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神狼鎮守タバヤ、崇める獣の慟哭編
9.とらえることの難しさ
しおりを挟む「ばかっ、お、おいやめろよ! なんで試練関係なく喧嘩してんだよ!!」
取っ組み合い、拳や爪を使ってお互いを傷付け合っている二人に慌てて駆け寄る。クロウは拳で対抗しているが、怒りんぼ殿下の方はと言うとクロウの方を確実に殺しに掛かっているのか、鋭い爪を使ってクロウの肌を引き裂こうとしていた。
思わず、今までずっと懸念して来た「暗殺」という言葉が頭をよぎる。
この戦いは「暗」というわけではないだろう。
だけど、相手が元から「殺したい」という意思を持って襲って来たのなら、その感情を隠すことは暗殺と同じだ。相手と真正面から戦う事こそが“誇りある戦い”であると思っている獣人同士の戦いなら、なおさら。
だから、今まで爪を使ってまでは牽制してこなかった殿下が、クロウを殺さんばかりの勢いで飛び掛かって行ったのを見て、ゾッとしたんだ。
このままだと、クロウがタダじゃすまないって……。
「やめろって、なあっ! そんなことしたらダメだって!」
クロウが殺されるわけはない。だって、クロウは強いんだ。
解ってても、自分の大事な仲間が理不尽に傷付けられる事に体が強張る。何度も大変な冒険をして来たのに、それでも目の前にある危機にはいつまで経っても慣れなかった。いや、慣れるはずがない。
大事な奴が傷付けられるのは、誰だろうと、どんな世界の奴だろうと嫌だ。
例えクロウが俺よりも強くたって、傷付いているのを黙って見てるなんて出来るワケがないだろう。しかもこんな、殺意を籠めたような攻撃の仕方……!
「ガァアアッ!!」
「ッ、もっ、やめっ……ばかっ、やめろバカぁっ!!」
砂煙を巻き上げながら左右に横転する二人を見て、俺はなんとか怒りんぼ殿下の背中に飛び掛かる。再びクロウに振り上げようとしている手を掴んで制止しようとするが、しかし殿下は鬱陶しげに唸ると、そのまま腕を振って俺を吹っ飛ばした。
ぐる、と、視界が回転して背中を強かに打つ。
……なにが起こったのか一瞬分からなかったけど、腕の力だけで地面に投げ落とされたんだ。今になって痛みが背中から伝わってくる。
痛い、けど、うずくまってなんていられない。
耳全体がどくどく言ってて、体中がカッカして、痛みよりも焦りが激しくなる。
きっと、変な興奮で痛みを感じなくなって来てるんだ。いつもなら怖い事だけど、今の俺にはありがたい。こうでもないと、殿下を止められないから。
「やめろって……っ!!」
何度も、なんども飛び掛かる。
突き飛ばされたり振り落とされたりして、何度も地面に体をぶつけるけど、そんなの構っていられない。「やめろツカサ」とクロウが叫んだ気もするけど、俺以上に鋭い爪の傷でボロボロになっているクロウを見ていたら、やめるわけにはいかなかった。
なにより、俺は自力で回復できる。死んでも死なない体なんだ。
だったらこんな時に使わなくていつ使うんだ。これ以上クロウが傷付けられないためにも、なんとしてでも殿下を止めないと。
――――けど、何度やっても止められない。
傷ばかり出来るのに、殿下はいつまで経ってもクロウとの取っ組み合いをやめようとしなかった。これじゃ本当にクロウが参ってしまう。
いくらクロウが強くても、クロウは本当は争い何て望んでない。
そういう戦いじゃ、どうしたって殺意が強い方が有利になる。なりふり構わずに相手を殺そうと動くからだ。そんなんじゃ、クロウだってどうなるか。
どうにか。どうにかしないと。
「……っ、ぅ……そ、そうだ……曜術……っ」
カーデ師匠に叩きこまれた、木の曜術。あの海洞ダンジョンがあった【シムロ】という海の街で、やっと自分のものに出来たような気がした術【レイン】での拘束で、何とか殿下を抑えられるかも知れない。
だけど、この場には植物が無いんだ。
しかも大事なバッグも預けていて、弾が無い。
満身創痍なうえに、ここ最近全く【黒曜の使者】の力を使っていなかった状態で、俺に拘束できるのだろうか。そんな不安がよぎったが――――
こんな状況で、四の五の言ってはいられなかった。
「た、頼むから発動してくれよ……!」
土下座をするように両手を大地に突き立て、少し先で依然として戦っている二人の姿を見据え力を籠める。
木の曜術は、五曜一命【怒静優楽猛】のうち優しさを力の根源とする術だ。
焦る心を抑えて、クロウを守る事だけを考える。守りたい気持ちを強く保ちながら、俺は今できる精一杯の強いイメージを思い浮かべた。
――俺の掌から全身に、緑色の綺麗な光が駆け上って行く。
「我が力を使い、不毛の大地に根ざし争いを止めろ……!
