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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
真実の願い3
しおりを挟む「っ……!」
「目をそらさないで。……辛いことかも知れないけど、君には見ていてほしいんだ」
二度も彼女達の“終わり”なんて見たくない。
でも、アクティーに強くそう言われてしまうと拒否することも出来なくて。
俺は覚悟を決めると、閉じた口に力を込めてギュッと締めながら、再び二人の少女がこちらに駆けてくるのを見つめた。
――――本来なら早く走れるはずの獣人の二人ですら、砂漠の道は険しい。息を切らして赤い砂を蹴散らしながら走るクラウディアちゃん達は、一心不乱にこちらへと逃げてこようとしていた。
そんな彼女達に思わず手を伸ばしたくなるけど、これは「起きてしまったこと」だ。
アクティーの記憶の中の幻影にすぎず、俺の隣で目を細めて辛そうにしている二人の過去でしかない。俺が助けようとしたって、何も変わらないのだ。
だけど、自分達の目の前で盛大に倒れこむ……まだ幼い二人を見ていると、どうしようもなく悔しさに苛まれた。
彼女達は今まさに助けを求めているのに、大人の手を必要としているのに、それを確認している俺は“その場所”にいない。……本来なら部外者である俺が独りよがりな罪悪感に苛まれるほど、彼女達の境遇はあってはならないものだった。
謂れなき罪で両親を目の前で処刑され、信じていた人達に裏切られたうえに追い立てられ、今まさに暴徒と化した彼らに捕えられようとしている。
赤い砂地に倒れこんだ二人の後ろには、兵士達が迫っていた。
『う……うぅ……っ』
『クラウディア、しっかりして……! 逃げて、山を目指すんだよ……!』
護衛としての訓練を受けていたおかげか、それとも彼女よりも年上だったからか、アクティーが先に起き上がり、クラウディアちゃんを引っ張り上げる。
人族の少女だったら立て直すのに時間がかかっていたかもしれないけど、幸いな事にクラウディアちゃんも立派な獣人族だ。すぐに起き上がった。
そうして、逃げようとするが――――
『ギャウッ!!』
『あっ……アクティー!!』
アクティーの肩に、短剣が突き刺さる。
その光景に息を呑んだが、クラウディアちゃんも同じように苦しそうに小さく高い声で呻いた。……ああ、そういえば……クラウディアちゃんの記憶を覗いた時、彼女の記憶は随分と曖昧でブレていたように思う。
あの時見た光景では、確かクラウディアちゃんの両親がクーデターで処刑された所は見られなかったし、彼女は自室に来てくれたアクティーと一緒に“事態を把握していないまま”逃げたことになっていた。
こうした、アクティーへの攻撃だって彼女の中には存在していなかったのだ。
…………それはきっと、クラウディアちゃんにとって……ここまでの状況が、とても覚えていられるほどの記憶じゃなかったからだろう。
俺だって、自分に降りかかったら発狂しそうな過去なのだ。
いくら心身ともに強い獣人族とはいえ、こんなことを小さな女の子がしっかり覚えていられるはずもない。しかも、彼女はこの後永遠にここに縛られることになるのだ。
魂になってまでこの苦しみを繰り返すなんて、耐えられないだろう。
だから、クラウディアちゃんは……初めて出会った時「迷子」だったんだ。
長い時間をかけて、苦痛を忘れた。
ただ、アクティーと一緒に眠っていたかったから、思い出さないようにした。
覚えて居続けるには辛過ぎる記憶だったから……「何故この場所で、アクティーと眠っているのか」だけは覚えていたまま、魂となって留まり続けていたんだろう。
子供の記憶ってのは、正確に覚えていることもあるけど、それとは逆に物凄く突飛な捻じ曲がり方もするものだ。
クラウディアちゃんにとって、今回起こったこと全てが怖ろしい事だった。
