異世界日帰り漫遊記!

御結頂戴

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古代要塞アルカドビア、古からの慟哭編

  死角

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   ◆



「で……どこの何を探せばいいってんだよ」

 幸せな時間を強引にもぎ取られ、連れてこられたのは大仰な食糧庫の前。
 昨晩陰険な白熊が何やら探っていた場所ではあるが……ここで、何を探せというのだろうか。

 溜息を吐きながら、ブラックは邪魔者に目を向けた。

「ムゥ……昨晩ツカサとお前から聞いた、ルードルドーナが何か探していたという話が気になってな。それを見つけようとしていたんだが……どうも、オレが探っただけでは、大まかな位置しかつかめなくてな……」

 恐らく、獣人の嗅覚でルードルドーナが落とした“なにか”を探そうとしたのだろう。
 改めて説明されても、そんなものを見つけろという神経がわからない。ブラックとて、万能というわけではないのだ。

(そりゃまあ、デキる大人としては振る舞うよ? ツカサ君の前ではさ)

 だがそれは結局のところ痩せ我慢のようなものでしかない。

 有能さは、オスとしてツカサには格好いいところだけを見せたい気持ちの産物だ。

 実際のところ自分が真に有能であるかなど、ブラック自身ですら断言できない。
 彼には“本当に情けない姿”だけは見せたくないし、自分の過去も時が来るまでは知られたくない。だから、博識で頼りがいのある男に見せているだけ。

 自分の能力や知識量に自信が無いわけではないが、男とはそういう物なのだ。

 己が好いたものの前では、英雄であり惚れられるような存在で居たい。
 そんないじらしい男心がブラックにも存在するがゆえに、普段は“何でも出来る男”のようなつもりでいるだけなのに、ツカサ以外にそう思われても厄介でしかない。

 ――僕は、お前らのために有能で在るわけじゃないんだが?

 そんな自己中心的な不満が頭をよぎったが、しかし今回はこの国の戦にも関わるかもしれない事案だ。気に食わないものの頼みとはいえ、無下には出来なかろう。

 息を吐くと、ブラックは食糧庫前の廊下を見渡した。

「で……僕にも鼻を動かせってか?」
「鼻で探せる範囲は探した。……が、出来ない。ということは……よほど奥の方へと入ってしまったか……それとも、ここではない所に消えてしまったのか。それを、お前の【索敵】か……もしくは金の曜気を探る術か何かで探れないかと思ってな」
「なんで“金”なんだよ。索敵は分かるが、あてずっぽうか?」

 そう問いかけると、目の前の熊は真面目な雰囲気でこちらを見返した。

「……ここだけの話だが……オレ達の鼻が利かないものが、三つだけある。それは、竜のような凄まじい力で己の“におい”を隠す存在。もう一つは、デイェル……人族の言う【特殊技能】によって隠れる事の出来るもの。そうして最後が――――この大陸でのみ産出される特殊な鉱石の数々だな」
「なるほど。だから、まずは金属の可能性を探るって事か」

 このベーマス大陸に眠る鉱石は、その多くが人族大陸ではまず見かける事のない特殊な効果を持つものばかりだ。
 【種火石】という、発火しつつもその威力を自在に操れる石に、冷気を発する【深海石】――人族に身近なものであれば、目的地に親となる石を置くことで、その欠片を光で指し示し導くことのできる【標導石ひょうどうせき】だろうか。

 ともかく、その全てが常軌を逸している。
 曜気を含む鉱石や、多少の効果がある石などは人族の国にも存在するが、石そのものが強力な力を持つということは稀だ。

 そして、石が砕けるまでその効果が永続的であるという点でも凄まじかった。

 曜気は流動するもので、人族の大陸における生命や力は限りあるものだ。
 ゆえに、獣人大陸の鉱石は【魔術】ともいえるような不可解さだった。

(そんな奇妙なシロモノなら……確かに、曜術師でもなければとは思うだろうが)

 しかし、自分がそのようなデタラメなものを正確に把握できるだろうか。
 寸時考え、ブラックは出来ない事も無いかと脳内で計算盤を弾いた。

(要するに、さっき熊公が言った【索敵】と曜気の察知を行えばいい。感覚を分けるのは少し慣れを要するが、出来なくはないかもな)

