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大叫釜ギオンバッハ、遥か奈落の烈水編
詰問
しおりを挟むツカサが不当に連行されて……いや、拉致されて二日が経過した。
この街でのみ通用する天下御免の板切れも、こうなってしまっては最早自分達の事を繋ぎ止めるためのエサだとしか思えない。最愛の少年を奪われては、腹いせに何を食おうが飲もうが少しも満足感は得られず、苛立ちは募る一方だった。
現に今も、ブラックはイライラしている。
その理由は、目の前で大量の皿を積み上げながら浅ましく料理を喰らうケダモノの熊獣人を見ているからなのだろうが、そもそもこのむさ苦しい駄熊と二人きりで顔を突き合わせて食事をしているという事実からもう耐え切れない。
自分でも、沸点がいつもより低くなっているのを感じる。
何がブラックをそこまで苛立たせるのかと言われたら、ツカサと離されてから今の瞬間までの全てとしか言いようがなかった。
(ああ本当にイライラする……。仲間の証言は信用度が低いとは言え、目撃者が誰も居ないにも関わらず相手の言い分だけ鵜呑みにされているのが納得いかない)
最高級の酒を頼んだものの、ツカサが選んでくれる酒の味にすら及ばない。下賤な酒場にぴったりの低級な酒が出て来て、味に辟易しつつ煽る。
……冒険者に宛がう物とはいえ、それでもこの酒はこの店からすればそれなりの質の酒だったのだろうが、質の良い酒の味を知っている肥えた舌にはただの“旨味も無い焼け水”にしか思えない。
本当に何もかもが気に障るなと思いつつ、蜥蜴肉を干した肴を噛みながらブラックは溜息を吐いた。
「ム……まあそうイラつくなブラック」
「誰のせいで余計にイラついてると思ってんだクソ熊殺すぞ。ツカサ君が拉致されてもう二日も経ったってのに……」
酒場の古びたテーブルを指でタンタンと叩くと、向かい側のケダモノは無表情な顔を歪める事も無く、骨付き肉を骨ごとバリボリと噛み砕いた。
「欲求不満の中年ほどタチが悪いものはないぞ」
「よっぽど死にたいみたいだなお前」
「まあ待て。お前が暴れると余罪が追加される。それに、ツカサから飯が貰えないのなら、食事で済ませるしかないだろう。オレだって別に食事を楽しんでいるワケでは無いぞ。ツカサに喰わせて貰えるならこんなことなどしない」
「娼姫でも買って食えよ」
「御馳走に慣れた舌で生臭いメスなんぞ食えるか」
普通の食事の方が何倍もマシだ、と言いながら肉で埋まったスープを飲み干す熊に、不覚にもブラックは「それもそうか」と思ってしまった。
(まあ、ツカサ君の体って美味しいもんな……色々……)
ブラックの欲目かもしれないが、近頃は人族である自分すらもツカサノ精液や汗が香しくなったと思う始末だ。それに、元から男らしくなる前の柔らかな体を保った稀有な恋人ではあったが、そこから自分に抱かれ続けて更にオス好きのする体になったツカサの肉の心地良さを思うと、もう他のメスなど興味を持てそうにない。
愛の成せる業かもしれないが、それでも彼を抱いた時の事を思い出すとブラックは熊公の評に納得せざるを得なかった。確かにツカサの体は美味しい。
……閑話休題。
まあ、だからこそ、ツカサの味に魅了されていればこの熊のワガママも当然の事と言える。とは言え、菓子程度には腹が膨れるだろうに。
こちらとしては、目の前でバカスカ料理を喰われている方が迷惑だ。
見ているだけで胃がもたれる、と思いつつ酒を煽って、ブラックは息を吐いた。
「店のくいもん食い尽くすなよ……」
「ムゥ……善処する」
「…………つーかお前の事なんぞどうでも良いんだよ。ツカサ君だよ問題は」
次の肴に手を伸ばしつつ歯を噛むと、向かいの駄熊も残りのパンに手を出しながら「ムゥ」と声を漏らし眉をほんの少し歪める。
「それは分かっている。だが、あの後すぐに警備兵達のねぐらを嗅いだが、ツカサが出て来た気配もなかっただろう。地下通路が無いかと探してみても、ツカサの匂いはどこにも無かったし……あのねぐらに居るとなると、オレ達には手が出せない」
確かに、この熊公の言う通りだ。
自分達は未だにツカサを救出できていない。だからこそ、こんな酒場でぐだぐだと酒を飲んで管をまいているのである。
