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聖都バルバラ、祝福を囲うは妖精の輪編
26.ずっと待ち続けていた
しおりを挟む曲がりくねった道をしばし歩いていると、途中から周囲が妙に明るいような気がして来た。でもここ、左右を崖に挟まれているから、薄暗いはずなんだけどな。
どういう事だろうかと見回していると、空気中に小さな光が見え始めた。
これってもしかして……大地の気か……?
最初は見間違いかと思ったが、歩を進める度に周囲に浮かぶ大地の気の光は増えて行く。もしかしてこれが神泉郷に近付いて来ている証拠なのかな……。
「どうしたのツカサ君」
「あ、えっと……大地の気が……」
クロウと台車曳きを交代したブラックが、すぐさま俺の隣に歩いて来る。
俺は試しに一番近くでふわふわと浮いている光の粒を指さしてみたが、ブラックは見えないようで指先をじっと見つめていた。
「大地の気って……見えるのかい?」
「うん……確か大地の気って昼間は普通なら見えないんだよな?」
「そうそう。でもまあ、ツカサ君なら目を凝らせば見えるんだよね。見てみようとして見えるのが解ったの?」
「いや、自然に見えてきた……。神泉郷に近付いてきた証拠なんだろうけど、正直これよくあることなの?」
「うーん……土の曜術師なら大地の気も解るらしいけど、ツカサ君は規格外の存在だからなあ……」
コソコソ二人で話し合うも、答えは出てこない。
アドニスに訊けば何か解るかも知れないけど、そんな事を聞いたら「どうして君がそんな能力を持っているんですか」とか聞かれてヤブヘビになりそうだし……。
急に見えた理由が解らないけど、まあ俺がパワーアップした可能性もあるよな!
そもそも俺、目を凝らせば大地の気を見る事が出来たわけだし!
こういう時は変に不安がらずにポジティブに行こう。
ビクビクしてたら変な所まで突かれそうだしな。
そんな事を思っていると、道が大きく蛇行し始めた。
右に大きく回って、左へ曲がる。急に細くなった道幅が不思議でキョロキョロと見回していると、道の先が急に明るくなっているのが見えた。
「あれって……」
「さあ、あの曲がった所を抜けたら到着ですよ」
少し先を歩いていたアドニスが、俺達を振り返って言う。
いよいよか、あのカーブを曲がった先についに神泉郷が……!
俺はブラックとクロウに目配せをして頷くと、ついに目的地へ足を踏み入れた。
「おおっ……お……おぉ…………」
声が段々と小さくなったのは、決してガッカリしたからではない。
したわけではないのだが……だけど、あの“大峡谷の岩戸”を見てからだと、どうしても感動は薄くなってしまっていた。
……何故なら、大峡谷を越えたその先にあったのは……三方を高い崖に囲まれた荒れ地に、まばらに木や植物の生えた場所で――――その行き止まりのような場所の中央には、子供用のプールレベルの広さの池があるだけだったのだから。
……正直、ちょっと感動が薄い……。
神泉郷と言うのだから、もっとこう、神殿が有ったりべらぼうに広い所ってのを想像してたんだけど……でもまあ、泉って言ってもただの小さな噴水だったりする事も有るし、名所にありがちな「期待しすぎる方が悪い」って奴だよなコレって。
大体俺達は名所めぐりをしに来たんじゃないし、そんな事は関係ない。
クロウに曳いて貰っていた台車を行き止まりに引き入れると、アドニスがパンと手を叩いて俺達の注目を集めた。
「さて、これからの話ですが……まず皇帝陛下を降ろし、泉の中央に沈めて下さい。その時にツカサ君にも一緒に泉に入って貰います」
「お、俺も入るのか!?」
「泉はそれほど深くありませんし、濡れないので安心して下さい。この水は、幻のようなものなので。……そして、私に手を貸して貰います」
「手を?」
何をするのだろうと思ってアドニスを見ると、相手はにっこりと俺に笑った。
「氷縛の術を解除せずに陛下を蘇生できる状態まで回復させるには、私一人の手では足りません。膨大な気と、水の曜術を使える者が必要になります。……ツカサ君、きみは水の曜術が使えましたね?」
「う、うん……」
「だったら、【アクア・レクス】を使って、陛下の腕の部分を調べ、その術で体と切り離された腕の水の流れが繋がるように脳内で想像して下さい。そうする事で、腕に大地の気が通って循環し、腕の機能がちゃんと修復されて肉体にくっつくはずです。これは、水の曜術師にしか出来ません。結合するまでは私の木の曜術で強引に接着して補助します。なので、一緒に泉に入って下さい」
え、えええ。
待って、いっぺんに言われても良く解らない。
まず、ヨアニスを泉の中央に沈めて、それから俺とアドニスで泉に入り、ヨアニスの体と腕を水の曜術【アクア・レクス】で繋げながら、氷縛の術を解除して貰う……という事でいいんだよな……?
