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交易都市ラクシズ、綺麗な花には棘がある編
28.すべてを見通すには力が要る
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「え……ウィリットさんが部屋から出てこない……?」
思っても見ない事を言われて、つい聞き返してしまう。
だがそんな俺を鬱陶しがることも無く、女将さんは深刻そうな顔で頷いた。
「昨日、一応お貴族サマだからって、それなりの部屋に移しといただろう? その後から、ウンともスンとも言わなくなっちまってねぇ……。外は監視してるから、部屋から抜け出たって事は無いだろうけど……でも、ドアを叩いても返事がないんだ」
そう言いながら、どうしたものかと言わんばかりに女将さんは首をかしげる。
たぶん朝食を持って行こうと思ってた時に気付いたんだと思うけど、そう言う所が世話焼きな女将さんらしいなと少しほっこりしてしまう。……じゃなくて。
部屋から出てこないってどういう事だろう。まさか病気になったとか……。
それだと執事さんに会わせる顔が無い。ともかく確かめてみようってことで、俺達三人と女将さんはウィリットの体調を確かめるべく、彼が滞在している部屋にやって来て――――
「まどろっこしい。後で直せば良かろう」
やって来て、ノックしようかと思ったらクロウが問答無用でドアノブを握り締めバコッとドアを丸ごと外しわあああああああああ!! 何してんだお前えええええ!
「べ、弁償! 弁償おおお!!」
「んもーうるさいなぁツカサ君は。蝶番程度なら僕が後で直すってば」
おあ、さ、流石は炎と金属を自在に操る月の曜術師。
いやでも普通驚くからね。弁償しなきゃって慌てるからね!?
ああもう心臓に悪い……でもまあ、ともかくドアは開いたんだ。早くウィリットの様子を確かめないと。病気になってたら大変だ。
そう思い、俺達は部屋に踏み込んだのだが。
「あれ……い、いない……!?」
「ニオイも薄くなっているな。一刻二刻の外出ではなさそうだ」
部屋を見回す俺達の後ろで、クロウが何の気なしな風に言う。
適当に呟いたような声音だが、しかし相手が変な冗談を言わない事は百も承知だ。と言う事は、ウィリットはだいぶん前に部屋から抜け出していたってワケで……。
「で、でも、外には出ていない……んですよね?」
女将さんに振り返ると、驚いたような顔で頷く。
「外から侵入されても困るからね。手練れを数人用意して、万全を期したはずなんだが……まさか、あの男がそれを潜り抜けられるとは……」
悩ましげに腕を組む女将さんだったが、ブラックはいつになく冷静な顔をしながら目を細めて、その言葉を否定した。
「いや、あの貴族の能力は平凡だよ。剣術は貴族らしくそれなりだが、曜気を操る力も特別な技量も無さそうだった。抜け出したにしても、一人では出来ないだろう」
「じゃあ外から誰か手を貸したってのかい? それこそ有り得ないがね」
「だから不可解だって話なんじゃないのか」
ああもうブラックってば、ああ言えばこう言う。
だけど、本当にヘンだ。ウィリットは一体どこに行ったんだろう。
何だか嫌な予感がするけど、手がかりが無い事には探しようがない。この状況で、ウィリットの行方を探せるヤツと言ったら……。
「クロウ、ニオイがどこに行ったか……追えるか?」
部屋の中央で天井を見上げクンクンと鼻を動かしていたクロウに近付き、服を軽く引っ張る。と、クロウは口だけを薄く笑みに歪めて首を縦に振った。
「ム。ツカサが望むなら、追いかけてみよう」
「なんだいその恩着せがましい台詞は」
「ブラックおだまりっ。クロウ、さっそく頼むよ」
そう言うと、クロウは早速部屋のニオイを一しきり嗅いで……空気中の何かを辿るように廊下へ出る。ウィリットが夜の内に外出したのなら、まだ嗅ぎ分けられる程度のニオイが残っていると思うんだけど……相手が獣人の鼻に対して対策を取っていたとしたら、俺達にはもうなすすべもない。
どうか、計画的な逃亡でありませんように……などと思いながら、俺達はクロウの後について館の階段を下り、更に移動を続けた。
最上階から一階へと戻って来て、玄関――――には行かず、廊下の奥へ入る。どこに行くのだろうかと思っていたら、クロウは中庭へと続くドアを開けた。
外の空気が風に乗って流れ込んで来るのを感じながら、出る。