……とは言え、この二日間で何もしていなかったわけではない。
ツカサが連れ去られた後、自分達はこっそりと兵士達を尾行して目的地を特定していた。……が、二日経過しても、そこから進めないでいる。
というのも、ツカサがそこから出て来た気配がないからだ。
通常、窃盗などの罪を犯した者は、牢屋で反省させられるか罰金を支払い、軽度な労働刑を科される。裁量は国によって違うが、しかし大体は労働をさせるために別の場所へと移動させられるので、ツカサは絶対にあそこから連れ出されるはずだった。
なのに、見張っていてもその気配は微塵も無い。どうにもおかしかった。
だが、おかしい点は、それだけではない。
「出てこないのもそうだが、僕達が罰金を支払うと言ったのに『罰は強制だ、本人が支払わなければ意味がない』と言われて追い出された事も変だ。仲間が代わりに金を出す事は普通の事だし、兵士からしても金払いが悪い囚人を何日も牢屋に入れて置くのは面倒なはずだ。労働刑にしろ罰金支払いにしろ、決着を付けたいはず」
「だが、ツカサは出て来ず金を払う事も拒否されてしまった」
「おかしいにもほどがある」
苛立ち紛れに肴の干し肉を噛み千切り咀嚼するブラックに、熊公も頷く。
「それに……唐突に湧いて出て来たあの謎の痩せた男も変だな。仮にツカサが本当に窃盗していたとしても、オレ達と居たツカサからは“あの男”のニオイはしなかった。昨日遭遇したという男のニオイと比べてもまったくの別物だ。あの男は、昨日水場でツカサに何もかも奪われたと言っていたが……そんな男が、あんな真っ当な服をすぐ用意出来る物だろうか。風呂にも入っていなさそうな汚い男だったというのに」
こういう時には、この獣人の嗅覚が役に立つ。
普段は面倒臭い事このうえない能力だが、今回はツカサの匂いの追跡や相手が嘘をついているという確信を得る材料を与えてくれる。
とはいえ、ブラックもその程度は考えていたのだが、ともかく。
そう。
あの「ツカサに服を盗られた男」は、非常に怪しかった。
(っていうか……そもそも最初から何かおかしかったんだよな……)
――――この【ギオンバッハ】に到着してから、妙に違和感があった。
最初は気のせいかとも思ったが、門番の兵士にギルドへの顔出しを頼まれてからずっと、街全体がなにか妙な感じに思えていたのである。
……門番の兵士が「依頼を受けてくれ」と冒険者に頼む事は、珍しい事ではない。ギルドは独立機関……つまり、世界協定のように『どこの国にも属さない組織』ではあるが、各国と持ちつ持たれつの関係なため、ギルドを置く国からの要請で動く事は何もおかしくはなかった。
だからこそ、ブラックもクロウも依頼に関しては素直に受けてしまったのだ。
けれど、よくよく考えたら今回は色々とおかしい。
一歩間違えば危険な調査を、まだ周辺の地理も良く知らない者に要請するなんて、冒険者が少なく警備兵も手が足りないような地域だけだろう。
街の隅々にまで法治が行き届いている巨大都市ならば、そんな博打を考える必要はないはずだ。そもそも国境近くの都市なのだから、常駐の冒険者も多数存在しているだろうに、素人に調査を受けさせるなんて意味が分からない行為だった。
それに、国境の森周辺にモンスターが一匹も居なかったのもおかしい。
辺境と言える場所ならば、国境の山ほどとはいかないがランクの高いモンスターが棲息している。そのようなモンスターは、いくら隠れていても痕跡が残るはずだ。
だと言うのに、ブラックの【索敵】には何の反応も無く、熊公の伊達ではない嗅覚でも小さなモンスターすら発見出来なかった。と、なると……あの森どころか、このギオンバッハの街の周辺には、危険なモンスターが一匹も存在しない事になる。
…………そんな事は、普通ならありえない。
現に、ブラック達は旅をしている途中でそれなりにモンスターと戦ったし、野宿で夜を明かしている時だって、ツカサを狙ってモンスターが出て来たりしたのだ。
少ない、という場所は有ったが、絶対にいない気配もしないなんて事は無かった。
その場で気付くべき違和感だったはずなのに……ブラックは、ツカサに慰められた事で舞い上がって、気が付いていなかったのである。
全てが繋がっているとしたら、これほどあからさまな「罠」はなかったのに。
