつむぐ本当の愛~

けいこ
恋愛
「絶対に後悔させない。今夜だけは俺に全てを委ねて」 燃えるような一夜に、私は、身も心も蕩けてしまった。 だけど、大学を卒業した記念に『最後の思い出』を作ろうなんて、あなたにとって、相手は誰でも良かったんだよね? 私には、大好きな人との最初で最後の一夜だったのに… そして、あなたは海の向こうへと旅立った。 それから3年の時が過ぎ、私は再びあなたに出会う。 忘れたくても忘れられなかった人と。 持ちかけられた契約結婚に戸惑いながらも、私はあなたにどんどん甘やかされてゆく… 姉や友人とぶつかりながらも、本当の愛がどこにあるのかを見つけたいと願う。 自分に全く自信の無いこんな私にも、幸せは待っていてくれますか? ホテル リベルテ 鳳条グループ 御曹司 鳳条 龍聖 25歳 × 外車販売「AYAI」受付 桜木 琴音 25歳

私の赤点恋愛~スパダリ部長は恋愛ベタでした~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「キ、キスなんてしくさってー!! セ、セクハラで訴えてやるー!!」 残業中。 なぜか突然、上司にキスされた。 「おかしいな。 これでだいたい、女は落ちるはずなのに。 ……お前、もしかして女じゃない?」 怒り狂っている私と違い、上司は盛んに首を捻っているが……。 いったい、なにを言っているんだ、こいつは? がしかし。 上司が、隣の家で飼っていた犬そっくりの顔をするもんでついつい情にほだされて。 付き合うことになりました……。 八木原千重 23歳 チルド洋菓子メーカー MonChoupinet 営業部勤務 褒められるほどきれいな資料を作る、仕事できる子 ただし、つい感情的になりすぎ さらには男女間のことに鈍い……? × 京屋佑司 32歳 チルド洋菓子メーカー MonChoupinet 営業部長 俺様京屋様 上層部にすら我が儘通しちゃう人 TLヒーローを地でいくスパダリ様 ただし、そこから外れると対応できない……? TLヒロインからほど遠い、恋愛赤点の私と、 スパダリ恋愛ベタ上司の付き合いは、うまくいくのか……!? ***** 2019/09/11 連載開始

初恋は溺愛で。〈一夜だけのはずが、遊び人を卒業して平凡な私と恋をするそうです〉

濘-NEI-
恋愛
友人の授かり婚により、ルームシェアを続けられなくなった香澄は、独りぼっちの寂しさを誤魔化すように一人で食事に行った店で、イケオジと出会って甘い一夜を過ごす。 一晩限りのオトナの夜が忘れならない中、従姉妹のツテで決まった引越し先に、再会するはずもない彼が居て、奇妙な同居が始まる予感! ◆Rシーンには※印 ヒーロー視点には⭐︎印をつけておきます ◎この作品はエブリスタさん、pixivさんでも公開しています

処理中です...