 他のものにも可能かは知らないが、やってやれないこともないだろう。
 熊公の願いを聞き届けるのは癪だが、早めに済ませてしまった方がツカサとイチャつく時間も増えると考えたブラックは、渋々やってやることにした。

「出来そうか」
「……この廊下の構造を把握してから探すから、慣れるまで少し時間がかかる。それまで大人しく黙ってろ。一言もしゃべるなよ」

 気が散る、と睨み、ブラックは片膝をついて手を床に着けた。
 そうして――――難なく長年使ってきた術の感覚を思い起こす。

 最早呼吸をするのと同じくらいの手軽さで、己が内の力を放出し周囲に広げる。
 意識せずとも広がっていく「理解できる領域」は、今となっても説明しがたい。脳内に物体の輪郭が浮かび上がるようなもので、その映像や光景を口で表現するのは難しかった。そんな難しいものに、更に曜気を加えていく。

 ――――宝玉のブローチに溜め込んだ膨大な量の金の曜気を使い、己の意識を混ぜ込んだ曜気を【索敵】範囲へ広げていく。

 広く、浅く。
 己の曜気に反応するものだけを探すため、霧のように流していく。
 すると。

「…………!」

 食糧庫……よりも、少し離れた場所。
 調度品の裏の方に、なにやら奇妙な反応を持つものを見つけた。

(これは……なんだ……? 明らかに鉱石の反応じゃない……)

 てっきり鉱石か何かだと思っていたもの。
 だが“それ”が伝えてくる情報は、ブラックが見知ったものと同じだった。

「見つけたのか?」
「ちょっと待て」

 こちらの僅かな動きを目敏く見取った熊を制止して、ブラックは立ち上がる。
 そうして目的の物が隠れている調度品の裏へと手を伸ばすと、ソレを引き抜いた。

 ……手で軽くつかめる程度の、小さい何か。

 恐らく落としたことで転がってしまい、運悪く調度品の間に挟まってしまったのだろう“もの”を見て――――ブラックは疑念に眉を歪めた。

「これは……曜具……?」
「なっ……ど、どうしてそんなものを……!?」

 驚く熊公が鬱陶しく顔を寄せてくるのを避けながら、手を差し出して物を見せる。

 それは、金属で出来た小さな虫。
 自発的に動くことはない、好事家がブローチにでもするような大きさの蟲だ。

 一見すればただそれだけのものだったが……ブラックは、これに見覚えがあった。

「……【鍵蟲】だな」
「カギムシ?」
「どっかのクソガキ曜術師が作った、ありとあらゆる鍵を開錠する曜具だ。……どうもコレは純正品じゃないようだが……それでも、ザツすぎるお前の国の扉なら難なく扉を開けることが出来るだろうな」

 ――――以前、ツカサはこの【鍵蟲】の話をしていた。

 その話によると、忌々しい事に、あの鬱陶しい銀髪のガキ……天才的技術力から【神童】と言われ持てはやされていた男が作った、異質な構造を誇る曜具らしい。

「扉……というと、食糧庫や王都に入るための門か? だが、そんなもの開けたとてルードルドーナには何の得もないと思うんだがな」
「お前はバカか。アイツが裏切り者なら、何種類も“得”が思いつくだろ」

 敵の引き入れ、食糧庫からの横領、普段自分が入れない場所への侵入。
 情報を得る目的だったとしても、この【鍵蟲】があればかなりの収穫が期待できる。なにせ、この蟲は足の形を細かく変形させてどんな鍵でも開けてしまう。

 【神童】が作った品でなくとも、ここまで構造が細かければ粗末な錠など最早意味をなさないだろう。使用回数も限りがあるだろうが、しかし脅威には変わりない。

(そんなものを『何の得もない』だって? 獣人ってのはよっぽど自分の腕力に自信があるのか、それとも底抜けのバカなのかどっちなんだろうな)

 また喧嘩になりそうな事を考えてしまったが、ぐっとこらえる。
 しかしそんなブラックの努力など知ろうともしない愚鈍な駄熊は、怒りを掻きたてるような呆けた顔をして、事もあろうか小首をかしげる。