優しかった人達が突然裏切り、大好きな両親を処刑され、そして自分達も追われた挙句に……――――。
………………。
そんなの……記憶が捻じ曲がらない方が、特別だよ。
覚えていなければという強い意志がなければ、こんな酷い事を長い間記憶できるはずもない。だからきっと、アクティーは……どんなに辛くても、魂だけの姿になったとしても、覚えていようと頑張ったんだろう。
でも……それは、どうしてなのか。
答えは、この後に聞かせてくれるのだろうか。
そんなことを思いながら、拳を握り締めて俺は事の行く末を見守る。
目の前で膝をついたアクティーに、クラウディアちゃんが涙目で寄り添っていた。
『あ、あぁあ……っ! あ、ぁ、あくてぃ、肩に……!』
『泣かないでっ……こんなの、ぜん、ぜ、ん……っ』
効かない、とでも言おうと思ったのだろうか。
だがアクティーの顔は唸る犬のように歪み、犬歯を剥き出しにして冷や汗を流している。明らかに普通の状態じゃない。まさか短剣に毒を塗られていたのか。
咄嗟に“大きなアクティー”を見ると、彼女の横顔は少し悔しそうに歪んでいて、俺の疑念を肯定するかのように小さく頭を縦に揺らした。
「……この大陸のモンスターには無い毒だ。訓練で毒には慣れたつもりだったが、他の大陸にも未知の毒があるという事を、私は忘れていた。……いや、そんなことすらも知らない……役立たずだったんだ」
『アクティー、それは……っ』
「違わない。私は、護衛兵だった。クゥを守るための兵士だったんだ。……なのに、私は陛下の温情に甘えて子供心を忘れられなかった。……その甘さが、陛下を、お妃様を、クゥを……こんな目に、遭わせてしまったんだ……」
そうではない。あんなもの、普通の大人でも想定外だっただろう。
だけど、俺にはそれを言う勇気は無かった。
彼女は女性だけど、でも……男として、その気持ちは痛いほどよく解る。
守りたい人を守れなかった自分への怒りは、どう慰められようとも治まらない。自分の中で折り合いをつけるまで、ずっと心に残り続けるんだ。
自分が「守らねばならない」と自負し、その立場を誇りに思っていたからこそ、尚更己の迂闊さに怒りを覚えずにはいられないんだろう。
……いや、そういう気持ちは、親だって兄弟だって同じなのかもな。
俺は親じゃないし兄弟もいないけど、でも……身近な人を守らなければと思って、命を懸ける覚悟を持ったなら、誰だってこうなるのかもしれない。
俺にとっては、その対象はロクショウ達や、クロウや……ブラックで。
いま、自分の命を差し出してもいいと思える対象がいるからこそ、俺はアクティーの悔しさに対してここまで同情できるのかもしれない。
…………その対象をみすみす奪われたという絶望と、己への怒りも含めて。
「……そうか。ツカサ、きみも守りたい人がいるんだな。……ありがとう、それほどまでに深く、私を想って同情してくれて」
「ううん……俺は君達のつらさを本当には理解できないし、この同情だって……」
結局は、独りよがりな悲しみでしかない。
情けない事実を脳内で思い浮かべるが、俺の気持ちを読み取っているアクティーは、何度も首を横に振って微苦笑のような泣きそうな何とも言えない表情で、俺を見つめ肯定してくれた。
「それでも、嬉しいんだ。……君の純粋な悲しみと同情が、伝わってくる。なんとしてでも私達に寄り添って、悲しみを理解しようとしてくれる。……その気持ちが、私達には嬉しい。だからこそ君は……いや、君を……クゥが頼ったんだろうね」
――――言葉にならない。
何と言っていいのか迷っているうちに、また場面が大きく動いた。
『待てと言っているだろうがっ!! この大罪人どもめ!』
クラウディアちゃんの記憶で見たあの光景と少し違うが、同じようなセリフ。
硬直した俺の目の前に、既知感のある姿が現れた。
ざくざく砂を踏む、いくつかの足音。
その音と共に――――数人の兵士が、近付いてくる。
彼らは、見知らぬ男ではない。さきほど見たばかりの兵士達だ。