でもどうしよう、人体相手にアクア・レクスを使った事なんてないし、第一その術は未だにうまく使いこなせていないんだ。失敗したら大変な事になる。
その事は言っておかねばと思い、俺は慌ててアドニスに言葉を返した。
「あ、あの……俺その術まだうまく使いこなせないんだけど……それに、失敗する可能性の方が大きいし……それで大丈夫なのかな」
「心配いりません。私が氷縛の術を操って、君の術が患部以外に及ばないように制限します。私は水属性の曜術は使えませんが、氷の術なら任せて下さい」
「そ、それ本当に大丈夫なのか?」
「ええ、誓って」
そう言われると……もう、何も言えない。
俺の隣にいるブラックとクロウを見上げたが、二人とも答えあぐねているらしく、俺を見て困惑したような表情を浮かべていた。
ブラック達でも大丈夫かどうか解らないのか……ああ、不安でしかない。
だけど、俺がやらなければもうどうしようもないんだ。
日本男児が、ここでぐずぐずしてどうするよ。俺にしか出来ないと言うのなら、ビシッと決めて行かなきゃ……。
ま、まあ、俺一人でやるんじゃないし、何とかなるよな。
どっちにしろこのままではヨアニスは助からないんだから、やるしかないんだ。
「……解った。じゃあまずはヨアニスを棺から出してあげよう」
「お願いします」
「皇帝陛下を救うための方法は充分に解ったけど……その間僕達はどうしていれば良いんだい?」
「オレにもなにかやる事はないのか」
そう言えば、今までの説明は全部俺とアドニスがやるべき事だったな。
手持無沙汰と言った様子のブラックとクロウに、アドニスは猫のようにニッコリと笑って身振り手振りを交えて答えた。
「貴方がたには、万が一の時に備えて、曜気をいつでも放出できるようにしていて貰いたい。あと……いくら濡れないとは言えど、ここは神聖な泉であり膨大な量の大地の気が湧き出る場所ですから……ツカサ君のバッグを預かっていて貰えませんか。薬などに反応して、変な事になったら困りますのでね」
ああ、確かにそうだな。
それにウィリー爺ちゃんに「泉にロクを近付けない方が良い」と言われていたんだから、今回はバッグは預かって貰おう。
ここでなら、多少警戒心のない振る舞いをしても大丈夫そうだしな。
俺はロクの入ったバッグをクロウに預けると、ブラックと一緒に細心の注意を払って棺を開けて、その中から氷漬けのヨアニスを必死に持ち上げて取り出した。
……こう言う事は、力持ちのクロウに任せた方が早いんだけど、クロウはどうも貴重品の運搬は苦手なのか「オレがやると、氷にヒビを入れかねん」と珍しく遠慮したので、俺達でやるしかなかったのだ。
まあ、自信が無い事を無理にやらせるのはイカンわな。
てな訳で、泉の淵ギリギリまで台車を引き寄せると、俺達は棺から出しておいた巨大な氷の塊に手を付けた。
……やっぱ冷たくはあるんだけど、触れた瞬間に「つめたっ!」ってなるほどじゃないな。ひんやり気持ちいい程度だ。これで中の存在の時間経過が停まっているって言うんだから不思議だよな。
「ツカサ君、足の方持ってね。じゃ、行くよ」
「おうっ……!」
いっせーのーせで持ち上げたが、やっぱり重い。
ぐううチクショウ俺にもっと力が有れば……あと筋肉痛がなければ……!!