(ああ、僕はバカだ……っ! ツカサ君が居なくなったらどうするんだと考えていたクセに、肝心な所を気付けずにむざむざツカサ君を奪われるなんて……っ)
思わず頭を抱えて唸りたくなるが、そんな事をすれば目の前の熊公に嘲笑されるので、なんとか飲み込んでブラックは硬い干し肉を必死に咀嚼する。
もしこの一連の流れが「仕組まれた物」だとすれば、あれほどまでに唐突な依頼の要請や、ちょうど良い所で被害者の男が出てくる不自然さも説明が付く。
全てが「ツカサを捕まえる」という目的で動いていたのなら、これほどの高待遇も納得がいった。
(でも……なんでこんな事をしたのかが、解せない……)
仕組まれた事であればしっくりする一方、それでは違和感が残るものも有る。
一つは、明らかに強いツレがいるツカサを強引に連れ去ったこと。
次の一つは、何故ここまで回りくどい方法でツカサを捕えたのかということ。
そして最後の一つは――――
どうしてあの初対面の男が、自分達しか知らないはずの「湖の男」の情報を知っていたのかと言うことだ。
「……ム? ブラック、おい。あそこを見ろ」
「え?」
まだ考え始めたばかりで、熊公に呼びかけられる。
見ろ、とは何をだ。下らないものなら承知しないぞと睨みつけて、指された方向を見やると――――そこには、思っても見ない存在が居た。
「あれは……あの時の男!」
熊公が指差した先。
そこには、実に景気が良さそうに酒をテーブルに積み上げている、件の事件の胡散臭い被害者が居た。
(あいつ……こんな所にいやがったのか……!)
この二日間、ツカサの動向を探るだけでなく、ブラック達は被害者の男も探し続けていた。勿論それは冤罪を証明するためだ。そのためには、あの男に再び話を聞いて真偽を確かめる事も必要だった。
何故こんな事をしたのか聞き出せば、おのずと事件の真相も見える。
もしかしたら、ツカサの居所以上の情報が手に入るかも知れない。
だからこそ必死に探していたというのに、男はこれまで全く見つからなかった。
熊公の鼻からすると、この男も警備兵の詰所に入って以降、一度も出て来なかったらしいのだが、雲隠れしていた男が見つかったとなれば話が早い。
ブラックは安酒を飲み干し汚い吐息で喉を鳴らすと、すぐさま男に近付いた。
「お、おいブラック。待て」
慌てるように真向いに居た駄熊が引き留めるが、そんな声に構っている暇はない。
煩い客たちが騒ぐテーブルを避けながら早足で近付くと、少し遠くにいた被害者の男はこちらに気付いたのか、何か確かめるように目を細める。
だがブラックが何者か判らないのか、酒瓶を持ったまま固まっていた。
その隙に、ブラックは一気に距離を詰める。――――と。
「いっ……!! あ、アンタ……っ!?」
あと十歩も無い距離でようやく気が付いたのか、男が狼狽して椅子ごと動く。
しかし逃がしてやるつもりなど無い。
ブラックは腰の剣を鞘から抜くと、ゆっくり男の首に側面を押し当てた。
……ただ、ブラックの「ゆっくり」は、男にとってやけに早かったようだが。
「ひぃい! たっ、頼む、殺さないでくれぇっ!!」
「ふぅん。殺されるような事したんだ? お前」
そう低い声でわざとらしく嘯くと、男は目を見開いて硬直する。
ブラック達が何もかも察していると勘付いたのだろうか。それとも、自分の雇い主の権力を思い返して、滅多なことは言えないと覚悟を決めたのか。
どちらなのだろうと思いつつ目を細めると、男はガタガタと震えだした。
「そんな、あっ、あっしはそのっ、ひ、被害者で……っ」
「お前目が悪いみたいだな。そんな目で、どうやってあのギルドでツカサ君を一発で見分ける事が出来たんだ? この国では黒髪なんて別に珍しくも無いだろうに」
黒髪が忌避されている国なら別だが、このベランデルンではそんな事は無い。
ツカサの髪色で目星を付けたとしても、最初は戸惑い確認するだろう。それなのに、この男はギルドに入って来てすぐにツカサを指さした。
最初から、あの場所にツカサが居ると知っていて指を指す場所を決めていたのだ。そんな矛盾が出るような事をしておいて「被害者」とは笑わせる。
この男の目が悪い証拠など、誰が確認しても明らかだろう。酒をたらふく飲む金はあるというのに眼鏡すらも掛けてないのだから、裸眼で過ごしているに違いない。