と、クロウは丁度俺達とフェリシアさんが使っている平屋の少し手前で止まった。
「…………ここでニオイが途切れているな」
「本当かぁ?」
「間違いない。どこかに入ったなら、その入った場所にニオイが続いているはずだ。幽霊などの実態が無い存在に変化したなら別だが、生身の人族ごときがオレの嗅覚を掻い潜れるはずがない」
誇り高き獣人族だからか、クロウはわりかし人族を見下したような言い方をするが、こうして自信を持っている通りクロウの嗅覚は凄い。
その能力を信じるならば、ウィリットはこの場所で忽然と消えてしまった事になるけど……。
「ブラック、曜術でそんなの出来る……?」
振り返って問いかけると、ブラックは軽く握った拳を口に当てて何かを考えていたが、数秒で顔を上げて「出来なくはない」と答えた。
「ツカサ君、この街に初めて来た時ぐらいの時に、図書館で【ウィンド】って付加術を見た事があるよね? アレは凄く難しい術で、余程の凄腕でも無いと習得出来ないんだけど……ソレを使ってあの貴族を連れ出す事は可能かもしれない」
「よっぽどの凄腕って……どんくらい?」
「曜術師で言えば一級くらい。それに、そもそも【ウィンド】は風を起こすだけの術なんだ。自分を浮かせるほどの風を作るとなると、凄く集中力しなきゃいけないし、浮いたままで移動するなんてまず出来ないからね。せいぜい上下運動ぐらいが関の山だよ。……だけど、僕達ぐらいの曜術師なら……あるいは、可能かもしれない」
“僕達ぐらいの曜術師”って……――――
それって、ようするに「グリモアに匹敵する力を持つ存在」ということか?
でもそんな都合のいい人間がホイホイ現れるはずがない。
いや、しかし、この世界にはクロウみたいに「グリモアの力が無くても強い存在」が他にも存在する事も充分あり得る世界なんだし、決めつけるのはまだ早いよな。
けれど、だとするとウィリットを連れて行った相手が……ヤバい奴であるって事は確定しちまうワケで……え、えぇ……なにそれ、ど、どういうことなの。
「あぁ……ツカサ君、忘れてない? 僕達みたいにデタラメな存在がいるでしょ」
数日前に聞いたでしょ、と呆れ顔のブラックが指で己のこめかみを軽く叩く。
俺を馬鹿にしたようなジェスチャーでイラッとしたが……そのブラックの言葉に、俺はハッとした。そ、そうだ。いるじゃないか。ブラックみたいにデタラメな力を持った、とんでもない存在が。
でも……なんで。
それなら、ウィリットを連れて行った犯人が【アルスノートリア】なら――――
どうしてそんな事をする必要があったんだ?
「え、えっと……っていうか、急になんでそんな」
話に付いて行けなくて、俺はブラックを見上げる。
だって、ブラックの予想は急すぎるんだよ。
どうして急に要注意人物の名前が出て来たんだ。一連の事件がジュリアさんの凶行かも知れないって予想はあったけど、そこに【アルスノートリア】の影なんて少しも出て来なかったじゃないか。
何をどうしたらそう思えるのか、と思いきり眉を歪めてしまった俺に、ブラックは少し真剣な顔をして、俺を平屋の中へと引っ張った。
女将さんとクロウも付いて来るのかと思ったが、二人は平屋まで入って来ない。
クロウが引き留めているのかと気になったけど、ブラックはそんな俺を椅子にポンと座らせて、子供に言い聞かせる時のように俺の前に片膝をついた。
「ツカサ君はどうせ覚えてないだろうから説明するけど、僕らは【サウリア・メネス遺跡】で【アルスノートリア】が使えるだろう術を大体教えて貰ってるんだよ」
「そ……そうだったっけ……」
「まあ軽く説明しただけだしね。ツカサ君の頭じゃ覚えてないのも無理ないけど」
「オイこら」
「彼らの能力で一つ……今回の事件の手掛かりになりそうな物が有ったんだ」
え……なにそれ。何の術なんだ。
って言うか、もしそれが本当だとしたら、今回の事件は俺達を狙った……いや……それは流石に違うよな。ジュリアさんが失踪したのは一月以上前だし、俺達が色々と片付け終わって、異世界日帰り旅行出来るようになった時には、既に彼女は失踪していたって事になるじゃないか。
どう計算しても、俺達を貶める為に起こった事件とは思えない。
そもそも俺達が知らない内から失踪事件は起こってたんだから、なんでもかんでも自分達への攻撃だと思うのは良くないわな。うん。
だけど……そうなると、あいつらの目的は何なんだろう?
