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麗憶高原イデラゴエリ、賢者が遺すは虚像の糸編
3.指名、事前準備は重要です。
しおりを挟むハーモニック連合国の首都・ラッタディア。
ここは、この巨大な連合国のさまざまな物事が混ざり合う都市だ。
正義、悪徳、秩序と混沌、人族と他種族……とにかく、比較に事欠かない。
砂漠や森林に住む様々な部族が寄り集まって出来たこの国は、その混沌さゆえか首都の様子も他の都市とは一風変わっていた。
秩序立った都市機構と、混沌とした歓楽街。事件を許さない規律がある反面、この街の下には世界一の巨大な裏世界【ジャハナム】が存在し、大陸一獣人族や魔族の住民が多くいくせに国を守る部族長達は保守的で部族ごとの掟を尊重する。
相反するものが同時に存在しているこの国は、荒事が絶えない代わりに新しい物を簡単に受け入れてしまう度量の広さが存在した。
(なんだか久しぶりに、耳が見慣れた位置にある他人を見た気がするよ……)
ラッタディアは獣人大陸へ向かう船が発着する数少ない場所であるため、獣人族や魔族も多少存在しているのだが、それでもここは圧倒的に人族が多い。
建物の様式や装飾も、人族に合わせて作られたものばかりで、ようやく自分が居る場所は“同じ種族の縄張り”であると実感できた。
(そんな事を考えてホッとするなんて、僕もだいぶ毒されてる感じはするけどね……)
良い事など、ツカサと一風変わったセックスが出来たことと、あまり飲む機会がない酒を飲んだ記憶しかない。その他の事象は全て思い出すのも煩わしい。
だが、現在の状況に置かれたブラックには、記憶を廃棄する自由などないのだ。
そのため、せっかく人族の大陸に帰ってきたというのに、ブラックはこの常夏の国の炎天下の中、近寄りがたい“とある施設”へ向かうためラッタディアの大通りをとぼとぼと歩いていた。
その行き先とは、以前ツカサと一緒に訪れた場所。
この大陸で最も大きいと言われる【世界協定】の支部だ。
他にやることも無いので素直にやって来たはいいのだが、やはりこの施設の華美な装飾と潔白さを押し付けるような雰囲気は相容れない。
早く用事を済ませて酒場にでもしけこもうと思いつつ、受付にシアンとの面会を申し込み、待合所で待っていると――――数分ほどで案内がやって来た。
どうやらあちらも帰還を待っていたようだ。
とはいえ……正直な話、今二人きりでシアンと会うのは気まずい。
獣人大陸に渡る前に発覚した、彼女の三人目の息子だという……なんとかという男。いや、ツカサが妙な間違え方をしたので名前自体は覚えているが、頭の中で思い浮かべるだけでも不幸を運んできそうなので、あまり思い出す気になれない。
ともかく、その男のせいで、シアンの精神が大いに不安定になっているのだ。
いつもなら穏やかに微笑んでいるはずの相手が、今まで見たことの無い弱った姿を見せている。それだけで、何故かブラックの心もささくれ立つようで、出来ることなら、今のシアンと面と向かって会いたいとは思えなかった。
(せめてツカサ君が居てくれたら、少しは場も和んだかもしれないのに……ったくあのクソ眼鏡め……。ツカサ君と少しでもイチャつきたいなら、この時間でやるべきことをやっておけとか余計な事を言いやがって……)
確かにその通りではあるのだが、他人にそんな事を言われて蹴り出されるように【異空間】から投げ出されたのは納得がいかない。
今度会った時は刺そう。そう思いつつ、案内に従い執務室へと向かった。
……シアンの執務室に来るのは、ツカサと旅を始めた時以来だ。
本来ならば関係者でないと入室出来ない上階の管理区域は、宮殿のような施設の外観にも関わらず非常に落ち着いた作りになっており、一本の廊下の左右に地位の高い管理者達の部屋が並んでいる。
休憩室や観葉植物の彩りは有るが、それ以外は徹底した「職場」だった。
【世界協定】の施設は、だいたいこういう感じなのであまり近寄りたくない。
職務と責任に雁字搦めにされているような不快感を勝手に覚えて苦い表情になりながら、ブラックはシアンの執務室の扉を手で打ち部屋へと入った。
「……ああ、ブラック……久しぶりね。あちらでは色々あって大変だったみたいだけど、元気そうで安心したわ」