なにより――――これらを矛盾が出ず説明出来る脳など、この男には無いのだ。
ツカサを犯人だと言い切り、何もおかしいと思わなかった程度の頭なのだから。
そんな相手が、自分達を不当に貶めたのだと思ったら――――
「……殺そうかな」
再び苛立ちが湧きあがって来て、ボソッと呟いてしまう。
だがその失言は男に対してはとても効果が在ったのか、相手は青ざめてガクガクと震えながらすぐに命乞いをして来た。
頭が悪そうではあるが、強者を見抜く目だけはあるらしい。
「ひっ、ひぃい……っ、お、お許しをっ、お許しください剣士様……! お、お、俺はっ、た、頼まれただけなんですぅう……!」
「その酒の山を見れば誰だって解る。誰に頼まれた。言え」
「あ、いや……あの、そ、それは……」
この期に及んで出し渋る首に再度剣を密着させると、震えあがった男は必死に自分自身の正直さを訴えながらぺらぺらと喋り出した。
「あのっ、それが、し、知らないんですっ、俺はギルドを盗聴する曜具で話を聞いておけと言われて、よ、曜具を借りて話を聞いていただけで、その、たっ、頼んできた相手はローブで顔を隠していたので、わからなくて……っ」
「……ふーん?」
「ひぃいい! ほ、本当なんですぅう! 男ってぐらいしかっ、お、男がそのっ兵士達も呼んできましたしおおお俺に金貨くれたり作戦を伝えたりしてっ!」
「何か分かる事がないのか、ほかに」
ちゃき、と、刀身を少しずらして首を撫でると、男はみじめったらしく青ざめて、あうあうと鳴いた。
汚い涙と涎を剣に垂らさないでほしい。
「ほ、他には何も知らないんでずうう……お、男だってことと、あの……兵士達とは顔見知りっぽい事くらいしか……っ。あっでも、独り言が多いって言うか……」
「独り言?」
初めて気になる言葉が出て来たな、と剣を退かしてやると、男はあからさまにホッとして頷きながら話を続けた。
「へ、へい……なんかブツブツ言ってて……幽霊とでも話してるみたいで、なんだか気味が悪い感じでした……。いやあの、本当俺それ以外はなにも」
「…………」
ビクビクしているが、この男はこれ以上本当に何も知らないらしい。
詳しく話を聞くと、このみすぼらしい男は二日のあいだ兵士の詰所で寝泊まりしていて、先程報酬を貰い出て来たのだそうだ。
そもそも、この男はこの街で自堕落な生活をしている浮浪者で、ツカサの事はあの時に初めて聞いたらしく、特徴以外何も知らなかったらしい。兵士達には時折世話になっているらしいので、その事も有って断れなかったという話だった。
…………確かに、兵士を供に連れて来て「彼らに協力するように」と言われれば、どのような一般人でもすんなり力を貸してしまうだろう。
何度も世話になっているのなら、立場の弱い者は尚更断れまい。
だが、その「ツカサを犯人に仕立て上げたローブの男」の事を考えると、ブラックは何やら言い知れぬ不安を覚えた。
(確証があるワケじゃない……だけど、僕が考えている事が真実だとしたら……)
これは、なにもツカサを救っただけで解決する話ではないのではないか。
そう考えて背筋が何やら寒くなっている所で、熊公の気配が近付いてきた。
「ブラック、遠耳で話は聞いていたが……この男の言う事が本当なら、ツカサはこの街に入った時から狙われていたのか?」
そう熊公が問いかけて来たのに、意外にも男が「いえ」と答える。
「あの……旅の人は知らない話だと思いますけど……ここらへん、数年前から年若い冒険者や旅人が失踪するようになってるんですよ。街のみんなは、モンスターの仕業だって言ってますけど……俺、実は同じようなフダツキの連中から、こういう儲け話を前に聞いた事が有って……」
「なに……?」
男を見下ろすブラックに、相手は恐縮したがごとく体を縮こまらせて俯く。
その様子は、先程とは違ってどこか不安げだった。
「いや、あのぉ……冗談だと思ってたんですけどね。あいつらも俺と同じで、しょっちゅう酒の事で牢屋で叱られてたってのに、急に『嘘つきの盗人野郎を兵士と一緒に騙し返して金を貰えた』なんて言って……そんな奴が次々に出て来て……」
「兵士と一緒に……?」
問い返したブラックと熊公に、急に不安そうな顔になった男は目を泳がせる。
その様子は、豪遊しよとしていた男とは思えないくらいに哀れだった。
