56 / 928
神殿都市アーゲイア、甲花捧ぐは寂睡の使徒編
25.過失にむせぶ
しおりを挟む……そう言えば……別れて行動する前に、ブラックは「酷い術を使っても、嫌いにならないで」って言ってたっけな。
あれ、じゃあ今のがブラックの術だってのか?
「今の……その……術だったのか?」
先程までの地獄のような光景と、二度と遭遇したくなかった存在達の事を思い出し少々身震いしてしまった俺を、ブラックは再びぎゅっと抱きしめて頬を俺の頭に擦り付けてくる。
髭が頭皮に触れて痛かったけど、何だかいつも以上に怯えているようなブラックの様子が気になってしまって、俺はとにかく落ち着かせようと背中に腕を回した。
「ブラック、落ち着いて……ホントに俺、大丈夫だから」
「でも……」
「嫌いにならないって言っただろ」
「でも、聞いたらツカサ君、僕のこと軽蔑する……」
「しないってばもう! そんなに俺がヤワだと思ってんのか、怒るぞ!」
人を侮るのも大概にしろと背中を強く叩くと、頭の方からグエとかいう音がして、渋々ブラックは俺の頭から顔を離した。
相変わらず怯えたような顔をしているけど、それが俺を甘く見ている証拠なんだと思うと我慢ならなくて、俺はブラックの片頬を思いっきり引っ張った。
「いひゃひゃひゃっ、ひひゃひうああうぅ」
「痛いツカサくぅんじゃないよ! ったくもう妙な時にばっか気弱になりやがって、俺の事が信用ならないってのかお前は! あ゛!?」
「うひうぅ……」
ああもう話が進まないな。
……まあでも……ブラックが怖がるのも仕方ないか。
現に俺は今さっきまで“酷いもの”を見たし、しっかり怯えてしまった。もしそれをブラックが見てたとしたら……俺に対して罪悪感を持ったとしても不思議じゃない。
……冒険者達を巻き込んだ事に対しては何も思っていないのかとは思うが、しかしブラックはそういう奴だ。判り易いくらい、他人に興味が無い。
興味が無いけど……俺の、ことだけは……時々、凄く臆病になるくらいに考えて、苦しんだりしている。それを俺自身が言うのは自惚れてるのかも知れないけど、実際そうなんだから仕方がないよな。う、うん。ブラックは、そういう奴なんだ。
そういう奴だから、俺みたいなガキ一人にこんなに怯えてるんだ。
だから、俺が……ちゃんと、ブラックを安心させてやらないと。
「…………ブラック、ここ触って」
「ふぇ……」
頬からブラックの右手を掴み替えて、俺はその大きな掌を自分の胸に当てる。
ブラックは「つっ、ツカサ君っ!?」と狼狽したが、構わずに俺はブラックの手を押し付けたまま、じわじわと熱くなる顔を必死で引き締めながら二の句を継いだ。
「ここに、アンタと同じのがあるだろ」
「ぁ……」
ブラックの掌に、俺の胸の真ん中で揺れている指輪を押し付ける。
そう、これはアンタの左手の薬指に嵌っているモンと同じ物だ。どこに行ったって絶対に手放さないその指輪と同じ物を、俺もずっと首にかけてるんだよ。
その指輪の向こう側にある俺の心臓は、アンタのことを微塵も拒否してない。ドキドキしてるけど、それは嫌いだからとかそういう事じゃないんだ。
それが、分かるよな?
祈るようにそう思いながら、俺はブラックの顔を見上げた。
「確かに術は怖かったけど……それは、ブラックには関係ない事だ。そうだろ」
そう言うと、ブラックは泣きそうに顔を歪めたが――その顔を一度拭うと、俺の胸に当てていた手を離して、俯きながら自分の左手の指輪を弄り始めた。
まるで、それが精神を安定させる唯一の道具だとでも言わんばかりに。
「……でも……あの術……やっぱり、あの力は……ツカサ君を怖がらせたよ。僕、やっぱり駄目だ……」
「どうしてそう思うんだよ」
「だって、あの術は……僕の“紫月のグリモア”の力だから……」
紫月のグリモアの力……ってことは……あれが【幻術】なのか?
