異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編

52.その御名を唱えよ

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 視界いっぱいに広がった、砂漠。

 前方に戦場が見えそのすぐさきに極彩色の防壁で守られた王都が見えたが、俺の目にはその光景がかすむような信じられない光景が映っていた。

「これは……っ」

 戦場が、動いている。
 ……いや違う。砂漠全体がうねってるんだ。

 大きな波のようにうごめく地面に、戦場で戦っていた人達が気付く。だが、砂漠は彼らが止まった事を確認したかのように一層揺らぎだし――――そのまま、兵士やビジ族だけでなく、ゴーレムすらも乗せてその場から動き始めた。

 高い場所から見たその光景は、まるで戦場が地面ごとスライドしているようだ。
 例えるとすれば、机の引き出しだろうか。何も引っ掛かりのない動きで、ただ上に乗った人々すべてがその場から移動していくんだ。

 そう。砂漠は決して彼らの足をうずめる事も無く、どんどん戦場の人々を左右に追いやっていく。危険なヤドカリの足元から遠ざけ守るように。

「ぐっ……」

 何かをこらえるような声を上げたクロウの足元には、線を迷路のように走らせた独特な円形の魔方陣が展開されている。
 そのどれもが線の中で文様となった線で繋がり、俺達を中心とした巨大な魔方陣に合わせて小さな魔方陣がぐるぐると回っていた。

 曜術師……いや、これは【グリモア】が巨大な曜術を使った時と同じものだ。
 ブラックに一目置かれるほどの実力者であるクロウだからこそ、これほどのレベルの術を発動することが出来たんだろう。

 しかも、クロウの術はいまだ終わっていない。
 人々を避難させた砂漠は、ヤドカリの視界を覆うように真正面で膨れ上がり、この移動要塞と同じくらい大きな砂人形となってヤドカリに襲い掛かってきたのだ。

 日の光に照らされて輝く砂が、巨大な人形から流れていく。
 だが彼は形を損なうことなく、中央にハニワのような空洞の目を浮かばせながら、ヤドカリを見据みすえその巨体を両手でついに押し留めた。

 強い衝撃が走る――――!

「うわっ!!」
「ぐぅうッ! ツカサ、振動で落ちるんじゃないぞ……!」

 片手でこれほどの術を制御するクロウだが、やはり集中しながら術の負荷に耐えるので精いっぱいらしく、苦しそうに顔を歪めていた。
 それほど、この土の曜術は強力なのだろう。

 ――――……これが、クロウの極大曜術。

 だけど不思議と怖い感じはしなかった。
 目の前を砂の人形が覆っているのに、巨大な影で覆われてしまったのに、それでも俺にとってクロウが操るこの砂人形は恐怖の対象だとは思えない。

 だってこれは、クロウの優しさが創り出した術に違いないんだから。
 ……ヤドカリを止めるにしても、この状態ではどうしても戦場に被害がおよんでしまう。破壊して止めようと思っても、結局は色んな人を巻き込んでしまうだろう。死者だって出るかもしれない。

 クロウも、同じことを考えたはずだ。
 だからこそ、先に戦場にいる人達を移動させたんだ。

 ……こんな状況じゃ、俺だったらそんなことまで考えられなかっただろうな。
 でもクロウは人を守ることを優先した。
 きっとこれは、クロウの優しさからくるものなんだ。

 そして……俺とクラウディアちゃんの「アクティーに人を殺させたくない」という願いを、叶えるために……クロウは、破壊するよりも難しいこの方法を選んだのだろう。
 だが、【グリモア】ではないクロウがこの曜術を行使し続けるのは、凄まじい負担のはずだ。今も歯を食い縛ってヤドカリを留めようとしているけど、わずかに足りない。

