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断章 かつて廃王子と呼ばれた獣
2.強い優しさ
しおりを挟む――――“根無し草”の鼠人族をまとめる新たな長であるニグラさんは、俺が「ラトテップさんのお墓参りに来た」と伝えると、涙を流して喜んでくれた。
初対面の俺の手を取るほどなんて、それだけの大事だったのかな。
ナルラトさんが「そうしてくれたら自分達は喜ぶ」と前に言ってはいたけど、こんな風に大歓迎してくれるとは思ってなかったから、正直驚いてしまった。
だって……名誉がなんだのと言っても、俺は何もできずにラトテップさんを盾にしたも同然なんだ。どんな理由があったにせよ、仲間をむざむざ殺されたとなったら、彼らだって憎しみを抱いてもおかしくない。
もしかしたら、門前払いされるかもしれないのだ。
そういう予想もあったから、俺は罵倒されることも覚悟でこの里に来たんだけど――結果的に言うと、ニグラさんも他の鼠人族の人達も、俺を恨むことは無かった。
それどころか、長の家を出るなり話を聞いていたのか、外に集まっていた彼らは口々に俺達へのお礼を述べ始めたのだ。
……獣人は誇りを重んじる種族だって、充分知ってるつもりだったけど……俺が彼に何もできず見殺しにしてしまってもなお、堂々と人を守って死ねた事にお礼を言うなんて…………俺には、理解できなかった。
いや、したくなかったのかもしれない。
それを受け止めて、納得してしまったら、俺は最低な人間になる気がする。
だから俺は自分の為に罪悪感を消したくなかったんだ。
ラトテップさんの事を「英雄として死なせてあげられた」なんて納得してしまえる自分には、なりたくない。罪の意識から逃れるために、俺を救い出そうとしてくれた人の死を「仕方のないこと、良いことだった」なんて思って受け流したくなかった。
でも、鼠人族の人達の好意を無碍にするのも違うからな。
俺の感情がどうであれ、この人達の喜びに水を差したり再び悲しい顔をさせたりはしたくない。正直に打ち明けて、それでも喜んでくれたんだ。
だから俺も誠実に、今はラトテップさんの冥福を祈りたかった。
――――でもやっぱり、墓前に向かうのは気分が重くなる。
“根無し草”の鼠人族の墓場は、集落がある平地から細い海沿いの道を歩いた先にある。少し蹴躓けば簡単に海へ落ちてしまうような崖スレスレの細道を進んだ先に、再び開けた場所が見えた。
どうやらこの場所は、数珠みたいに平地を繋ぐ細い道があるらしい。
崖に囲まれていて海しか開けた場所がない不思議な所だけど、意外と十分な土地が在るのかもしれない。とはいえ……不毛の地には違いないんだけど。
「ここが、私達の墓地です。……我々は基本的に獣として喰われる栄誉を受けることが出来ません。それゆえ、大地に還ったものは海から……いえ……水葬を頼み、骨と成ったものをこちらに埋めています」
ニグラさんが示すのは、土饅頭がたくさん膨らんでいる小さな平地だ。
なるほど、海に委ねて魚か何かに食べて貰い、骨になったものをベーマスの大地に還すのが彼らにとっての最低限の誇りの保ち方だったのか。
誰にも喰われず朽ちるより、恐ろしい場所でも海に託して誰かの糧となる「無駄のない命」として散りたい……そういう事なんだろう。
俺みたいな人間からすれば、全てを理解するのは難しい習慣だ。でも、獣人族にとって、最期の死に方の理想は「戦い、相手に認められて、その強者が生きるための糧になること」以外に無い。
死に方の理想なんて、考えてもみなかったけど……もし俺がこういう厳しい土地で生まれた人なら、せめて死に方くらいは高潔でいたいと思うものなのだろうか。
…………なんか、そこまで格好いい人になれそうもないな、俺。
自分がダメ人間なのを知ってるから、無様なコトして死んじゃいそう。……やっぱり獣人族って、強い人達なんだな。
そんなことを思いながら、俺は土のお墓に膝をついて手を合わせた。
あえて、ラトテップさんのお墓はどれなのかなんて事は聞かない。
だからせめて、ラトテップさんの魂と、この地で大地に還ろうとしている人達が誇りある平穏に恵まれますようにと。
「ああ……ありがとうございます……。ラトテップだけでなく、我々にまで感謝を……う、うぅ……これで、皆も救われます……」
俺の祈りで救われる命があるなら、ありがたい。
けれど、やっぱり「俺なんかじゃ」って思っちまうんだよな。
たかだか十七年しか生きてない俺に、この人達の長い苦しみは計り知れない。
だからもっと出来る事があるんじゃないかと……そう、考えてしまう。
しかしそれは、本当に鼠人族の人達が喜んでくれることなんだろうか。
外様の俺が間違った事をして、ニグラさんやナルラトさんを悲しませたくない。
俺に出来る事は……。
「……ナルラト、一つ思ったのだが」
「はい、何でしょうクロウの旦那」
「お前達が、この土地を先祖代々の土地として守り、離れたくないと思っていることはオレも知っている。だが、それでも……もし良ければ、オレの力でお前達の家を、もう少し良い物に変えさせてくれないだろうか。……ツカサを救ってくれた礼として」