――――グリモアってのは『この世界の頂点に立つ力』で、【黒曜の使者】を唯一討伐出来る。俺とは並々ならぬ関係性がある称号なんだよな。
だけど、この称号は簡単に貰えるものではない。
とある条件を持つ最高等級の曜術師しか読む事の出来ない“魔導書”によって、その称号は初めて人のものとなる。俺を殺せるだけあって、その称号もウルトラレアだ。
なんせ、その魔導書は七つしか無くて、再び本が戻って来るにはグリモアの称号を持つ人間が死ななければならないんだからな。
そんな特殊な称号の一つが、ブラックの【紫月のグリモア】なんだ。
そして、そのグリモア達は他の曜術師達と違って、特殊な能力を持っている。
【幻術】というのも……ブラックのグリモアが持つ特殊能力なのだ。
「あれが、幻術……? でも、俺が見た時は、あんなじゃなかったような……」
俺は過去に二三度【幻術】を見た事が有るが、その時は「本物みたいなのに、人を傷付ける事が出来ない触れる幻影」だったり、相手を眠らせるだけだった。
あんな地獄みたいな幻影なんて、見た事が無い。思わず目を丸くした俺に、相手は申し訳なさそうに眉を下げて口を曲げた。
「…………僕の【幻術】は、グリモア以外の生物なら目を見ずに無条件で発動できるけど……今回は、目が多過ぎて制御できなかったんだ……。だから、ツカサ君だけを術から外す事が出来なくて……やっぱり……ぅ……うぅ……っぐすっ……やっぱり゛じっばいじじゃっだ……っ」
「ああもう泣くな泣くなって! じゃあ……本当に【幻術】だったんだ……」
大人の癖にグスグス泣いているブラックの顔を布でふきながら、俺は周囲を今一度確認した。すると、やはりそこらじゅうに寝転がって苦しんでいる冒険者達がいて、巨人はと言うと……地面に膝をつき、天を仰いで歯を食いしばっていた。
彼らはまだ幻術の中にいるのだ。
こんなに恐ろしい術だったとは……実際に喰らって見ないと解らないモンだな。
いや、でも、ブラックは失敗したって言ってたんだっけ。
しかしアレは失敗だったのかな。結果的に全員を戦闘不能にしてるしなあ。
「こんなの本当の【幻術】じゃないよ……ほんとは、ほんとはもっと顕現できるような術なのに……僕、ぼ、僕っ、ツカサ君のことあんな怖い目にあわせてぇえ……」
「だーもー……だから、気にしてないってば……」
大粒の涙を流す情けない中年に優しくそう言うが、相手はぐずぐずち鼻を鳴らして首を振る。何をそんなに頑なになっているのかと眉根を寄せる俺に、ブラックは叱られた犬のような顔でボソリと呟いた。
「だって……僕がかけたのは……対象が“最も恐れているもの”を相手に見せる術だったんだもん……。だから、僕……ツカサ君が術にかからないように頑張って制御したつもりだったのに、でも、結局出来なくて……」
“最も恐れているもの”を相手に見せる術。
なるほど……それで俺は兵士達が現れる悪夢を見せられたって事なんだな。
……くっ……なんか、自分の弱い所を突かれたみたいでヤだな……。そりゃまあ、確かに俺はあの時の事を思い出したくも無かったし、自分でも驚くぐらいトラウマになってたようだけどさ。
でも……あれが「最も恐れているもの」だなんて……なんか、嫌だ。
俺が本当に怖がってるものは……あんなものじゃないのに。
本当に「怖いもの」は、目の前のこのオッサンが持ってる物なのに。
それを思うと悔しさ半分恥ずかしさ半分な気持ちになってしまい、俺は破れかぶれでブラックに言葉を吐き出していた。
「…………ばーか」
「ぅえ……」
俺の暴言に、ブラックが顔を上げる。
その間抜け面に、俺は笑ってやった。
「そんなのどうだって良いよ、誰だって失敗するもんだしさ。それより、この状況を何とかするのが先だろ。後悔するんなら、俺が後で一緒にヤんなるくらいやってやるからさ。……まあ、何に後悔するんだって話だけど」
「……ツカサ君……」
そんな顔するなよ。
アンタいつも、俺が何かやらかすと「なんだそれだけか」って笑ったじゃないか。
俺だって、そうだよ。アンタに何されたって別に構わないんだ。こんな事なんて、俺にとっても些細な事なんだよ。アンタが俺の悩みを笑い飛ばしてくれたくらいの事なんだ。俺には余裕でスルー出来る事なんだよ。
それを感じ取るくらいの余裕は、今のアンタにだってあるはずだろ。
だから心配するなと満面の笑みを見せてやると、ブラックは情けない顔で笑った。
「さて……この状況どうするかな……。なんとか足は止められたけど……」
「う、うん……そうだね……。でも、ホントここからどうしよっか……移動させるにしても大変だし、このまま転がして置くワケにもいかないし……」
まあ、そうだよな。
ブラックの【幻術】をいつまでも発動させてる訳にもいかないし、そもそもこんな場所で冒険者達が大勢転がっていたら、街の人達がなんて思うか解らない。
でも……この状態で巨人を移動させるワケにも行かないしな。
…………ホントにどうしよ……。
「どうにか巨人をここから動かす事が出来ないかな……」
そう思いながら、巨人を見上げた。
――――と。
「グゴッ、オ゛ォオ゛オ゛オオ!!」
「――――!?」
急に巨人が叫び、腕を強く動かし始めた。
「なっ、なに、どうしたの!?」
「あっ、ああっ、ぼ、僕が気弱になったから術が解けかかってるんだ……!」
「なにぃ!?」
お前何故そんな重要な事を早く言わないんだ。
思わずツッコミを入れようとした、刹那。
「オオオオオオオオオオ!!」
地面を響かせるような恐ろしい咆哮を響かせて――――巨人が、立ち上がった。
→
21
お気に入りに追加
1,002
あなたにおすすめの小説
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる