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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
54.能う力を持つ者よ
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「――――っ!」
一気に、視界が暗転し開ける。
「ぁ……」
コンマ数秒、自分がどこに居るのか理解できなかった。
だが、真っ暗になった視界に乾いた色彩が間を置かず入ってきたのを知って、俺は自分が「魂が在った場所」から帰ってきたことを肌で実感し始める。
今まで無かった肌を刺すような日差しの感覚や、砂漠の遠景、そしてなにより喉を乾かすような砂まじりの強風が横顔や腕に当たり、ここが実体のある世界だと言う事を俺に強く示していた。
戻って来たんだ。じゃあ――この、俺が掴んでいる目の前のアクティーは……もう、何も入っていない「ぬけがら」という事なのだろうか。
そう思い、改めてピントを合わせると。
「ア゛ッ……ァ……」
「っ!?」
もう動かすための存在が居ないのに、アクティーの体が動いている。
反射的に手を離して一歩退いた、その時。
「ツカサ離れろ!!」
巨大な術の制御で動けないクロウが叫ぶ。
その背中越しの強い声に、俺は自分の反応の遅さを補うため、後ろへ倒れこむようにして転がり一気に“ぬけがら”と距離を取った。
間を置かず頭を上げ、そうして見えた相手の姿に――――俺は、絶句する。
「アァアァアアアアア、アァアッ、あ゛、ァア゛ア? ガッ、ぁ゛、あああああああ」
叫び声、ではない。
機械音のような抑揚のない不気味な声だ。その声を、大きく開いた口が強弱をつけ発し続けている。……でも、それは……とても、人間の声のようには思えない。
まるで、人の声に似せた音を、ただリモコンで音量調節しているだけのようだ。
人の姿をしたものから発せられているのに、生気を感じない。
今まで生きている姿を見ていたからこそ、魂を失ったアクティーの“ぬけがら”は――生ける屍になった冒険者達以上に、異質で恐ろしい「ゾンビ」に見えた。
「っ……と、とりあえず退却……っ」
近くにいると、ヤバい。
他に人がいないだけ良かったが、しかしこれでは俺が一番に死にそうだ。
慌てて更に距離を取ろうとしたが。
「ああああああああああああああああああああ」
めき、と、嫌な音がしてアクティーの口が……いや、顎が、外れる。
機械音のように発せられる声はそのままに、かつてアクティーだったソレは、嫌な音を立て続けながら顎を動かし、まるで衣類が裂けるように次々裂ける皮膚を見せながら、ついに顎をワニのようにがくんと首下までおとしてしまった。
「う゛、ぅ……っ!」
あまりのグロテスクな様子に、俺は思わず口を塞ぐ。
それでなくたって、相手はアクティーの姿を模しているんだ。例え中身が無くても、酷い様相にされたら吐き気もこみあげてくる。
けど、なんなんだ。死んでからも愚弄しようって言うのか。
【教導】か仮面の男達か知らないけど、あいつら一体なにを考えて……――
「――なるほど。魂が抜けても、まだ多少は動かせるのか」
…………え?
な……なんだ、この声。
ちょっと待て、これはアクティーの声じゃないぞ。誰でもない。誰だ、この声は。
【教導】でもない、仮面の男達の声でもない。違う男の声。
だったら、アクティーの口から漏れ出たこの声は一体、なんなんだよ。
「…………おや」
「っ……!」
こっちを、見た。
未だに術を放出し続けるアクティーの体は、それでも心の制御が効かなくなり体がガクガクと震え始めている。崩壊が近いのかもしれないと想像してしまうほど、巨大な曜術に翻弄され力なく動く体は力を失っていた。
それなのに、その目だけは、さした抵抗もなく当たり前のように俺を見たのだ。
しかもその瞳は橙色ではなく――――
明確に、黒を滲ませた紫色の瞳と置き換わっていた。
「生きていたら、“最後”に貴方を迎えに行きますね。それではまた会いましょう」
「え……」
なに。
最後に迎えに、って……――――
「あああぁああぁぁア゛ッ、ぁガッ、ァッ、アァッ、ア、ああぁあああぁ……」
硬直する俺の前で、ぐるんとアクティーの瞳が上を向き白目になる。
