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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
13.どうしようもない奴ら
しおりを挟む暫し、二人は沈黙する。
白み始めた霧の下の方から光が掛かって霧が薄らと透け、影だけだったクロウ達の姿が少し分かるようになってきた。
朝の到来とともに、二人の姿がハッキリと分かって来る。
「…………っ……」
ほんの少しの時間でゆっくりと山肌を登って来た太陽の光。照らすクロウと怒りんぼ殿下の姿は……俺が例えるまでも無く、ボロボロだった。
服は打撃と蹴りの応酬でほつれたり小さく裂けていて、土で薄汚れている。クロウだけじゃなくて、殿下もだ。王族らしい装飾のある服だったのに、こうなってしまっては俺達冒険者とそう変わらない薄汚さだった。
だけど、それこそが「真剣に戦っていた」と解かる証だ。
クロウも、殿下も、相手を見据えて打ち合う事だけを考えていた。
やっぱり「暗殺計画」なんて挟む暇は無かったんだろう。
……いや、その計画を実行できないほど、クロウが強かったのだろうか。
どちらにせよ、この状況で起こりうる最悪の事態は過ぎ去っているように見えた。
でもそう思うのは、クロウ達の戦いの痕跡を見てだけじゃない。
さっきから俯いて黙っている怒りんぼ殿下の様子が、なんだか最初の時より覇気を失っているように思えたからだ。
怒りは莫大なエネルギーを生むっていうけど、だからこそ一度沈下してしまった炎を再び湧き立たせるのは難しい。
だからこそ、殿下にはもう計画を遂行するような気配が無いと思ったのだが。
「…………に……」
「……?」
ぽつり、と、殿下が呟いたのを聞いて、俺とクロウは同時に相手を見やる。
すると殿下は、勢いよく切り出した。
「お前に俺の何が解る……!! 弱さによって常に甘やかされ許されてきたお前に、俺の何が理解出来ると言うんだ!!」
「ッ!!」
その場から、殿下が消えた。
いや、違う。クロウに飛び掛かったんだ。
だけどクロウも相手の拳を受け止めて、それをいなす。けれども激情を爆発させた殿下の攻撃は止まなかった。それどころか、何度も何度も打ち付けようとする。
突然の事に驚くが、殿下は周囲に構わずまた吼えた。
「周囲の甘さを啜り弱さで散々良い思いをして逃げてきた貴様が、俺の心のなにを知った気でいる!? ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなァア!! この家畜がッ、土塊にも劣る生きる価値のないゴミがぁああああッ!!」
口汚い言葉を何度も発し、殿下はクロウに拳を振るう。
だけどその攻撃は先程の攻防のような鋭さは無く、なんだか……感情が爆発して、その感情のままに動いているような感じしかしない。
もちろん、その威力は決して侮れるものじゃないんだけど。
だけど……本当に“兄弟喧嘩”をしている――――子供みたいだった。
「獣人の誇りすら満足に貫けない不味い肉の分際で俺に説教など片腹痛い、メスの肉穴すら自由にならないオスのどこが俺に勝っている、王に相応しい俺に逆らえるわけがないだろうが!! 死ねッ、お前のような惰弱な家畜は死ね、他人に甘えるような誇りも何も無い獣が俺を語るなあぁああ――――ッ!!」
殴る一辺倒で、ひたすらクロウを後退させていた拳が変わる。
鋭い爪を持つ指に力を籠め、ぎらぎらと眼光を閃かせながら殿下はクロウにその手を振り下ろした。
「クロウ!!」
思わず叫ぶ。
だがその声よりも先に、殿下の手は振り下ろされ――た、の、だが。
ほんの数秒。
まさに紙一重のところで、クロウは相手の手首を掴み爪を受け止めていた。
「ッ……!」
あとほんの数センチ遅かったら、クロウの頭は切り裂さかれていただろう。思わず背筋に冷たい物が走ったが、そんな俺が見ている事など全く気にせず、殿下は猛獣の唸り声を漏らして牙を見せ睨んだ。