 ツカサが見せてくれたら問答無用で唇を奪っているところだが、外見だけは自分と同年代だろういいトシした男にやられても消えない殺意が芽生えるだけである。

 本当にここで屠ってやろうかと真剣に考え始めるブラックをよそに、駄熊は未だに何が問題なのか分からないというような声を漏らす。

「ルードルドーナは王子だぞ。国を混乱に陥れても得は何もないし、そもそもアイツも父上を尊敬してやまないオスだ。己の矜持に恥じるようなことはしない」
「だからなんでそこで愛だの矜持だの持ち出してくるんだよ。獣人族ってのは、そいつが無けりゃ即座に死ぬような生物なのか?」

 そう言うと、さすがに相手もムッとしたようで眉間に皺が寄る。
 無表情が基本の駄熊からすれば、だいぶ怒りが加算された格好だろう。

「お前達惰弱で武人の心得も忘れがちな人族からすれば分からんだろうが、オレ達にとって武人としての誇りは命の次に大事なものだ。それを軽視するようなことは、獣人としての格を失うことになる。少なくとも、王族であり認められた地位にいる弟がそんな馬鹿な事をするはずがない」

 お前はそうだろうよ。と、心の中で切り捨てるような言葉が落ちる。

 ――確かに、この熊は異常なほどに誇りにこだわる。
 遭遇したころから「獣人の誇り」へのこだわりも変わらず、せっかくツカサを自分の物に出来る悪運が回ってきても、その誇りから来るとやらで結局は挿入すら達成できなかった。

 ブラックから言わせれば、実にバカな男であり愚かな誇りだ。

 今だって、お互いを完璧に抹殺する機を待っているとはいえ、この駄熊は獣人族の価値観で“第二のオス”というおこぼれを貰うの程度の地位に満足している。

(僕からすれば理解不能すぎるが、まあそれだけ御大層で大事なモンなんだろうよ。だけど、お前がそう思うのと他人がどう思うのかは別だろ)

 ヒトという種である以上、人格の差も体力の差もある。
 それは獣人族なら尚更だろう。ならば、心とて一律ではいられないはずだ。

 少なくとも、あのルードルドーナという鼻持ちならない白熊は、御大層な矜持を掲げ己の誇り高さに惚れ惚れするような明るさなど、欠片も無いように思えた。
 どちらかというとアレは、陰険眼鏡のように卑屈で皮肉屋の類だ。

 だというのにこの熊は、お人好しなのかそれとも脳味噌が熱で溶けたのか、自分と同じ「偉大な父の子で立派な王族」という部分を信じ続けている。

「ブラック、その【鍵蟲】にも何か理由があるはずだ。曜具はこの国なら入手できない事も無いし、物珍しさで買っただけの可能性もある。……このあたりで落としたという事は、食糧庫に入ったかもしれないが……それでも、裏切り者であると断定するのは早いだろう。弟がそんなことを……」
「しない、なんて本当に思ってるのか? お前を追放した奴らの一人なのに」
「……ッ!」

 言葉に詰まる相手。
 さもありなん。どれだけ弟が誠実かを説こうが、それは所詮この駄熊の身内可愛さであって、真実とは程遠いのだから。

(コイツ……本当に馬鹿すぎて殺したくなるな……)

 兄弟でありながら、尊敬する清廉潔白な父を持ちながら、それでも己の兄弟を庇うこともなく追放した男のどこが信用できる存在なのだろうか。

 そもそもルードルドーナとカウルノスは、この駄熊の抹殺を企んでいた。
 例え表で清廉潔白だろうが、裏がああでは信用に足りない。

 こんな簡単な事、駄熊が分からないわけがない。真っ当な判断で行けば、数多の怪しい行動を見せたあの男が“裏切り者”の可能性が高いのだ。

 ツカサといい、父親の事と言い、この熊公は身内だと思った人間に対しての判断力が著しく狂う。そういう過去の幻想に胡坐をかいたような夢見がちな態度が、ブラックにとってはこの駄熊の中で一番嫌いな部分だった。

(ツカサ君に対しては、欲望や愛ありきだから別に殺意が湧く程度だ。でも、たかだか一緒に暮らした程度の血縁に対してこうまで幻想を見るのが、気に食わない。それで言うことが、都合のいい姿だけ思い出しての愛や絆や矜持が云々なんて明確な証拠もなく並べ立てた薄っぺらな擁護? 笑わせるんじゃねえよ……!!)

 身内への愛など、何を信じられるものか。

 だからこそ、殺意が湧く。反論で沈めてやりたいほど怒りが湧く。

 “自分”が「身内の裏切り」を知っているからこそ、我慢がならなかった。

「……そう、殺意を向けるな。……悪かった。今の発言はさすがに盲目過ぎた」
「分かってるなら冗談でも言うな。今度節穴みてえな発言したら殴り飛ばすからな」

 言葉が荒くなるのを自覚しつつも、抑えが利かない。
 そんなブラックに対して、駄熊は何を感じ取ったのか少し遠慮がちな態度になると、数秒間を持ってから再び言葉を発した。

「だが、この【鍵蟲】を持っていてもあまり意味が無いのは本当だぞ。ここに武器庫や宝物庫が無いし、重要な【食糧庫】は常に個数や状態を確認されている。そもそもの話、ここで食糧庫を失くしたとてさした問題にはならない。……いざとなれば、父上は己の命を絶ち、王都の皆が数か月飢えをしのげる肉を与えるつもりだ。オレ達には、十分すぎる兵糧がある。だから……どこを探ろうが、無意味なんだ」

 当然、それはルードルドーナも知っていることだろう。
 追放されて何年も放浪していた駄熊ですら覚えていることなのだ。辣腕を振るう王が、事前に息子達に言い含めておいたのは容易に想像がつく。

 駄熊の言い方からしても、それは王族なら周知の事実のはずだ。
 であれば、やはり【鍵蟲】の有用度は低い。

 しかし、ならば、どうしてルードルドーナは【鍵蟲】を「必死で探さねばならなかった」のだろうか。あれほどまでに、必死の形相で。

「なら、別の脅威はないのか」
「ム……?」
「仮に王都の門が開けられたとしても、問題はないのか? ここから運び出されたり逆に持ち込まれたりして困るものはないのか」

 問われて、駄熊は考えたが片眉を顰めて腕を組む。

「ムゥ……そう言われると、ないとは言わんが……しかし、何があろうと獣人の耳や鼻が感知するはずだ。仮にナルラトのような斥候が居ても、オレ達なら襲われる寸前で看破出来る。……その、曜具のようなものでもない限りは」
「…………じゃあ、もし……コレみたいな、お前達ご自慢の五感で把握できないモノが、持ち込まれたら……どうすんだよ」

 そう言って、左手で【鍵蟲】を掴んで相手に突きだそうとした。
 刹那。

「ッ!?」

 左手の薬指。
 決して片時も離さないと誓った指輪が、強烈な光を放った。

「なっ、なんだ!?」

 驚く駄熊の前で、指輪が震え指に急激に食い込む。
 何が起こったのかと思った瞬間、まるでランプのガラスが割れるような音がその場に響いた。……薄く硬い鉱石が砕けるような、破裂音が。

 その警戒すべき音が何か。ブラックには既に分かっていた。

「おっ、おいブラック!?」

 呼び止められるが、言葉を返す暇すらない。
 ブラックはその場ですぐに踵を返すと、脇目も振らず駆け出した。

「お前っ、その指輪はツカサとの婚約指輪だろう!? なんだ、何があった!」
「うるさい!! ついてくるなら勝手に来い!!」

 説明する余裕すらなく、走る。
 いや説明したくなかったのかも知れない。なぜなら、先ほどのように指輪が急激な光を放って破裂音を響かせた理由は――――


 ツカサを守る【指輪】が対処しきれず、致死的な攻撃を通してしまったから。


 ……その時に備えて付加しておいた『追撃防止の措置』が、働いた。ツカサに降りかかった危機を知らせるための音や光が、さっきの“それ”だったのだ。

(何が起こった、いや、もうすでに起こってる。ツカサ君が襲われたんだ……!)

