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豪華商船サービニア、暁光を望んだ落魄者編
30.貴方がいるならきっと怖くない
しおりを挟むクロウが空気を振動させるほどの鋭い咆哮を上げる度に、俺達の周囲に橙色の光の粒子が飛び散り、視界の先に尖塔のような岩の飛び地が次々に現れる。
その導線をクロウとブラックは躊躇いも無く飛ぶように駆けて、あれだけ遠い場所に見えていた船への距離は急激に近付いていく。
クロウは海上の重い鉄球を引き摺っていると言うのに、それでも驚くほどの速度で走り、水飛沫を上げる巨大な蔦の塊をうまく操っている。下手をすれば着地している飛び地に触れて破壊しかねないのに、まったくもって器用だ。
獣の姿でもこんな風に動けるクロウは、本当に凄い。だけど、クロウにばかり頑張らせるワケにもいかない。俺も蔓が千切れないように木の曜気を蔓全体に流すように努めながら、サービニア号を見据えた。
――――まだこの位置からは把握出来ないが、船の表面自体に変化はない。
だけど、俺達を殺すために機関部の金属の一部を排出したしたってことは、リメイン――いや、デジレ・モルドールは船を動かす気はさらさらないはずだ。
閉じ込められる前、アイツは【術式機械】をもってどこかに行くような事を言っていたから、ソレだけを何らかの方法で持ち出そうとしているのかもしれない。何故そんな事をするのか分からないけど……でも、どのみち船を動けなくする事は確かだ。
そんなことされたら、今度こそ船が航行不能になってしまう。……いや、今の状態で充分にヤバいんだけど、でも肝心要のモノを持って行かれたら何とか動かすことすら出来なくなるんだ。とにかく、船の動力を奪われないようにしなければ。
……でも、デジレ・モルドールは俺達が到着するまでそこに居るだろうか。
もしかしたら、もう【術式機械】をどこかに持って行ってしまっているかも知れない。
そんな懸念につい顔を歪めていると、並走しているブラックが問いかけて来た。
「ツカサ君、ちょっと落ち着いたみたいだから聞きたいんだけど……あいつと何かを喋ってたよね? 何喋ってたの。アイツがデジレ・モルドールなのかい?」
「あ……そういえば、説明してなかったんだったな……」
「……ツカサ、大丈夫か?」
口に蔓を加えている上に大熊の姿なのに、人と変わらぬ声でしゃべって俺の事を気遣ってくれるクロウ。だけど、二人とも俺が何を話しているか知りたいのだ。
まだ心が痛まないでも無かったけど、説明するなら今のこの時間しかないと思い、俺は潮風に髪を乱されながら今までの事を説明した。
いつも目の下に隈が出来ていて不機嫌そうだったリメインと仲良くなった事。
リメインが急に「お前を誤解していた」と謝って来たこと。それから様子がちょっと変になって、外に出ようと言い出して……機関部を訪れ、自分の正体を明かしたところまで……喋れるところは、全部話した。
……抱き着かれた事や、俺が何故リメインに怒られてそれから仲良くなったのかという所は、説明しないでおいた。二人が変に気にするのも嫌だったし、なにより……俺が給仕係の時だけじゃなく何となく厨房支配人にイビられていたことを知られたくなかったから。でも何となく俺が何かを説明していない事を察したのか、ブラックは何とも言えない顔をしていた。
「…………なるほどね。アイツは乗船した時からもう計画を開始してたんだ」
「ど、どういうこと?」
「目の下に隈が出来ていたり気分が悪そうだったのは、恐らくあの部屋から船全体の金の曜気を掌握するために、常に己の曜気を船体が持つ金の曜気に混ぜる作業をずっと続けていたからだ。【皓珠のアルスノートリア】なら、僕ら【グリモア】の【白鏐】と同じデタラメな事ができる。もちろん時間はかかるだろうけど……船体の金属を伝い外側からじわじわ支配していけば、【術式機械】に己の曜気を伝わせる事も出来る。そこから曜気を引き上げて自分の中に取り込んでしまう事も可能だ」
リメインが常に不機嫌だったのは、そういうことだったのか。
金の曜術師は、基本的に対象の金属に自分の体内で「自分の色」をつけた曜気を当てて、自在に金属の形を変える術を使う。
だからさっきブラックも「掌握出来る、出来ない」と言っていたんだ。
