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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
11.少年期を過ぎて
しおりを挟む“年若い大人”となった獣人は、その時点で大人と見做される。
幼児でもなく大人でもない、ほんのわずかな時間の姿である「少年」となったクロウクルワッハも例外では無く、その頃から父に勧められ「訓練」が始まった。
父親であるドービエルからすれば、引きこもっているクロウと彼へ向けられる周囲の冷たい視線の両方を改善させるための親心だったのだろう。
戦う術を学び、学問を究める事でクロウクルワッハの価値を高めようとした。
この「訓練」により、王子として相応しい子供だと、認めて貰おうとしたのだ。
実際、それは普通に成長してきた獣人には有効な事で、本来ならば周囲の大人達に実力を認めさせる手段となり得るのだが――――クロウクルワッハの場合は、少々事情が違っていた。
まず、彼はそもそもが下に見られ憐れまれた子供だった。
それが多少の訓練で「成長」出来たとしても、彼らの評価は「やっと一般的なことが出来るようになった」としか思われない。努力は倍必要だった。
そして……クロウクルワッハは、一部の王族から明確に見下されていた。
いや、恨まれていると言った方が良い。
――――あの凶事の際、体格頭脳ともに幼児でしかなかったクロウクルワッハが出来る事など殆どなかったというのに、彼らの認識は未だ変わる事は無かった。
オスとして成すべき事を出来ておらず、長の貴重なメスを殺した。
元より「年齢にしては成長が遅すぎる」という第二王子の特殊な性質にもどかしさと苛立ちを感じていた王族の一部は、クロウクルワッハの成長の遅さを「そういう個体」ではなく「劣った性質」と考えており、国の不安要素とすら考えていた。
さもありなん。
獣と言うものは、弱い子供や足手まといを徹底的に排除する。
その本能による切り捨ては人間の姦計など遥かに及ばないほどの無慈悲さで、己の子供であろうと「不要である」と思えば簡単に切り捨てるのだ。
獣人に半分人族の血が混ざっているとはいえ、その本能は未だに強い。
理性を持つヒト種の一派とはいえ、その行動にはモンスターとしての血が作用することが多く、その誇り高さゆえに無様を嫌う獣人にとって、この「切り捨て」の性質は、時に理性を強く揺さぶる衝動となってしまっていた。
だからこそ……いや、その本能を抑え込む理性ゆえ、だろうか。
クロウクルワッハを第二王子として“不適格”だと思う者達は、決して「遅い成長」を始めたことを評価せず、ただただ「王妃を守れなかった無様な弱いオス」という評価を変えることはなかった。
その筆頭が、第一王子のカウルノスである。
彼はスーリアの事も、自分の第二の母のように思っていた。
物心ついた時から既に母と父が戦に出陣していた彼にとって、唯一自分の事だけを考えて接してくれたスーリアは、もはや血の繋がりがなかろうと己の家族のように想っていた。年頃であれば、それは恋心かと錯覚するかもしれないほど、カウルノスにとってスーリアと言う存在は特別なものだったのである。
それ故に、カウルノスはクロウクルワッハに対する周囲の反応が許せなかった。
王族の冷たい視線や憐れむ目を強く感じ恐れたクロウクルワッハに対して、長兄であり次期長として期待される生活をしてきたカウルノスには、弟を取り巻く光景が別のものに見えていたのである。
……あの出来損ないは、あんなことを引き起こしておいて守られている。
父上に必要以上の庇護を貰い、カウルノスの母親であるマハからも甘やかされている。自分は、あれほど甘やかされたことは無い。両親とも戦が忙しくて、あれほどの愛情を注いでくれなかった。なのに、アイツだけ特別に甘やかされている。
すぐに王になるための教育を受け、厳しい鍛練を積んでいる自分は、そんな風に頭を撫でられたり、抱きしめられることなど数えるほども無かったのに。
なのにどうして、その「人殺しの出来損ない」に甘くなる。
何故、誰もあの出来損ないを責めないんだ。
あいつはスーリアを見殺しにしたも同然の、オスとして最悪の存在なのに。
――――このあたりは、クロウクルワッハがつい先日、カウルノスから吐露された感情であったが……それでも、聞くことで納得するような態度ではあった。
別に、体が成長したからと言って心まで付いてくるわけではない。
獣人は誇り高く、基本的に親の背中を常に見て過ごす。だからこそ、己も誇り高い者であろうという意識が強くなり、すぐに大人の精神に育っていくのだ。
しかし、人族と同じ生活を行う「王族」はそうもいかない。
そもそもカウルノスが生まれた頃は、猿族との奴隷戦争の真っ只中だった。
彼が手本にするための大人は出払っており、カウルノスもまた精神的な成長に関しては遅れていたのである。
そこに起こったのが、スーリアの事件だ。
カウルノスの激情は、クロウクルワッハの抱える感情とは違うが、それでも未だに心は少年であった彼の性格を捻じ曲げるだけの重苦しさがあった。
――――だが、だからといって人を憎むための許しにはならない。