殺せなかった事を心底悔しがっているような音だ。
もし相手がか弱い獲物だったのなら、恐怖で硬直していたかもしれない。
だけど、クロウは殿下を少し真剣な表情で見つめて……静かに言葉を返した。
「兄上こそ、贅沢だ。兄上は期待されていた。認められていた。見放された“甘さ”は、兄上には一生解かるまい。どれほどマハ様達が優しかろうと、周囲から向けられた冷たい目の鋭さは心から消えることは無い。それを……それを、兄上が知ったように語るのは我慢ならない……!!」
普段は声を荒げないクロウが、堪えるような声を漏らす。
……怒りを含んだ、殿下とよく似た声。
その言葉を皮切りに、今度はクロウが殿下に拳を向け始めた。
けれど、殿下も怯む事は無い。すぐさま相手の手を振り払いクロウを迎え撃つ。
「貴様が始めたことだろうがァ!! 俺を侮辱するようなッ、理解した気になったような戯言を並べて何を説教したつもりでえぇええ!!」
「兄上こそ卑怯だ!! 誇りを盾にとって、全てが己のままにならないことを不服だとでも言わんばかりに騒ぎ立てて……! そんなのは子供のすることではないか!」
「煩いうるさいうるさいぃい! あんな子供に甘やかされていい気になってた家畜が俺に指図するな知った口を利くなァアア゛ア゛!!」
「オレは家畜じゃない、ツカサの前で二度と家畜と呼ぶなァアァ゛ア゛!!」
お互いに一歩も引かず、殴り合いながら拳でも口でも争いを続ける。
足を後ろへやることは「敗北」だとでもいうように、二人は睨み合いながら憎き相手を打ち負かそうと躍起になっていた。
「う……うぅ……でもこれ、試練って言うより……もうなんか……」
なんか、なんだか……別の方向に、行ってしまっているような。
もう“三王の試練”じゃなくて、お互いのプライドの問題になってるような……?
それって、良いのかな。
このまま二人が喧嘩しながら殴り合っているのを見てていんだろうか。
これって、試練とはもう別の問題になってないか。このまま、ずっと喧嘩したままで一日中殴り合ってたら、試練を受けていた事にならないんじゃないのか?
ヴァー爺は、明確なルールを話してくれなかった。
教えてくれたのは簡単なルールだけで、聞いた俺達は拍子抜けしたくらいだ。
それは、どうしてだったのか。
――今、それが唐突に分かったような気がする。
「あ……」
そうか。
だから、ルールは緩かったんだ。
「王になる試練を行う時」のルールだから、ヴァー爺は厳格な掟を決めなかったに違いない。そう、試練を行う、気高い人達だからこそ。
「…………」
……ああ、考えてみれば、当たり前な事だよな。
今俺達がいるのは、王になる素質を問うための場所だもの。
ルールだって、そういうことだったんだよ。
“王の素質を試している”と本人たちが自覚しているからこそ、そのことを考慮してヴァー爺はあえて曖昧で簡単なルールにしたんだ。
“王”になるための試練だと理解している者達は、その資質に見合う動きをするのだと、普通はそう思うだろう。だから簡単なルールだったんだよ。
「…………だとしたら……」
試練をほっぽりだして……勝手な私闘を続けている場合は……――
「……っ! や、やばい……ダメだ、もう駄目だって……!」
慌てて手を伸ばすけど、俺の手は二人の所まで届かない。
忠告しようとする声も、言いあうクロウと殿下には聞こえていないようだった。
……ど……どうしよう。
このままだと、二人とも失格になる。絶対にヤバいって。
だけど、俺が木の曜術で拘束しても力量差が在り過ぎて絶対に破られるだろうし、二人の間に割って入っても止められる気がしない。
クロウも殿下も、強すぎる。だけど、止めなきゃいけないんだ。
クロウも殿下も、こうなったら引くような性格じゃない。だから、この場に留まっていられる俺が、どうにかして……ああでも怒ってる猛獣みたいなオッサン達をどうやって止めてやりゃいいんだ!?