そう言いながら席から立つ、ほっそりとした老女。
昔と変わらない姿のはずなのに、今はその老いた姿に何故か焦り感じてしまうほどの“弱さ”を感じてしまい、思わず手が動きそうになる。
だが、手を動かして何をしようと言うのだろうか。
……自分でも判らない衝動ならば、手を伸ばすべきではない。
ぐっと堪えて、ブラックは応接用のソファとテーブルに近付いた。
「そっちこそ、随分と疲れているようだけど。……仕事してて大丈夫なのか」
「ふふ、貴方がそんな心配をしてくれるようになるなんてねえ」
「ッ……! からかうヒマがあるなら早く用事を済ませて寝てろ!」
自分でも意味も分からずカッとなってしまったが、シアンはそんなブラックの様子を見て、どうしてだか嬉しそうに笑うと、緑茶を持ってきて二人分注いだ。
断るのも面倒だったので、そのまま飲む。
そんな風にいつもの調子が出ずに眉根を寄せるブラックを、シアンは変わらぬ笑みで見つめながら、ほっと息を吐いてカップに口を付けた。
「じゃあ……お言葉に甘えて、しばらく貴方からの報告を聞きましょうかね。……粗方の報告はドービエル陛下とクロウクルワッハさんに聞いたのだけど、詳しい話は貴方からの方が慣れていて聞きやすいから」
「…………途中で寝るなよ」
ぶっきらぼうに言うブラックに、シアンはくすくすと笑いながら頷いた。
――――そこから、ブラックは改めて【サービニア号】乗船から獣人大陸ベーマスで起こった事の全てを、自分が知る範囲内のものだけ纏めて報告した。
もちろん、纏めたとて、かなりの時間を要する話だ。
自分で語っている途中に、色々と面倒が起こった旅だったと思い出すくらいには、今回の長旅は大変な物だった。
初めて【アルスノートリア】の一人金の【皓珠】と交戦し、そのデタラメな能力に驚愕した戦場の戦いは、ブラックにとって苦い思い出だ。
己の力の一端を出したくせに、制御しきれず“呑まれる”ところだった。
……ツカサが抑えていてくれなければ、どうなっていたか分からない。
あれのせいで、一層自分の能力に忌避感が生まれてしまった。……もちろん、このような事をシアンに語ることは出来ないが、それでも戦場での戦いまで話すと長年の付き合いが故か相手も察してしまったようで、悲しげな顔を向けられてしまった。
だが、それに反応すると、また嫌なやりとりに発展しそうだったので、ブラックは話題を流すようにツカサの中に入ったという【皓珠の書】の謎などの話に移行した。
――――そして、ベーマス大陸に到着してからの話だ。
こちらも極力無駄な部分を取り除いて、二人目の【アルスノートリア】である【礪國】と【教導】という人族達が起こした騒動と、それによって覚醒した【銹地】のことだけを出来るだけ簡潔になるように語った。
(……やっぱりツカサ君が居なくて良かったかな……纏めてもこんなに長い報告なのに、ツカサ君が居たら枝葉の話までしちゃうから余計に長くなりそうだもんなぁ)
細かいところまで覚えていて、一生懸命に話してくれるのがツカサの可愛いところの一つではあるのだが、早く終わらせたい話の場合では少々問題だ。
今すぐにでも会いたいが、出来ればこの仕事が終わった後が望ましい。
そんなことを思いつつの報告だったのだが、ベーマスに関しては事前に知っていた情報が多かったのか、シアンは事前情報と擦り合わせながら、ふむふむと頷きつつ最後まで真面目に話を聞いていた。
「…………なるほど……。今回は本当に大変だったわねえ」
「大変なんてモンじゃないよ。このハーモニック以上に暑い土地だってのに、砂漠の中を移動させられまくるわ、面倒くさい種族間や血族の問題に巻き込まれるわ……」
「だけど、結果的に今回で【アルスノートリア】の力を二人分失わせることに成功したのだから、上出来以上の成果だと思うわ。良く頑張ったわね」
いつの間にかテーブルの上にあった菓子をつまみ、シアンはブラックの方に置かれている懐紙の上に「ごほうび」とでも言わんばかりに、ひょいひょいと菓子を乗せる。
子ども扱いをするなと言いたかったが、それでも年齢から考えれば、シアンにとってブラックは赤子も同然だ。しかも……今は、実子に関する問題もある。
そう思うといつものように怒るのも憚られて、ブラックは我慢するしかなかった。
「……僕が甘いモノ苦手だってお前は知ってるだろ」
「あら、最近はツカサ君のおかげでそうでもないでしょう? まあ……お婆ちゃんの、ちょっとの気晴らしに付き合ってくださいな」
「はぁ……。もう菓子は良いから、これからどうするんだよ。報告はしたぞ?」
強く出られない現状に溜息を吐きつつ現状を問うと、相手は菓子を積む手を止めてブラックの顔を見る。その表情は、いつもの彼女だ。
優しげな笑みを浮かべているが……何かを聞いて、こんな風に微笑む時のシアンは、大体ブラックにとってありがた迷惑な事を考えている。八割そうだった。
長年の付き合いで嫌と言うほど思い知らされているので、思わず隠しようもないほどのイヤそうな顔をしてしまったが、シアンはそれでも怯まずに返した。
「ふふ、そうね……。正直、今回は本当に色々……ブラックにもツカサ君にも大変な事をさせてしまったから……しばらくの間は、休養してほしいなと思っているの」
「きゅうよお~~~? ハァ? 本当にそんなこと思ってんのか!?」
そうは言うくせに、なんだかんだ色々仕事を押し付けて来た前科がある。
今回も絶対に違うだろうと片眉を上げて、ガラの悪い三下のような物言いになってしまったブラックだったが、しかしシアンは物怖じもせず笑顔で続けた。
「あら、そうだったかしら……でもねえ今回は本当よ? 暑い場所ばかりでツカサ君も疲れたでしょうから、涼しくて自然がたくさんある場所を見つけておいたのよ」
「……で、そこで何をして欲しいんだ?」
ツッコミを入れると、シアンはニッコリと笑って何かの紙束を取り出した。
一番上の装飾がなされた紙には、【世界協定】の裁定員のみが持つ許可証の印がしっかりと捺印されている。やはり、なんらかの案件だ。
結局そうじゃないかと睨むブラックに、シアンはホホホと上品に笑った。
「安心しなさい。ただ【空白の遺跡】内部を調査するだけのものだから。事前に簡易の探索も済んでいるし、調査報告をしてくれるだけで済む簡単なお仕事よ?」
「ほんとにぃ~?」
「それは誓って! だってこれは、貴方達だから頼みたいって依頼だもの。ほら、前にトランクルという村を立て直したでしょう? あの話を聞いて、アコール卿国から直々に頼まれちゃったのよ。とある領地の依頼を」
「おい、裁定員同士で癒着してんじゃねえよ」
アコール卿国の国王……国主卿は、この【世界協定】で最高の地位である【裁定員】の一人でもある。つまり、シアンの同僚だ。
これが癒着と言わずになんというのだろうかと眉間に皺を寄せるブラックだったが、相手はどこ吹く風で資料を広げ始めた。
こうなったシアンは、もう誰も止められない。
(…………柄にもなく心配なんてするんじゃなかった……)
弱々しく、精神も弱っているだろうとはいえ、相手はそもそも仕事好きだ。
どんな時であろうと己の任務は嬉々としてこなす仕事中毒のきらいがある相手に、この状況で甘い顔を見せるのではなかった。
「まあまあ、今回は簡単な依頼だから」
「そういって毎回とんでもない事に巻き込まれるんだけどなァ!?」
こんな風に口を利けるあたり、シアンも少しは元気なのだろうか。
イラつきを抑えられない返答をしながらも、ブラックはそのことにほんの少しだけ、胸の奥の重しが軽くなるような感覚を覚えていた。
荷物をバラすという名目で二階の客室へ一人で上がり、シベが来ないように部屋に鍵をかけると、俺はさっそく探索の第一歩目を踏み出していた。
「――――って感じなんだけど……。どうかな、可能性あると思う?」
そう、第一歩目とは、電話をかける事だ。
……あちらの世界に行くために、指輪を使って「他の入口」を探す。
そう決めたは良いものの、やっぱり黙って一人で探しに行くのは危険な気がしたので、実行する前に尾井川に電話をかけて相談をしているのだ。
ふふふ、俺だって無鉄砲じゃないんだからな。
何か変な事になった時、助けを求められないのは困るし。だからこうして、唯一俺の事情を“ほぼ”理解している尾井川に助けを求めてるってワケよ。
……まあ、ほぼ理解してるってのは、俺がアッチでブラックと付き合っているって事とか、クロウとかの事とか体や【黒曜の使者】の詳しい事は知らないって意味なんだけど……そこら辺を話すのは、色々問題があるからな。
