上 下
1 / 28

1 公爵家

しおりを挟む
 馬車は、今まで見たことものないくらい大きくて立派な屋敷の前で停まった。

「さあ、到着したよ」
「は、はい」

 向かいに座る公爵様がニコニコしながら声をかけてくれる。

「緊張しなくていい。これからここが君の家になるんだから」

 そう言われても緊張しないはずがない。
 ついさっきまで私は実の両親も知らない、教会暮らしの孤児だったんだから。
 私は公爵様に続いて馬車を降りる。
 立派な門の向こうにはお屋敷に負けないくらい広々としたお庭があって、春の日射しに緑が鮮やかに輝く。

(門から玄関までこんなに歩くなんて)

 見知らぬ世界に足を踏み入れているような錯覚をおぼえてしまう。
 公爵様が玄関扉を開ける。

「うわ……!」

 綺麗な美術品と訪問者を歓迎するみずみずしい花で彩られたホールが、扉の向こうに広がっていた。

「旦那様、お帰りなさいませ」

 そして公爵様を出迎える大勢の使用人たち。

(あの子が……)

 事前に公爵様から話は聞いていた。
 使用人たちとは違う、仕立ての良さが一目で分かる子ども。
 ヨハネ・ホルシュタイン。ホルシュタイン公爵家の跡継ぎ。
 ヨハネ君はまだ十歳なのに、十七歳の私よりもずっと堂々としていた。
 さらさらの美しい銀髪に、猫のように円らな瞳は美しい金色。
 睫毛は影ができるほど長く、女の子と言っても通じるほどの可憐さ(本人に言ったら、怒られるだろうけど)。
 肌の色は透き通るように綺麗で、顎が少し尖っている。
 後光がさしているみたいで、じっと見ていたら目が潰れてしいそう。

(こんなに綺麗な子どもが世の中にいるなんて!)

 公爵様にはあまり似てないから、きっとお母さんに似たのかもしれない。

「ユリア。隣にきなさい」
「は、はい」

 公爵様から呼ばれ、おずおずと従う。緊張のあまり手と足が同時に出ちゃう。

「ヨハネ。今日からお前の姉になる、ユリアだ。仲良くしなさい。いいか?」

 この子とこれからこの大きなお屋敷で暮らすことになるんだ。
 うまくやれるかな。
 孤児だなんて嫌だって思われないといいんだけど。

「あ、姉だなんてそんな……畏れ多いです……!」

 私は俯き気味に答えると、公爵様は仕方がないなという顔をされる。

「ヨハネ君。はじめまして。私はユリアです。よ、よろしく……ね?」

 どんな自己紹介をすれば第一印象で嫌われないか色々と考えたけど、結局、そんな挨拶しかできない。

「っ」

 ヨハネ君はくるっと私に背を向けたかと思うと、二階へ通じる大きな階段を上がっていってしまう。

「あ…………」

 公爵様は苦笑いする。

「きっと恥ずかしがっているんだ。気にする必要はない」
「……はい」

 初対面はそんな感じで、最初からうまくいかなかった。

「ランドルフ。この子を部屋まで案内するように」
「かしこまりました。お嬢様、屋敷の管理全般を任されております、執事長のランドルフと申します」

 燕尾服を着た五十代くらいの執事が深々と頭を下げる。

「お、お嬢様!? そんな私は……」
「今日から公爵家の養女になられるのですから、立派なお嬢様でございます」

 これまでの人生一度も呼ばれたことのない呼称に、気恥ずかしくなってしまう。
 使用人の何人かがクスクス笑うのが分かり、恥ずかしさのあまり消えたくなる。

「ユリア、しっかり休みなさい。夕食の時にまた会おう」
「はい、公爵様」
「では、こちらへどうぞ」

 ガチガチに緊張しながらランドルフさんの後に続く。
 部屋は二階の角部屋。よく日が当たる南向きの部屋。

「うわ……!」

 童話に出てくるお姫様の部屋みたいに広い上に、奥にもう一部屋あるみたいだ。
 手前の部屋には応接セットがあって、奥が寝室。
 ベッドの大きさにもびっくりしてしまう。
 これって何人家族用? みんなでここで眠るの?
 ランドルフさんに聞いたら、「お嬢様専用のベッドですよ」と冷静に返されてしまった。

