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大叫釜ギオンバッハ、遥か奈落の烈水編
12.「特別」な囚人1
しおりを挟むずっと暗い穴倉の中にいて、同じ作業や同じ食事ばかり繰り返していると、今日が何日目なのか解らなくなる。
そもそも俺は学校に行く事で曜日を確認しているようなレベルなので、こんな風な状況になってしまうと、もう三日目以降から「あれ……今日何日目だっけ……」とか記憶が怪しくなってしまっていて、オッサンに逆に問いかける有様だった。
「オッサン、俺がここに入ってから何日目だっけ」
「…………」
「なー、おじさん、なーっ」
「だーっうるせぇな五日目だよクソガキ!!」
バカがバカ曝してないで作業しろ、と怒鳴られてしまった。
しかしやっぱり、このオッサンは面倒見が良い。俺を「でぇっきれえだ」と言うのに、やっぱり色々な場面でさりげにガードしてくれるし、会話もしてくれる。
生身の人に属性を付けるのは失礼だと解ってはいるものの、これはまさに“昭和の頑固おやじ系ツンデレ”なんじゃないんだろうか。
まあオッサンなんだから、日本だと昭和生まれってことだし当然だよな。
でも、俺の父さんはこんな漫画みたいな分かりやすいツンデレとかないけどなぁ。どっちかって言うとノホホンとしてるし……中年太りだし……いや、そうではなく。
とにかく、この八十一番の頭かんぴょうおじさんは、悪い奴ではないんだろう。
あ、いや、根はって事だぞ。本当に悪い奴だったら困るから「根」だけな。
そう言えば俺、このオッサンが本当に凶悪犯罪者なのか否かとか未だに知らないんだけど、なんで普通に会話しちゃってるんだろうか。もしやこれがツンデレパワーと言う奴なのか。お、恐るべし属性持ち……。
「オッサンなんかスゴイっすね」
「あ゛? わけ分かんねえ事言ってねえで、とっとと鉱石渡して来い!」
「ちょ、ちょっと待って下さい、まだあるんで!」
何の気なしに褒めたらすぐこれだ。
照れてるのも有るんだろうけど、常時こんな感じだったらそら他の囚人にも遠巻きに見られるよなあ。いっつも不機嫌そうな顔をしてるし、イライラしてるし……。
たったの数日一緒にいるだけだけど、それでもこのオッサンの声が不機嫌だったり怒鳴り声だったりしない時がないってのが充分知れるんだ。愛想の欠片もないオールデイズ狂犬状態じゃ、極悪人も近寄ろうとは思うまい。
幸い俺は面倒臭いオッサンとずっと一緒にいるから「別種の面倒臭さだな」と納得出来たけど、他人から怒鳴られるのに弱い人なら耐えられなくても無理はない。
ここに女の子がいなくて良かった。さすがに女子に怒鳴ってたら俺も怒る所だ。
ゴホン、閑話休題。
まあ俺は「世話を焼いて貰っている」と見せて貰えただけ、ありがたいのかもな。
相手の内情を知っていれば、こういう面倒な態度に対応する余裕だって生まれる。どうせなら、ルームメイトとはそれなりに良好な関係になっておきたいし……分かりやすく示して貰えたのは、俺にとってはラッキーだったかもな。
つーか、誰でもそう思うよな、このオッサンもそう思ってるはずだよな。
いくら犯罪者でも、同じ穴のムジナなら出来るだけ穏便にやろうと思うはず。
外国の刑務所みたいなバチバチの派閥争いは勘弁だぞ俺は。
「おい、十六番と八十一番」
「はえっ、ぁっ、は、はいっ」
ぶつぶつ考えていたら、一号監督が何やら人を連れてやってきた。
あれは……一号監督と服装が違うな。事務の人かな、最初に俺を案内した兄さんに似ているような気がする。
どうしたんだろうかと首を傾げていると、二人は何やら紙を張り付けた板っぽい物をチラチラと見ながら、俺とオッサンを見比べた。
「…………何の用だ」
控え目に問いかけたオッサンに、監督はいつものごとく姿勢よく立って答えた。