その提案に、俺達全員がクロウを振り返る。
ニグラさんとナルラトさんは驚いたように目を丸くしていたが、しかしクロウの提案に目を潤ませ、ニグラさんは両手で口を覆うと、何度も頷きながら「殿下、ありがとうございます、ありがとうございます」と感極まったように繰り返していた。
ナルラトさんも、顔を赤くして涙と鼻水を堪えている。
きっとクロウは彼らが何を望んでいるのかを肌で感じ取ったんだろう。
だから、こんな風に提案してすぐに受け入れて貰えたんだ。
……なんか、そういう所は本当に敵わないなって思ってしまうな。
俺だったら死者を悼む方法を先に考えていただろうし、付け焼刃のように食べ物を置いて行くようなことしか考えられなかったかも知れない。
けれどそれも、ニグラさん達にとって“ありがた迷惑”の可能性もあったのだ。
それを回避して、まず彼らがこの地を離れ難いと思っていることを考慮し、そのうえで自分の立場が彼らにとっては「殿下」であることを利用して、半ば断ることが不敬であるような流れを作り上げたのだ。
だから、ニグラさん達は素直にクロウの提案を享受したんだろう。
……仮に俺がこの提案をしても、遠慮して頷いてくれなかっただろうな。
自分の立場や武力を、適材適所を考えれば全力で使用できる。
ブラックもクロウも、本当にそういう使い方が上手い。俺じゃ真似しようがない、大人そのものの立ち振る舞いだった。
「では、善は急げだ。とりあえず長の家を建て替えよう。その後に、お前達が簡単に山を越えられる隠し通路を作る。いくらなんでも、これでは他の集落との小さな売買も出来んからな」
「そ、そげな殿下っ、そこまで……!」
「そっそうですよクロウの旦那! そげんこと恐れ多かこつ……!!」
さっきまで全く口にしていなかった更なる計画に、二人はネズ耳を忙しなく動かして「そんなそんな」と手を振りながら必死に遠慮しようとする。だが、クロウは既に有言実行の構えだったのか、慌てる二人を置いてズンズン戻って行ってしまった。
そんなクロウの背中を、ナルラトさん達が慌てて追いかけていく。
「……アイツ、自分が【銹地】の力を扱えるようになった途端、これみよがしに態度がデカくなりやがったな……蹴り倒してやろうかな」
「ま、まあまあ……自信満々なのも良いじゃん。クロウって最初はあんな感じで強引にグイグイ来る感じだっただろ?」
物騒な事を言うブラックを宥めるが、相手はクロウの態度にご立腹のようだ。
多分、強大な力を手に入れてイキッてるように見えてるんだろうな。
まあそう見えなくもないけど、クロウって最初はあんな感じで結構人の話を聞かずに進むタイプだったし、それに正直人の話を聞かないのはブラックも……。
「つーかーさーくぅーん? 今すっごい失礼なコト考えてたでしょ~?」
「か、考えてない考えてない! いや~、アハハ、と、とにかくさ、ナルラトさん達の家を直してやりたいってのは、人情からだろうし……それに【グリモア】の力を使っても、一時的なモノで定着せずに消えちゃうんだろ? だったら、自分の力で建ててやろうと思ってるんだろうし……見守ってやろうよ」
クロウだって、ブラックの【紫月】の力を何度も見ているんだ。
ここで【グリモア】を使えないのは知っているだろうし、自分が蓄えている土の曜気で何とかするつもりなんだろう。……この人達を助けようっていう一心で。
「ケッ、カッコつけめ。どーせあいつツカサ君に良いところ見せたいから張り切ってるんだよ。絶対そうに違いないね」
「またそんな憎まれ口叩くんだから……。ほら俺達も行くぞ! クロウ一人じゃ曜気が不足して倒れちゃうかもしれないんだから!」
「キュー!」
「はー……やれやれ……」
ブラックはえらく曲解したような事を言っているが、クロウだって、追放されていても王族である事に変わりは無い。しかも、民の事を心から案じるような血族だ。
そんな優しいクロウなら、こうなって当然というものだろう。
でも……そんな風に、自分から率先して動くようになったクロウを見ていると、なんだか悔しいというか寂しいと言うか……不思議な気分だ。
悔しい部分は、俺が出来なかった「お礼としての支援」をスマートにやってのけた、その大人なカンジとスマートさ。寂しい部分は……なんだか、ずっと引っ付いてきた子供が自立したような……いや相手はオッサンなんだけども。
でも、そんな感じなんだよな。
表情は相変わらず無表情で、雰囲気で感情を訴えかけてくるのは変わらないんだけど……この大陸での大事件が、クロウが長年苦しんでいた枷を解いたんだろう。
だから、今のクロウを見ると「もう俺に甘えるような事は無くなったんじゃないかな」と思うくらいの大人に見えてしまって……寂しくなったんだと思う。
…………いや、俺に甘える大人が居る方がそもそもおかしいんだが。
っていうか、ちゃんと色々やれるくせして俺に甘え続けているオッサンが横に居るんだが……ま、まあそれは別の話なので置いておこう。
そもそも、甘えていいとか、色々言ったのは、俺……だし……ご、ゴホン。
ともかくっ、みんなの家をちゃんとしたモノにするのは良い事だよな!