耳を隠すように皆ローブを羽織っているが、彼らの背後に異質な存在が数人居た。あれは……もしかして、人族か? でも、数人って……。
『チッ……手間かけさせやがって……』
『隊長、どうしますか。こいつらも首を落としますか?』
口々に言う兵士達の群れに、人族の男が隠れる。
そんな大柄な男達の最前線に立っていた、唯一ローブからハッキリと顔を出した男――――ソーニオ・ティジェリーは、眉間に皺を刻み険しい顔のまま口を閉じている。
彼も、今まで番犬のように忠実な姿でネイロウド達に忠誠を誓っていたというのに……この表情には、クラウディアちゃん達を敬う感情など一かけらも見えない。
だけど、軽蔑しているとか侮蔑の視線だとかは感じられなかった。
何か思う事があるのだろうか。
けど、あの処刑台で王を殺した事実は変わらない。
眩しそうに目を細めるソーニオに、クラウディアちゃんは冷や汗がいくつも流れる顔を必死に威嚇するように歪め、クラウディアちゃんを背中に回し唸った。
『貴様……ッ! 陛下を殺して、そのうえ何の罪もないクゥまで殺そうと言うのか! 筆頭護衛兵が笑わせる……ッ』
毒で苦しんでいるだろうに、それでも気丈に振る舞うアクティー。
そんな彼女にソーニオは何も言わない。
数十秒の硬直状態に焦れたのか、急に最後尾にいた謎の集団のうちの数人が、前へとゾロゾロ集まって来た。
『ふん。人族の毒も中々だな……これは良い兵器とやらになりそうだ』
『アモウラ、確かにコレは有用な武器だ。褒美を取らすぞ』
『強きものが強き武器を持つ……。うむうむ、まさにこれが獣人の本懐じゃ』
しゃがれた声。人を人とも思っていないような老人の言葉。
俺が知っているお爺ちゃんお婆ちゃんが絶対に言わないような、酷いセリフ。
息を呑んだと同時に、喉が言い知れぬ感情にぎゅっと締まる。
だが、彼らは上機嫌で警戒するアクティー達を言葉でなぶり続けた。
『ほう、その爪でどうする? 賊に討たれ猿族のしもべにすら虐げられた奴隷犬が、護衛兵という分不相応な地位について急に強くなれると思うてか』
『ああたまらん、犬臭くてたまらんわ。我ら尊き文明の民たる砂狐に取り入って、無知蒙昧な偽の口伝に踊らされた【魂守族】の駄犬……やっと処分が出来ようぞ』
『いやはや、この時がようやく……やはりあの男に任せるべきではなかったのです。砂狐族に、このようなまつろわぬ口伝の民を引き入れるなど正気の沙汰ではない! やっとこの国も正常な状態に戻るというもの』
何を、言ってるんだ。コイツらは。
……お年寄りだからと敬語を使う気すら湧かない。
腹の奥が、勝手にぐつぐつと煮える。その感覚が体を震わせて掌が痛くなる。
握った拳が爪を掌に突き立てているんだ。でも、どうしようもなく止められない。
だってこいつらは、小さな子供たちによってたかってこんなことを。
大人なのに、俺よりずっと大人で色んなことを知ってきたはずなのに、それなのに今コイツらは何の罪もない子供たちに罵声を浴びせて、殺そうとしている。
こんな奴らが、大人
いや
国家を運営する、長老達であるものか。
額が怒りによる痛みでひりひりする。きっと、青筋が浮かんでいるだろう。
つい俺の方が口汚い罵声を浴びせそうになるが、それでもこれは過去の映像だ。今俺の隣にいる彼女達に余計な悲しみを背負わせたくない。
だから、必死で耐えるけど。
でもコイツらは、自分の言葉を顧みもしないし、自重もしなかった。
『まったく愚か者が。脆弱な爪でよくもそこまで己を過信出来るものだな』
老人らしい、ホホホ、とかハハハと言ったくぐもった笑い声が聞こえる。
だけど少しも嬉しくない。俺が知ってる爺ちゃんや婆ちゃんが笑った時と全く違って、今のコイツらが笑っても、怒りが増すだけだった。
それなのに、また奥からやって来た誰かが、長老達に丁寧に話しかける。
『まあまあ……獣人族は力こそ全てと聞きます。ならば、幼子でも仕方ないのでは』
この言い草は人族か。
目深にフードをフードを被ったこの大男は、あの【リン教】の人族なのか?