つまり、自分の「曜気」が触れられる場所に金属が……金の曜気があれば、それらに己の曜気を注ぎ込み自在に操る事が出来る。
いわば、陣取りゲームやオセロみたいなものだ。
船の金属の一部を曜気で支配する事が出来れば、そこから己の曜気を伝わせて他の金属を侵食し支配を広げる事が出来る。……もちろん、普通の曜術師ならすぐ力が尽きてしまい、永続的に支配することは不可能だが……
【魔導書】を持つ曜術師なら、そんなことも身一つで出来てしまう。
…………リメインも、きっと最初から船を乗っ取るつもりで、常時曜気を注ぎ続け、サービニア号を徐々に支配して行ったんだろう。
金属を支配してしまえば、凄腕の曜術師ならその金属に反響して来る声なんかも聞き分けることが可能だと言う。たぶん、だけど……俺がギャンギャン言われていて一人で落ちこんでいる姿も、リメインは金属伝いに知っていたのかも知れない。
だからあの時……リメインは、俺に「誤解していた」と謝って抱き締めて来たんだ。
――リメインは……デジレ・モルドールは、領民に尽くそうとして命を落とした。
だが彼が目覚めた時には全ての物が失われてしまっていた。大事な物も消えて、力を認められたはずがそれすら「無かったこと」にされて、領地も消えて。
彼が「頑張ったこと」は、全て消えてなくなってしまっていたのだ。
……俺と同じで、何を頑張ったって誰も認めてはくれなかった。
たった一度のハプニングだけで評価が変わっただけで、俺の頑張りを評価する心を持った「仲間」は給仕係達の中には居なかったのだ。
俺は、それが地味に辛かった。人に見せるもんかとは思ったけど、落ちこみもした。
それを彼が盗聴していたとしたら、俺に対しての評価を変えるのも納得だ。
だって、モルドールも同じような悔しさを味わったのだろうから。
「だけど……なんだか解せないな。あのリメインとかいう男がデジレ・モルドールだとしても、アコール卿国での贋金騒動や、ゾリオン城で姿を偽って祝宴に出席しようと出向いていた理由はなんだ? 目的があるんだとしても、今【術式機械】を持ち出す理由と絡まないような気がするんだけど」
潮風に赤くうねった長い髪を靡かせながら、ブラックが不可解そうに言う。
確かに、俺もそこは理解出来ない。彼の行動は無軌道すぎる。
贋金が国家転覆を狙ったものだとしたら、祝宴に出てくる意味が分からないし、船に乗って【術式機械】を奪う理由も分からない。
かといって別の理由なども思い浮かばず、俺とブラックには先ほどリメインが語った“昔話”から何かを推測する事が出来なかった。
だが、クロウだけは違ったようで。
「…………名誉と地位の挽回、か」
口を動かさずポツリと呟いたクロウに、俺とブラックは目をやる。
だが橙色の目をした熊の横顔は正面を向いたまま動かない。
「どういうことだ?」
問いかけるブラックに、クロウは静かに返す。
「オレには、なんとなく理解出来ないでもない。……ツカサの話からすれば、あの男は自分の境遇を『何もかも奪われた敗北者』だと思っているように聞こえる。元々は貴族として地位を戴いていたのであれば、それがどれほどの権力であり、己の身を誇らしい物だと証明するものか味わっていたはずだ」
その答えに、ブラックは無精髭の顎をぞりぞりと擦って片眉を眉間に寄せる。
納得したようなしていないような、微妙な顔だ。
「つまり、また美味しい思いをしたいがために、昔の地位に戻ろうとあがいているってことか? ……まあそれなら、贋金騒動で国を動揺させた状態で滑り込もうって言う魂胆だったとか、研究で地位を貰うために金ろうとして贋金に手を出したと考える事も出来るな……」
「じゃあ……全部、アコール卿国で爵位を貰うためだったってこと……?」
「嘘だろ、そんな事の為に国一つ傾ける犯罪をやらかしたってのか?」
そんな理由が、真実だとでもいうのだろうか。
まだ【術式機械】を持ち出そうとする理由が説明出来ていないけど、あの“昔話”や、リメインが俺に対して「一緒に行こう」と誘うまで態度を軟化させた理由を考えると、彼が「自分は不当に貶められた」という気持ちを持っていることは確かだ。
だとしたら、貴族としての爵位を取り戻し名誉を回復しようと思うのも、リメインの時に見た彼の真面目そうな性格が本物であるなら理解出来るけど……。
でも、本当にそれが真実なんだろうか。