俺にもできる事があるかも知れないし、これは手伝わねば。
「ほーらっ、ふてくされてないで俺達も行くぞ!」
「キュッキュー!」
「はぁ~……。まったく、余計なことを言いやがって……」
ロクと一緒にブラックの背中を押すと、相手も渋々動き出す。
そういう所が、なんだかんだでブラックもクロウのことを嫌ってない所なんだよなぁ。本当に嫌ならテコでも動かないくせに、まったく素直じゃないんだから。
でも、そういうブラックを見ているとなんだか嬉しい。
そう思うと自分の至らなさへの痛みも和らいで、俺はとにかく先にクロウの手伝いをしようと気持ちを切り替えることが出来た。
――――――そうして、時間は進み……気が付けば日が暮れていて。
俺達はというと、集落最後の家を建て替え終えた所だった。
いやー、まさか今日中に全部の家を再構築できるとは思ってなかったけど、三度目の術だったおかげか、それとも構造が単純で作りやすい四角ハウスだったからなのか、意外とすんなり建っちゃったんだよなぁ。
だけどさすがに「クロウ一人で」とは行かなくて、俺やブラックやロクも協力しているうちに、すっかり泥まみれになってしまっていた。
俺は曜気の供給と水で土をこねて泥を作る係で、ブラックは住民の人が泥を固め作った煉瓦を炎の曜術で焼く係。ロクちゃんは、屋根部分の作業補助だ。
案外ガッツリ手伝いとして使われてしまったが、俺としてはニグラさん達への気持ちを少しは伝えられたかなと思ってむしろ嬉しい。
代わりにブラックは非常に機嫌が悪くなってしまったが、まあ、その……あとで、少し持ってきていた獣人のお酒をブラックにあげよう……。
ちょうど鼠人族の人達も「お礼の宴を!」と言ってたし。
でも今日の俺はすっかり疲れてしまったので、明日にしてもらって今回は新造した長の家の二階で休ませてもらう事にした。
ふふふ、ちゃんと客室も作って貰ったもんね。
まあさすがに今はベッドの敷き布などないので、寝袋での就寝なんだが……でも、今回の俺は一味違う。
なんと、この集落……実は温泉があるというのだ。
ニグラさんが言うには、岩壁を掘っていたら偶然出てきた温泉らしく、墓場の方とは反対の細道を「土地一つ越えた所」に作ってあるという。
しかもそれは、野ざらしの天然露天風呂!!
かつて、一族のオス総出で暗殺修行を行っていた彼らが唯一安らぐ場所だったそうなので、きっと傷や疲労にかなりの効果があるに違いない。
そんなもん、疲れを癒しに行くっきゃないでしょう!