だがここで膝を地に着ける事は許されない、そんな事をしたら俺がまるで貧弱なもやしっ子みたいじゃないか。ここは何としても平然と運んでみせる……!
必死こいて男の尊厳を保ちながら、泉にじりじりと足を付ける。
「ひぇっ、冷たっ……!」
「でも確かに濡れた感じはしないね……」
軽々と氷の塊を持ち上げて不思議そうに言うブラック。
ええ、確かに濡れた感じはしなくて凄く不思議ですけれども、俺それどころじゃないんです。
ゴリラのなりそこないみたいな顔になってるから早くして。
「ツカサ君その顔面白いね」
「どつきまわすぞお前ゴルァ!!」
お前一応俺の恋人だよね!?
こういう時だけ真っ当な人間目線でコメントするのやめてくれるかな!?
ちくしょうオラ泉の中心まで来たぞゴルァ!
腰を屈めて慎重にヨアニスの入った氷の塊を置くと、ごぽごぽと小さな泡が立ち上った。中心の深さは俺の臍の上くらいまでだけど、でもやっぱり冷たい感覚はあっても濡れた感じはしないな。服とかは水を吸ったようにふわふわと水中で浮いてるけど、引き上げたら何とも無いんだろうな……ほんと不思議な泉だ。
「じゃあツカサ君、僕は離れてるね」
「あ、うん」
「あのクソ眼鏡に痴漢されたらちゃんと叫ぶんだよ」
「う、うん……」
信用ないねアドニス……まあ、やった事がやった事だし仕方ないけど……。
ブラックが引き上げたのを確認して、アドニスが俺の所まで近付いて来る。
「で、どうすればいいんだ?」
アクア・レクスを使う時にサポートするって言ってたけど……俺の方はこれからどうしたらいいのやら。
首を傾げて目の前のアドニスを見ると、相手はいきなり俺を抱き込んできた。
「うわあ!?」
「ちょっ、腐れ眼鏡!!」
「お前ツカサに何を……ッ!」
「誤解しないで下さい、これは、術を発動する時にツカサ君を氷漬けにしないためですよ。万が一って事も有りますからね。……それに、補助するにはツカサ君の気の流れを把握しなければいけません。離れていては都合が悪いんですよ」
「そ、そうなの?」
じゃあ仕方ないか……。
俺だってまだアクア・レクスを使いこなせてないのに、その上サポートを万全にする策を怠っていたら目も当てられない。
俺達が今からやる事は人の命に関わる事なんだから、こんな些細な接触を問題にしている場合じゃない。俺はしっかりと頷くと、背後から俺を覆うように体を合わせてくるアドニスに背を預けた。
「本当か? 本当にアレが必要な事なのか……?」
「解らん……」
そこのオッサンどもうるさい。
「では、まず泉に眠る大地の気を喚びだします」
「う……うん……」
いよいよか……。
ごくりと唾を飲み込んだ俺にアドニスは軽く笑い、俺の両手を背後から取って、泉の底に眠るヨアニスに翳すように上に引き上げた。
耳のすぐ上で息を吸う音が聞こえる。
思わず息を呑んだのと同時、涼やかな声が言葉を紡ぎ出した。
「神の造りし永劫の都を治める二十七の原始の柱よ……今ここに在る偉大なる王を蘇らせんとす我が願い聞き届け給うのであれば、神泉の誓いに従って力の源を開く鍵を示し給え……我が名はアドニス・ウィリディス・ヴァシリカ・ゲルトハルト、氷雪の使徒たる妖精王、ウィリディス・ジラント・ヴァシリカ・ゲルトハルトの血を継ぐ、厳冬を支配する王の末裔たる血族である――――」
流暢な言葉で呪文のように長い言葉を唱えるアドニス。
何が起こるのか解らなくて、俺は心臓の鼓動を早くしながら自分の役目が来るのをじっと待った。いつでも発動できるように、水の曜気を手に蓄え準備しておく。たったそれだけなのに、なんだか緊張してしまって上手く集中できなかった。と、そんな俺の視界に、泉の底から湧きあがる光の群れが見えた。
「あ……こ、これ……」
「君にもやはり見えますか……大地の気の流れが」
内緒話ように耳の上で言うアドニスに、俺は頷く。
「驚いて力を放出しないように、しっかりと正気を保っていて下さい」
「え……」
それ、どういうこと。
背後のアドニスにそう問いかけようとした、瞬間――――
美しい羽を持つ存在が、泉を囲うようにして一気に出現した。
「――――――!!?」
な、な、なに、なんだ!?
