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聖都バルバラ、祝福を囲うは妖精の輪編
27.恐れを知らぬ渇望
しおりを挟む状況が、理解出来ない。
どういうことなんだこれは。
何故目の前の人達が凍っている。
どうして、ウィリー爺ちゃん達が、氷の柱に閉じ込められているんだ。
何が起こった。どうして、どうして……!?
「あ……あど、にす……」
舌が回らなくなってきた口で、俺は必死に自分を抱いている相手の名を呼ぶ。
すると、彼は俺にいつもの笑顔でにっこりと微笑んで見せた。
「よく頑張りましたねぇ、ツカサ君。……やはり君は特別な存在だった。私が待ち望んでいた、私の計画を成就させてくれる、唯一の存在だった……!」
「こ、んな、どうし、て」
どうして、ウィリー爺ちゃん達を……自分の父親を、氷に閉じ込めたんだ。
訳が分からなくて眉根を必死に寄せて見上げる俺に、アドニスは嬉しそうな笑みを見せながら、俺の髪に手を触れて来た。
「彼らが消えてしまうと、この無尽蔵の大地の気も消えてしまうからです。それに一人でも鍵を閉めてしまえば、もうこの泉は大地の気を故意に放出する事などありませんからね……君も、同じでしょう?」
「え……」
「その無尽蔵の気を、自らの認める者にのみ受け渡す事の出来る稀有な存在である君も、普段はその力に鍵を掛けて人を遠ざけている」
なんで、そのことを、知って…………。
「ふふ……計画のために必要だった二つの物を、私はようやく手に入れる事が出来た……。君と……この国を蝕む強力な力をね……」
どうしよう、何か言いたいのに、もう口があまり動いてくれない。
頭痛が酷くて今にも意識を失いそうだが、でも倒れる訳にはいかない。アドニスが何を言っているのか解らないし、今の状況はどうみたってヤバいんだ。
俺の髪を梳いているアドニスは、自分の父親を含めた妖精の国の重要な人物達を一気に凍らせて捕えてしまった。そして今、俺と神泉郷の大地の気を手に入れたとでも言いたげな事を俺に説明しているんだ。
それが何を意味するかなんて、バカな俺だって解る。
アドニスは……『緑化計画』を成就させるために、全てを奪う気なんだと。
「どうする、気だ……」
「水は器が無ければ運べない。それは気も同じです。……ツカサ君、今から君には器になって貰いますよ」
「な……っ……!?」
器ってどういう事だ。俺に何をさせようとしているんだ、こいつは。
訳が分からなくて眉間に皺を寄せる俺に、アドニスはまたにこりと笑った。
「アクア・レクスを使える君なら解ると思いますが、この世の存在には“気”を流すための道筋のようなものが有ります。……勿論、この神泉郷にもね。その道筋を弄って、今から君に結合します」
「はっ……ぇ……!?」
「そのために、今まで君の気の流れを確認して来たんですよ。全てを把握する事は出来ませんでしたが、それでも君に付けられた痕を利用すれば簡単だ」
そう言うと、アドニスは俺のコートの合わせを開き、首筋を剥き出しにした。
「え……っ、な、に……っ」
「あの男に気を渡した痕なら、君の体内への道筋がまだ残っている。……ふふっ、何度も何度も事後の姿を見せて貰えて助かりましたよ。しかし人族とは不便ですね。君がいくら他人に気を与えられる特異体質だったとしても、相手は交尾をしなければ受け取る事が出来ないとは」
なに、それ……もしかして、アドニスは俺がブラックとえっちする事で、あいつに曜気を渡していると思っているのか?
