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神殿都市アーゲイア、甲花捧ぐは寂睡の使徒編
21.テンパると大概うまくいかない
しおりを挟む「――――!」
思わず息を呑んだ瞬間、ブラックの剣が紫の巨人の右肩を強かに打った。
だが、その動きを読んだのかすぐ横から左手が迫る。ブラックは一転身を翻し、その掌に潰される前に上手く足で蹴って距離を取ると軽く回転しながら地面に降り立った。巨人の手は空を切る。だが、相手は痛くも痒くもないようだった。
そう言えば、ブラックは肩を斬ろうとしたはずなのに、何も起こらなかった。
普通は、斬った瞬間に多かれ少なかれ体が下に沈む。なのに、ブラックは空で停止していた。ということは……。
「っ……う、嘘だろ……」
肩口を切ったはずなのに、紫の巨人の肩には傷一つ付いていなかった。
それどころか僅かな衝撃も受けていないようだったのだ。
――ヤバい、相手は防御力も半端じゃないのかもしれない。
そんな俺の焦りを余所に、猫のごとく地面に着地したブラックが、すぐさま体勢を立て直しながら飛んで後退る。
「チッ……思った以上に硬いな……」
いつもの格好じゃないのが余程動きづらいのか、ブラックはベストから伸びる白シャツの腕をぐるりと回して眼鏡を直す。ああそうだ、眼鏡も邪魔なのか。
だけど、今その服を崩すわけにも行くまい。なにせ相手は死角のない巨人なのだ。少しでも気を抜けばさっきのように潰そうとして来るだろう。
だけど……本当に、ネレウスさんがそんな事をするのか。
アレはネレウスさんじゃなくて、新しく生まれた巨人の偽物なんじゃないのか。
そう思いたいけど、でも、この場所にネレウスさんはいない。それどころか、巨人はネレウスさんと同じ栗色の長い髪を伸ばして、その隙間からギョロギョロと紫色の瞳を幾つものぞかせていた。
どう考えても、ネレウスさん以外に有り得ない。
なにより俺達は彼の体が変化していくのを目撃しているのだ。どれだけ言い逃れをしようと思っても、最早逃れる事など出来なかった。
「くそっ……ほんとに戦わないといけないのか……!?」
相手は人間だ。ネストルさんのお父さんなんだ。出来れば戦いたくない。
巨人だって、本当は優しい奴なんじゃないのか。そう思いたくなるが、ブラックが再び剣を構えたのを見て手を伸ばしてくる様は、戦闘を厭うようにも見えなかった。
本当は戦うことが嫌いなのだとしても、今はそうじゃない。……もしかしたら……あの“黒いローブの人物”に操られているかも知れないんだ。
そう思うと、救えるのではないかと愚かにも思ってしまう。だけど、今の俺に何が出来るのかなんて言えば、しょっぱいことしか出来なかった。
「っ……とにかく、足を止めないと……」
今のままじゃ、本当に殺し合いが始まってしまう。
……でも、まだ。
まだ、やれる事は有るはずだ。
ネレウスさんを救える方法だって、存在するかもしれない。呆けて見ているだけじゃ駄目だ。俺だって覚悟して戻って来たんだ。もし、最後の手段しかなくなったとしても、ちゃんとやらなきゃ。ネストルさんに恨まれても良いからと彼を負い出したのは、他の誰でも無く俺自身で決めた事なんだから。
とにかく、まずは彼の足を止めないと。
だけど今は動けない。
「ブラック!」
巨人と睨み合っているブラックに叫び、自分がいる事を知らせる。
相手は視界を少しだけ寄越すようにちらりと横目でこちらを見たが、目の前の巨人に構えを解こうとはしていない。
それは、巨人をまだ危険視しているからだ。仕方がないことだろう。
