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彩宮ゼルグラム、炎雷の業と闇の城編
11.名を呼ばれぬ子
しおりを挟む名を呼ばれぬ子。
アドニスが最初にその子供を指した言葉は、そんな酷いものだった。
その子供の存在は彩宮の中でも皇帝の側近や皇后のお世話係しか知らず、その者達も今までずっと沈黙を貫いてきたのだという。
アドニスはその子供が三歳くらいの頃に「風邪を引いたから診て欲しい」と言うソーニャさんの依頼で会った事があるらしいが、常識外れのアドニスでもその子供の様子はまともではないと思ったそうだ。
何せ、風邪を引いて寝込んだ子供が居た部屋は、とても殺風景で使用人の部屋のように飾り気も何もなく、まるで倉庫のようで。そこに皇后の子供が居ると言うのは、あまりにも有り得ない事だった。
それでも、皇后であるソーニャさんが一生懸命に飾り付けたのであろう装飾や、手作りらしき玩具などが転がっていたが、しかし、そのみすぼらしさは隠せていなかったらしい。
「診療に行った時は、さすがに驚きましたね。彼はソーニャ様の民間療法で手当てされている以外は、医師の治療などは全く受けていないようでしたし。……皇后の子供が、ですよ? ありえませんよねえ。その事をソーニャ様に言うと、彼女は『この子を守れるのは、私しかいないのです』と仰っていましたね」
「え……ヨアニスは……?」
「陛下は知らぬふり……と言うか、知らないような様子でしたけどね。少なくとも、私にはそう見えましたよ? まあ、相手は炎雷帝ですから……内心子供の事をどう思っていたかは解りませんが」
そう言いつつ、アドニスは俺の真向いの椅子に座って果実のジャムを溶かした茶を飲む。何ともないような顔で語ってくれるが、その話の内容はかなりの重さで、俺は渋い顔にならざるを得なかった。
……だって、名を呼ばれぬ子って言われたんだぞ。
ソーニャさん以外の誰も、その子の名前を呼んでも暮れなかったし認識してくれなかったって事なんだぞ。どう考えたって嫌な気分になるじゃないか。
皇族だのなんだのの前に、子供にそんな事をするなんて考えられない。
子供ってのは親に愛されて周囲の人に見守られて幸せに笑ってるのが一番だろ。それを出来る環境のはずなのに、ソーニャさん以外の奴らは全くやっていなかったなんて、どう考えたっておかしいじゃないか。
何でそんな事を……いや、落ちつけ俺。ここで怒っても仕方ない。
俺も甘いジャムを紅茶らしき温かいお茶に溶かして飲み、心を落ち着けた。
うん、甘い。意外と美味い。
「……で……その子供の待遇ってのは、かなり酷かったんだな?」
「ええ。風邪自体は軽い症状でしたが、ソーニャ様から聞く話によると、給仕達も最低限の世話しかせず、沈黙を貫いていたようですね。そのせいか、ソーニャ様は一人で子供が隔離されている区域に通い、下民のように煮炊きや世話をしていたらしいです。いやあ、初めて見ましたよ。下女のように振る舞う皇后なんて」
「……そんな風にいうか……いや、良いお母さんだったんだな」
「元々ソーニャ様はスヴャトラフ卿と言う貴族の子女であり、彼は質素な暮らしを好む変わり者でしたからね。家事も一通り習っていたのでしょう。……まあ、そのお蔭で子供は生き長らえていたようですが」
あくまでも他人事な態度の相手にちょっとイラッとしたが、感じ方は人それぞれなんだから怒ってはいけない。と言うか話が進まないし。
お茶で喉を潤して心を静め、俺は話を続けた。
「ええと……お前の話を総合すると……ソーニャさんは、子供を守るために二人で彩宮から逃げ出した……って事なのか?」
「彼女が子供を連れ出していれば……の話ですがね」
「えっ……つ、連れ出したかどうか判んないのかよ!?」
「私は薬師としての仕事と研究以外には口を挟まない主義ですので。まあ仮に二人で脱出していたとしても、彩宮側は子供の事を完全に黙殺したでしょうがねえ」
言いつつ、またもや優雅な仕草で茶を嗜む長髪イケメン眼鏡。
ああそうだった、こいつはマッドサイエンティストだった。
子供の存在やソーニャさんがどうして逃げたのかの推測はしても、それが自分に関係のないことなら、真実かどうかを確かめもしないような奴なんだ。
思わず溜息を吐きそうになったが、ふと気付いて俺は顔を上げる。
「……あのさ、ソーニャさんが彩宮に戻ってきたとかって話聞いてる?」
「私は知りませんね。ただ、彼女が失踪した時は、彩宮の中をひっくり返すほどの騒ぎになりましたので……連れ帰っていたとしたら、そう言う話が聞こえて来ても良いとは思うんですけどね。しかし、それも無い。まったく不思議ですよ」
「うーん……」
「まあ、この話は断片的な情報による推測でしかありませんし、真実は違うのかもしれません。ですので、もし確かめたいのなら、パーヴェル卿か皇帝陛下ご本人に質問した方が良いと思いますよ」
まあ、そりゃそうだよな。
つーか大体子供の話だってアドニスから初めて聞いた事なんだし、もしかしたら子供の存在自体がアドニスの勘違いだった可能性も有る。