そ、そんなバカな事……いやでも、アドニスは炎の曜気は見えないはずだ。
見えたとしても、俺の体内の気の巡りの一部だけに過ぎないはず。だとしたら、アドニスは俺の体の気の増減を確認して、そういう推測に辿り着いたのだろう。
ああ、そうか。そう言う事だったのか。
だから、今日俺がキス痕をつけて元気にしてるのを見て「おかしいな」って顔をしていたんだ。そりゃそうだよな……アドニスが把握出来た範囲は、俺がブラックと一晩過ごした次の日ぐらいしかなかったんだから。
でも、キスの痕に道筋を作るってどういう事だ。
俺を器にするって……まさか……。
「この泉から放出される膨大な気を、木の曜術で君の体を経由して放出されるように道筋を変えます」
「そんな、こと……出来る、わけが……!」
「出来ますよ。君の【気を蓄える力】と……私の素晴らしい力を使えばね」
アドニスの金の双眸が、悪魔の笑みに歪む。
息を呑んだ瞬間、俺の首筋の鬱血痕に細く綺麗な指が押し当てられた。
「安心して下さい。悪いようにはしません」
「…………っ!!」
やめろ、と、口を開いたと同時。
「我が【緑樹】の名に於いて発動す……――――
木々よ、地を縛り我が器に根ざせ……!!」
首筋に当てられた指が、ぞわりと動く。
その指ではありえない感覚が、小さい手のように開き、俺の鬱血痕を掴んだ。
瞬間。
「っあぁああ゛あああ゛!?」
なんだこれ。体が熱い。衝撃に、声が抑えられない。
全身が痺れたみたいになって、体がびくびくする。辛いとか、気持ちいいとか、そんな次元じゃない。内部から神経を焼き切るような、五感では感じ取れない感覚が襲ってきて、ナカで爆発しそうになる。
なんで、こんな、なんでこんなこと……!
「ツカサ君!?」
「ツカサ!!」
あ、ああ。光の向こう側で、声がする。
俺の叫び声に、今の状況が危険な物だと気付いたのか。
「参りましたね。器としては最高が故か、思ったより伝導率が高い……。これでは交尾しているのと一緒か。おかげで気付かれてしまった」
「ひっ、ぐ……う、あぁあ……あ……!!」
「まあ、遅かれ早かれ……仕方ない、媒介で少し力を逃しましょう」
そう言うと、アドニスは俺を両腕で捕え、その場から垂直に飛ぶ。
「我が【緑樹】の名に於いて命ずる……――
永劫の柱に縋り、新たなる道筋となれ……!!」
信じられない跳躍力に、思わず首が下を向く。
光の柱の中、眼下に見えたのは、泉の中心から蜘蛛の巣のように伸び、緑光を放っている巨大な蔓と、その蔓にがんじがらめにされた二十七の氷の柱。
そして……その蜘蛛の巣の中心に安置されている、ヨアニスの姿だった。
「アッ――――……ッ、ぁ……」
蔓が全ての柱に巻き付いた途端、体の中の暴走する熱が一気に鎮火し、思考が戻ってくる。だけどまだ体の中をじりじりと侵す熱は燻っていて、俺の体は全く力が入らなかった。動くのは、口と目だけだ。
「あど、にす……なんで、こんなこと……!」
「何度も説明したはずですけどね」
知ってるよ。アンタが緑化計画を何としても成就させたいんだって事は。
だけど、だからって自分の父親を含めた仲間を凍らせるなんて……。
それにヨアニスを救うはずの旅だったのに、どうしてこんな事をしたんだよ。
お前、本当に何なんだよ……!!
「よあ、にすの……っ」
「ああ陛下ですか。安心して下さい。氷縛の術はもう溶け始めていますよ。生物の蘇生を行う場合は、対象の時間停止を徐々に解除して行かねばなりませんから」
そう言いながら、アドニスは蜘蛛の巣の中心……氷漬けのヨアニスの隣に優雅に降り立つ。徐々に解除って……そんな、肉の解凍みたいな……。
でもヨアニスの事を気に掛けてくれているって言う事は……やっぱり、ヨアニスの事を助ける為っていう目的もあったのか?