だけどどうにかこちらの意図を解って欲しくて、すぐ傍に在る木の葉っぱを掴むと、ブラックはほんの少し顎を動かして頷いてくれた。
小さな動作を、小さな動作で「分かった」と返してくれたのだ。
本当に、ブラックはこういう時に頼りになる。
俺は葉っぱから手を離して一歩後退ると、紫の巨人を見上げた。
――無数の目。何も見ていないように虚ろに止まっているが、しかしアレは絶対に俺のことも認識しているだろう。百眼の巨人が本当に伝承の通りなら、相手に死角は存在しないのだ。俺が迂闊な行動をすると、すぐに気付かれてしまう。
「ぼーっとするなよデカブツ!!」
それをブラックも解っていたのか、再び巨人に斬りかかる。
巨人は素早い動きに虚を突かれたようで、咄嗟にブラックが向かって来た方へと体を向けた。ありがたい、少しでも興味が逸れればそれだけ意図に気付きにくくなる。
俺は怯えたように振るまい低木の陰に隠れると、地面に伏せ、茂る葉群の隙間からブラックと巨人を覗き見た。
「っ……は、早くしないと……っ」
ブラックは必死に巨人を引きつけてくれている。
だけど、その間にどうしてもブラックは巨人に刃を向けるし、巨人もブラックの事を敵だと認識して潰そうとして来る。ネレウスさんの意識が残っているのかどうか、俺達には判断が付かないが、それでもやっぱり止められるものなら止めたい。
ブラックが不用意な怪我をしてしまうのも絶対に嫌だ。
だから、俺は俺に出来る事をするんだ。
俺に、出来る事……――木の曜術を使って、相手を止めることを。
「ふぅっ……はぁー……っ……」
深呼吸をして心を落ち着ける。
曜術を使う時は、冷静にならなければいけない。心が乱れていると、術が使えなくなってしまうのだ。しっかりして、曜術を使うための感情を引き出さねば。
木の曜術は、穏やかな心を保つんだ。息を吸って、それから俺は伏せたまま両手を焚火に当たるように前へと出した。
不格好だが、ブラックの手を煩わせるより万倍マシだ。
深呼吸を続けながら、俺は掌に綺麗な緑色の光が宿るイメージを浮かべた。
すると、掌を中心にして綺麗な緑色の光が浮かび上がり、その光はいくつもの蔦のようになってシュルシュルと俺の腕に巻き付き始めた。
――――いつもこうだ。実力だけじゃなく【黒曜の使者】の力も使おうとすると、俺の腕にはいつも何本もの光の蔦が絡みついて来る。
使い始めた最初は手首ぐらいまでだったけど、何度も使っていたからなのか、今となってはもう俺の首の辺りまで蔦が這い寄って来ている。苦しくも痛くも無いのだが何だか妙な感じだった。でも、まあ、スキルアップしてるって事なのかな。
前は一度使ったら失神してたけど、今の俺なら【黒曜の使者】のチート能力を一日に三度くらいは使えるようになったし。
出来れば、その「数回」で何もかもが解決すればいいのだが。
そう思うと心がざわつかないでも無かったが、俺は自分を制して、木々の隙間から巨人をしっかりと見て捉えた。よし、ブラックのお蔭であまり動いてない。
これなら見え辛いこの場所でも充分に相手を捕えられる!
一気に力を解放し、俺は脳内でイメージを作りながら呟いた。
どうか、ネレウスさんを止められるようにと。
「庭園の美しき草花よ、土より出で、汝らの主を守り縛める緑の鎖と成れ――
【グロウ・レイン】――――!」
眼前の存在に、強固な蔓で縛める想像を重ね合せる。捕えられた瞬間に逃れようとする腕の動きすら詳細に思い浮かべた俺の言葉に、地面が緑色に光った。
【黒曜の使者】のチート能力を使う時に出現する、円と線で出来た不思議な魔法陣を幾つも繋ぎ合わせて作ったような、歯車じみた魔法陣だ。
……って、や、ヤバい。この魔法陣は誰の目に見えるんだったっ!