今まで全く子供の情報が出なかった事だって、最初から存在していないのなら出ようはずもないよな。アドニスの話を鵜呑みにするのも危険って事か……。
だけど、アドニスの発言はいつもムカつくほどストレートで正直だ。
他の人間が隠している事だって、興味が無ければさらりと暴露してしまう。
だとすれば……あながちアドニスの推測が間違いとも言い切れない。
「…………失踪した理由か……」
呟きながら、ぬるくなり始めた茶を飲む。
失踪の理由を今更知ったってどうしようもないし、ソーニャさんはもう戻ってこないのだから、無駄な事かも知れないけど……でも、もし彼女に子供がいるのならその子供は今どうしているのかと凄く不安になった。
名を呼ばれぬ子。母親からしか愛情を受けられなかった子供。
ヨアニスがどう思っていたかは解らないし、今の心が病んでしまった彼に問いかけても、まともな回答が返って来るかは解らない。
だけど……このままではいけないような気がした。
「……なあ、アドニス。その子供が居た部屋ってどこにあるか覚えてるか?」
覚悟を決めて真剣に問う俺に、アドニスは片眉を上げた。
「それは、まあ。……ですがどうするつもりです?」
「決まってんだろ。その子供の部屋に連れて行ってもらうんだよ」
「子供の行方を探すつもりですか。そんな事をしても無駄だと思いますがね」
「研究者が無駄とか言うなよな。アンタだって無駄な事と解っていても、俺の体を一から十まで調べるつもりなんだろ? なら、俺にもそういう事をさせろよ。もし子供がまだ生きていてくれて、ヨアニスに会ってくれるのなら……俺や他の人が彼を支えるよりも、確かな支えになってくれるだろうし……もしかしたら、心の病が治るきっかけになるかも知れない」
そう言うと、アドニスは少し驚いたような顔をしたが……やがていつものように狐染みた笑みでにっこりと笑うと、眼鏡を少し上げて直した。
「なるほど、そうなれば貴方がもう夜伽の役目を行う必要もなくなり、研究に集中出来るようになる。試してみる価値は有るかも知れませんね」
おお、何かしらんが乗って来た。良いぞ良いぞ。
こういう手合いはやる気にさせたら凄く頑張ってくれるんだ。この分なら、部屋への誘導も張り切ってやってくれるだろう。
俺が確かめたい事は三つだ。
一つ目は、本当に名を呼ばれぬ子供が存在していたのか。
二つ目は、存在していたのならどうして周囲がその存在を黙殺したのか。
そして三つ目は……何故、失踪したソーニャさんについて話す時、パーヴェル卿は子供の事も話してくれなかったのかという事だ。
俺に良くしてくれている彼を疑う気はないが、しかし、疑問は解消せねばなるまい。もしヨアニスがソーニャさん達に本当に非道な事をしていたのなら、考え方を変える必要があるし、非道にならねばなるまい。
だけど、もし……彼が、ソーニャさんを愛するように子供も愛していたとするなら……子供の事を思い出させてあげたい。そして、生きているのなら会わせてやりたいのだ。それが、彼にとっても子供にとっても最良の事だと思うから。
今はまだ、どちらか解らない。
だけど救われる希望があってハッピーエンドが迎えられるんなら、俺は足掻いてだってその方法を試してみたい。
なんにせよ、関わってしまったんだから、そのまま放り出すのは気が引けるし、大体このまま俺が逃げたら面倒な事になるだろうしな。
こうなったらやれる方法は何だってやってやりますともさ。
「ところでツカサ君、部屋を探るのは良いんですが……いつやるんですか」
「え? えーと……ヨアニスが寝た後かな……だから、アンタもその辺で待機しててくれる? 夜の方が動きやすいかも知れないし」
「はあ……まあ、良いでしょう。どうせ今日は実験棟に帰れそうにないですし」
やったー。さすが頭が良い人、話が早くて助かるぜ。
素直に諸手を上げて喜んでいると、扉を開く音がして足早に誰かが近付いてきた。おっと……これは……ヨアニスか?
何かを持っているな……と彼を見て、俺はぎょっとして目を剥いた。
「ソーニャ! どうだ、お前が好きだった若草色のドレスだぞ! 装飾は大人しく慎ましやかだろう? お前の好みに合わせたのだ。さあ、着てみてくれ!」
そう言いながら俺の目の前で広げたのは、裾の大幅な広がりはないものの、それでもしっかりと「女性用のドレス」だと言う事が判る服。
俺は眩暈がして一歩引き下がるが、相手は死んだ目ながらもキラキラと俺を見つめていて、その目と言ったら純粋そのものだった。
「よ、よあにす」
「さあさあ、きっと似合うぞソーニャ!」
「クックック……い、良いんじゃないですか……? 着てみたら……ぶはっ」
おいこらアドニス笑うんじゃねえ!!
ちくしょー、発情されないだけマシだけど、普通のリアクションで笑われるのも何かムカツク。特にアドニスに笑われるのがめっちゃむかつく!!
くそ、後で仕返ししてやる。そのうざったい髪を三つ編みにしてやる。
覚えてろよこの野郎……。
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