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祭町ラフターシュカ、雪華の王に赤衣編
1.雪の大地に熊の馬車
しおりを挟む「ツカサ君、ツカサ君。もう朝だよ」
「……ん…………」
掌で額から髪へかけて優しく何度も撫でられる。
その心地良い感覚にうっすらと目を開けた俺は、声のした方へ視線を寄越した。
ぼんやりとした視界に映るのは、紅蓮の髪だ。心地いい低くて落ち着いた声音も相まって再び寝入りそうになってしまったが、寝袋から手を出して目を擦った。
「んん……っ、さむ……」
「あ、声戻ってるね! 良かった……甘くした麦茶温めてるけど飲むかい?」
「んー……」
まだぼやけた頭で頷くと、寝袋ごと上半身を起こされる。
そのまま寝袋を脱がされて、俺はなにやら暖かい所へと頭を押し付けられた。
「ふぁ……」
あ、これ……紺色の、コートだ。俺がブラックに選んだ奴……。
そうか、俺、ブラックの胸に頭を預けてるのか……。
ぼんやり考えると急に周囲が寒く思えて来て、俺はコートに顔を擦りつけた。
「んん……っ!! つっ、ツカサ君そんな大胆な……っ」
「……? 寒いって……」
「あ、そ、そうだね! コート着せないまんま寝袋から体出しちゃったもんね。い……いいよ、そのまま僕に抱き着いてても……っ」
なんか上でハァハァ煩い。
段々と意識がはっきりしてきた俺は、自分が何をしているのかようやく分かり、反射的にブラックの頬をビンタしてしまった。
パァンとか言う凄く気持ちいい音が馬車に響く。
「ぶわっ! ひ、酷いよツカサ君、なんで叩くのさ!」
「いやごめん、なんか発情されてるように感じたからつい……」
「否定はしないけど、僕達恋人同士なんだしいいじゃないか……うう……」
そういや、二人っきりの時は出来るだけ恋人らしくしようとかなんとか言われてたような気がするな。物凄く納得いかないが、ここはとりあえず謝っておこう。
「ご、ごめんごめんって。ほらしょんぼりしないでっ、なー? ブラック~?」
俺も流石に今の反射行動はダメだったなと思い、ビンタした無精髭の頬を両手で覆ってふにふにと揉んでやる。すると、途端にブラックはだらしない顔になり、蕩けたような表情で笑った。
ああもう子供じゃないんだから、これくらいで喜ぶんじゃないってば。
「つ、ツカサ君……ぎゅってして、良い?」
「俺もコート……いや、うん……まあ……そのくらいなら……」
素直に頷くと、ブラックは俺をぎゅっと抱きしめた。
……なんだかなあ、もう。
そうは思うけど実際嫌な気持ちは無くて、俺はしばらくブラックの好きにさせる事にした。
「……そう言えばクロウは?」
「ああ、あの熊公なら外だよ」
「え? なんかあった? 俺まだ藍鉄召喚してないけど……」
そう言えば、ガラガラと車輪が回る音が聞こえる。
ちょっとまって、馬がいないのにでなんでこの馬車進んでんの?
疑問に思って訊こうと思ったが、その質問は既に予想していたらしく、ブラックが先に答えてくれた。
「熊公が獣の姿になって動かしてるんだよ。風邪をひいてるツカサ君を起こして、手間をかけさせる訳には行かないってね。あいつはどうも人間の姿の時より獣の姿の方が耐寒性高いみたいだから、寒さの事は気にしなくていいよ」
「ええぇ……も、申し訳ない……」
「自分から言いだした事だから良いんじゃない? アイツなりにツカサ君に良い所見せたいんだよ、きっと」
そう言いながらも俺の事はがっちりホールドして逃がさないようにしているのが、解りやすいと言うかなんというか。
馬車を引く熊さん姿のクロウは凄く見たかったが、ブラックを引き剥がしてまで見に行くというのも躊躇われて、俺はもうしばらくこの体勢のままでいてやる事にした。まあ……その……普通にこうしてる分には、別に不都合もないし……。
その内飽きて解放するだろう。うん。
「それよりツカサ君、風邪はどう?」
「うーん……喉も痛くないし、熱が出た割にはそんなに酷くなかったみたいだから、もう大丈夫っぽいかな。……まあでも、油断しちゃいけないけど」
「なんで?」
「え? 風邪は治りかけが一番危ないって言われない?」
「いや……ごめん、僕病気とか全くしたことないから……」
病気した事ないって凄いな。バカは風邪ひかないって言うけど、頭いい奴も行き過ぎると超健康優良児になるのかな……?
