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第三章(2)

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 水曜日の夕方。
 約束の時間十分前に彰からメッセージが入った。

『今、マンションの前にいる』。

 由季は少し駆け足気味の鼓動を意識しながら部屋を出た。彰と会うのは月曜日以来だ。
 メッセージのやりとりはしているが、いざ直接会おうとすると緊張を隠せなかった。
 学生時代、彰と駅前で待ち合わせをしている時の落ち着かない気持ち。そしていざやってくる彼を見た時のこそばゆさを、大人になってまで経験するなんて。

 ――良い歳して、こんなウキウキするとか……恥ずかしい。

 理性的であれと念じるように思うが、マンション前にとまった、庶民的な住宅街には場違いすぎる、ネイビーブラックの外車の運転席から顔を出した彰の顔を見るなり、とても普通ではいられない。耳が火照り、鼓動がうるさい。

「きょ、今日はタクシーじゃないんだ」
「今日は飲む予定もないしな。乗れよ」

 助手席に乗り、シートベルトをつけると、車が走り出す。

 ――彰の運転、はじめて見るな。

 高校時代は当然ながら免許がないから、すごく新鮮だ。
 そして彰の運転はすごく優しい。車の性能というのもあるのかもしれないけど、ほとんど震動らしいものを感じないいし、ブレーキをかける時も丁寧だ。
 向かったのは銀座。パーキングに車を停める。
 初夏の夕暮れ。昼間の暑さの残滓を意識しながら、彰と並んで歩く。

 ――彰の手、久しぶり。

 自然と繋がれた手。学生時代と変わらぬその大きさと温もり。
 擦れ違う女性たちが、おそらくオーダーメードだろうスーツを着こなすモデルのような彰を見て、囁きを交わす。そこは高校時代と一緒だ。

「ここで良いか?」
「え、ここ!?」
「別の店が良いならそっちにするけど、どうする?」
「そういうことじゃなくってっ」
「?」

 行くとしてもデパートだと思っていたが違った。
 彰が立ち止まったのは、誰もが知る有名ブランドの路面店。
 店構えからして高級感が漂う。一棟まるごとこのブランドの建物らしく、威圧感を覚える。

 ――大丈夫? こんなところでドレスなんて買ったら限度額を優に超えるんじゃ……?

「行こう」
「ちょ……待……」

 そんな由季の心配をよそに、彰はさっさと店の中へ入っていく。手を繋いだままの由季も入らざるをえなかった。
 外とは明らかに時間や空気の流れが違う、ゆったりとした空間。
 場違いすぎて、回れ右したい気持ちで一杯だった。
 すぐににこやかな笑顔の女性スタッフが近づいてくる。

「イブニングドレスを何着か見せて欲しいんですけど」
「かしこまりました。着用されるのは、お客様でしょうか?」
「ええ」

 服のサイズを伝えると、すぐにスタッフの人がさまざまな色合いのドレスを見せてくれる。

「どれも似合いそうだな」
「ど、どれが良いだろう」

 動揺のせいで目が滑って、よく分からない。

「じゃあ、とりあえず全部試着してみろ」
「へっ!?」
「着なきゃ分からないだろ。ほら」
「こちらでございます」

 スタッフの人に案内されてもう試着しなきゃいけない雰囲気だ。
 ガチガチに緊張しながら、試着室に入り、怖々とドレスを着てみる。

 ――うわ、肌触りからしてすごい。こんな気持ちいい生地が世の中にあるわけ!?

 ストレスで胃に穴があきそうになりながらドレスを着用し、ウェスト部分がしぼられたブラックドレスに決めた。

「これにしようかと思うんだけど、どうかな」

 試着室から出て、彰に見せる。
 彰はゆったりとした笑みを浮かべた。

「すごく似合ってる。落ち着いた雰囲気だし、由季にぴったりだ。じゃあ、これに合うバックと靴を見せてください」
「かしこまりました」
「ドレスだけじゃないの」
「せっかくだから、な」

 由季に選択肢はないらしい。

 ――ああもう、分かったわ! やってやろうじゃない!

 なんだか自分でもよくわからないが、自棄になっていた。どれくらいの総額になるかなんて分からないが、これまでコツコツ貯金だってしている。それにハイブランドだから、一生使えるはず、と腹をくくった。
 ヒールとバックもドレスに合わせたものを選んだ。
 試着室でドレスから普段着に着替えると、ようやく元の自分に戻れた気がした。

 ――う、運命の時……。

 緊張しながら彰のところへ行く。彼はすでにドレス、バック、靴のショッパーを手にしている。

「良いものが買えて良かったな」

 さっさと店を出ていく。由季は小走りに後を追いかけた。

「え、待って。まだお金……」
「支払いなら済ませたから」
「それは駄目! いくらだった!?」
「俺が誘ったパーティーだぞ」
「食事代を持つのとは訳が違うんだしっ!」
「気にするなって」
「気にするに決まってるよ……!」
「じゃあ、体で払ってくれれば良いから」
「それはもっと駄目……っていうか、言い方……!」

 彰は笑う。

「良いんだよ。今日は色んなドレス姿の由季を見られたし、最高だった。とにかく、代金のことはもう忘れろ。それより、どこでメシを食う?」
「……私に作らせて」

 手料理なんてだしたところで支払い金額の何百分の一にも満たないだろうが、何かしないと気が済まなかった。

「は? マジ?」
「なにその顔。失礼ね。これでも毎日自炊してるんだから」
「いや……手料理とか予想外すぎて……」
「ハードルあげないでよ。作れるっていうのも家庭料理……あ、庶民の家庭料理レベルだからっ」
「庶民のって強調しなくても良いって。俺をなんだと思ってるんだ? 子どもの頃から満漢全席でも食ってると思ってるのかよ。じゃあ、まずは買い出しだな。うち、なんもないし」
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