戸惑う俺の動きを感じ取ったのか、クロウは熊耳を軽く動かして続けた。
「……志が高ければ高いほど、己が納得できない理由で失墜させられた時に『不当な扱いだ』と憤るものだ。一度でも貴族であったのなら、自分の矜持を傷つけられて領地も奪われたことに我慢出来なかったはずだ」
「…………クロウ……」
「地位を持ち、己の成すべき事を正義と信じたものほど……悪意によって守りたい物全てを蹂躙された時に、悪魔も恐れぬ蛮勇と化す。その時狂っているかどうかなど、その者にはもう理解しようも無い。ただそこには妄執が残っているだけだ。……あの男は、狂っているのだろう。だから、名誉を取り戻すために罪を犯したのだ」
「そこまで重要な物かね、名誉ってのは」
近付いてきたサービニア号を睨みながら、ブラックが言う。
その言葉に、クロウは何も言わなかった。
まるで、ブラックの言葉を己に向けられたものだと思い深く考えているかのように。
「まあなんにせよ……僕達がアイツと戦う事に変わりは無い。……とはいえ、船の上で戦われると何かと厄介だ……なんとかアイツから船の曜気を引き剥がして、こっちの力で掌握しないといつまでたっても勝ち目はない」
「そ、そんなのどうすれば……」
船全体が既に支配されているとしたら、どこから攻撃が来るか分からない。しかも他の人に被害が及びかねないし、なにより迎撃したら船が壊れてしまう。
どうしたって、俺達には不利だった。
船が完全にアッチの物になっているとしたら、俺達に奪還できるのだろうか。
そもそも、どうやって取り戻すんだ。俺達は金の曜気を扱えないし、頼みの綱であるブラックも【皓珠のアルスノートリア】には敵わないって言ってるんだぞ!?
巨大なうえに攻撃したら破裂する危険な怪物と戦っているようなものなのに、それを倒すなんてどうすりゃいいんだ。
思わず顔を歪めてしまう俺に、ブラックは少し目を逸らしたが……一つまた飛び地を軽く飛んで、俺達より一歩先を走りながら言った。
「…………一つだけ、方法がある。……乗客を全員避難させた後……僕が、船全体の金の曜気を奪う。……一時的に耐久度が紙くず程度に落ちるけど、すぐにツカサ君が金の曜気を満たしてくれたら恐らく損傷なく復活できるはずだ」
「船全体の曜気を奪う? そんなことができるのか」
驚いたように熊耳をピンと立てて言うクロウに、背を向けたままブラックは続ける。
「出来る。……本当は、あまり使いたくないし……暴走しない保証も無い。一か八かの危険な手段だ。でも、アルスノートリアに対抗する術は……もう【絶無】しかない」
――――絶無。
どこかで聞いた事があるような気がする。
何の単語だったか思い出せないけれど……ブラックの背中が、何故かその言葉を吐きだす事を凄く嫌がっているように感じた。
ブラックは、本当なら“それ”を使いたくないんだ。
だけど、自分達に出来る事はもうこれ以上存在しない。苦肉の策で、成功するかも保証が出来ないものを使うしかないほど追いつめられているんだ。
敵は……あの【アルスノートリア】は、それほどの存在だから。
「……ブラック……俺、一緒にいるから」
「…………ツカサ君」
立ち止まって、ブラックがこちらを振り返る。
どこか、不安そうな菫色の綺麗な瞳。表情は何も表してはいないけど、その顔だけでもう、相手がどれほど心細いのかを感じ取ってしまい俺は頷いて見せた。
「アンタが足手まといだって言っても、連れて行って貰うからな。……だから……俺が万が一、金の曜気を伝えきれない時は……
その時は――――俺を、アンタが【支配】してくれ」
覚悟を決めた俺の言葉に、ブラックが目を見開く。
【黒曜の使者】は、全ての属性を使う事が出来るチート能力の他に、過去の神々によって付加されたおぞましい「呪い」が存在する。
一つは、使者を守る役目から貪る役目へ変化させられてしまった【グリモア】達に、曜気を好き勝手に奪われても抵抗できず……それを快楽に変換してしまうこと。
一つは、不老不死とも言われる能力を、唯一【グリモア】だけが殺せるということ。
そして、最後の一つが……――
【黒曜の使者】は【グリモア】に“真名”で命令された時、その真名を発したグリモアの命令だけを忠実に実行する人形として――――【支配】されてしまうことだ。
……つまり、俺の意識は全てブラックの意のままになる。