「う、うぅう、えっと……えっと……っ」
ああ、二人の動きが激しくなってきた。
もう声が獣の威嚇音と吼える声にしか聞こえない。
このままじゃ絶対にヤバい、だけどどうしたら……う、うう、冷や汗が出てきた。霧のせいでなんか余計に冷たいような……――――
「あっ……! そ、そうだ、水、ここには水がたくさんあるじゃないか!」
忘れてた。そうだよ、霧は水分だ。ここには水がたくさんあるんだ!
だったら俺に出来る事はただ一つ、ここはもう……!
「頼むから……っ、二人とも冷静になってくれ……!!」
両手を伸ばし合わせて、周囲の霧から水の曜気をありったけ集める。
その場を漂っていた霧かあ、薄らと青い光が分離して俺に集まり、次第に周辺の霧も曜気の動きに合わせてゆっくり流れ始めた。
その大きな動きに少し驚いてしまうが、今更止められない。
俺は大きな息を吸って――告げた。
「霧より生まれし水よ、猛る獣へ降り注げ――――出でよ【アクア】!!」
そう、叫んだ。
……が。
――――あ、あれ。あれ? イメージしたのに、出ない。
どうしたんだろうか、と、息を飲んだ瞬間。
「う゛ぁあ゛ッ!?」
鼓膜が内側からドッと膨らむような嫌な音が聞こえたと同時に、俺の手から一気に蔦のような青い光る紋様が浮き上がり、腕を伝って這い上がってくる。
もう既に肩のあたりまで伸びたその【黒曜の使者】の能力を使う時に発言する蔦は、何故か今回だけは俺にビリビリとした嫌な痛みを伝えてきた。
な、なんだこれ。ビリビリする、痛い。
なんでこんな……!?
「――――~~~ッ!!」
ヤバい、耐え切れないかも知れない、と、歯を食いしばった。
それと同時に、蔦が更に強く光る。刹那――――
クロウと殿下の頭上に……巨大な水の塊が、一瞬で浮かび上がった。
「ッ!?」
その気配に気が付いた二人が咄嗟に上を向くが、もう遅い。
というか、俺がもう耐え切れなかった。
「ッぁああ……お、落ち着け二人ともーッ!!」
そう、叫んだと同時。
水の塊が、一気に二人に落ちた。
――――ばしゃん、なんてものじゃない、物凄い勢いの水音が周囲に響き、二人のオッサンめがけて落とされた水の塊が、その場に広がる。
ちょっとした水位を作るほどの量だったことに俺は目を丸くしてしまったが、しかし水はすぐに地面に染みこむと、そのまますっかり消えてしまった。
…………う、腕も治ったな……痛いのも消えてしまったようだ。
何が起こったのか解らないけど、まあいい。今は二人の事だ。
慌てて駆け寄ると、クロウも殿下もびしょ濡れになっていて……何が起こったのか今も理解出来ていないのか、俺を見たまま固まってしまっていた。
「あ……えっと……」
…………なんか居た堪れないな。
つーか、水で「頭を冷やせ」とかやった手前、なんか二人とも風邪ひきそうで心配になってきた。これは……ヴァー爺にお伺いを立てるべきだよな。
「ちょっ……ヴァー爺、タイム! ちょっとタイムですー!!」
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と、すぐに声が返ってきた。
「たいむってなんじゃー?」
あっ、やっぱり今までもずっと観察してたっぽい。
……ってことは、確実に私闘してるのも見てたって事だよな……ああ、ホントに途中でやめさせてよかった……。
ともかく、休憩時間をとって貰えるように頼まなきゃ。
俺は「タイム」のことを変な説明で取り繕いながら、ヴァー爺に事情を説明した。
→
※だいぶ遅れてしまいました…
(´・ω・`)すみませぬ……
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