 背筋を冷たいものが走る。
 こんな感覚は、久しぶりだ。もう二度とないと思っていた、喪失の恐怖。
 例え彼が失われず共にいてくれると知っていても、それでも……盤石の守りだった【指輪】が壊されたことに、動揺せずにはいられなかった。

(ツカサ君は死なない。でも、だからと言って安全なわけじゃない……クソッ、こんな事になるんなら、やっぱり傍を離れるんじゃなかった!!)

 だが、何故ツカサが攻撃されたのか。それがわからない。
 あの【黒い犬のクラウディア】が【アルスノートリア】の一人だとしても、こんな襲撃はしないと思っていた。

 なぜなら、自分とツカサが潜入した時に相手が何もしなかったのは、敢えて相手が見逃したと考えていたからだ。

 あの男……恐らくは、彼……には、その時点でツカサを殺す理由が無かった。
 もっと別にやることがあったのだ。だから、こちらを見逃したのだとブラックは思っていた。それなのに、今更殺す理由があるのだろうか。

 自分達の事を知らなかったとすれば、なおさら攻撃する意味が無い。
 今更攻撃したとて、逃がした後だ。ツカサが不死身であることは、彼らも知っているだろう。だから、彼らにツカサを狙う意味はないのだ。

(じゃあ、教導か……あの男たちが……?)

 ……【教導】と二人の男に関しては、よく分からない。
 嫌な相手だと思ったが、それでも人族程度なら【指輪】を壊すほどの力は無かったはずだ。あの男たちにできることなど何もない。
 なら、獣人が何かしたのか。だが獣人にすら、あの指輪を壊すことは……

(くそっ……! くそっ、くそ、くそ!! なんなんだ、今更攻めてきたのか、だが何故だ、どうしてこの状況で……!)

 わからない。
 もう幾度目か分からない廊下を曲がり、やがて客室が並ぶ中庭が見えてくる。
 その回廊に入り真っ直ぐ進めば、ツカサがいる。

 指輪から破裂音がして、何分も経っていない。まだ間に合う。
 息を飲み込みブラックが回廊へ足を踏み入れようとした、それと同時。

「ブラック!!」
「ッ!?」

 吠えるような声に足が僅かに鈍る。
 その隙をついて熊公が一歩先んじた、刹那。

「濁流を防げ、我が血に応えよ――――【トーラス】!!」

 熊の咆哮と同時に凄まじい風が巻き起こり、爆発音が響く。
 だが、これは何かが爆発したのではない。

 自分達の目の前に、巨大な土の壁が出来ている。この通路を塞がんばかりの赤茶色をした土の壁が、自分達に襲い掛かろうとしていたのだ。
 それを、寸でのところで熊公が止めた。

(なんだ、これは……こんな膨大な土、どこから……いや、それよりツカサ君……!)

「ブラック……ッ、この、土は……操られている……!」
「ッ……!? まさか、アルスノートリアの……」
「分からん……ッ、だが、オレが流す曜気に土の中の力が抗っている……っ」

 相当に苦しい戦いであることが、熊公の歪んだ顔から窺い知れる。
 あまり冷や汗を垂らさない相手の額から、見開いた目に流れんばかりの汗が徐々に落ちていくのだ。尋常ではない事をブラックは悟った。

 しかし、だからと言ってどうすればいいのか。

「くっ……剣は部屋の中……密集した土に炎は届かない……!!」
「かっ……壁を、壊せ……! オレが術で抑えている今、つ……土は、自由に動く事など出来ない……! は、やく、ツカサを……」
「それを早く言え!!」

 土を固定化させる程度には相手に対抗できている。
 本当であるか怪しいところだったが、しかし今の自分達に他の方法はない。

 ブラックは【脚力強化】の術を二重にかけると――
 その足で、思い切り横の壁をぶち抜いた。

 だが、それだけで止まることはない。何度も、飛ぶようにかけて一部屋の壁から壁を一瞬で渡り、次々に遮るものを壊していく。
 音が響くが、こだわっている時間は無い。とにかく、早く。
 早くツカサのところへ。