(十七年生きてきた全ての常識が通用しない世界にいるのね……)

 それからランドルフさんは、私のお世話をすると、二人のメイドさんたちを紹介してくれる。
 用事があれば何でも仰ってください、と言われたけど、人にお願いするほど大変なことなんてあるんだろうか。

「では失礼いたします」

 ランドルフさんがお辞儀をして部屋を出ていく。
 メイドさんは背の高い、つり目のほうが生真面目そうなほうがアリシアさん、背の低いそばかすが可愛らしい子がジャスミンさんと言うらしい。

「お嬢様、お茶はいかがですか?」
「頂きます」

 手早くお茶の準備がされた。
 今まで触れたことがないくらい綺麗なポッドと、ティーカップ。
 教会で使っていたものみたいに縁が欠けてたり、修繕をした箇所があるわけじゃないピカピカ。
 紅茶は高級品とは縁遠い私でさえ分かるくらい、とても香りが良かった。
 お茶と一緒にだしてもらったクッキーはこれまで食べたどんな置かしよりも甘くて、サクサクしてて、口の中にいれると、さっと溶けた。

 緊張のあまり手が震えて、紅茶がこぼれてしまうと、ジャスミンさんが拭いてくれた。 自分のことは自分でやることが当たり前の教会とは正反対の世界は、まるで異世界のよう。
 お茶を飲んでいる間、ずっとお二人が部屋の片隅で立っていたのはすごく気になってしまった。
 視線が気になってしまい、「ご一緒にお茶はどうですか?」とお二人を誘ってみたけれど、「お構いなく」とにこやかに拒否されてしまう。

(お構いなくって言われても気になるんですが!)

「……少し休みますね」

 私は落ち着かなくなり、席を立つ。

「お着替えをお手伝いいたしますか?」
「だ、大丈夫です。一人でできますので」

 私は寝室に逃げ込んだ。
 一人になり、ほっと一息つく。
 ベッドに座ると、あまりの柔らかさにバランスを崩して引っ繰り返ってしまった。
 誰も見てなくて良かった。

 なんて柔らかなベッドなんだろう。
 大きさにばっかり目がいっていたけど、教会のお布団みたいにぺしゃんこじゃないし、バネが飛び出していて、寝る時に気を付ける必要もない。
 お布団は石鹸と日向のいい香りがした。
 公爵様の養女になるだなんて今でも夢みたいだと思う。

 寝室には素敵な鏡台もついている。鏡を縁取る波打つような装飾が可愛い。
 曇りもひびもないピカピカの鏡。
 そこにミルクティ色のロングヘアに琥珀色の瞳の、平凡な私の姿が映る。
 教会の近所の食堂で働いたお給金で買った、古着のピンクのワンピースが、素敵な部屋で浮いている。

 正直、このワンピースよりメイドさんたちの服のほうが高いんだろうな、とぼんやりと思いつつ、私はボタンを外して胸元をくつろげる。
 胸元に、花の蕾のような形をした赤いアザが浮かぶ。
 聖痕と呼ばれるものだって、シスターが教えてくれた。

 百年に一度、聖痕を持った女性――聖女が発見される。
 私が生まれ育ったヴァンデルハイム王国では聖女を貴族の養女にするというのが昔からの習わし。
 聖女には不思議な力がある。
 回復魔法が使えたり、手で触れてもいないのに物を動かすことができたり、思い浮かべた場所に自由に移動できたりとさまざま。
 私もやがては力に目覚める時がくる。
 でもその力が何なのかはまだ分からない。

 王都で一番大きな教会にいる大司教様がその力を調べてくれるみたい。
 ただ力が判明するほど、私の聖痕は成長しきってない。
 蕾が開いて、花の形になってようやく能力を使えるし、調べられることが可能になるらしい。
 私の力は一体なんだろうと、ワクワクとドキドキ、そして不安がまざりあう。