泉の周りにいきなりこんなに人が……いや、人じゃない、彼らは妖精だ。
じゃあ、もしかして……この人達って……。
「原始の……二十七士……?!」
呟いた俺の言葉に、真正面に立っていた人物……ウィリー爺ちゃんが、笑う。
『左様、愛しの孫娘よ……。この国を生かす泉の鍵は、我らが二十七の魂魄。我ら全員の魂魄を呼び我ら全員の承諾を得て鍵は開かれる。死しても尚呼びかけあらば我々の気は具現化し、呼びかけに応えるために召喚される』
『いわゆる裁定者、というものじゃよ』
「あっ……ドンジャさん……」
ウィリー爺ちゃんの隣には、ドンジャさんがふわふわ浮かんでいる。
周囲の人達も大小の違いはあれど、みな妖精の羽をつけた妖精族だった。
『なんと、当代のヴァシリカの息子』
『追放されたはずの逸脱者』
『混血の愚者』
『妖精の国に災厄を齎す者』
何だ、妖精達がざわついている。ウィリー爺ちゃんとドンジャさん以外の妖精達が、俺ではなくアドニスを見て、困惑か恐れているような表情を見せていた。
追放って、逸脱者ってどういうことだ。
それに……災厄をもたらすものって……。
『みなのもの、困惑するのも尤もだ。しかし、いま我が息子が願うのは人族の長の復活。我らが宿る国の同胞。平穏なる大陸の礎の一柱を失うは、我らの国の崩壊を意味する。存在ではない、大地を見るのだ』
俺には理解出来ない言葉を放ち、ウィリー爺ちゃんは未だに困惑する他の妖精達を力強い言葉で説得をしようとする。
ドンジャさん以外の妖精達はそれでもまだ迷っていたようだったが、泉の底に眠っているヨアニスの姿を見て、決心を決めたようだった。
『承知した。厳冬の国を守るが神の意思』
『そうあらねばならぬ世界を保つため』
『我が意思、求めに従って鍵を解放す』
妖精達は、俺がヨアニスにしているように泉に手を翳す。
二十七人の手が全て泉へと向けられた、その刹那。
泉が黄金の光を放ち、薄紫色の空にまで届く程の凄まじい光の柱となる。その中心に立ち竦む俺達は、あまりに強く膨大な光にただ驚く事しか出来なかった。
「これ……もしかして……全部大地の気……?」
膨大な量の光に包まれているのに、まったく眩しくない。
それどころかいつも感じていた大地の気以上に体が熱くなって、俺は思わず息を吐いた。なんだ、これ。これほどの気にあてられると、こんな風になるのか。
「ツカサ君、扉が開きました。今から皇帝陛下を救いますよ」
「ふぁっ!? は、はい!」
今か、今がアクア・レクスを使う時なのか!