「お前達二人、最近は目に見えて採掘成果が増えているようだな。その働きに主様も非常に感動しておられる。……ということで、お前達には特別報酬……八十一番には記念すべき二十回目だな。その報酬を与える」
「報酬? ってあのー……ここに来た時に言ってたヤツですか」
つい喋ってしまうが、監督は別段怒る事も無く頷いた。
この採掘場は刑務所みたいに「囚人の発言は許さん!」レベルの厳格さじゃなくて良かった。しかしこんなに早く報酬が貰えるなんて思わなかったな。
手を止めオッサンと一緒に監督に近付くと、一号監督は特別報酬の内容を横に居た事務官に答えさせた。
彼の言う所によると、報酬と言うのは「娼姫を特別室に呼ぶこと」や「食べたい物の配達」などの三大欲求を満たすためのものに始まり、今使っている物よりも上等な寝具の支給や一定期間快適な別室での休息など、わりと多岐にわたった。
ここには娯楽が無く、掘って食って寝てばかりなので、こういう報酬で発散させているのかも知れない。……とは言え、娯楽を握られてると思うと少し怖いが。
「……で、お前達が望む物は何だ? 外出は出来んがこの中でなら叶えてやろう」
監督にそう言われたが、俺はもう欲しい物は決まっていた。それは――――
「風呂付き特別室に一泊!!」
「いつもの風呂だ」
そう、お風呂に入れるという特別室ご優待の権利。ただ一点だけだった。
正直もう俺は限界だ。自分の汚さに限界だったのだ。
だって、俺採掘場で働いてるんだぞ。汗水たらしてんだぞ。
警備兵に捕えられてからずっと、俺は一度も水すら浴びておらず汗だく労働中だ。つまり、今非常に女子に顔向けできない状態なのである。このままでいいはずが無いだろう。俺は耐え切れない。もう風呂に入ってさっぱりしたかったのだ。
他人の汚れは別に気にしないし全然それで良いんだけど、俺は現代人なので、自分自身の汚れに対してだけは耐え切れない。
だからこそ、とにかく今は汗や土っ気を洗い流してアカを落としたかった。
しかし、その返答に監督と事務官さんは少々驚いたようで。
「十六番、おまえ本当にそれで良いのか? お前くらいのトシなら娼姫一択だろう」
「身綺麗にしないと女の子に顔向けできませんのでっ!!」
まあ二人が「エッ」となる気持ちは分かる。
俺の年代と言えば、風が吹いても勃起するスケベに情熱を注ぐ年代だ。
エロい一文だけでの妄想オナニーなど余裕な俺としても、生の女体への情熱は捨てきれない。彼らの思う通り、正直に言えば娼姫と遊びたい気持ちはあった。
というか、許されるなら娼姫のお姉さんとしっぽり脱童貞したかったのだ。
なんなら見抜きでもいい。とにかくぱふぱふされたい。いや、その、ともかく。
そんな血気盛んなお年頃なので、大人のオッサン達がそういう態度になる事も納得出来たが、しかし今はそんな場合ではない。
この状況で女体に溺れるワケにはいかないんだ。
つーか、ブラックに無断で娼姫と遊んだなんて知れたら、何をされるか分かんないし……脱童貞のチャンスは惜しいが、今は禁欲するしかなかった。
凄く残念だが。ひっじょおぉおおおに残念だが!!
「……まあいいか、特別室行きは報酬内で充分だ。残った金で酒でも買うといい」
「えっ、そんなに報酬あるんですか」
「十六番に関しては、あぶれ鉱石を高頻度で拾う行為が評価されているな。主様は、そういった取りこぼしを許さないお方だ。それもあってか、これほど早く特別報酬が出たのだろう。これは異例中の異例だぞ。詳しい金額は特別室で確認しろ」
そういう一号監督はちょっと得意げだ。何故かはわからんが、まあいい。
とにかく今から風呂に入れると思うと俺は舞い上がらずには居られ…………
「いやちょっと待って、オッサンと一緒!?」
「今頃気付いたのかクソガキ!!」
ぎゃーっ睨まないで怒鳴らないでくださーい!
