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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編
25.誰かが望んだ誰かの願い
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「……それで、どうだった」
感情もなくただ静かに問う声に、深く頭を下げた黒衣の獣人は答える。
「失敗しました。おそらくは【教導】様が既にご存じのことと思いますが、ツっ……例の少年を隔離しきれず……恐らく、曜術も不発かと」
それは、遠目から見ても全く混乱の様相を見せない煌びやかな王都を見るだけで明らかな事だ。しかし、黒衣の獣人に問うた存在――狐にも似た黒い立て耳を一部も動かさないこの城の主は、相手を決して責める事は無かった。
むしろ、安堵の雰囲気さえ見えるような落ち着いた姿で、ただ呟く。
「……そうか。だが、落ち込むな。どうせこんなこと、何の意味もない」
「いえ、しかし……これを成功させねば、貴方がどうなるか……」
不安と主への献身を隠しきれない表情で顔を上げる黒衣の獣人――ヨグトに、主である黒い立て耳の犬……クラウディアは、小さく首を振った。
「あの卑怯な男の事など気にするな。……それに、あいつ自身こんな作戦が確実に成功するとは思っていないだろう」
「それは……」
どういうことなのか、と眉を歪めるヨグトに、クラウディアは忌々しげな視線を明後日の方向へと逃した。
「……どうせ、どの道、愉しんでいる。所詮、あの男にとっての我々は『研究の一部』であり『操り人形』でしかない。我々の信念も、願いすらも、あの男にとっては己の欲を満足させるただの手段にすぎんのだ」
「…………」
ヨグトは絶句するが、しかしそれもまた理解していた事だった。
この“償わなければならない主”が目の前に現れ、何を望んでいるのかを知った時、ヨグトは主が何を思い何を望みとして動いているのか、理解してしまったから。
だが、それは……――――
「……すまんな、ヨグト。私は所詮偽物の王だ。この姿も、名前も、命すら偽物だ。この信念すら子供じみた憤怒を取り繕ったものに過ぎない。……今を生きるお前を、今も苦しみ続けているお前を、この立場で縛ってしまったことを申し訳なく思っている」
「何を仰いますか!!」
「ヨグト……」
表情が動かないクラウディア。
そんな主に、ヨグトは拳を握りしめながら連綿と続く後悔を吐露した。
「私達はずっと、ずっと悔いておりました……! 思えば、あの時我々の祖先が長老衆に騙されていなければ、永遠の主人を失う事も無かった、我々が“根無し草”となり末の子供達の暮らしを血で染める事もなかったのです……っ!! 私達が、主である貴方達王族を一番に考えていれば……っ」
「もうその話はいい」
怒るでも悲しむでもない、平坦な声音。
だが、その声がヨグトの苦しみを慮って吐かれたのは明らかだった。
「クラウディア様……」
「……お前達が悪いのではない。それに、お前も……その“末の子供達”の一人だ。本来ならば、私が悔いるべきものであって……お前は、私を恨みに思って討っても何の咎もないのだぞ」
「そんな……っ」
「反論しようと思うなら、そう責めてくれるな。己も、お前の一族も……」
赤が濃い夕陽色の瞳に見つめられ、ヨグトは息を呑む。
己の一族の禍根を許しきれない。だが、己の一族が犯した罪で失われた命である目の前の相手にそう言われると、最早何も責めることは出来なかった。
ありがたいと思うと同時に、己の幼稚さを恥に思う心と良心の呵責で舌を噛み切りそうなほどの後悔に襲われる。
そう。
目の前の主は、何も悪くはない。
だからこそ彼女の思うとおりにもしてやれない、してやれなかった自分とその一族が憎らしくて、恨めしくて、苦しくて仕方がないのだ。
今やっと贖罪の機会を与えられたと思ったのに、それでも自分はこれほどまでに何もできない無力で無能な存在でしかない。
思えば自分は、子供達に教える事が出来ても、彼らが本当に必要とする事や幸せになる事について何一つも教えてやれなかった。
苦しみしか与えられず、己の一族を恥じ恨むことを否定してやれなかった。
それほどまでに無力な自分が、どうして許されるのか。
「貴方を……っ。貴方様を……解放して差し上げたいだけなのに……っ」
その気持ちすらきっと、己が見殺しにした子供と同胞達への見え透いた贖罪行為でしかないと、己の心は気付いてしまっている。
こんなことを考える自分は、心底見下げ果てた下郎だ。
「さしあげたい」などと親切ぶって言う自分に、内心で怒りを抑えられなかった。
だが、クラウディアはそんなヨグトを見つめて、ただ告げる。
「……ありがとう、ヨグト。お前達はいつも、私達を思ってくれていた。その特異な力で影に潜み、私や……私の大事な人達を、いつも優しい目で見つめ守ってくれていた。私は忘れていない。……その子孫のお前も、同じだ。何も変わってはいないよ」
「クラウ、ディア……さま……」
言葉を閊えさせながら、顔を見上げる。
その中性的で端正な顔にやっとの事で浮かべたような、僅かな微笑みを滲ませ――クラウディアと呼ばれた黒い犬は、ヨグトに本心からの言葉を渡した。
「お前達は、優しい種族だ。忠義心も厚い。…………だが、だからといって、私と死地に向かう事も無いのだ。お前達に罪はない。きっと……陛下も、そう思っている。寧ろお前達だけが、我々の“真実”を覚えて、受け継いできてくれた。それだけで……もう何も償うことなどない。子孫のお前達は、自由に生きていいんだ」
「…………」
言葉が出ないヨグトに、小さく鼻から息を吹いてクラウディアはイスに深く座る。
そうして、暗い窓の外へ視線を向けた。
