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七鳴鐘楼モンペルク、月蝕は混沌の影を呼び編
27.夜闇の森から出でるもの
しおりを挟む「ウ……ウ゛ぅ……」
ヌエさんが唸っている。
ハッとしてそちらに目を向けると、ヌエさんは何故か苦しそうな顔をしていて――急に、驚いたかのように目を見開いた。
「なっ……ど、どうしたんです!?」
慌ててブラックから離れて問いかけると、ヌエさんは何もない天井を驚いた表情で見つめながら……一言呟いた。
「――――きた」
たった二言の、静かな声。
だがその声の意味を問いかけようとした刹那――――
けたたましい金属音が鼓膜を打ち、俺達は思わず耳を塞いだ。
「なっ、なに!? これっ……鐘楼の鐘!? なんでこんな……っ」
なんでこんなに大きくて、エコーが掛かってるかのように何重にも響いてるんだ。
煩いのは勿論だが、それ以上に頭を揺らすほどの強い反響に視界が怪しくなる。
これほど大きく響く鐘の音は、聞いた事がない。
まさに脳味噌を揺らすほどの怖ろしい音に硬直していると、ブラックが周囲を探るかのように視線を左右に忙しなく動かしながら眉を顰めた。
「まだ朝でもないのに鳴ってる……。しかも、この音の重なりと大きさ……まさか、七つ全ての鐘が鳴っているのか……?」
なんだって。全部の鐘が鳴ってる!?
それはどういうことだ。まだ夜も明けてないのに、そんな事が起こるなんて。
……っていうか、全部が一斉に鳴るってどういうこと?
つい思考停止してしまうが、しかし鐘が鳴る前に異変を感じ取ったヌエさんは、耳を塞ぐ俺達に構わず椅子から立ち、窓へと駆け寄った。
なんだ。もしかして、ヌエさんは何か知っているのか?
全く耳を塞ごうとしない相手に不思議に思いつつ、俺達も何が起こったのかと窓の外を見やる。……月明かりが煌々と降り注ぐ、青くて暗い影に染まった街。その様子は昨晩と何ら変わりがない静けさだ。
だけど……おかしい。
なんでこんなに静かなんだ。どの家も全然明かりがついていないんだ?
何度も反復する鐘の音に遮られていたって、怒号や悲鳴は聞こえるはずだ。
なのに、俺達がいる宿の近くですら何も静まり返ったまま夜に沈んでいた。
「人っ子一人出てこない……まさか、街全体が眠ったまま……!?」
「クソッ、コイツのせいか……っ。ツカサ君、用意して! いま動けるのはどうやら僕達だけみたいだ。外の様子を確かめるよ!」
「おっ、おう!」
緊迫した声のブラックに頷き、二人で慌てて寝室へと戻る。
何が起こっているのか分からない。だけど、とにかく状況を把握しなくては。
俺達は急いでラフな服装からいつもの姿に装備を整える、と――ベッドの方から、ムニャと可愛らしい声が聞こえてきた。
「キュゥ……?」
「クゥ~」
ベッドの傍らに置いた籠の中から、目をこすりながらロクショウ達が出てくる。
おおっ、何だかよくわからんが目を覚ましてくれたのか!?
「ロク、ペコリア、大変なんだ! 起きてスグで悪いけど力を貸して!」
俺がそう言うと、三匹は目を丸くしてパチパチさせつつ即座に駆け寄ってくる。
うう、なんて協力的で可愛い【守護獣】達なんだっ。
「ロクショウ君が起きてくれて助かったね……ツカサ君、準飛竜の姿で中央の大鐘楼に飛んで貰おう! 高い所から街と外を見渡すんだ!」
「よしきたっ! 大通りまで走ろうぜ!」
さすがに敷地内でロクの真の姿を解放するのは色々危ない。
早速宿を出ようと再びリビングへ戻ると、ヌエさんが駆け寄ってきた。
「ヌエもいっしょ行く」
「えっ……」
「ツカサ君、連れて行こう。良く判らないヤツだけど、どうやら駄熊と同じ程度には気配に敏いらしい。僕達が気付けない事にも気が付くかも」
「そ、そうか、じゃあ一緒に行こう!」
コクリと頷くヌエさんを背後に、俺達は宿から飛び出して大通りに向かった。
……やっぱり、街は静まり返っている。誰も外に出てはいない。
こんなに鐘楼が警鐘を鳴らしているのに、誰も気付いていない。
みんな、眠ってしまっている……。
「…………」
やっぱりこれも、ヌエさんの何らかの能力のせい……なんだろうか。
でも、だとしたらどうしてロクショウとペコリアが急に目を覚ましたんだろう?