歯を食い縛り怒りを堪える俺の前で、長老達は警戒するアクティー達を馬鹿にしたように、フッと鼻で息を吐いた。
『あやつらのメス娘どもに何の知恵がある? 弱いメスがどうオスに敵うというのだ』
『そうじゃそうじゃ、護衛と言うても所詮幼子のお守。こんな所で死にかける駄犬では番人すら荷が重かろうて』
――――笑うな……っ。
なんで。どうしてアンタらは、そんな風にバカにして笑うんだよ。
大事な人を一生懸命守ろうとしてるアクティーを、どうして笑うんだよ!!
『ははは、これは手厳しい……ですがまあ、暴君と悪妃の娘など、生きていても何も良い事はないでしょうからな。弱いメスであるなら尚更、ここで大地に還してやるのも慈悲と言えましょう。さあ、あまり時間をかけてもいられません』
『解っておるではないか。人族のワリに、お前は中々優秀だな』
長老達の言葉に、大男がにやりと口を笑みに歪める。
彼らの褒め言葉に満足げな顔だが、何故かその笑みに鳥肌が立った。
『我々【リン教】の使徒は、混沌の世が末永くあることを望むもの。強き存在が頂点に立ち、弱きものを食らうのは“世界の理”として当然の事ですから』
『む……セカイ……? なんだか分からんが、まあよい。この状態では、どの道この犬は死ぬだろう。最後くらいはその理とやらで獣人らしく死なせてやろう』
その言葉を待ちきれず、アクティーが体を俯ける。
毒が回っているんだ。このままでは、危ない。
『おいソーニオ。この二人も、そろそろ始末しろ』
『……それが、国母様と、国のためになるのなら……』
苦い顔をしていたソーニオが、剣をゆっくりと抜く。
その動きは最早獣人ではない。爪や拳で戦う事を忘れて人族のように剣ひとつで戦おうとしている彼は、最早「殺した相手を喰って弔う」という事すら忘れた……まさに、ヒトに寝返った獣人だった。
『やめてっ!! アクティーに乱暴しないで!』
『ア゛……ッ、く、らうでぃあ……っ!』
剣を抜いたソーニオに、クラウディアちゃんが飛びかかる。
キツネの尻尾を更に膨らませ威嚇するように毛を逆立てながら、ソーニオの太い腕に噛みつこうとしたのだ。しかし、小さな少女の牙では敵うはずもなくて。
『おい、殺せねえだろうが暴れるな!』
どこかからヤジのような声が飛ぶ。
その鋭い声に、他の兵士達がクラウディアちゃんを引きはがそうと動く。アクティーは、毒を受けて意識を朦朧とさせながらも、必死に立ち上がり他の兵士達を近づけないように彼らに爪を向けて牽制した。
長老衆に侮られていた彼女の爪術は強く、その鬼気迫る雰囲気に兵士達は何か恐ろしさを感じ取ったのか、武器を向けてくるものの、ことごとく外してしまう。
たった一人の手負いの少女が、妹を守るために大人を圧倒しているのだ。
どうかそのまま、打ち勝って逃げてほしい。
強くそう思うけど……過去は、どうしたって覆すことが出来なかった。
『っ……は、はなせ……離して下さい、離してくれえ!!』
『あっ、ぐ……っ! く、クラウ、でぃあっ、逃げ、て……ッ!!』
『やだっ、やだぁあ!』
ソーニオの腕から離れてしまえば、彼の剣が弱った姉を貫く。
クラウディアちゃんは、本能でそれを感じ取っていた。だから、アクティーに逃げてと言われても、腕を噛みつく行為をやめられなかったんだ。
だけど……その、隙をついて、迫ってくる影がいた。
『チッ、うるせえぞガキが!!』
子供を何とも思っていない、非情な相手の声。
また手を伸ばしそうになるけど、俺とクラウディアちゃんの間に黒いローブの男が急に入ってきて、彼女の幻影に触れる事すらできない。
その決定的な瞬間に、俺の隣に居た現在の二人が、グッと声を詰まらせる。
ああ、そうか。この時に……クラウディアちゃんは……。
『やっ……ぁ゛…………』