振りかぶってはいないけど、腰の所で「殴りてえ」と震える握りこぶしが見えるのが怖いんですってば。何でアンタはこう暴力的というか怒りっぽいんだ。
「とりあず、もうすぐ作業終了の時刻だ。明日からは休息日に入るから、すぐにお前達を案内する。……八十一番、どうせだから特別室のことを教えてやれ」
「…………わかりました」
一応「監督」だからか、オッサンも声を抑えて了承する。
ああでも声が低いんですってば。めっちゃ怖いんですってば……。
風呂に入れるのは嬉しいけど、どうしてオッサンと一緒なんだろう。
いや一人ずつ入るのは分かっているが、風呂あがりの一番リラックスできる時に、この不機嫌そうなオッサンと気まずい空気でいたくはないよ流石に……。
「では、終業時間まで作業を続けるように」
そう言われて、再び監督達は穴倉から出て行ってしまったが、残されたオッサンと俺は、今更和やかな雰囲気で居られるわけもなく。
何故かさっきよりも強烈にイライラしまくるオッサンにビク付きながら、俺は無言の内に作業を進めて、あっという間に終業時間になってしまった。
――――採掘が終わり、いつものようにチェックの後で食事を済ませ、俺達は一旦相部屋へと戻る。
その間も無言の怒りを感じてビクビクしていたが、これは仕方が無い。
呼ばれるまで待機と言われたので、俺はオッサンの顔が見えないように素早く上のベッドへと転がり込んで、背中で自分の体を隠しながら股間に手を突っ込んだ。
……いや、うん、変な事をしようってんじゃ無くて。
「…………」
よし、うまいこと股間の所に張り付けておいた俺の「隠し玉」は無事だな。
手で触れる少々温まった小さな球状のソレは、まさに玉だ。しかし、これは金属で出来ているワケでもないし、変なモノでもない。
小さく細くともしっかりした木の幹のような蔓で覆われた球状の物は、その中に氷の球をさらに内包していて――――氷の中には、俺の「切り札」が隠れているのだ。
……そう。
その切り札とは、指輪。ブラックから貰った、俺の大事なお守りの指輪だった。
「ふぅ……」
ここ数日で確かめた事だが、どうやら金の曜術師は氷で内包された物の曜気までは認識できないらしい。手に持った氷漬けのクズ鉱石を見抜けなかったので、恐らくこの世界の「氷」は、曜気を遮断する性質があるのかも知れない。
妖精王が言うように「永遠と停滞」を司っているとしたら凄い事だが、とにかくこれで指輪を持ち歩いても平気になった。
問題は、股間で溶かしたらおもらしみたいになる事だが……まあその、いざって時には股間から取り出して握っていよう。取り出す時が凄い間抜けだが、仕方ない。
ツナギっぽい囚人服とは言え、この服にはポケットなんて一つもないし、他に隠す場所が無かったからどうしようもなかったんだ。他に膨らんでていい場所なんて無いワケだし……いや、股間が膨らんでるのもアレだけど。
ともかく、指輪を持っていられるならどこに行こうが安心だ。
最悪の事態が起こったとしても、俺が指輪を持ってさえいれば、ブラックとクロウがきっと助けに来てくれる。俺とブラックが離れ離れになる事は無いんだ。
だから俺は、出来るだけ元気でいて逃げるチャンスを窺っていればいい。
何も出来ないなら出来ないなりに、力は蓄えておかないとな。
「……おいクソガキ。聞いてんのかクソガキ!」
「うわっ!? は、はい!」
怒鳴り声に思わず振り返ると、そこには俺のねぐらを覗きこんでいる図体のデカいオッサンが。あっ、なんでそんな嫌そうな顔をしてるんですか。
顔を見返すだけでそんな顔をされるなんて酷い、と今度はこちらが不満を示すと、オッサンはチラッと俺の足の方を見て鼻の付け根に皺を寄せた。
「…………お前、娼姫を選べばよかったとか後悔してんじゃねえだろうな」
「えっ、な、なんでッスか」
「どうでもいいが、メス呼んで煩くすんじゃねえぞ。騒いだらブン殴るからな」
はあ? なんでそんな事を急に言うんですか。
意味が解らなくて顔を歪めたが、オッサンは深い溜息を吐くともう一度俺の足の方を見て「チッ」と舌打ちをしやがった。何でそんな事を、と思って、俺も自分の股間の方を見やると……あっ、股間に手を突っ込んだままだったっ。
慌てて手を抜いたが、オッサンの軽蔑するような顔は戻らない。
違うっ、ご、誤解ですっ、誤解なんですぅうう!