それに、手がかりになる能力って何なんだ。
「ブラック、その能力って……なに? どいつが使ってるの?」
真剣な表情で問いかけると、ブラックは少し顔を引き締めて真剣な表情を作ると――菫色の綺麗な瞳で俺を見上げた。
「その能力は……まぼろしによって人の姿を欺く能力。同じであるかのようで僕とはまったく違う、別のまぼろしを操る力……
【菫望】の書の【アルスノートリア】が使う力の一つだ」
キンモウ。
それって……死者蘇生や古の血を呼び覚ます事が出来ると言う、ブラックと同じ【月の曜術師】が獲得できるはずの【アルスノートリア】の事か……!?
じゃあ、本当に。本当にウィリットは奴らに……。
「い、いやでも」
幾らなんでも、それだけじゃ予想の内でしかないのでは。
声が出せなくなりつつもそう言いたくて手を動かす俺に、ブラックは肯定する。
「そうだね、確証は無い。だけど……もしそれが真実であれば、色んな疑問が解けてしまうんだよ。どうしてジュリアという女が消えたのかも……彼女の特別な香水が、いたるところに撒き散らされていたのかも」
「撒き散らされていた、って……」
そんな言い方をすると、まるで……。
――――そこまで考えて、俺は思わず口を覆った。
「っ……!」
そうか。そう言う事だったのか。
「撒き散らされていた」という言葉が本当の事なら、それらは俺達のように彼女の事を探そうとしていた人々を攪乱する事になる。
体臭や血の臭いを消したいだけなら、ありふれた「流行りの香水」でも良かった。だけどそうしなかったのは、ジュリアさんが犯人である事を示したかったからだ。
ジュリアさんが「そこに居たかもしれない」と、彼女を知っている人がやって来た時に想像させたかったんだ。
そう、例えば――――――ウィリットのような、殺人現場にも入れるくらいの力を持った……ジュリアさんを知る存在に。
「じゃ、じゃあブラック、ウィリットが危ないんじゃないのか!?」
あの「匂い」は、自分の存在を誤魔化すためだけじゃ無かった。
ジュリアさんの存在をにおわせ、同時にそれで「ジュリアさんのことを良く知っている存在」を釣り上げたかったんだ。
恐らくは…………彼らの存在を、抹消するために。
…………そんなの。でも、だって。
ちょっと待ってよ。だったら、犯人は誰なんだ。
ウィリットを、恐らくは……攫って、ジュリアさんがその場所に居たとわざと匂いを大げさに振り撒いて、それでいて多くの娼姫を殺して回ったのは何が目的なんだ。
そうまでして、犯人は何がしたかったんだ。
もし【菫望】のアルスノートリアが犯人だったとして、何故そんな事を。
解らない。
そう言わんばかりにブラックに掴みかかってしまったが、相手は俺の動揺を見て、冷静に一度瞬きをすると立ち上がった。
「まあそれは……追い掛けてみてのお楽しみってところかな」
「お楽しみって、お、お前なぁ!」
こんな状況で何を言うかと俺も立ち上がったが、ブラックはそんな俺の慌てように笑って、頬にキスをして来た。
だあっ、ちくしょう、じゃれてる場合か!
「とにかく、追いかけられるのか。大丈夫なのか!?」
「案外僕も抜け目なくてね。ちょっと目星を付けておいたんだ」
目星……?
どういう意味だろうかと顔を歪めた俺に、ブラックは表情を変える。
まるで、獲物を見つけた悪魔みたいな……綺麗だけど、怖い雰囲気の笑みに。
「とにかく、行ってみよう。下水道が見つかった今、あいつらが潜伏できるような所は少ないからね」
そう言いながら、俺の肩を抱いたまま歩き出すブラック。
何が何だかよく分からないけど……でも、この感じでは「相手の居場所」に確信を持っているって事だよな。だったら、俺は付いて行くしか無かろう。
ブラックがそうそうポカなんてするワケがないし、見当が付いているのなら、俺は黙って言う通りに動いた方が得策だ。
けど……一体どこに目星を付けたんだろうか。
不思議に思いつつも再びドアを開けて外に出る。
その一瞬、ブラックが何か呟いた。
「最後の最後で尻尾を出したか。……やっぱり、バカな女だ」
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