「ツカサ君!」

 ドッ、と、重苦しい音を立てて瓦礫が飛ぶ。
 その中で「キュー!」と小動物が驚くような甲高い声が聞こえた。

「キュッ、キュキューッ! キュー!」
「ロクショウ君! そうかここは僕達の……」

 やっとたどり着いた。だが、部屋にはいない。
 ツカサは隣の畑部屋にいるのだ。

 ロクショウも寝起きではあるが事の異常さに気が付いたのか、すぐさま駆け出したブラックに並走する。今は、一人でも味方がほしい。好都合だ。
 部屋の外を土の壁が埋め尽くしている光景を見て息をのみ、ついにブラックは最後の隔たりを蹴り壊した。

 そして。
 目的の場所にいた、ものは。

「あ…………」

 広い部屋の床を埋め尽くす、赤茶けた土。
 その一部がうねり、硬化した岩の大蛇となって部屋の外に伸びている。

 逃げ場はない。そんな場所で。

「ぶ、ブラック君、ツカサ君が!! 誰か看護できるものを、は、早く、早く!!」

 土の上にも関わらず尻もちをついて硬直していた黒髭の熊が叫ぶ。
 だが、彼の近くにツカサの姿はない。

「あ……ぁ、あ……なに……してんだ……何してんだお前ええええ!!」

 認識するより先に、声が出る。
 気が付けば自分が理解するよりも早く、目の前に敵の姿があって。

 己の拳が視界の横に凄まじい速度で振り被られていた。

 ツカサの背中を鋭利な刃物で貫き、流れ出る彼の血を大地に与えるように刃物の切っ先を土に突き刺した男。


 ヨグト、と名乗った、根無し草の鼠人族に向かって。


「――――!!」

 輪郭がぶれるほど素早く振った拳が、黒衣をまとう相手の顔を撃つ。
 普通に拳を当てられただけでは出るはずもない鈍く重い音が、ツカサの後ろにただ立っていた相手をよろめかせた。

 その体が、傾ぐ。
 だが相手はそのまま倒れる前に即座に四つん這いになって着地し、跳んで一瞬で体勢を立て直した。まるで、猿のような身のこなし。

 いや、これが獣の暗殺者たるもののゆえんなのだろう。

 なんにせよ、許せない。

「僕、の……ッ、僕のツカサ君に……お前、何をしたあぁああ!!」

 怒りが、抑えられない。
 自分の体が制御できず、風が巻き起こる。

 ――――いや、これは風ではない。

 怒りによって暴走し体内から湧き出た、曜気。
 赤く燃え上がり、術者でなくとも見え始める異常な光に、目の前が染まっていく。

 その様を見ている相手は、黒衣にうっすらと赤を滲ませながら僅かに俯いた。

「…………すまない……」
「なにを……っ!」
「あの方を……助ける、ためなのだ……」
「……!?」

 どういうことだ。
 目を見開いたブラックの背後に、誰かが駆け寄ってきた。

「ッ……!? 師匠!? な、なんですか、これ……アンタ、あ、あんた、ツカサに何ばしたとや……おい! 師匠ぉ!!」

 混乱したような怒声が、再び目の前の侵入者を打つ。
 だが、相手は最早こちらに近寄ることはない。

「……すまん、ナルラト……これは、やらねばならぬことなのだ……」
「待て!!」

 消えようとして軽く飛び、部屋の外へ逃げようとする鼠。
 それを、弟子であった鼠が飛んで追いかけて行った。

 追うべきなのかもしれない。
 だが、今のブラックには最早侵入者などどうでもよかった。

「ツカサ君!!」
「キューッ、キュッキュゥウウ!!」

 どうしたらいいのか分からず周囲を飛び回るロクショウの合間に入り、ブラックは剣が刺さったままのツカサの体を起こす。
 横にしなければ、剣が抜けない。
 その前に剣先に付着した土を払わねばならなかった。

「ツカサ君……っ」

 小さく軽いツカサの体は、ぐったりと弛緩している。
 まだ、体温はある。息が無いわけではない。生き返らないわけではない。

 だがどうしても。

 どうしても、ツカサが死んだように目を閉じる姿は、見ていられなかった。











 
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