というワケで、ブラックがお酒に夢中になっているうちに、俺はこっそり家を抜け出し露天風呂へと向かった。ありがたい事に、ロクちゃんもブラックの気を逸らすのに協力してくれているので、後を追われる心配はない。
これでのびのび入浴できるというものだ。
いや、まあ、一緒に入ったって良いんだけど、もしブラックと二人きりになった場合、公衆浴場を汚しかねない暴挙をされる可能性があるからな……。
さっさと入ってさっさと戻ろう。そんなことを思いつつ、俺は海と崖に挟まれた細い道を一人で進む。【ライト】の術を発動しているとはいえ、やっぱり暗いと怖いなこの道。
いや、怖いって落ちそうって意味でね。
「はぁ~、それにしてもベーマスはどこも夜は寒いんだなぁ……」
ここは砂漠ではないのだが、海に面しているせいなのかやはり肌寒い。
こうなってくると早く温泉に浸かりたいなと考えていると……道の先が唐突に開けてついに温泉が目の前に現れた。
「おおっ……マジで秘湯って感じの荒々しい作り……!」
壁から出たお湯は古い金属の筒で絞られており、湯船はかなり広い。一気に十人が入っても広々と出来るレベルだ。その反面、湯船は大きな岩で縁を囲っただけのシンプルな造りで、溢れたお湯を排水するため海の方へ続く溝がついている。
まさに秘湯のたたずまいと言った感じだった。
こんなのもう……入るっきゃないよな!
「よーし、まずは体を洗って……っと」
俺は忙しなく服を脱ぎ、持って来た桶にお湯を汲んで体と頭を洗うと、さっそく湯に足を入れた。最初の強い熱さに冷えた体が驚いてしまうが、足首まで入ればお湯の温度が適温であることを知る。
ちょっと熱めのお風呂だが、疲れた体には染みる良いお湯だった。
「ふぁ~……これはたまらん……」
思わずオヤジ臭いことを言ってしまうが、ついつい息が漏れてしまう。
湯船の内部はしっかりと石が敷き詰められていて、どこかがボロボロと崩れる心配は無い。清潔に保たれているのか、ぬめりのような感覚は無かった。
さらさらとした、肌に心地いいお湯だ。
縁に背を預けて海の方を向くと、うっすら波で揺れる海が見えて、なんだか初めての光景に俺は思わず気分がよくなってしまった。
海のそばの温泉って入ったことがなかったけど、かなり気持ちいいなぁ。
こんなに良い場所なら、ブラック達と一緒に入ればよかったかも。そんな後悔をしていると……集落の方から足音が近付いてきた。誰だろう。
細道の方を見やると、そこから見知った大きな影が現れた。
「クロウ、お前も風呂に入りに来たのか?」
「ム。ツカサがいないから探しに来たのだ。……だが、気持ちよさそうだな……むぅ、せっかくだしオレも入る」
俺の傍にしゃがみ込むと、物欲しげに指を咥えつつ湯船を見て熊耳を興味深げにぴるぴる動かすおっさん。どう見てもあざといし、オッサンのする仕草じゃないんだが……熊耳がすべてを相殺して「可愛い」を強奪していきやがる。
くっ……なんで本当にこの世界はオッサンにまでケモミミがついてるんだよう。
今更だけどケモミミのせいでキュンキュンしちゃう自分が憎いっ。
「ツカサ、ちゃんと体も洗ったぞ」
「えっ?! あ、う、うん。じゃあ入って良いよ」
悔しがっている間に、クロウは入浴準備を整えてしまったようだ。
薄暗いお蔭で相手の体には陰が掛かっていて良く見えないが、たぶんクロウも俺と一緒で素っ裸だ。タオルとか巻いてない。
……そうか、良く考えたら全裸なのか俺達は……。
まあでも、クロウなら大丈夫か。
なんか肩をぴったりくっつけるくらいの距離で入浴してきたけど……。
「ム……やはり野外の風呂は気持ちいいな……」
久しぶりの露天風呂をお気に召したのか、クロウは目を閉じて顎を上げつつ、湯の気持ち良さに熊耳を震わせ感動している。
クロウって案外お風呂が好きなんだよな。ブラックと一緒であんまり入りたがらないくせに、入るとこうやって喜ぶからちょっと面白い。
そういう所はブラックと違うところだな。
似てるようで似てない、だけど似てる部分が多い二人の違いに面白さを感じながら、俺はしばしクロウと無言で露天風呂の雰囲気を楽しんだ。
元々口数が少ないクロウだからかもしれないが、こういう風に雰囲気を味わおうとすると、気を使って同じように黙ってくれるんだよな。
クロウのそういう静かな優しさが、俺は結構好きだったりする。
そうして数分黙って海を見つめてまどろんでいると――――不意に、クロウが俺に問いかけてきた。
「ところで、ツカサ」
「ん~? なに……?」
「その……二人きりで、話したいことがあるんだが……」
二人だけで話したいこと?
ブラックやロクには話せない事って……なんだろう。
もしかして、まだ不安な事があるんだろうか。
心配になって隣に座る相手を見やると、クロウは薄暗い中で俺を見つめていた。
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