『――!! クラウディア!!』
クラウディアちゃんの声が、濁った音に変わる。
そして男が離れた時にはもう、彼女の背中には……少女の体に見合わぬ大きな剣が、深々と突き刺さっていた。
『あ゛っ、あ……あぁあああ!! クラウディアっ、クラウディアぁあ!!』
満身創痍のアクティーが、悲鳴を上げて泣きながら必死に名前を呼ぶ。
だけどもう、彼女もクラウディアちゃんも、動くことなんて出来ない。
クラウディアちゃんの小さな体が、剣を引き抜かれて力なくその場に落ちる。
その地面には、赤い砂漠の錆びた色ではない……赤い、血が……流れて……。
『あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!』
アクティーは、その光景に気も狂わんばかりの叫び声を上げる。
だがアクティーは最早動くことも出来ず、ただ倒れてもがくだけで。
そんな彼女を見て、長老たちは笑っていた。
『お前達はその場で朽ちて行け。罪人には獣人の誇りなどいらぬだろう』
しゃがれた言葉に、その通りだと悍ましい老人たちの笑い声が聞こえる。
……もし、俺がその時この場に居たら……このクソジジイどもを、同じような剣で、思い切り切り捨てていたかもしれない。いや、恐らくそうしただろう。
殺意を抑えられるほど、俺は正義でも人間が出来てもいない。
そう思ってしまうほど、こいつらがやったことは……悪意に満ちた外道そのものの、人とは思えない所業だった。
「…………っ……」
いっそこの幻影に殴り掛かれば良いのに、そんな事すら出来ない格好つけの自分が憎たらしい。だけど、怒りに任せて猿のように暴れるなんてことを、この姉妹の前で見せたくは無かった。
そんな自分が、恥ずかしい。
同情するくせに理由を付けて怒れもしない自分が、一番憎たらしかった。
だけどそんな俺の事なんて知らず、息も絶え絶えのアクティーを見ながら長老達は話を進める。
アクティーの意識と同調しているのか、徐々に霞んでいく視界の中でも、悪人のような男達の声はこの場に響いていた。
『……お前達は残党狩りだ。この娘どもの他にも、国母に逆らって他に助けを求めた輩がおる。ソイツらに嘘の情報を流される目に殺すのだ!』
『はっ……』
ソーニオが、兵士達と共に頭を下げる。
……だけどこの男は、今更裏切りが怖くなったのか尾を微かに震わせている。
その震えは、クラウディアちゃんとアクティーを殺してしまった事によるものなのか、それとも……長老衆に逆らったら死ぬことを知って、今更恐れているのか。
どちらにせよ、もう遅い後悔だった。
――――兵士達が去ると、その場には長老衆と人族の男達しかいなくなる。
すると、人族の大男が長老達に問いかけてきた。
『にしても……今後の口伝や書物の編纂はいかがしますか? 以前からのものだと、少々困ったことになると思うのですが』
『なあに。ガイウスにも言い含めてある。アレもバカな男よ、外の事にもおろそかで、書物にしか興味のない文官なんぞ丸め込むのも容易かろう』
『では、これまでのネイロウド王の記述は……』
言葉を切った人族に、長老の一人はニヤリと顔を笑ませ皺を深くする。
そうして、耳を疑う事を平気で言い放った。
『捨てさせればよい。新たな国になるのだ。改訂版とやらにして、不要な記述やワシらに不都合なものは全て削除して歴史書を作ればよかろうて』
『ふふ……随分と人族のやり方を重用なさるのですねえ、あなたがたも』
揶揄するような言葉だが、満足げな人族の男。
そんな男に長老衆は悪びれもせず笑い返すと、俺達に背を向けた。
『どうせ、十年も経てば忘却の彼方よ。我らは座して待てばよい。我らの繁栄をな』
勝ち誇ったような声でそう言いながら、彼らは王都へと戻っていく。
