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どれくらいの時間が経ったのだろう、ワザオサは再び目を覚ました。瞼が開いた感触があり、瞳が部屋の中のうっすらとした光を感じた。手足の拘束はすでに外されているようだ。ワザオサは少し上半身を起こした。周囲を見回してみるが、部屋には何もないように思えた。ワザオサが寝ていたベッドも、薄いシーツがひかれているだけの、簡素なつくりのものだった。おもむろに顔に手を当ててみる。両目の眼球の横、目尻とこめかみの間あたりに、少し違和感を感じる。指先で触れてみると、米粒よりも小さい何か硬いものが指先に触れた。その時、空中にまた小さな緑の光の枠が現れた。
「おはよう、かな。時間はもう朝ではないけど。」
赤い光の波形とともに、そう声が聞こえた。ワザオサは何か応じようとしたが、呼吸音のみで、喉の奥から声が出ることはなかった。
「あぁ、何か応えようとしてくれることは嬉しいけど、まだ声を出すのは難しいかな。多分身体に異常はないんだけど、なにしろ慣らしていくことが必要でね。寝ることに必要のないものは、後回しだったんだ。じきに声も出るようになる。」
赤い光の波形は続ける。
「多分もう気づいていると思うけど、君の身体には、今後生きていくために必要な処理を少しだけ、加えさせてもらったよ。コードは本来、生まれたての時に処理しておくべきことなんだけど、君にはそれがされていなかった。身体に負担もかかるし、それに適合できないと、いずれにしてもこの世界では生きていけないから、前に言ったみたいに、何か悪い副反応が出たら、それは残念ということになってしまうんだけど、君の身体は大丈夫だったみたいだから、安心していいよ。これからも生きていける。」
ワザオサは目尻とこめかみの間にある何かにもう一度指を触れる。
「あの状態で君が生きていること自体、こちらは何かの間違いだと思ったよ。もうね、事後検証ができる死体さえ見つからないと思っていたし、多少でもサンプルが取れたら取って、それを持ち帰って調べるだけのつもりだったから。何層にも重なった瓦礫が溶けて、ミルフィーユみたいな層に見える塊の下に人間の反応を見つけた時は、それはもう驚いたさ。塊を数人がかりでかろうじて動かして、初めて君の姿を見た時は、何ていうか、信じられないものを見る感覚ってあるだろ、まさにそんな一瞬だった。ましてや一見、こうなってしまった世界で生きるための処理は何ひとつされていないときてる。そんなことがなくても外に出た瞬間に死んでいてもおかしくないのに、君は生きていた。そんなことがあるのかって、目を疑ったさ。その場には僕を含めて3人、その瞬間を見た人間がいたんだけど、僕たちはそこで相談した結果、口裏を合わせて、君を隠して連れていくことにした。」
赤い光はそこで一瞬、動きを止めた。
「それが、ここさ。」
一瞬だけ沈黙が流れる。
「ここは、常夜。今ではもう忘れられているかな…、いや、ここがあること自体、もう知られていないかもしれない。そういう意味では、ここは君と似てるかな。ここがまだ健在な時は、ユグドラシルの監視と運用を行う研究所として、もっと賑やかだったんだけど、不幸なことに大規模な天災に遭って、町のほぼ全てが吹っ飛んで消えた。吹っ飛んで消えた町はイワヤという名前の町で、多い時で5万人くらいは人が住んでいたんだよ。露店とかが並んだ大通りもあって、それなりに賑やかで。それが今では町はもうない。ごくまれに物好きな人間がここにたどり着く以外は、ここに人が来ることはないし、もともと町だったここから外へ出る手段も、今ではもうない。人の数が減り続けて、今はもう人はいなくなっているけど、自給自足を行っていた町のシステムだけはまだ生きている、そんな状態さ。」
赤い波形はゆっくりと上下しながら、ワザオサの目の前で揺れている。
「さて…と、そろそろ大丈夫かな。このままお話しを続けてもいいんだけど、ここがどういうところか、直接見てもらうほうが早いからね。自分で立って歩けるようになっているかい?」
そう言うと、赤い波形は動きを止め、沈黙した。ワザオサは動きの止まった赤い光をしばらく見つめていたが、その後ベッドの上の自分の身体を90度ほど回転させ、その側面から、ゆっくり脚を床へおろした。床の冷たく硬い感触が両足の裏にある。その感触を確かめながら、ワザオサは立ち上がった。両足はワザオサの身体をきちんと支えていた。それと同時に、それまで何もなかった部屋の壁面の一部が開き、そこから1枚の薄い布地が差し出された。
「そのままだと外は歩けないからね。貴重なものだけど、護身用のケープを1枚だけ準備できたから、それを着るといいよ。もしかしたら君は大丈夫なのかもしれないけど、部屋から外に出たら、絶対に脱がないこと。脱いでも身体にいいことはないよ。」
布地が差し出された壁面のほうへ、ワザオサはゆっくりと歩み寄った。最初の一歩はぎこちなかったが、それも最初の一歩だけで、ワザオサの足取りは確かだった。布地に触れる。表面には光沢があり、手触りはさらさらとしていたが、見た目よりは重量があるように思えた。ワザオサがそれを身体にまとうように身に着けると、薄い布地からは何種類かの機械音が聞こえ、その形はワザオサの身体をゆっくりなぞっていくように、形を変えていった。それと同時に、また違う別の壁面に長方形の光のシルエットが描かれ、そのシルエットはゆっくりと横へ動き、やがて止まった。ワザオサを迎えるように。その光のシルエットの先の様子は、分からなかった。