だけど、こいつが今やってる事は……。
「なんだ、これは……!」
「っ!」
俺の耳に知った声が聞こえて、思わず声のした方に目をやる。
そこには、光の柱の中に入って来たブラックとクロウが居た。
「さすがに愛しい恋人の声には気付きますか」
「貴様……これはどういう事だ……」
ブラックの手が、剣の柄に掛かっている。返答によっては、アドニスに攻撃を仕掛けるつもりだ。でも、それは剣での攻撃じゃない。
俺にはブラックの周囲に湧きあがる赤い曜気が見えている。
クロウも、橙色の曜気を体に纏っていた。二人とも、直接的な攻撃をするように見せかけて曜術でアドニスに不意打ちを仕掛けようとしてるんだ。
でも、そんな搦め手を使う二人なんて今まで見た事ない……。
まさか……そんな事をしないといけないほどの強敵だって事なのか、こいつは。
「遅いお着きで」
「戯言はいい。……何をしているのかと聞いているんだ」
睨むような表情で問いかけるブラックに、へろへろな俺を抱いたままのアドニスは笑いながら肩を竦めた。
「この状況でそれを問いますか」
「ああ、そうだな。訊いた僕がバカだった。……またツカサ君を実験材料にしようとしてるのか? 新たな材料を見つけてご満悦の所を悪いが、さっさとそこの氷の塊とツカサ君をこちらに渡せ」
「おやおや、交渉と言う物は一方的な搾取だけでは成立しませんよ」
「ツカサを拘束しておいて何を言う……それに……その髪はどうした……!」
クロウが唸り声を上げながら体勢を低くしている。
こちらも、土の曜術で足場を作ってすぐに飛び出せるようにしているんだ。
基本的にこの世界の人間は、自分の使える属性以外の気は見えない。夜になると誰にでも見えるようになる大地の気は特殊ものなのだ。
だから、曜術師同士でも、別属性なら相手がどんな術を使うか呪文の名前を聞くまで絶対に解らない。アドニスはクロウが土の曜術を使えるなんて思っていないだろうから、不意打ちには最適だが……俺が人質になってしまっている以上、迂闊に飛び出せないようだ。ああ、返す返すも申し訳ない。
……いや、そんな事を考えている場合ではない。
そうだよ、どうしてアドニスは髪の色が変わってるんだ。色を一瞬で染め変えたと言う訳ではあるまい。と言う事は……彼の変化は、今のこの状況に関係が有るという事になるが……。
「……お前、何故こんな曜術が使える?」
何か含みのあるブラックの言葉に、アドニスは一瞬余裕のある態度を失ったように思えたが……すぐにまた微笑み、ブラックに首を傾げて見せた。
「それは、どういう意味ですか?」
「こんな荒事が出来る曜術師なんて、そうはいない。お前の氷の術が固有技能だとしても、連続して曜術を使うにはそれ相応の詠唱が必要なはずだ。なのに、お前は殆ど詠唱も無く木の曜術を発動した……。そして、お前が木の曜術を発動した途端に、髪の色がまた暗い緑に戻っている……それは、何故だ」
問いかけてはいるが、その声はどこか確信めいた音を含んでいた。
アドニスもそれに気付いたのか、ふっと息を吐いて片眉を上げる。
「おや……気付きませんでしたか? ……まあ、そうでしょうねえ。木の曜気は、“永遠の停滞”を意味する氷には無条件で抑えつけられる……と言う事を、誰も知らなかったんですから。まあ、だから私の力もここまで【血族の持つ氷の力】でギリギリ抑えて、騙していられたんですけどねえ」
「騙していた、だと……」
「ええ。都合が悪かったんですよ。私がまだ木の曜術が使えるとバレたらね。この髪色のままだと、間違いなく国には戻れなかったでしょうし」
どういうことだ。どうしてアドニスが木の曜術を使えたら戻れないんだ。
アドニスが木の曜術を使える事と、髪色には何かの関係が有るのか?
もしかして……アドニスの木の曜術って、固有の能力じゃないのか……?
「髪の色を変えたのは、やはりやましい所があったからか……」
吐き捨てるように言うブラックに、アドニスは猫のように目を細めて笑うさまを見せつけ、俺の事を深く抱き込んできた。
それがブラックとクロウを挑発する手段だと解っていて。
「大変でしたよ。多数の術を掛け続けながら、更に自分に対して永続的に氷縛の術をかけて、この“緑樹の力”を表面上だけ封じ続けたのは……そのせいで、私の体も随分と弱体化しかけてましたし」
アドニスのわざとらしい声音は、挑発のためか。
惑わされてはいけないと思い、俺はブラック達が激昂しないように落ちつけようとした……だが。
「ブラッ、ク…………?」
ブラックは何故か、アドニスの言葉に驚愕したように目を見開いていた。
「りょく、じゅ…………やはり……お前は……!!」
……りょくじゅ……緑樹って、さっきアドニスが言っていた短い呪文の……?