……数年後に【アルカドビア】が滅びる事になるとも知らず、まるで自分達の繁栄が未来永劫続くと信じて疑わずに。
その背中を、小さなアクティーは見つめていたが――――やがて、彼女の頭は力なくその場に崩れ落ちた。……二人の、倒れこんだ少女。
だがもう彼女達が動くことは無い。
そんな彼女達を、強い風によって噴き上がった赤い砂が包んでいく。
まるで、その場に哀れな姉妹がいたことを覆い隠すかのように……いつの間にか、彼女達の体も、血も……砂に埋もれて消え去ってしまっていた。
「…………これが……クラウディアちゃん達に起こったこと……」
呟く俺に、アクティーは幾分か冷静さを取り戻した表情で頷く。
そうして再び俺の方を向いた。
「私達は……名誉ある死に方を許されず、砂の餌食になった。……だが、何故だか……いや、恐らくはきっと、私の執念や恨みと……クゥが持つ【魂呼び】の力が何かの作用を起こしてだろうな。ずっと、私達はここで眠りについていたんだ」
「え……眠りって……やっぱりここに、魂ごと……?」
消える事も無く、二人は数百年ずっとこの砂漠で眠っていたというのか。
いや、今彼女達が目の前にいる事を考えるとそれは正しい事なんだけど、やっぱり不思議な感じがしてしまう。幽霊だって、長い時間居ると存在が薄れてしまうらしいのに、彼女達はこんなに鮮明な姿をもっているなんて。
それもやっぱり、クラウディアちゃんの特殊技能である【魂呼び】の力なのか。
アクティーの腕に乗せられているクラウディアちゃんは、少し自信がなさそうだったが、それでもこれ以上の理由は無いと考えていたのか俺の疑問に肯定した。
『わたしも、覚えてないんだけど……。でも、アクティーとずっと一緒に居たいって思いと、アクティーのお願いを叶えてあげたいって思ってた気がする……。だから、それがわたしの知らない【魂呼び】の力を呼び起こしてたんだと思うの』
確か、先ほどのアクティーの過去では、砂狐族は【魂呼び】で過去の魂を呼び出して、失伝した知識などを利用し国を豊かにしていったという話があったな。
もしかすると、クラウディアちゃんの力はかなり強力で、その「魂呼び出し機能」が半永久的に作動してお互いを現世に繋ぎ止め続けていたのかもしれない。
「だとすると、凄い力だ……」
『ううん。結局は力を失っていったから……。でも、本当ならそれで良かったんだと思う。わたしもアクティーも、大地に還るべきだったの。それを引き留めたから……アクティーは、目覚めさせられちゃったんだと、思う……』
しょんぼりと耳を伏せて涙目になるクラウディアちゃんを、アクティーが宥める。
現在引き起こされている事を思うと、居た堪れないのは仕方ないよな……。でも、それはクラウディアちゃんのせいじゃない。悪いのは【教導】達なのだ。
あと、アクティーに【アルスノートリア】を読ませた奴も悪い。
そんな事しなかったら、二人は今頃天国へ行けてたのに……。
「……ツカサ、つらい記憶を見せてしまったが……ここからが、本題なんだ」
「え……?」
本題?
ちょっと待ってくれ。今の悲しい記憶が、見せたかったものじゃないのか?
どういう事か分からなくて目を瞬かせると、アクティーは真剣な表情で続けた。
「今のは……私自身の“願いの根源”になる記憶だ。……これから見せる記憶を君に見せる事で……今の記憶が、意味を持つことになる。だが、私はもう……自分では、その“願いの根源”を思い出せない。そうなった経緯も含めて、君には……今の私、いや……この【黒い犬のクラウディア】として成った私の経緯を、記憶してほしい」
それ、って……もしかして、誰かに目覚めさせられた時の記憶か。
今どうしてアクティーがあんな風になったのか、何故このような大人びた姿になってしまったのかを知ることが出来るってこと?