「あの……お、俺、いま…………もしかしてそれって、モンスターに襲われたんじゃなくって、こういう事で……さ、最近あいつら見かけないのも……う、うぅ……! もうすいやせんっ、これっきりにして下せぇ!」
怖さが臨界点に達したのか、男は数本の酒を抱えてそのまま逃げるように酒場から出て行ってしまった。
なんだなんだとザワついていた他の客達だったが、他人の事など気にしても仕方が無いと思ったのか、すぐに自分達の騒ぎに戻る。
後に残されたのは、うるさい酒場のテーブルに積まれた酒瓶だけだった。
「…………なるほどね。そうなると……なんとも厄介だ」
置いて行かれた未開封の酒瓶を一本取って、封を開ける。
熊公も同じように栓を抜いて酒をラッパ飲みすると、げふっと息を吐いた。
「どうする? この街ではどうにも動きにくそうだが」
既にこの獣人も同じ推測に辿り着いているのか、群れの長たるブラックに「自分をどう使うか」を問いかけて来る。
その言葉に少し考えて、ブラックは左手の指にしっかりと嵌っている指輪を見た。
「……これから僕達は先にアコール卿国へ向かう」
「アコールへ?」
首をかしげる熊公に、ブラックは指輪を見せる。
今は濃密な琥珀色の宝石が輝くだけの指輪だが、これはツカサと自分を繋ぐための大事な婚約指輪だ。これさえ持っていれば……ツカサの位置は掴める。
だが今は力を発動させる事無く見せて、ブラックは酒を一口煽って続けた。
「……僕は今まで、夜毎に指輪でツカサ君の居る方向を確かめていた。同じ場所にずっと光を向け続けているのかを気にして、ね。……でも、この指輪は『ツカサ君がいる方角』を示す事は出来ても、位置を正確に把握する事は出来ない」
その言葉に、熊公はハッとしたように目を開いてとある方角を向いた。
「あの兵士たちのねぐらは、ギオンバッハ大叫釜の方向にあった……と、言う事は、ツカサは何らかの方法で既に移動しているかも知れないという事か!?」
「たぶんね。……だけど、アコールに行くのはそれだけじゃない」
指輪を絡ませた手を握り締め、下へ降ろす。
そうして、ブラックは吐き捨てた。
「アコール卿国側のギルドで、シアンと連絡を取る」
――――そう。
冒険者ギルドに存在する特別な連絡手段を使って、迅速に。
「…………! わかった。すぐに出発しよう」
ブラックが何故そう言ったのかを理解したのか、熊公は顔を引き締めた。
相手が自分と同じ思考をしている事にもまた苛立つが、そのお蔭で理解が早い事は素直にありがたい。きっとツカサでは、懇切丁寧に説明せねばならなかった。
けれど、彼に教える事は何一つ苦痛ではない。むしろ、真剣に自分の話を聞いて、頷いてくれるツカサは……何物にも代えがたいほど可愛く、愛しかった。
その姿を見たいと思っても、今の自分の隣にツカサは居ないのだが。
(ツカサ君……ごめんね……。どうか、もうちょっとだけ待っててね……)
…………もし、自分が彼と同じほどに青臭く純粋な年齢だったのなら、きっとこのまま飛び出して、ツカサを救うために何もかもを破壊し走り抜けたのだろう。
だが、今はそうもいかない。
今の自分には、しがらみが多過ぎる。守らねばならない者が多過ぎる。
ツカサの全てを一番に守るために、彼が大事な物も守らねばならないのだ。
それこそが、ツカサを独り占めできる方法だと知ってしまっているから。
(ああ、本当…………ままならないなぁ……)
今も苦しんでいるだろう愛しい存在を救いたいのに、回り道せざるを得ない。
彼との幸せな生活を守るために、短絡的な処理ではなく「禍根を残さない方法」を使い、他人の協力を得て事を運ばねばならない。
本当に、守る事は奪う事よりも難しい。
今後の事を思うと溜息しか出て来ず、ブラックは長々と息を吐いてしまった。
「僕も、あの男みたいに被害者面で泣き喚きたいよ」
「ツカサが居れば慰めてくれるだろうしな」
思わず呟くと、余計な台詞が付いて来る。
軽口を叩いた憎たらしい背後の駄熊に、拳の一つでもくれてやろうかと思ったが――――何故か少し気が楽になった気がして、ブラックは不機嫌な顔をしながら酒場を出たのだった。
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