思わず慌ててしまったがその焦りも最早遅い。
反射的に起き上がってしまったが、その瞬間に巨人の足元にも俺の魔法陣が出現し、目くらましのように強い光を放った。
「――――ッ!!」
一瞬何が起こったのか解らないようで、巨人は思わず全ての目を細める。だがその隙に、魔法陣の中から数えきれないほどの太い蔓が伸びあがり、巨人の腕と足に強く絡みついた。ぎしりと音でもなりそうなほど締め付ける蔓には、さすがの巨人も対処出来なかったようで、俺の想像通り振り上げようとした腕を震わせていた。
「やっ、やった!」
勢いに乗って立ち上がってしまったが、こうなるともう隠れずとも良かろう。
とにかく相手を止めたんだから、後はどうやって元のネレウスさんに戻すか冷静に考えればいいんだ。そう思いながら息を漏らした俺に……巨人の無数の瞳が一斉にぎょろりと向く。
「えっ……」
いっ、嫌な予感がする。
俺の腕から光の蔦が消えて、魔法陣が消えた刹那。
「ツカサ君、そこから逃げて!」
ブラックの声が聞こえた瞬間。
「グォアァア゛アアア゛ア゛ア゛!!」
なんと。
巨人は全ての蔓を力だけで強引に引き千切ると、髪を靡かせて拳を振り上げながら向かって来たではないか。
「あ゛っ……!」
や、やべえ忘れてた。百眼の巨人は、モンスターを素手で殺すようなレベルの怪力なんだった! ああああ例え本当の巨人じゃないとしても、それはお話を聞いて散々分かってたはずなのに俺のバカー!!
どうしてそこを忘れちゃうんだよ、そこ想像してないと拘束の意味ないじゃんか!
「ツカサ君!」
「うぐっ」
目の前から陰が迫ってくる。
視界の上部に何かが迫って来た、と思ったと同時、腹部に強い衝撃を受けながら俺は背後へと吹っ飛んだ。いや、これは……ブラックが俺にタックルするがごとく抱き着いて、そのまま移動させてくれたんだ。
そう気付いた瞬間、俺の目の前に思い切り拳が振り下ろされていた。
「ヒィイッ!?」
どん、という音のすぐ後に、メリメリと嫌な音がして地面が簡単にへこむ。
う、うそ、そんなに怪力なの!? それどう考えてもヤバいやつじゃん!!
一発でも喰らったら絶対にアウトだ。こんなのブラックでも受け切れるかどうか。
そう思って青ざめた俺達に、再び紫の巨人と化したネレウスさんが近付いて来る。
俺達以上に素早いと言うわけでは無いが、しかし相手は本気を出してないだけかも知れない。これ以上隙を見せては危ないかも。
そうは思うが、ブラックに抱えられて逃げる俺にはどうする事も出来ない。
こうなると、二度目が通用するか判らない。どうすればいいのかと考えて、巨人の顔をふと見た、と。
「あっ……! あのローブ野郎っ……!」
ブラックも気付いて上を見上げる。
巨人の耳の傍には、いつのまにかあの謎の人物が浮きながら近寄っていて、何事かをヒソヒソと耳打ちしているようだった。
何だ、何を教えているんだ。
「ロクな事を教えて無さそうだね……」
嘲るように言うブラックに、思わず頷いてしまう。
こんな場合で耳打ちする事なんて、大抵ロクな事じゃ無い。
まさか、俺達を斃すために何か嫌な知識を吹き込んでいるんじゃないのか。
そう思って身構えた俺達に、謎の人物はフッと笑い――――消えた。
「えっ!?」
急に、空気に溶けるように消えた相手に思わず硬直した俺達に、巨人はギロリと目を向ける。しかし、襲って来ることは無い。
むしろ……大股で、俺達の横を通り過ぎてしまった。
「なっ……」
「えっ、え?!」
驚いている内に、巨人はどんどん離れて行ってしまう。
何故に無視されたのか解らずに、ブラックと二人で思わず相手の背中を見送ると、その先には“あるもの”が見えた。
その、あるものとは――――
「ヤバ……っ……ぶ、ブラック!!」
「ああもう解ってるよ! ったくなんでこう上手く行かないかなあ!」
かなりの距離を離された事に気付き、俺達は慌てて後を追う。
どうしても相手をそちらへと行かせるワケにはいかなかった。
だって、巨人が向かおうとしている方向には――――
“彼”が命を捧げる覚悟で守っていた、アーゲイアの街が広がっていたのだから。
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