……だとしたら、それって……もしかして、敵の本当の目的を知るだけでなく、相手の弱点を知れるかもしれないチャンスって事なのでは。
でも、そんな事をしてアクティーは大丈夫なのか。
彼女は未だに操られている状態だ。ここで敵の内情を明かせば、彼女だって無事では済まされないんじゃないのか。
心配になって顔を見返したが、俺の思いは全て伝わっていたのか、アクティーは俺に微苦笑を向けてから、改めて力強い真剣な表情で、俺を見つめた。
「もうすでに私は危うい身の上だ。……だが、この魂までは完全に奴らの思うとおりに出来るワケではない。この世の理は、そういう物だからな。……だから、今ここで……ツカサに、私達の思いを託したい。そして現実の世界で私を止めてほしいんだ。
“本当の願い”を、操られている私に聞かせて……この、呪縛を解いてくれ」
――――本当の、願い。
それって、アクティーが本来望んでいたコトを聞かせてくれということか。
【魂呼び】によって何百年も留まり続けるほどの強い願い。いつまでも忘れることの無かった願いを、現実のアクティーに呼びかければ……正気に戻れるのだろうか。
『わたしも、おにいちゃんと一緒にアクティーに呼びかける。教えた【魂呼び】の力を、おにいちゃんにも使えるようにするから……だから、お願い』
「…………わかった! 絶対に、見逃さないようにするから……見せてくれ!」
クラウディアちゃんのお願いに今度は俺が頷き、アクティーを見る。
そんな俺に対して、姉妹二人は嬉しそうに笑うとお互いを見て確認を取るように目を見合わせた。……彼女達が何を思っていたかは俺には分からないけど……でも、二人ともこれ以上ないほど覚悟を決めたような目をしている。
きっと、これが最後のチャンスだと思っているんだ。
なら俺も、彼女達の期待に全力で答えないといけない。
悲しい過去も、二人の別離も脳裏に刻みこんだ。
だから、もう二度と二人が離れ離れにならないように……これから見せて貰う光景も、絶対に忘れないように心に刻まねば。
そう思って気合いを入れた俺に、アクティーは手を伸ばす。
握ればいいのだろうか。素直に手を差し出すと、彼女の女性にしては大きな手が、俺の手をしっかりと握った。
……分厚い皮に覆われ少しカサついている、立派な戦士の手。
誰かを思わせるその力強い手に心が熱くなりながら握り返すと、アクティーは俺に嬉しそうな笑みを見せてくれた。
「……君が【黒曜の使者】で……私は本当に、良かったと思うよ」
含みも何もない、彼女の心の底からの素直な言葉。
何故かそう理解した俺は、少し気恥ずかしくなってしまったが――その思いに浸る暇すらなく、急に視界が切り替わった。
「っ!?」
今度は、赤い砂漠じゃない。
なんだここは。なんていうか……石積みの……小さな部屋……。
……いや待て、ここは前に見た……っていうか、聞いた事のある間取りだぞ。
確か、石積みの部屋で敷き布のない簡素な石のベッドがあって……。
ってこれ、クラウディアちゃんが説明してくれた「次に目覚めた時にアクティーが寝かされていた場所」じゃないか。
「……君が理解しやすいように、この風景に関しては少し私の脚色が入っている。と、言っても、視点が違うということだけだ。私の視点ではなく、クゥが見ていた光景を君にも見てほしい。その方が分かりやすいから」
『あのね、さっきアクティーと記憶を共有? したの。だから、これも本物だよ』
なるほど、これはいわゆるバーチャルリアリティと同じようなものだな。
映画の中に俺が入ってしまったという感じで見ていればいいのか。確かに、一人称視点よりも三人称視点の方が、分かることが多いかもしれない。
でも……この部屋かなり狭いんだよな。
広さからすると8畳ギリギリだろうか。
大きな長方形の巨石があるから、かなり圧迫感がある。
そのうえ入口しかないから、薄暗くてすごく閉鎖された空間っぽい。こんな場所で、アクティーは何をされたんだろう。
そう思っていると……外から誰かが入ってきた。
→
※ツイッターXで言ってた通り遅くなりました(;´Д`)長くなた…
あと一話魂の中で話が続きます。
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