(引き取って下さった公爵様をガッカリさせないような、すごい力だったらいいな)

 公爵様はこんなに素敵な部屋を私のために用意してくれたことはもちろん、私の願いを聞き届けて、教会に多額の金を寄付して下さった。
 その恩に報いたい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます

やまなぎ
ファンタジー
9/11 コミカライズ再スタート! 神様は私を殉教者と認め〝聖人〟にならないかと誘ってきた。 だけど、私はどうしても生きたかった。小幡初子(おばた・はつこ)22歳。 渋々OKした神様の嫌がらせか、なかなかヒドイ目に遭いながらも転生。 でも、そこにいた〝ワタシ〟は6歳児。しかも孤児。そして、そこは魔法のある不思議な世界。 ここで、どうやって生活するの!? とりあえず村の人は優しいし、祖父の雑貨店が遺されたので何とか居場所は確保できたし、 どうやら、私をリクルートした神様から2つの不思議な力と魔法力も貰ったようだ。 これがあれば生き抜けるかもしれない。 ならば〝やりたい放題でワガママに生きる〟を目標に、新生活始めます!! ーーーーーー ちょっとアブナイ従者や人使いの荒い後見人など、多くの出会いを重ねながら、つい人の世話を焼いてしまう〝オバちゃん度〟高めの美少女の物語。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

養子の妹が、私の許嫁を横取りしようとしてきます

ヘロディア
恋愛
養子である妹と折り合いが悪い貴族の娘。 彼女には許嫁がいた。彼とは何度かデートし、次第に、でも確実に惹かれていった彼女だったが、妹の野心はそれを許さない。 着実に彼に近づいていく妹に、圧倒される彼女はとうとう行き過ぎた二人の関係を見てしまう。 そこで、自分の全てをかけた挑戦をするのだった。

兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います

きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で…… 10/1追記 ※本作品が中途半端な状態で完結表記になっているのは、本編自体が完結しているためです。 ありがたいことに、ソフィアのその後を見たいと言うお声をいただいたので、番外編という形で作品完結後も連載を続けさせて頂いております。紛らわしいことになってしまい申し訳ございません。 また、日々の感想や応援などの反応をくださったり、この作品に目を通してくれる皆様方、本当にありがとうございます。これからも作品を宜しくお願い致します。 きんもくせい 11/9追記 何一つ完結しておらず中途半端だとのご指摘を頂きましたので、連載表記に戻させていただきます。 紛らわしいことをしてしまい申し訳ありませんでした。 今後も自分のペースではありますが更新を続けていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。 きんもくせい

偽りの婚約のつもりが愛されていました

ユユ
恋愛
可憐な妹に何度も婚約者を奪われて生きてきた。 だけど私は子爵家の跡継ぎ。 騒ぎ立てることはしなかった。 子爵家の仕事を手伝い、婚約者を持つ令嬢として 慎ましく振る舞ってきた。 五人目の婚約者と妹は体を重ねた。 妹は身籠った。 父は跡継ぎと婚約相手を妹に変えて 私を今更嫁に出すと言った。 全てを奪われた私はもう我慢を止めた。 * 作り話です。 * 短めの話にするつもりです * 暇つぶしにどうぞ

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

私の妹と結婚するから婚約破棄する? 私、弟しかいませんけど…

京月
恋愛
 私の婚約者は婚約記念日に突然告白した。 「俺、君の妹のルーと結婚したい。だから婚約破棄してくれ」 「…わかった、婚約破棄するわ。だけどこれだけは言わせて……私、弟しかいないよ」 「え?」

(完結)王家の血筋の令嬢は路上で孤児のように倒れる

青空一夏
恋愛
父親が亡くなってから実の母と妹に虐げられてきた主人公。冬の雪が舞い落ちる日に、仕事を探してこいと言われて当てもなく歩き回るうちに路上に倒れてしまう。そこから、はじめる意外な展開。 ハッピーエンド。ショートショートなので、あまり入り組んでいない設定です。ご都合主義。 Hotランキング21位(10/28 60,362pt  12:18時点)

処理中です...