いや、ブラックは体力お化けだから、悪い病気が襲って来ても体力で跳ね返してしまうからだったりして。どっちにしろ凄い事には変わりないな。
「とにかく暖かい物を飲んで体をあっためよ。はい、これ」
「あ、ありがと……」
そういや飲めって言われてたな。
大人しく甘麦茶を受け取って、息で覚ましながらちびちびと飲み進める。
暖かくして寝袋で寝ていたとはいえ、やはり体温は少し落ちていたらしい。温かい飲み物を胃に入れると途端に体がぽかぽかしてきて、俺はようやく自分の体が思っていたより冷えている事を知った。
それだけ外の気温が下がってるって事なんだろうか……それとも、俺が普通に熱下がって寒くなっただけか。どっちにしろ、体を温めなきゃな。
両手をカップに絡めて指がかじかまないようにしてまた茶を啜ると、ブラックが俺の考えを理解したかのように深く俺を抱きこんできた。
「ツカサ君、あったかい?」
「……うん」
頭に、ざりざりした感触の顎が軽く乗っかってくる。
体も、顔も、頭も、全部ブラックに温められてるみたいで、体に熱が籠る。
病み上がりだからなのか、それとも今日は心が広くなっているのか、ブラックが荒い息を吐いても俺は全く感情が波立たなかった。
寧ろ、安心感さえ覚える。いつもと違うんだよな。
病気をすると心細くなるって言うけど……なんか癪だ。
どんだけ格好良くたって、相手はだらしないスケベなオッサンで、どうしようもないヤンデレで、匂いだって俺の父さんと似たり寄ったりで、女の子のような清潔で良い感じの香りなんてしないのに。
なのに、安心するなんておかしいよな。
けど、俺はそれも織り込み済みでブラックと恋人になったわけで。
納得いかないけど……やっぱり俺も、絆されてきちゃってんのかな……。
それが嫌だってはっきり言えなくなってるのも、正直言ってヤバいかも。恋人になっておいて何を今更って話ではあるんだけど、やっぱほら、あの、俺男だから、女みたいにされるのってなんか嫌じゃん?
だから、こういう抱き締められ方も嫌なはず……なんだけどなあ。
「ツカサ君どうしたの?」
「ん……い、いや……別に…………」
何でもない、と少し顔を背ける。
するとそのタイミングを見計らったかのように、馬車がガタンと止まった。
「ツカサ、ブラック、街が見えたぞ」
馬車の外からクロウの声が聞こえて、俺はブラックを見上げる。
相手は何だか口惜しいと言う様な顔をしていたが、渋々俺を離すと赤いコートを差し出した。
「はい、ちゃんとこれ着てね」
「う、うう……」
深紅色のコートは、俺にとってはちょっと苦手な物だ。でも、この寒さで動くとなるとコートは絶対に必要である。着ないわけには行かない。
ま、まあ真っ赤じゃないから言うほど女子っぽくはないし、フードを被らなきゃウサミミも出ないんだから、我慢しよう。と言うか、気にしないでおこう。
赤だって男も使う色なんだ。気にしなけりゃ、袖とか裾の白いモコモコがコートの可愛さを強調しているっていう事実も気にならないだろう。
なるべく考えないようにしながら袖を通し、しっかりと前を詰めると、俺は馬車から降りた。
途端、目に入ったのは――――遠方まで広がる、白の大地。
向こうに見える青い山が大地の白さを強調していて、俺は思わず息を飲んだ。
辺り一面の雪景色には、遮るものなど何もない。
ただ、俺達がいる街道が一直線に地を割っているだけで、それ以外には樹も草も見当たらなかった。本当に見事なほどの白い風景がそこに有ったのだ。
「わっ、うわ……! し、新雪……!!」
キンと冷えた空気に鼻先と耳を掴まれながらも、俺はブーツを履いて思いっきり街道の外の雪を足で踏み込んだ。