「おはよう、かな。時間はもう朝ではないけど。」
赤い光の波形とともに、そう声が聞こえた。ワザオサは何か応じようとしたが、呼吸音のみで、喉の奥から声が出ることはなかった。
「あぁ、何か応えようとしてくれることは嬉しいけど、まだ声を出すのは難しいかな。多分身体に異常はないんだけど、なにしろ慣らしていくことが必要でね。寝ることに必要のないものは、後回しだったんだ。じきに声も出るようになる。」
赤い光の波形は続ける。
「多分もう気づいていると思うけど、君の身体には、今後生きていくために必要な処理を少しだけ、加えさせてもらったよ。コードは本来、生まれたての時に処理しておくべきことなんだけど、君にはそれがされていなかった。身体に負担もかかるし、それに適合できないと、いずれにしてもこの世界では生きていけないから、前に言ったみたいに、何か悪い副反応が出たら、それは残念ということになってしまうんだけど、君の身体は大丈夫だったみたいだから、安心していいよ。これからも生きていける。」
ワザオサは目尻とこめかみの間にある何かにもう一度指を触れる。
「あの状態で君が生きていること自体、こちらは何かの間違いだと思ったよ。もうね、事後検証ができる死体さえ見つからないと思っていたし、多少でもサンプルが取れたら取って、それを持ち帰って調べるだけのつもりだったから。何層にも重なった瓦礫が溶けて、ミルフィーユみたいな層に見える塊の下に人間の反応を見つけた時は、それはもう驚いたさ。塊を数人がかりでかろうじて動かして、初めて君の姿を見た時は、何ていうか、信じられないものを見る感覚ってあるだろ、まさにそんな一瞬だった。ましてや一見、こうなってしまった世界で生きるための処理は何ひとつされていないときてる。そんなことがなくても外に出た瞬間に死んでいてもおかしくないのに、君は生きていた。そんなことがあるのかって、目を疑ったさ。その場には僕を含めて3人、その瞬間を見た人間がいたんだけど、僕たちはそこで相談した結果、口裏を合わせて、君を隠して連れていくことにした。」
赤い光はそこで一瞬、動きを止めた。
「それが、ここさ。」
一瞬だけ沈黙が流れる。
「ここは、常夜。今ではもう忘れられているかな…、いや、ここがあること自体、もう知られていないかもしれない。そういう意味では、ここは君と似てるかな。ここがまだ健在な時は、ユグドラシルの監視と運用を行う研究所として、もっと賑やかだったんだけど、不幸なことに大規模な天災に遭って、町のほぼ全てが吹っ飛んで消えた。吹っ飛んで消えた町はイワヤという名前の町で、多い時で5万人くらいは人が住んでいたんだよ。露店とかが並んだ大通りもあって、それなりに賑やかで。それが今では町はもうない。ごくまれに物好きな人間がここにたどり着く以外は、ここに人が来ることはないし、もともと町だったここから外へ出る手段も、今ではもうない。人の数が減り続けて、今はもう人はいなくなっているけど、自給自足を行っていた町のシステムだけはまだ生きている、そんな状態さ。」
赤い波形はゆっくりと上下しながら、ワザオサの目の前で揺れている。
「さて…と、そろそろ大丈夫かな。このままお話しを続けてもいいんだけど、ここがどういうところか、直接見てもらうほうが早いからね。自分で立って歩けるようになっているかい?」
そう言うと、赤い波形は動きを止め、沈黙した。ワザオサは動きの止まった赤い光をしばらく見つめていたが、その後ベッドの上の自分の身体を90度ほど回転させ、その側面から、ゆっくり脚を床へおろした。床の冷たく硬い感触が両足の裏にある。その感触を確かめながら、ワザオサは立ち上がった。両足はワザオサの身体をきちんと支えていた。それと同時に、それまで何もなかった部屋の壁面の一部が開き、そこから1枚の薄い布地が差し出された。
「そのままだと外は歩けないからね。貴重なものだけど、護身用のケープを1枚だけ準備できたから、それを着るといいよ。もしかしたら君は大丈夫なのかもしれないけど、部屋から外に出たら、絶対に脱がないこと。脱いでも身体にいいことはないよ。」
布地が差し出された壁面のほうへ、ワザオサはゆっくりと歩み寄った。最初の一歩はぎこちなかったが、それも最初の一歩だけで、ワザオサの足取りは確かだった。布地に触れる。表面には光沢があり、手触りはさらさらとしていたが、見た目よりは重量があるように思えた。ワザオサがそれを身体にまとうように身に着けると、薄い布地からは何種類かの機械音が聞こえ、その形はワザオサの身体をゆっくりなぞっていくように、形を変えていった。それと同時に、また違う別の壁面に長方形の光のシルエットが描かれ、そのシルエットはゆっくりと横へ動き、やがて止まった。ワザオサを迎えるように。その光のシルエットの先の様子は、分からなかった。
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