【グロウ・レイン】――!!」
大声を出した肺が、ぎりぎりと痛み喉から咳が出そうになる。
それを必死に押し殺してクロウ達を凝視した、瞬間。
俺のすぐ目の前の土が一気に膨らんだかと思うと、何本もの太い蔓達がぼこぼこと這い出し、体をうねらせながら姿を現しすぐさま目標へと伸びた。
薄霧を鈍い色に染める砂煙を裂いて、その場にそぐわない鮮やかな緑の蔓が、俺の意思通りに上手く怒りんぼ殿下を捕える。
「やった……っ!」
鋭い爪を伸ばした腕が、振り上げた形で蔓に捕らわれる。
確かに掴んだ感覚に体が震え、その俺の勢いに押されるかのように残りの蔓達が怒りんぼ殿下の体を拘束した。その巨体が、一気にクロウから引き剥がされる。
が、ことはそう簡単には行かなかった。
「――――――ッ!!」
「っう゛!? ぐっ……!!」
殿下が喉を曝し口を開いた刹那、雷に打たれたかのような衝撃が走る。
耳が金属音でいっぱいになって何も聞こえなくなり、体がビリビリと何かに支配されたかのように硬直していた。
――な、に。
なんだ、これは。
数秒、いや、数秒も考えたのか分からない。だけど、すぐに気が付く。
これは衝撃じゃない。いや、衝撃だけどこれは……声だ。殿下が発した獣の咆哮があまりにも強大で俺の体が射竦められたんだ。
このままだと、ヤバい。
本能でそう感じてすぐに蔓に力を籠めようとしたが。
「グアァアアア!! ア゛ァ゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛!!」
痛い、い、ッ、あ゛、痛っ、ぅ゛、い゛、痛い……!
相手が抵抗すればするほど痛みが伝わる術だが、覚えのある痛みじゃない。蔓を一気に千切ろうとする凄まじい腕力が加わる度に、俺の腕が悲鳴を上げる。
大地に爪を立てるが、もうどれだけ土を握り締めているのかわからない。痛い、腕がビクビク震えている、ぶち、と、嫌な音がしたような気がするが、殿下から目を離す事は出来ない。気を逸らしたら一気に持って行かれる、拘束できなくなる……っ!
「ツカサ、もういい! 良いから離せ!!」
クロ、ウ……の、声が、聞こえる。
痛みで脳が焼き切れそうで、腕が言う事を聞かなくなりそうで、もう襲い来る痛みに耐え切れずに体が震えて、とまらなくて。
汗と涙でヒリついた目が見る先で、クロウが暴れている殿下を必死に抑え込もうとしてくれていた。でも、そんなの駄目だ。
今の状態で殿下をクロウに托したら、今度こそクロウが危ない。
捕えたせいで、相手は激昂状態になってる。事態を呑みこめている野かどうかは俺には分からないけど、でも、拘束されて確実に激怒してるんだ。
そんな状態の殿下をクロウに任せるなんて、俺は……っ!
「お前かあぁあァア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛!!」
「――ッ!?」
怒声が、こっちを向いた。
――――と。
「えっ」
目の前に、なにか。
赤い――――
「この家畜メスがぁあ゛あ゛ア゛!!」
耳が、罵倒で聞こえなくなっって。
急に目が、空を見た。
………………いや、ちがう。
これは、俺がふっ飛ばされて、それで。
「ぁ゛……――ッ!! ~~~~ッ!!」
どん、と、体に痛みが走る。
打った、地面に打った。痛い、体が痛い、全部痛い痛い痛い……!
「ツカサ!!」
「グゥウ゛ウ゛ウ゛……!!」
音が、怖い音がする。
だけど目を開けていられない。霞んで、痛みが、痛くて。
体中が痛い、腕が、腕も、もう。
「うぅう゛う゛う゛う゛う゛……!」
誰の唸り声か、もう分からない。自分が痛みで唸っているのかも知れない。
でも、痛いのがずっと治まらない。痛くて、これは、なんの、どの痛み。
もう意識が、いや、だめだ。
何で、なんでダメ?