「おい八十一番、十六番、特別室に行くぞ」
「はい」
「うわぁっ、は、はいぃっ!」
ああっ、監督のお迎えが来てしまった。
スマートに歩くオッサンに続きベッドから転がり落ちて出る俺に、監督は「何をやっているんだ」と困惑したような顔を見せたが、立ち上がるのを待ってくれた。
うう……なんで監督の方が優しいんだ。普通逆じゃない監獄ものって。
まあ別にオッサンに助けを求めようとは思ってないけどさ……。
でも思いっきり軽蔑されて無視されるのは悲しい。誤解なのに。
いやでも股間に手ぇ突っ込んでたら誰だってそう思うか……はぁ……。
ションボリしつつ、俺はオッサン達と共に階段で上階へと移動し、しばらく小奇麗な廊下を歩いて――――なにやら厳重そうな鉄の両扉の前に立った。
この階は事務官とかの職員達が働くエリアみたいだけど、この扉は何だろう。
通っていいのかなぁと思っていると、また監督が誰かに連絡して扉を開けて貰い、中へと入るように促された。
重苦しい扉の向こう……というと採掘場を連想してしまうが、今回はそうでなく、なにやら洞窟とは思えない綺麗な廊下が見える。
まるでどこぞの洋館の廊下だなと思いながら、驚きもしないオッサンと一緒に監督の後に付いて行くと、廊下が緩やかに登り始めた。
これって……更に上の階に続いてるって事だよな?
まったくもって地理が解らないんだが、俺達はどこに行くんだろう。
首を傾げつつも、不可思議な上り坂を歩いたところでようやく道が平らになった。
と――――。
「あれ……窓……?」
そう、窓だ。廊下の片方の壁に窓が並んでいる。
どういう事だと進みながら外をちらりと見やると、なんと。
「えっ……こ、これ……滝……!?」
いや、ただの滝ではない。
滝は――――巨大な穴の中に水を落としている。この窓は、その様子を穴の対面の壁から見られる場所にはめ込まれているのだ。
夕暮れの光が上から降り注ぎ、飛沫をキラキラと散らす大瀑布。
その姿はとても美しいが、上を見ればここが巨大な落とし穴の中だとわかり、下を見れば巨大な滝壺が真っ暗な洞窟の中に流れて行く陰鬱な光景が見える。
こう言ってはなんだが、ここから見る景色は、水を飲み込む怪物の口の中のようで何だか不気味だった。
でも、これが恐らく――――ギオンバッハ大叫釜の姿なんだよな……。
「特別室での休息は、基本的に外に出る事は許されていない。ゆっくりと体を休め、今後より一層の貢献をするんだぞ」
並んだ窓から見える大瀑布を見つめていた俺の耳に、不意に監督の声が聞こえる。慌てて振り返ると、もう監督は立ち止まっていて、等間隔に並ぶ扉の内の一つを片手で開いていた。随分と豪華な扉だが、この中に入れというのだろうか。
迷っていると、オッサンに背中を押されて強引に部屋に入れられる。
振り返ると、監督は少し微笑んだような顔で軍帽のような帽子を軽く触った。
「あとで酒を持って来てやろう。十六番、お前はよくやっているからな」
そう言ったと思うと、扉が控え目な音を立てて閉まった。
「…………お前、えらく一号監督に気に入られてんじゃねえか」
「えっ」
「珍しい事もあるもんだ。……あの野郎、犯罪者は根っから否定するんだが……ガキみてえな顔してるおかげで得してんな、お前も」
なるほど、一号監督は俺が子供に見えるから少し優しいのか。
それは監督としてどうなんだと言う気持ちもあるが、まあここって異世界だし、俺みたいな囚人なんていなかったから、監督もどう接したらいいか解らないのかも。
俺だって、反対の立場なら何か気に掛けちゃうだろうしなぁ。
そう思ってまたもや考えてしまった俺に、オッサンは溜息を吐くと動き出した。
「俺は風呂に入る。説明は後だ」
「先に入るんスか?」
「うっせーな先輩優先なんだよ! だまってそこら辺で何か食ってろ!!」
ばこん、と頭を叩かれて、俺は思わず地面に沈む。
い、いだい。もしかしてここでは暴力オッケーなの。そんなバカな。
しかしそれを問いかけようにも、オッサンは俺など気にする事も無くさっさと風呂に行ってしまったようで。
「うぐぐ……じ、地面が柔らかい……」
殴られて膝をついたせいで、床に絨毯が敷かれているのを知ってしまったぞ。この手触り、柔らかさ、ひ、久しぶりだ。たまらん……っ。
「ふあぁ……や、やっぱり床最高……」
今まで冷たくて硬いものばっかり触って来たから、柔らかい感触に抗えない。
思わずそのまま突っ伏してしまい、俺は殴られた怒りも忘れ「特別室」を思う存分堪能してしまったのだった。
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