今となっては後悔していたカウルノスだが、その時の彼は感情を抑えることもままならず、長い間クロウクルワッハに憎しみと殺意を抱き悩むことになる。
また、クロウクルワッハも、兄からの敵意に苛まれることになった。
「おい」
「…………」
名前を呼ばれることもない、呼びかけ。
数年王宮で暮らしていて、自分の名前を呼ぶものは数えるほどしかいない。
給仕をする者達からも無言を貫かれるクロウクルワッハは、その状況を己の罪として受け入れ続けた結果、滅多に表情を動かさない青年になっていた。
……もう、幼い頃のように笑ったり泣いたりもしない。
大人らしい理性を手に入れたかのように振る舞い、その実、己の感情を動かすことを抑え込み、いつの間にか表情を動かすことも忘れてしまっていたのだ。
――十数年人族と同じ成長を続け、やっと青年の姿に成ったクロウクルワッハは、その間、憎しみと憐れみに加えて奇異の目にも曝された。
幼い頃に理解できなかった視線も、大人になるにつれ理解してしまうようになる。
その視線を避けるため、感情を顔に表すことを放棄したのだった。
だが、その自身を守る行動は、クロウクルワッハを敵視する者には逆効果だった。
「返事くらいしろ、お前は耳まで機能しなくなったのか!」
「……はい。なんでしょうか、兄上」
訓練場で一人、石像相手に拳を打つ練習をしていた途中。
いつものように誰も訪れないまま終わると思っていた鍛練に、思いもよらない訪問者が現れたのだ。
だが、その訪問はクロウクルワッハにとって嬉しいものでは無かった。
声すら大人しく、あまり抑揚が付かなくなった己の弟に、カウルノスは不快極まるとでも言いたげな顔をして、牙を見せクロウクルワッハを睨んできた。
「お前に兄上と呼ばれるたびに虫唾が走る……クソッ、また打ちのめしてやりたい所だが、今はそんな暇など無い。……行くぞ、猿どもの残党が見つかったんだ」
「…………猿、ですか。猿とはあの、父上が殲滅したという……?」
種族の名前は覚えていないが、かつて戦が起こったという記憶は捨てられない。
己の罪に関する記憶は、どれほど忘れようと思っても忘れられなかった。
そんな弟の心のうちなど知ってか知らずか、カウルノスは憎々しげに顔を歪めた後、クロウクルワッハを睨みつけながら続ける。
「そうだ。……そいつらのメスが匿っていた残党が、また怪しい動きを見せているとか言う話で、俺の軍を動かすことになった。……その軍に、お前も下級兵として参加し、付いてこい。実践の訓練を積ませろという父上の命令だ」
ああ、そうか。
自分を仲間として認めたからでは無く、尊敬する父親の命令だから、カウルノスは逆らえずに自分を迎えに来たのか。
元から誰かに認められることなど無いと思っていたが、しかし実際に「嫌々ながらも仲間に入れに来た」という態度を取られると、心が痛くなる。
何度自分を押し込めても慣れない痛みに、クロウクルワッハは内心ここから逃げ出して戸棚の中に引きこもりたい衝動に駆られたが、しかし「誇り高い獣人」に成るための戦いは避けられない。
なにより、誰かに認めてもらうには、武功を立てることが重要だった。
(……私が活躍すれば、兄上は少しでも認めて下さるだろうか……)
王族らしく、礼儀を身に着けた。
もう子供の頃のように、誰かに迷惑をかけないように大人しくした。
武人らしく鍛練も毎日欠かさず、誇りを汚すようなことは徹底的に避けた。
自分の心が弱いのだからと、二度と感情を出して誰かを困らせるようなことがないようにと、表情すらも殺して見せたのだ。
だが、誰もクロウクルワッハのことを認めてはくれなかった。
あのドービエルとマハですら、愛してくれるものの「か弱い私達の息子」という認識を崩してくれず、クロウクルワッハが名誉を得る機会を無意識に失わせていた。
誰も、未だに自分の事を許してはくれない。
まだ皆が「母親を、メスを見殺しにした哀れで弱いオス」だと、
「役に立たないオス」だと、
そういう目で、クロウクルワッハを見ていた。
(…………私は……どう、償えばいいのだろう……。戦に出れば、母上をむざむざ見殺しにしてしまった罪を償えるのだろうか。それとも、償えるかと考えること自体が、もう罪を重ねてしまっているのだろうか……)
考えても、分かる事は無い。
無表情で突っ立っているだけだとまた後ろ指を差されるだけなのだ。
「おい、またボーっとしているのか!」
「……いえ。わかりました。……精一杯、下級兵としての務めを、果たします」
きっと、下級兵の群れに入っても自分は同じような扱いを受けるのだろう。
だが、高い地位にあって「つかえないもの」と呼ばれるよりはマシかも知れない。
何か一つでも「今とは違うこと」が出来れば、認めてくれる人が出てくるのか。
「フン……さっさと来い。遅れたら承知せんぞ」
「承知しました」
兄の……いや、兄と呼ぶ事すら許されないだろう第一王子の背中を見て歩く。
希望と言う単語すらも思い至らなかったクロウクルワッハに、そんな小さな希望が少しだけ宿ったが、だからといって立場が変わるわけではない。
それは理解していたが、しかしその小さな希望だけは、捨てきれなかった。
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