だめ……ああ、そう。そうだ。俺、今、クロウを……っ。
「ツカサから離れろ!!」
強い。
つよい声が、聞こえる。
その声に被って――――なにかが、聞こえて。
「チッ」という舌打ちの音と一緒に、俺の体は急に浮き上がった。
ああ、風が体に当たる。それすらヒリヒリして、痛い。早く、早く治さないといけないのに、目が回ってるみたいで、体もフワフワしてて、俺。俺は。
「ツカサ!」
揺れる。
声が遠くなって、揺れて、そうして、なにか。
何か、とても……綺麗な音が、かすかに聞こえて。
「…………ぅ……」
目の前が、暗くなる。
………………。
ああ……。
………………あ、れ……ぁ……。あれ……?
俺……ああ、そうだ。俺、うわ、やばい。一瞬気絶してたのか。
急に、頭が冴えてきたような気がする。痛みが一周回ったのか。そういえば、体の痛みが少し和らいでいる気がするぞ。
でも喜んでる場合じゃない。
クロウがどうなったのか分からない。
一瞬でも目を離したら、怒りんぼ殿下がクロウをどうするか分からなくなるんだ。
さっきより酷い事をされていたら、正気で居られる自信が無い。早く。早くこの重い瞼を開いて、体を起こさないと……。
「ぅ゛……ぐっ……うぅ……っ」
い、痛い。
体が動かない。起き上がろうとすると痛みで体がぎしぎしと軋む。
腕が一番ひどくて、動くと傷が開くのを感じた。……どうやら俺の【グロウ・レイン】は、怒りんぼ殿下の力に負けてしまったらしい。全ての負荷が帰って来てしまったのだ。
そりゃ痛くて当然だ。だけど、腕を使わなきゃ起きれない……っ。
「っ……」
なんとか苦心して、起き上がる。
だけど目の前は暗くて……そこで、ようやく俺は自分が目を閉じているのではなく、周囲が暗いのだと気が付いた。頭がぼーっとしてて、最初は判らなかったんだ。
でも、どうしてこんなに暗く。
まだ夜になる時間じゃ無かったと思うのに。
「……起きたようだな」
「ッ……!?」
今思っていた相手とは違う声が、背後から聞こえる。
咄嗟に振り向く……ことは出来ず、ぎこちなく体を動かして振り返ると。
そこには……薄暗い岩を背景にして火を焚いている殿下の姿が有った。
「ぁ……」
ここは、洞窟……か……?
どうりで暗いわけだ。でも、この暗さは恐らく洞窟だからってだけじゃない。
やっぱり周囲が暗くなっている。夜になってしまったんだ。
ということは俺は、あれから自分でも分からぬ間に気絶してしまってたワケで、そうしたら、クロウ。クロウは……っ。
「……誰を探している」
「く……クロウ、は……っ」
掠れた声で必死に問いかけると、何が気に障ったのか怒りんぼ殿下は不機嫌顔を更に不機嫌に歪めて俺を睨んだ。
「もう夜だ。夜の間は試練も中断される。あの惰弱なオスは向こうの洞窟だ」
「……ぶ、じ……なのか……」
「痛めつけた体が無事と言うのなら無事だろう」
むかつくことを言う。
だけど、それならきっとクロウは生きている。あの時だって俺の名を呼ぶ声を張ってくれたんだ。絶対に無事なはず。だったら……良かった。
…………。
いや、待てよ。段々と頭がハッキリしてきたぞ。
俺と殿下が今洞窟に居て、夜で、クロウは「向こうの洞窟」にいるってことは……。
一日目は、殿下が自分の陣営に「エモノ」である俺を持って帰って来た……つまり、殿下が優勢の内に終わってしまったってコトか……?!
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でも……このままじゃ、きっと……クロウはこの人に蔑まれたままだ。
どうしよう。どうしたら良い?
でも、獲物の役目である俺にはどちらの贔屓も出来ない。
「…………クロウ……」
口の中で呟いて、洞窟の入口を振り返る。
外の風景は薄霧のせいで真っ黒に塗り潰されていて、クロウが休んでいるのだろう向こう側の洞窟に、光が灯っているのかどうかも確認出来なかった。
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