ガクガクと膝から大きく震えはじめた体は、あらゆる関節の部位から「ぶしゅっ」と音を立てて、山吹色と紫色がまだらになった液体を勢いよく噴出させた。
……これは、血じゃない。別の液体だ。
だけどそれらは地面や空中に噴き出した瞬間砂のように粒子状になって、まるで土や空気に染みこむように次々に消滅していった。
「な、に……これ……。アクティーの体は……」
言うべき言葉が見つからず、ただただ見つめるしかない俺の前で、液体を失った体が頭頂と足先から徐々に砂に帰っていく。
両足を失っているのに倒れる事も無く、体が浮いている。まるで、その場に映し出された映像みたいだ。
固まったままの“ぬけがら”は、心臓を目指すように砂化していった。
けど、消失した体の中から見えて来たのは……血液を纏う心臓では無く――――
夕陽のように鮮烈な光を放つ、古めかしい一冊の本だった。
「――――!!」
ヤバい。
本能的に、そう思った。
何がヤバいのか、何に危機感を感じたのか、自分でも判らないけど。でも、どうしても、今ここであの本に触れなければもっと酷い事になる。そう思ったんだ。
だから俺はすぐに駆け出し、その本に手を伸ばそうとした。
けれど。
『置き土産です。さあ、守れるものなら守ってみなさい?』
あと数ミリで手が届くその、瞬間。
ニヤニヤと嫌味ったらしい【教導】の声が頭に響き……
【礪國の書】が、俺の目を焼かんばかりに強い光を放った。
「う゛、ぅ……っ!!」
思わず体が退こうとする。けど、伸ばした手はもう退きようがない。
俺がその光を越えてアクティーが持っていた【礪國の書】に、指を、触れた。
その、刹那。
――本が水に映った虚像のように揺らぎ、液体のようになって俺の心臓めがけて飛び込んできて……すっかり、消えてしまった。
「…………これで……二冊目……」
一度目の【皓珠】も【礪國】も、俺の体の中に取り込まれた。
どうしてそんな事になるのかは分からないけど……俺の体の中にある限り、もう本としてこの世界に現れる事は無いのかもしれない。
あとでキュウマに聞いてみなければ。と、思った所で、俺は急激に起こった大きな揺れに飛び上がり、対応できずにその場に体を叩きつけてしまった。
「な、なんだなんだ!?」
めちゃくちゃ痛い、完全に予想してなかったから全身打っちまった。敵が残ってたら、俺は今頃格好の獲物だっただろうな……でもそれは今関係ない。
そんなことを考えている場合じゃないと周囲を見て、俺は血の気が引いた。
何故なら、目の前の景色が急激に変化し始めていたからだ。
「なっ、なにこの緑の光……! ていうか壁っ、か、壁とか崩れて……っ!!」
俺達が居る城壁を、下から強い緑色の光が照らしている。
しかもその城壁は背後の方から崩れ始めていて、大地にあった目玉砲台たちも形を失い瓦礫の山と化していた。これはヤバい。もしかしなくても崩壊する。
慌てて立ち上がり、ズキズキする全身を無視しながら急いでクロウの元へ戻った。
未だヤドカリの突進を受け止めてくれているクロウは、アクティーほどではないが、それでも力いっぱいに腕を緊張させ、青筋を浮かべ歯を食い縛っている。
普通の人が使うにはあまりにも巨大すぎる力だ。
少しでも気を抜けば、きっとクロウにも反動が来る。
俺だって【グロウ・レイン】で敵を拘束した時、その抵抗が強ければ強いほど自分に負担が来るのを感じてるんだ。今の状況は、きっとその抵抗の比じゃないはず。
どのみち、生身の人間ではそう長く術も持たない。
それだけじゃなく、何か嫌な予感がする。
早く、早くどうにかしないと。
俺は魔方陣の中心にいるクロウのもとへ駆け寄ると、必死に前方を見て集中力を切らさないようにしているクロウに伝えた。
「クロウ、この場所が崩れていってる! それに緑色の変な光が下から出てきてて、なんか……何か、凄く嫌な予感がするんだ!」
「ッ……グ……わか、るぞ……っ……おそらく……さいごの、悪あがき、だ……っ」
最後の、悪あがき。
イタチの最後っ屁……と、考えて、俺は漫画やアニメでよく見る、その「最後っ屁」と言うのにふさわしい最悪の“嫌がらせ”を思い出し、青ざめてクロウに問うた。
「まっ……まさか、この城と台地を丸ごと爆破して、王都だけでなく兵士やカウルノス達も巻き込もうってんじゃ……」
「そう……っ、だろ、ぅ……な……!」
わーっ!!
本当にヤバいじゃんかそれ!
こんな時ばっか当たるんじゃないよ俺の勘のチクショウバッキャロー!!