 押され気味なのか、砂人形は徐々に押し切られて王都に近付いている。
 最早、距離は五キロもないかもしれなかった。

「ぅ……グ……グゥウ……ッ!!」

 人間の声ではない、獣の唸り声で苦しげに喉を締めるクロウ。
 咄嗟とっさにアクティーの方を見ると、彼女は姿勢を崩さずに涼しい顔で立っていたが――――

「……!!」

 たらり、と、前髪に隠れたひたいから赤色が一筋垂れてきた。

 やばい。
 アレは、術の負荷で血管が切れて血が出てるんだ。

 よく見たらアクティーの額やほお、腕や手の甲に至るまで全力を振り絞らせるように、太い血管が痛々しく浮き上がっている。
 どくどくと脈打つそれらは、今にも破裂しそうだった。

『ああ……っ! このままじゃアクティーが死んじゃう!!』

 俺の体内で悲痛な声が聞こえる。
 まさか……あの仮面ども、アクティーに限界まで力を出させてヤドカリともども王都と一緒に始末する気じゃ……!?

「そんなっ……そんなこと……!!」

 そんなこと、絶対にさせない!
 俺もやるべきことをやらなければ――――!!

「クロウ、今からあっちに行く!! そのままヤドカリを抑えててくれ!」
「ッ!? ツカサっ、待て……!」
「アクティーがもう危ないんだ、このままだと死んじゃうよ! 頼む!!」

 顔の近くで叫ぶのは申し訳なかったけど、でも今は四の五の言っていられない。
 まくし立てた俺にクロウは苦々しい色を表情に浮かべたが、それでも「俺達のやるべき事」を受け入れてくれたのか、一言「わかった」と言ってくれた。

「だが、オレはツカサが攻撃されたら迷わず術を解いて助けるからな!!」
「わっ……わかった、攻撃されないように頑張る!!」

 魔王モードのクロウの心情は、本当に素直すぎて心臓に悪い。
 だけど、ブラックと張り合うだけあってクロウもまた「優秀な曜術師」なのだ。つまり、己の感情に素直すぎるのである。でも今はその正直すぎる言葉はやめて。俺のミスで王都壊れちゃう。

 悪い意味でドキドキしつつも、俺は覚悟を決めてうなずき再度アクティーを見た。
 まだこちらの動きには気付いていないようだ。……というか、砂人形ごとヤドカリを動かすことに集中しているようで、さっきよりも血管の浮きが酷くなっている。

 それに、初めて使った曜術なせいかクロウも徐々に押されていて、いつ力負けしてしまうか判らない状況だ。近付くなら、今しかない。

「クラウディアちゃん……行くよ……!」
『うん……!』

 呟いた言葉に、心の中で可愛らしい声が強く頷く。
 俺はその言葉を合図にして、クロウの腕から飛び降りた。

「ぐわっ!!」

 だが、砂人形を押し切ろうとしているヤドカリの振動が強すぎて、俺は思い切りバランスを崩して落ちてしまう。クロウが「ヌッ!」と声を漏らしたので、慌てて立ち上がりアクティーに向かって走り出した。

 しょ、初手はポカしたが、まだ気付かれてない。
 アクティーはそれほど精神集中しているんだ。

 ――――例え相手が【アルスノートリア】であろうと、曜術師の基本は同じだ。

 己の心を静めコントロールし、自分の属性を最も発揮できる感情を湧き立たせて術を使用する。それは、クロウもアクティーも一緒なのだ。
 だからこそ、曜術師は巨大な術を発動している時は動くのも難しい。

 それに、感情を爆発させるのにも、かなりのエネルギーを使う。強大な感情と術を制御するのなら、精神力だってゴリゴリ削られてしまうだろう。
 しかも、彼女は今操られた状態だ。ゴーレムを動かしているうえに、こんな巨大な術を無理矢理発動させられている事を考えると、危険な状態なのかもしれない。