だから、今はその事は置いといて……。
ともかく尾井川は、俺が「異世界に行った」時の光景を目の当たりにしてる。それもあって全面的に信じてくれているので、相談しやすいのだ。
あと、俺以上にオタクで頭がいいからな。
長年の悪友かつ親友だからこそ、大いに頼れる。
それゆえ今回も大会に向けての練習中に申し訳ないが電話させて貰ったんだが……今の状況を話すと、尾井川は何故かシブい声になっちゃったんだよな。
俺に怒ってるわけじゃないみたいだけど、なんか気に入らなかったらしい。
「何でお前だけなんだ。他に連れて行けよ……シベの野郎テンパりすぎだろ」とか不満を言っていたので、もしかすると、自分も別荘に来たかったのかもしれない。
今度は絶対にみんなを連れてきて貰おう。
いやでもその前に高そうなアイスを喰って、尾井川達に自慢してからだな。
「…………お前なぁ、その前に拉致られた事に関してもう少し危機感を持てよ……。両親完封済みとか怖すぎるわ。アイツ野蕗とは別方向でヤベエよ」
「ええ? でもシベはダチだし、今回だって俺を思ってのことだろ。そりゃさすがに、他の奴に車に連れ込まれたら死を覚悟するけどさ」
「…………」
あっ。ちょっと、なんで黙るんだよ。
その電話口でも判る閉口して手で顔を覆う仕草やめてください!!
「尾井川?!」
「ハァー……。お前、本当……いや、もう、まあいい。野蕗よりはマシだ」
「なにが?」
「お前の危機感皆無なアホ具合への説教は、帰ってからするとして……あの指輪で周囲を探ってみるっつう話だったか」
えっ、なに。俺帰ったら説教されるの?
イヤなんですが。物凄くイヤなんですが。
でもここで話を突けば絶対俺に不利な方向に話が向かってしまうので、スルーして指輪の話題にだけ乗っかっておこう。
「そうそう。探し出せるかな?」
「うーん……あの指輪の探知がどこまで通じる距離なのか分からんからな……。ヘタに探して、崖から落ちでもしたら目も当てられんぞ。探すのはいいが、その前に周辺の地図をスマホにダウンロードしとけ」
「地図?」
そんなのダウンロードできるの。
使った事が無いスマホの使い方を提案されて思わず聞き返してしまったが、尾井川は俺を余程のバカだと認定したのか、懇切丁寧に説明してくれた。
なるほど、スマホってそういう使い方があるんだな。
確かに事前にダウンロードしておけば、道に迷わなくて済むぞ。
「……で、地図を確認した後、誰もいない所で指輪を発動して反応があったら、シベか、そこの管理人にでもいいから『この周辺に神社や祠などはないか』って聞け。でなきゃ、かなり遠方の物を指してる可能性がある。その時は動かん方が良い」
「なるほど……!! 尾井川お前頭いいなあ!」
「お前が文明の利器を活用出来なさすぎるだけだバカめが」
なんで俺の友達って俺に辛辣なの?
俺、泣いていい?
でも、これでなんとか人に迷惑をかけずに探せそうだ。
やっぱり尾井川に事前に相談して良かったぜ。ナイス判断、俺。
「ぐうう……でもありがとな尾井川、慎重に探してみるよ!」
「くれぐれも危ない事だけはすんなよ。……あと、夕方くらいなら俺も練習終わってるから、遠慮しないで電話して来い。いいか、躊躇うなよ? お前がヘタに遠慮すると、余計に事態が深刻化するんだからな!!」
あっ、電話が切れてしまった。
……尾井川の野郎、心配してくれるのはありがたいけど、もうちょっと俺に優しくしてくれても良いんじゃないだろうか。いや迷惑かけてるのは俺だし、仕方ないんだが。
ともかく、事前準備が大切なのは間違いないよな!
よーし、アイスを食べたら早速この別荘地のことを管理人さんにでも聞いてみよう。
「おい、潜祇。アイスが来たぞ」
「ひゃっほー! 今行きまーす!」
まあとにかく、アイスを食べるのが最優先だ。
お高いアイスというのはどういうモノなんだろう。はっぱりハーゲンなアレかな。
それとも、それ以上のなんか見た事も無いヤツなんだろうか。
今からワクワクしつつ、俺はスマホを持って部屋を出たのだった。
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