が、頑張って力を溜め込んでいたけど、大丈夫かな、使えるかな。
「ツカサ君落ち着いて。今、目の前に横たわる陛下が見えますね」
「は、はひ」
「その陛下の腕だけを見て、腕と接合部の形だけを脳内で思い浮かべなさい」
耳の上で聞こえていた声が、耳元まで降りてくる。
ふわりと花のような良い香りがして、俺の耳の端に息が掛かった。
「想像とは、莫大な情報を脳内で描く事だけではありません。深度を高め、範囲を狭め、その中で構築を繰り返しのもまた想像です。それは、水の術であっても同じはず……ツカサ君、患部を……いえ、患部だけを見なさい。全体を見るのはその後です。想像を補うために、視覚と意識を使いなさい」
視覚と、意識。
そうか……そう言う事か。
俺はアクア・レクスを使う時、何も考えずに発動していた。
範囲を狭めようとするのはいつも発動した時だけで、後は自分の脳の認識機能に全部任せきっていた。視覚と意識でコントロール出来てなかったんだ。
……だから、暴走して意識の範囲外の情報まで拾ってパンクしていた。
発動した時も気を緩めずに対象を視覚でロックして、意識して情報の流れを制御する。それを脳内で理解して操る事で、水の最上級術――アクア・レクスを初めて使いこなせたと言えるんだ。
「解った、やってみる」
気合を入れて両手をヨアニスの患部に向けると、背後から俺を包み込んだ相手はふっと笑って、更に深く俺の事を抱き込んできた。
「君を補助するために、氷縛の術はまだ解きません。君の曜術が流れて暴走しないよう、腕以外の場所を塞いで術を手助けします。だから、多少荒くても構いません、思いきりやりなさい」
「おう……!」
そこまで言われたら、やらなきゃ男が廃る!
息を深く吸って、精神を整える。水の術は受身、安定、曜術の中でも最も精神に影響されやすい。心を落ちつけ、俺はただ一点を見据えた。
「体内を巡る命の水よ、命の流れよ……断ち切れた流れを繋ぎ、その命の水を再び正しき流れへと導きたまえ……!」
どうか、ヨアニスの腕を、彼の命を繋げてくれ。
いや、そうじゃない。繋ぐ。俺が絶対に繋いでやるんだ。
血が足りない? 俺が増やす。体内の気が無い? 俺が注ぎ込んでやる。もう誰も泣かない為なら、何だってやってやる……!!
「彼の者の命を繋げ――――アクア・レクス……――ッ!!」
そう吐き出した、瞬間。
「――――!!」
俺の両手から、周囲の眩しさを物ともしない青く美しい光の蔦が現れる。
その蔦は瞬時に何本も生まれ、俺の肩まで巻き付くと首に伸びて取りついた。
同時に青の蔦を辿るように金の蔦が増え、同様に俺の首に鎖のように巻き付いてくる。その蔦の出現を合図にしたかのように、俺の周囲にまたあの不可解な幾何学模様の魔方陣が何個も出現し始めた。
「ッ……!」
なんだ、これ……こんなの今までなかった。
何がどうなって……。
「ツカサ君、意識を飲まれてはいけません! 貴方がすべき事はなんですか!」
「!!」
そうだ、こんな事に驚いている場合じゃない。俺がすべき事は、ヨアニスの傷を完全に治す事。ヨアニスを助けて彩宮ゼルグラムへと送り届ける事だ。
意識を腕に集中して、俺は目を凝らす。
すると――――今までは理解しきれない程の情報が頭の中に流れ込んで来ていたと言うのに、今はすんなりと目的の場所の情報だけが脳内に描き出されていた。
「木の曜術を使って私が患部を縫合します。縫合した所を目印にして、その位置にある途切れた流れを修復して下さい」
「わかっ、た……!」
耳の奥でごうごうと煩いくらいの音がする。
血が、恐ろしい速さで体内を流れている。
意識しろと言われた所が、動く。何かの力……アドニスが出現させた、糸のように細い蔓によって引き摺られた腕が、ヨアニスの体に縫合されるのが見えた。
そうか、そういう事か。アドニスの補助は、指示だけじゃ無かったんだ。
よし、解った。これならイケる。ちゃんと、繋げられる……!