もしかして、本当は関係なかったりするのかな。
けど、そうとも言い切れない可能性があるのがな……。
……実はさっき、ヌエさんはブラックの名前を覚えるのと同時にロクショウとペコリア達の名前を覚えていた。
俺はそれを褒めたのを覚えているんだが、ヌエさんがロクショウ達の名前を覚えた後で、熟睡していた三匹が急に目を覚ましたんだ。ということは……ヌエさんが名前を覚えた存在は、眠らずにいられるっていう可能性がある。
逆に言えば「みんなが眠っているのは、ヌエさんの能力が原因」ということになるのだ。俺達の推測は間違っていなかったのである。
これで、ブラックが【水牢】から抜け出しても目を覚ましていられるのなら、その仮説は証明できるんだけど……今はその時間も惜しいし、滅多な事はしたくない。
あの七つの鐘の大合唱が杞憂だと確信できるまでは、ブラックに寝て貰っては困るのだ。俺じゃ絶対にこんな事態を収められない。
この世界を深く知っているブラックが寝てしまったら、多分“詰み”だ。
例え術が使えない状態でも、なんとか起きて居て貰わなければ……。
っていうか、水に包まれてるのに普通に走れるなんて本当不思議だなおい。
「ツカサ君、もうこの辺で良いんじゃない!?」
考えているうちに大通りに出たようだ。
白い壁の美しい建物ばかりが一直線に並ぶ道は、月光に青白く浮かび上がっていて、なんだか綺麗と言うより不気味な印象が強くなっている。
しかも、そこにあの鐘の音だ。
……あまりに静か過ぎると、綺麗な景色って怖くなるんだな。
そんな思いと怖気を振り切って、俺はロクショウに頼んだ。
「ロク、みんなをあの一番大きな大鐘楼まで乗せて欲しいんだ! 頼めるか!?」
「キュー!」
ぐるり、と空中で回転して、ロクは少し離れた場所に高く飛び上がる。
そうして、ボウンという音と共に雲のように巨大な白い煙を纏い――――その中で、夜よりも黒く光る鱗を持った“本当の姿”を現した。
「ワッ……!! ロクショう、大きくなッタ!!」
さすがのヌエさんも驚いたようで、目を丸くしている。
そんな彼を地上に見ながら、ロクは白い煙から抜け出した。
準飛竜・ザッハーク。
竜の兜を被ったかのように滑らかで艶めく頭に、蛇腹のように大きく広い黒鋼の板のような鱗を重ねた体。まるで、西洋の鎧のようだ。
ゲームや漫画でよく見かける、竜の姿をしたバハムートのように格好いいその姿に思わず息を吐くと、ロクは「グオン」と小さく一鳴きした。
そうだ、見惚れている場合ではない。
体を地面に伏せて乗りやすくしてくれたロクの背に、ブラックと一緒に乗り込む。
俺達が首根っこの部分に座ったのを見て、ヌエさんも地面を蹴って軽く飛び上がると、ブラックの後ろにストンと座った。
……あの宿の最上階に楽々登って来れる所から察してはいたが、やっぱりかなりの運動能力をお持ちだ。獣人並みの身軽さじゃないのか?