だけどそれだけじゃ解らなくて、思わずアドニスを見上げる。
すると、相手は――――何もかもを見透かしたように、ニヤリと笑った。
「……貴方達、何か知ってるんですか?」
アドニスの楽しげな言葉が、やけに耳に残る。
どうしてか背筋が寒くなって、耳を塞ぎたくなって堪らなかった。
だけど、俺にはどうにも出来ない。唖然とした顔で俺達を見上げているブラックにも、手を差し伸べてやれなかった。
俺の目の前で、ブラックが覚束ない一歩を踏み出す。あまりの事に汗が噴き出していたが、それすら拭う事も出来ず、ブラックはぽつりと声漏らした。
「まさか、お前…………あの、本を……――
【緑樹の書】を読んだ……木のグリモアなのか……!?」
――――え…………。
木の、グリモア……?
アドニスが、木の曜気を司るグリモアを読んだって……そんな、まさか。
じゃあ、あの研究所で尋常ではないほどの木の曜気を周囲に振りまいていた植物も、彼の髪があんな不思議な色に染まっていたのも、こんな信じられない事を引き起こしたのも……全部……グリモアの力だと言うのか。
だけどそれなら納得がいく。
木の曜気を無尽蔵に発生させて蓄える事が出来るのなら、規格外の薬師としての仕事も充分に可能だ。それにこの大地の気が極端に少ない国でも、充分に強い植物を育てる事が出来る。
なにより……今、目の前で氷漬けになった長老達を縛っている、恐ろしいほどの曜気に満ちた樹の幹のような蔓の群れが……彼の異常な能力を示していた。
でも、なら、どうして。
どうしてその能力を持ちながら、緑化計画なんてものを……。
「ご名答……ですが、もうそれ以上の情報はいりませんよね?」
「え……」
「私はこの機会を望んだ。貴方達は、それを叶えてくれた。それでおしまいです。さあ時は満ちた。私達は一足お先に帰還しますので、貴方達は城でゆっくりしてから、人族の世界に帰ると良い」
「なにっ、どういう……」
「血族の命によりて命ず……我が血よ、氷樹の森への扉を開け……――
【異空間結合】……!」
アドニスがそう呟いた瞬間、俺達の背後で形容しがたい音が響く。
何が起こったか確認する事も出来ない俺を抱え、アドニスがまた飛び上がった。
「では、ごきげんよう」
そう言ったと同時、くるりとブラック達に背を向ける。
抱えられた俺の目に映ったのは、ぽっかりと空中に開いた黒い丸穴だった。
「なっ、あ、あれ」
「安心しなさい、ただの出口ですよ。急ごしらえで格好がつきませんが」
出口って……もしかしてあの穴って、妖精の国への扉と同じ物か。
だとしたら、このままじゃ……。
「また極寒の地に戻りますから、覚悟して」
アドニスは躊躇いも無く俺を抱えたままその穴へと滑り込む。
視界が一気に暗闇に包まれて、俺は思わず光を求めて上を向いた。
俺達の頭上にある円形の空が遠くなっていく。
その空に人影が見えた。
「待て……ッ!!」
そう叫んで、小さくなる円を越えて誰かがこちら側へと落ちて来た。
光に微かに煌めいた、赤い髪。あれは……。
「ブラック!!」
扉が閉ざされる瞬間に、ブラックが飛び込んで来てくれたんだ。
思わず嬉しさをにじませた声を上げる俺に対して、アドニスは忌々しげな感情を隠しもしないで言葉を吐き捨てた。
「おやおや……邪魔者まで付いて来てしまいましたか」
心底うざったそうな言葉。
だけどもう戻る事は出来ず――――完全に、妖精の国の扉は閉じられた。
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