「……私も……今やっていることが、意味のない事だと分かっている。愛しい人の名を借り、仮初の姿を手に入れ、最早恨むべき存在もいない大地に降り立ち……それでも治まらぬ怒りを振るっている操り人形の私は、滑稽と言うほかない」
そんなことは、と、言いたげに思い切り顔を歪めるヨグトに、クラウディアは軽く肩を竦めて見せた。
「未練だ。……未練があるのだ。……だから私は従うほかない……恨みもある、未練もある、だがそれは決してかなえられることはない。だから私は……この忌まわしい力を手に入れた。……かつて王国を支配した力……こんな“外の力”に頼ったせいで私の大事な者達の命が失われてしまったからこそ」
「……力は、その人の使い方次第で如何様にも染まります」
それだけは、教えることが出来た。
過酷な運命を敷いてしまった教え子達に教えることが出来た、数少ない言葉。
無意識に口を突いて出た台詞を、薄くとも暖かな笑みの息が消し去る。
「私が使うのでは、結局“悪い使い方”に変わりはないよ。だが……どうしようもない。私は、最初に選んでしまった。復讐を望んでしまった。……願わくば……誰かが、私を……いや……」
反語を呟き、クラウディアは立ち上がる。
そうして、真正面に見える外回廊の先を見つめながら目を細めた。
――深紅を混ぜ込んだ、夕陽色の特異な瞳で。
「あそこにいる人々が……私をきっと、殺してくれる。獣人最高位の“神獣”の称号を持つあの熊達……もっとも私達に近い心を持つ“ディオケロス・アルクーダ”なら……きっと……私が、操られるがままに過ちを犯す前に殺してくれるだろう」
迷いのない冷静な言葉。
その言葉に、ヨグトはグッと喉自ら締め付けるような声を漏らし俯く。
過去から現在まで何一つ変わらぬままの忠義を貫く子孫を背にしながら、この要塞の主――――“偽物の”クラウディアは、近づいてきた王都に手を伸ばした。
「……からっぽの私を。人の血を啜るしかなくなった私を、止めてくれ。熊よ。
あの可哀相な【皓珠】を救ってくれたように、救ってくれ。神の愛し子よ。
この私……――【礪國】たる、偽りのクラウディアを」
決して届くはずのない、言葉。
だがその懇願にも似た色を含む声は、風に乗ってどこかへ飛び去った。
「――――……?」
「どしたの、ツカサ君」
少し眠るように言われてまどろんでいた最中。
もう少しで意識が途切れるくらいのギリギリのところで、何故か急に胸の奥の何とも言えない所がつきんと痛んで、俺は意識を浮上させた。
大人しく添い寝していたブラックも、俺の変化に気が付いたのか目を開ける。
起こしてしまって申し訳なく思ったので、なんでもないと返したが……なんだか眠気が霧散してしまった。仕方なく上体を起こすと、ブラックが手伝ってくれる。
……まだ腰が痛いのと下半身が動かない事を見抜かれていたようだ。
そうして、俺が動く前にサイドチェストの上に置いてあった水差しから水を汲み、俺の手に握らせてくれる。なんで分かったんだろう……。
気恥ずかしかったけど、素直に礼を言って俺は水を口に含んだ。
「……ふう」
「まだ痛む?」
心配そうに言う痛みを齎した犯人に意地悪してやろうかとも思ったが、しかし心が妙に痛む方が気になってしまい、俺はそうではないと首を振った。
「なんか、胸の奥の変な所が急にズキッ……いや、チクかな? ともかくそんな感じになっちゃってさ。それで眠気が飛んじゃった」
「え……だ、大丈夫?」
「多分……。でもなんか、他人事みたいな感じに思えてさ」
どういうことだと眉根を寄せるブラックに、俺も首を傾げる。
うーん、なんていうか……説明が難しいんだよな。
「その……痛かったけど、俺が感じた痛みっていうか……別の物を疑似体験? したみたいな……うーん、ともかく俺が直接受けた感じじゃないんだよ」
説明がヘタすぎて理解してもらえないんじゃないかと思ったが、ブラックは持ち前の頭の良さで把握してくれたらしく、ふむと顎に手を当てて考え込んでいた。
そうして、何か思い当ったように片眉をピクリと動かすと、俺の胸を見やる。
「胸に来た痛み、か……。もしかしたら、それって小さい女の子の方のクラウディアが受けた痛みかもしれないね」
「え……クラウディアちゃんの……?」
「どういう理由かは分からないけど……彼女は今、ツカサ君の中で眠ってるんだろ? なら、夢の中で……何か悲しい事でも思い出したのかも知れない」
「そっか……」
なんだか心配になって、胸に手を当てて軽くさする。
……これじゃ俺が胸を撫で下ろしているようにしか見えないけど、でも俺のどこかに眠っている彼女が悲しい思いをしているなら、慰めたかった。
俺じゃなんの役にも立たないけど……でも、気にかけて貰っているっていう事実は、人を安心させるし……俺も、その温かさを知っているから。
だから、俺は再会をいつでも待ってるよと語りかけるように撫でてみる。
すると、なんだか心の形容しきれないところが温まったような気がした。
「……なんか、お腹の中の赤ちゃんをあやしてるみたいだねえ」
「クラウディアちゃんは赤ん坊じゃないぞ」
そういうと、ブラックは分かりやすく不満げに口を尖らせて頬を膨らますと、俺を押し倒すかのように勢いよく抱き着いてきた。
「赤ん坊じゃなくてもずるいっ。僕も甘やかしてよう。赤ちゃんみたいにあやして、キスとかおっぱいとかいっぱいして……」
「わーもーバカバカセクハラおやじ!!」
しかもオッパイとイッパイで韻を踏むんじゃねえ。
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……はぁ、はあ……。
なんか有耶無耶になってしまったが、クラウディアちゃんのことだ。
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