そこに俺の「つらい」という思いや「出来ない」という嘆きは存在しない。ただ、相手の望む事を実行するだけの存在になるんだ。
正直、怖い。
俺は【支配】された時の記憶が無い。もし悪い奴に【支配】されたら、俺は罪も無い人を簡単に殺してしまうだろう。戦いに慣れたとは言っても……そんな現実、絶対に耐えられそうにない。自分が何をしていたか判らないのは、本当に怖かった。
だけど、アンタなら。
俺に……この指輪をくれたアンタなら。今、自分の力を暴走させないかと怖がっているブラックが、俺を「使ってくれる」なら……俺は、怖くない。
「ツカサ、君……」
「俺が、アンタが暴走しないように見てる。……だから、俺がヘタれてどうしようもない時は、アンタが……俺のケツを引っ叩いてくれよ」
ブラックが何を恐れているのか分からない。
けれど、俺と旅をしていてずっと、アンタは俺の前では何かを抑えようと必死に戦い抑え込んできた。それだけの胆力が有るんだ。なら、一人じゃ無理なことでも、一緒に居ればきっとどうにかなる。成功するはずだ。
だから、俺は反対にアンタに自分を委ねる事にする。
きっとそうでもしないと、あの巨大な船を奪還する事なんて出来ないだろう。
掌握だって、ブラックの力を借りないとうまく制御出来ないに違いない。
もし俺自身の力でどうにかならなくても、ブラックなら絶対に俺を使いこなしてくれる。嫌なコトなんてしない。アンタが何に怯えているのかは知らないけど……でも、俺はそれだけはハッキリ言える。
それだけ信頼しているんだってことを、どうしても伝えたかった。
「…………あは……ツカサ君たら、もう……敵わないなぁ……」
ブラックが、情けない顔でふにゃりと顔を笑っているかのように歪める。
その顔に俺は何故か胸が痛くなって、シャツの中に隠れている指輪を握った。
「ムッ……ツカサ、ブラック、船の上を見ろ!」
「えっ!?」
急にクロウが声を上げる。
その大声に突き動かされるかのように咄嗟に船を見ると、もう間近に見えているサービニア号の甲板に青い光が一瞬見えた。
あれは曜気の光ではない。長く光って轟音が響いていた。そんな青い光を発する事が出来るものなんて……一つしかない。
「ロクが戦ってるのか!?」
「わからんが、とにかくマズい状況なのは確かだ。ツカサ、この球体は砂浜に置いて行くぞ。まず船の上に飛び乗らねばならん! ブラックもオレの背中に乗れ!」
「チッ……ここから跳べるのかお前!」
クロウの合図とともに俺は自分の手から蔓を切り離す。途端、クロウは首を大きく振って、砲丸投げのように球体を飛ばし島の砂浜に打ち上げてしまった。
どん、と大きな音がしたが、今はそれに構っている暇はない。
俺の後ろにブラックが乗って来たのに、クロウは大きな熊の鼻先を少し覗かせて、ニヤリと笑って見せた。
「オレを誰だと思っている。海に大地を突き立てる誇り高き戦士だぞ!」
そう言うと、クロウは最後の飛び地に留まり一際大きな咆哮を放つと、その場で軽々と跳び上がる。俺とブラックが乗っても余るほどの大きな体が空に浮きあがり、俺はブラックに抱えられた。刹那。
どん、と下から大きな大地が植物のように生えてクロウの足を突き上げ、その体を更に高い空へと打ち上げたではないか!
「うわぁあ!?」
「しっかり捕まっていろ!!」
唸り声と共に叫んだクロウが、空中で四肢を下へ向ける。
と、間も無く両手両足を支えるように空中に小さな岩の足場が出現して、クロウは落下する前にそれらを物凄いスピードで蹴り出し前進した。
「ああああああ!!」
「な、なんつう力技を……!!」
ぐんぐん船との距離が縮んでいく。
あまりの荒業にブラックにしがみつきながら船の甲板を見やると、そこには。
「あっ……! ろ、ロク……!!」
「なんだ、アレは……檻……?!」
甲板の上には、巨大な檻がある。その檻の中には沢山の人が捕えられていて、中には見知った人が多数いる事が分かった。
だが、その巨大な金属の檻は彼らを守るためのものでは無い。
檻の前には本当に小さな黒光りする体の守り主が居て、その守り主が必死に青炎を吐き出して迎撃している反対側には……――――
「リメイン……」
無数の金属の触手を背後に従えた……敵の姿が、あった。
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