跳ぶのが得意なペコリアですら、ピョンと跳び上がったものの首の根っこまで距離が足りず、えっちらおっちらと急いで登って来ているというのに……。
よしよし、ペコリア達は俺がしっかり抱えておいてあげようね。
「ツカサ君、ちゃんと僕のマント掴んでてよ? 落ちちゃだめだからね」
「お、おう……」
ペコリアを抱える俺……を片手で抱えてしっかりロクの首に跨るブラックは、何度目かの心配をしてくる。解っとるわいと言いたいとこだが、俺は運動音痴なので強い事は言えない……大人しく従っておこう。
アグネスさんの恩恵なのか、【水牢】に包まれていてもブラックは俺を濡らす事も無く囲っていられる。俺がうっかりしない限りは、ロクの背中から落ちる事など無いだろう。本当に妖精の術ってのは不思議だな。
そんなこんなで位置に付いた俺達を見ながら、ロクはゆっくりと翼を動かし空中へと飛び上がった。大通りギリギリまで広がった巨大な翼は、上手く建物を避けてロクの体を地上から離していく。
建物と十分な距離を取ったと見たのか、ロクは一気に翼を羽ばたかせて上昇し、たったの数秒で大鐘楼の屋根に辿り着いてしまった。
「グォオン!」
おなかにビリビリくる声をあげて、ロクはとんがり屋根のてっぺんに足をかけ巻き付くように体を屋根の面にぴたりくっつける。
かなりの体重が有るはずなのだが、屋根はビクともしていないようだ。
それにも驚くが、しかし今の俺達はとにかく大音量に気を取られてしまっていた。
「うっ……み、耳が……っ」
「クソッ……かなりの音だな……!」
「そんでブラック、これからどうするんだ!?」
出来るだけ大声で問いかけると、相手は俺の耳元に顔を寄せる。
「この鐘は、外敵が来た時に音が自然とその方向へ行くように出来てるんだ。何せ、これも特殊な“曜具”だからね。でも七つとも全部鳴ってると、反響が強すぎて下からじゃ聞こえないんだ」
「あっそっか、だから一番高い中央の塔から……」
「そういうコト! ここからなら……」
言うなり顔を上げて、音が向かう方を探るように目を動かすブラック。
俺もなにか出来ないかと思い、必死に耳を澄ませる。ペコリア達も、可愛くて長いお耳を色々な方向に動かして探ってくれていた。
だが、こんな大きな音だと五感が鋭いモンスターは逆に五感を鈍らせてしまうようで、未だにどちらを見ればいいのか困っているみたいだった。
優れた点も、場合によっては弱点になるんだよな。
よし、ここは人間の俺達が頑張るしかない。
そう思い俺も音の行く先を探ると――ブラックが声を上げた。
「あっちだ!!」
声で示す先を、一斉に見やる。
そこには、月明かりに薄らと照らされる草原が有る。遠景には大きな森が広がっており、更にその向こうは陰となった山脈がひっそり水平線を隠していた。
だが、それでも広大な風景には変わりがない。
見通しのいいその場所には何も見当たらないが、どうして鐘の音はそちらの方へと全力で音を響かせているのだろうか。
そこまでしなければいけないほどの何かがあるってのか……?
「…………」
鼓膜が破れるのではないかと思うほど音を鳴らす七つの鐘とは裏腹に、街の向こう側の風景は眠りについた人々と同じように静まり返っている。
もしかして、誤作動なんじゃないのか?
そう思ってしまうほど穏やかな夜の風景だが、緊張感で何も言えない。
ただ、今は、何事も起こらないようにと祈る事しか出来ない。
そうして、何度目かの警鐘を、大鐘楼が鳴らした――――刹那。
「ッ――――!!」
俺を抱えていたブラックの片腕が、ビクリと動く。
明らかに緊張したような反応だ。
……まさか。
心の中で無意識に呟き、俺も森の方へと目を凝らす。
ブラックほど目が良いわけではないが、遮蔽物のない草原と接した森は、一般人の俺の目でもはっきりと視認できる。
静かに月明かりに照らされた森。
何の変哲もないはずのその場所を睨むように目を細めた、瞬間。
森の一部が大きく動いて、どごんと嫌な音を立てながら……
見た事も無い巨大な“何か”が、木々をなぎ倒し這い出して来た。
「なっ……!?」
「なっ、なんだよアレ!! モンスターなのか!?」
息を呑むブラックの声を遮るように叫んでしまったが、あんなものを見たら誰だって叫んでしまうだろう。ブラックのように冷静に声を殺すのは玄人なのだ。
でも今は、そんなことを深く考えてはいられない。
だって。
……だって、今俺達が目撃した「森から這い出てきたもの」は……
異形としか言いようがない姿をした、巨大なモンスターだったのだから。
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