 曜術師は感情で術を発動する。
 その感情がともなわないまま巨大な術を使うと、あんな風に命の危険があるのだ。

 なんとかしないと。
 でなければ、アクティーの魂自体がどうにかなってしまうかもしれない。

「アクティー……!!」

 じんじんと薄い痛みにうずく体を立て直して、名を呼んだ人の方へ駆け出す。
 もっと。もっと早く。気付かれない内に。
 そうして駆け出した足は振動にたやすく取られかけそうになるが、俺は何とか歯を食い縛って耐えながら、奇跡的にアクティーへ駆け寄ることが出来た。

 あと数メートル。数十センチ、数センチだ。
 やっと手が届く。気付かれていない。今度こそ、伝えることが出来る。

 近くで見たらアクティーの白い肌には血が滲んでいて、もう猶予ゆうよが無い事を知る。
 俺は躊躇ちゅうちょなく手を伸ばし――――

 金色に光る小さな手が重なっている右手で、アクティーの手首をつかんだ!

「…………」
「アクティー! ……アクティー……?」

 手を掴んだのに、呼びかけたのに、返事がない。
 ずっと正面を見ている彼女の目はわっていて、まるでロボットのようだった。

『ぁ……アクティーの意識が……魂が、消えそうになってる……!!』

 俺と一緒にアクティーの手を掴んだクラウディアちゃんが、悲鳴を上げるように声を震わせて叫ぶ。その衝撃的な事実に、俺は目を剥いた。

「なんだって……!? それじゃココで彼女に呼びかけたって……」
『う、ううん呼ぶ! お兄ちゃん、アクティーを一緒に呼んでっ! お兄ちゃんの力を使って私の時みたいに、アクティーの魂に元気をあげて!』

 なるほど。クラウディアちゃんの時みたいに、俺が“大地の気”をそそげばアクティーの魂も消滅を防げるかもしれない。
 だけどそれは同時に、まだ操られている彼女を活性化させることになる。

 それはクラウディアちゃんも分かっていたのか、俺の体から一度抜け出すと、俺の目の前にやってきて必死な顔で訴えてきた。

『危険な事になるかも知れないけど、でも……私にいい案があるの。私の【魂呼たまよび】でお兄ちゃんの魂を抜いて、一緒にアクティーの中に入って貰えば、きっと……』

 ――――でも……それは、凄く危険な事で、お兄ちゃんを傷つけるかもしれない。

 俺と繋がったままのクラウディアちゃんの心が、俺に流れ込んでくる。
 アクティーを助けたいけど、彼女を助けられる唯一の方法は俺を危険にさらす可能性がある。それを思うと心苦しくて、でも助けたい思いで心が痛くなって……涙が出そうなくらいに、感情が綯交ないまぜになって葛藤している――――そんな気持ちが。

 …………こんな小さな……それでも一生懸命頑張って、誰かを救おうとしている子に、そんな苦しい思いをさせるなんて……

 そんなの、俺は我慢できない……!

「……分かった。クラウディアちゃん、俺の魂を【魂呼び】で抜いてくれ! そんで一緒にアクティーの中に入ろう!」
『お……お兄ちゃん……』
「早く! アクティーの体も、もたなくなる!!」

 強く急かしたせいか、俺の言葉にクラウディアちゃんは一瞬ビクりとした。
 怖がらせてしまったかと焦ったが、しかし彼女は意気を取り戻し凛とした表情になると、俺を真正面から見据えてコクリと頷いた。

『わかった。……ありがとう、お兄ちゃん……!』

 礼を言って、クラウディアちゃんは目を閉じ何事か詠唱する。
 ――すると半透明の小さな体にキラキラとした光の粒子が集まり始め、その竜巻の形を模したような光が俺を取り込んでいく。

 歌のようにも聞こえる呪文が短く続き、そうして。


『――――我が呼ぶ御魂みたまは、あまねく命守りし御魂、平伏すべき御魂みたまの慈悲をい、許しを得て我がもと招魂しょうこんたてまつる……
 御魂の御名はクグルギ・ツカサ、我が切望に応えたまえ――――!!』