なんでそう悪いヤツの最後は爆発オチにしたがるんだと嘆きたくなったが、そんな場合じゃない。なんとかしないと。
もしこの緑色の光が、地下の「古代遺跡」の部分だとしたら、強力なエネルギーを秘めている可能性がある。だとしたら、爆破の威力も計り知れない。
もしかしたら、この場所一帯を焼き尽くす可能性だってある。
そんなの、折角避難した王都で暮らす人達も死んじゃうじゃないか。それに、王族が前線に出ているこの状況じゃ、爆発を一発でも喰らえば国は滅亡だ。
くそっ、くそくそくそ、あの【教導】の野郎、最後の最後で獣人達の誇りに付け込んでこんな卑怯な事しやがって!!
だけど焦っちゃだめだ、どうにかするしかない。
爆発が起こったとしても防ぐ術があるとすれば、もうそれは俺の【黒曜の使者】の力しか無いだろう。でも、爆風や衝撃をどう防げばいいんだ?
この城全体を包み込んだとしても、物理的な衝撃がどの程度か分からなければ俺の力ごと王都にぶつかる可能性がある。それに、クロウがどうなるか分からない。
予想が出来ない力はイメージしても抑え込めないんだ。
こればかりは、知識が無ければ完全に防げるとは言い難い。
俺は理系でもないし、いつもテストは赤点スレスレだ。予想は出来ても完璧な予測が出来る頭脳なんて持ってない。チート能力を授かっても、所詮は借り物だ。
自分で言うのも悲しいが、俺は一般人の中でもバカの部類でしかない。
大勢の人を救えるだけの知識なんて、到底得られるはずがないんだ。
……このヤドカリをただ覆うだけでは、絶対に成功しない。
だけど……っ。
「ッ……つ、かさ……っ……! ちから……っ、は……使う……な……! オレが、っ、全……部……とめて、やる……!!」
「クロウ……!」
こんな状況になっても、まだクロウは俺の体を心配してくれている。
自分だって危ない状態なのに、それでも極大曜術を使い続けて必死にみんなの事を守っているんだ。ホントならもう、ボロボロなのに。
それなのに、俺の……俺達の、ために……――――
「そ、ばに……っ、いて、くれ……っ」
「――――っ……」
前を見て、目尻にすら青筋を浮かべ必死に牙を剥いて耐え続けるクロウ。
その力強い姿は、誰が見たって立派な「誰かを守る武人」の姿だろう。
でも、今の言葉の中にクロウの恐れがあったのが判った。
――――もしかしたら、命と引き換えにして、止めなければならなくなる。
そう思って、だからこそ俺を巻き込むと分かっていても「そばに居てくれ」って、本音を願うように伝えて来たんだろう。
本当に、本当に……だめそう、だから……っ。
…………でも、いやだ。そんなの嫌だよ。
誰かが死ぬのは嫌だ。でも、アンタが死ぬのはもっと嫌だよ!!
どうにかならないのか。クロウも、みんなも、王都も救う方法は。
何か、誰も死なないで終わらせてくれる方法は……――!!
『ならば、望むか?』
――――――……え……?
……なに、この声……【教導】じゃない。
さっきの聞き覚えのある声でもないぞ。
でも……聞いた事が……ある……。
……なんでだろう。知っているはずなのに、どうしても思い出せない。
だけど俺の様子などお構いなしみたいで、抑揚のない……だけど穏やかな声が、またどこかから聞こえた。
『望め、那由多から出づる半神よ。かの力は元始よりお前のもの』
気が付けば目の前の光景がスローモーションにでもなったかのように、凄くゆっくりと動いていて、光すら動きがとても緩やかに見えた。
だからなのか……俺の体は、動かない。
すると、今度は――――クロウの横顔を見つめる俺の耳元で、声が囁いた。
『かつて七つに別たれし彷徨う力、その呼び水の力を用いて【真名】を喚べ。
然らば、偽りの名を持つ力はお前に応え……――
己が魂を注ぐ七つの星を、お前の許に喚び寄せるだろう』
男とも女とも、子供とも大人とも老人ともつかない……不思議な、声。
だけど、怖いとも恐ろしいとも思わなくて。
ただただ心の中に染み入ってくるようなその声に、俺は心の中で頷く。
自分でも何故肯定したのか分からないし、今の難しい言葉の何を理解したのかも正直分かっていない。自分でやっていることなのに、夢を見ているみたいで他人事のようにも思えた。……だけど、理解はしているんだ。
すとん、と、ある言葉が頭の中に落ちて来た。
今はただそれを発するべきだという気持ちばかりが強くて、だから、俺は――――
速度を取り戻した世界の中、クロウに宣言するように告げた。
「汝、能う力を有する者。
もし、世の理を覆す力を望むなら――――その名のもとに、誓え。
【銹地】の使徒として、【黒曜の使者】に永久の忠誠を誓うと」
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