「ぅっ、く……!」
視界とは別の場所で展開されているヨアニスの腕の内部の「回路」を、俺は再び確かめる。視界が別の場所を見ているのに、それとは違う回路図を脳内で動かし、意識を別の方向へと移動させるのはかなりの苦痛だった。
まるで、心が分裂しているみたいだ。
物凄く気持ち悪い、吐きそうでたまらない。
だけどやらなければヨアニスは死んでしまう。
「こ、れか……?!」
脳内で動かしていた回路の中に、途切れた場所を発見する。
その途切れた導線と同じ大きさの線を見つけ、俺は脳内で強引にくっつけた。
「ッ!! ぅっ、く……ううぅう……!!」
痛い。気持ち悪い。吐きそうになる。辛い、逃げ出したい。もうやめたい。
だけどだめだ、まだ繋がってない。繋がってない所が、沢山あるんだ。
涙で歪む視界を必死に凝らして、俺はヨアニスに手を翳しながら必死で幾つもの断絶された線を修復していく。確実に、間違えないように、ひとつずつ。
そうして一つ繋げる度に、頭が割れそうなほどに痛くなる。
だけど、一つ修復し終えると現実に存在するヨアニスの腕から光が漏れて、何かが解放されていくように大地の気の光の粒が空に昇って行くのだ。
――あれはきっと、治っているという、証拠。
わかる。だから、我慢できる……!!
「ツカサ君、頑張ってください。仮死状態の人間は、膨大な量の気を注がなければ蘇生する事が出来ません。どこかから気が漏れてしまえば、もう助からない。君の日の曜術師としての力量に全てが懸かっています」
「っ、く……ち、ちくしょぉおお……ッ!!」
黒曜の使者の力を使っても、俺の耐久力はこの程度か。
違う、そうじゃない。俺だって、俺だってこのくらいは自前のド根性でなんとか乗り切ってみせる……――!!
『繋がる』
『人族とは思えぬ……』
『素晴らしい光、輝き、生命の恢復……!!』
うるさい、喋るな、頭に響く……!!
もう少しで終わる、あと二つ、この路を、線を、回路を繋げば……――
「つながっ、た…………!!」
体が痛みから解放される。
目の前の腕が完全に光を宿し、脳内の回路図は一斉に光を循環し始めた。
「よくやりましたねツカサ君!! 後は任せなさい……!!」
倒れそうになる俺を誰かが抱き留める。
おぼろげな視界の中で、誰かの腕が見える。そしてその腕は――
恐ろしい程に美しい、緑の光を宿していた。
「……え…………?」
みどりの、ひかり?
……どういう、ことだ。
緑の光は、氷じゃない。水でもない。それは……木の、曜気だ。
緩慢な動きしか出来ずに痛みが走る頭を必死に動かして、自分を抱き留めている背後の協力者を見る。
「ぁ…………」
そこには銀の髪を靡かせる相手がいるはずで。
だけど、見上げた俺の目には……緑色の輝きを放つ黒髪に風を孕ませ、金の瞳に恐ろしい程の光を宿すアドニスの姿しかなかった。
『災厄の象徴!!』
『何故!?』
『いかん、みな早く扉を……!』
妖精達の慌てた声が聞こえる。だけど、俺がそちらに目を向ける前に、アドニスは狂気を含んだ微笑みを見せつけるように表した。
「させませんよ、せっかくここまで来たと言うのに」
そう言った、瞬間。
「あ…………!?」
銀の光を散らす氷柱が地面から出現し――――
泉を囲むすべての妖精が、二十七の氷の柱に閉じ込められてしまった。
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