 不可思議で厳めしい文言を、幼く小さな口が綺麗な声でつむいだ。
 その、刹那。

「――――っ……!」

 ふっ、と……一瞬浮遊感と共に意識が飛んで。

 気が付けば、俺は……――――
 立ったまま硬直している自分の体を下に見て、ぷかぷかと浮かんでいた。

「う、うわぁ!!」
『お兄ちゃん落ち着いて、大丈夫だよ。あのね、今はお兄ちゃんの力を少しだけ貸して貰っているから、時間がほんのちょっとだけ遅くなってるの。……魂だけの時間でなら、生きているヒトの時間であと数十分は焦らなくても大丈夫だよ』
「な、なるほど……」

 ってことは、俺達は今、数秒よりもっともっと短い時間を高速で動いているような物なんだな。人に影響を与えることは出来ないが、それなら時間は充分にある。
 まだ誰も傷つけられていないし、クロウにも心配をかけずに済むだろう。

『魂が対話する時間は、凄く長くて短いの。だから、私達がアクティーの魂と話をするのに半刻使っても、生きてる人の時間ではまばたきする間で終わるよ。……でも、私の力はお母様より弱いから……あまり、時間が作れないけど……』

 確かに、俺の体はほんの数ミリだけど傾いて来ているみたいだ。
 時を遅くできると言っても、一秒を数分に伸ばしたという感じなのだろう。

「それでも充分だよ。さ、行こうクラウディアちゃん」

 例え短くたって、それでもクラウディアちゃんの特殊技能デイェルは大したものだ。
 おかげでアクティーと話す時間が出来たんだから。

『……ごめんねお兄ちゃん……本当は、生きてる人に【魂呼たまよび】をしたら、凄く負担がかかるから、やっちゃいけないって言われてたのに……』
「俺は物凄く丈夫だから心配するなって! それよりアクティーが心配だ。早く行って“本当の願い”を教えてあげなきゃ」
『うん……』

 俺は元気よく返したけど、でも本当はこの手段を使いたくなかったのかクラウディアちゃんは沈んだ顔をしている。俺の手を引こうとつかんできた小さな手からは、どこか申し訳なさそうな感情が伝わってきた。

 ……そんなこと、気にしなくていい。
 俺はクラウディアちゃんとアクティーを救うために何でもするって決めたんだ。
 だから、悲しまないで。

 小さな手を握り返して、そんな気持ちが届くように強く思いながら笑う。
 すると、クラウディアちゃんはハッとして顔を上げたが、やがて小さく首を振ると、俺の思いに応えるように緩く笑って頷いてくれた。

 ――――そのまま、彼女は俺の手を引いてアクティーの体に自分の手を埋める。

『お兄ちゃん、目をつぶって。私が導くから……!』

 素直に目を閉じる。と、その刹那――――ズオッと言う何かに潜るような音がして、まぶたの向こう側が真っ暗になる。今まで外の光で瞼の中ですら薄ら明るかったのに、今は完全な暗闇だ。ただ、クラウディアちゃんの手が俺を引く感触だけが伝わる。

 そうして数分経過しただろうかと思い始めたころ、手がゆっくり離れた。

『もう目を開けていいよ、お兄ちゃん』
「ん……」

 どこか浮かない声をしているクラウディアちゃん。
 何故そんな声をするんだと目を開けて正面を見ると、そこには…………想像したくも無かった惨状が広がっていた。

「ッ……!! アクティー……!」

 真っ暗な空間の中、一か所だけ洞窟の割れ目から細い光が当たっているような、そんな頼りない明かりが照らす場所。

 寂しさを感じるその場所には、俺達が探していた女の子が座っていた。

 中性的で筋肉質な、男性と見紛みまがう背の高い姿。黒い犬の立て耳はピンと立っていたが……その体は力なくひざを折り、紫の禍々しい光をまとう黒い鎖に何重にも巻かれ縛られている。額や腕、足、あらゆるところから血が流れ、彼女の周りには赤い血が広がり生々しい質感で光を反射していた。











 
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