ぎゅっ、という感触と共にシャーベットにスプーンを入れた時のような心地良い音がして、思わず俺は喜色満面でその場の雪に足跡をつけまくってしまった。
「わはははは! ちょっ、なあなあ雪っ、雪だぞブラック! マジ全部新雪だし、これ凄くね!? 足跡つけ放題なんですけど!」
風邪も何のそので動き回る俺の後から降りてきたブラックは、なんだかよく解らないだらしない顔で俺に声をかける。
「ツカサ君ったらも~ほんと可愛いんだからなぁ~、でもそんな場合じゃないよー。ほら、目の前見てご覧。街が見えて来たってよ」
煩い可愛くない。新雪を見たら足跡を付けまくるのは世界共通の欲望じゃい。
だが言う事はごもっともだ。っていうか無視してゴメンクロウ。
街道に戻って前方を見ると、そこには白い景色にぼやけて霞んだ建物の塊が見えていた。茶色の煉瓦で造られた、暖かそうな町……あれがラフターシュカか。
「この調子なら、アイテツでも数時間ほどで着くだろう。もう交代して良いか」
ふご、と音を立てるクロウを見やると。
そこには、馬具を目いっぱいに伸ばして自分に取り付けて、四足歩行でこちらを見ているモコモコの熊さん……いや、クロウの姿が。
「ば……」
「ば?」
「馬車曳き熊さん……っ!!」
「あっ、ツカサ君の可愛いもの好きスイッチが入った」
突っ込むんじゃないそこのオッサン。
ああでも止められないっ。
俺は馬車を曳いていたクロウに一直線に駆け寄ると、久しぶりの熊姿のクロウに迷わず抱き着いた。ああっ、獣なのに大型獣なのにモフモフしてる、しかもこの毛ちゃんと冬仕様になってる! モフモフ感が二倍になってるぅう!
「ツッ、ツカサっ、なんと大胆な……!!」
「勘違いすんなよ熊公、ツカサ君は動物にだけいつもそうだ」
「ふわあぁあクロウなんでお前こんな毛皮モフモフしてんだよぉおお」
思わず首筋に顔を埋めると、クロウがびくんびくんと反応する。
くすぐったいのかなごめんよ、でも触らずにはいられないこの毛皮……!
「クッ……こ、これが性欲なしの触れ合いだなんて……っ」
「今だけはお前の気持ちがよく解るぞ、熊公」
訳解らんこと言ってるけど、動物を愛でる気持ちに性欲が有ってたまるか。
ケモナーの人だって性欲と愛情をちゃんと使い分けてるだろうっての。
「グゥ……いっそこの姿でいた方が……」
「いやー、さすがに獣姦は行き過ぎだと思うぞ」
「獣姦……オレは別に熊の姿でツカサを抱いても構わんのだが……」
「おいコラとんでもない会話してんじゃねーよオッサンども!」
可愛い熊さんの口から獣姦とか聞きたくないんですけど。
せっかく癒されてたのに気分がどん底に落ちちゃったじゃないかこの野郎。
これ以上危ない話を往来でされてたまるかと身を引いて、俺は話題を変えるべく再び前方に薄らとみえる街を仰いだ。
「とにかく、もうすぐラフターシュカだな! さあ、立ち止まってないで、こっからは藍鉄に頑張って貰おう」
「ツカサに抱き着いて貰えるならもう熊の姿でいる……」
「お前抱き着いて貰えるだけでもありがたいと思えよな、僕なんか……」
「だーもーそこ落ち込まない愚痴らない!! ほらさっさと用意しろ!」
人の風邪が治った途端にこれなんだからもう救えないったら。
……でも、何だかこっちの方がいつもの俺達らしくって安心するな。
こんな事言ったら絶対に調子に乗るだろうから、口には出せないけど。
「……俺もどうかしてるかもなあ……」
このオッサン達の相手をしてる俺が一番変な奴とか。ハハハ、笑えねー……。
でも当たらずとも遠からずなんだろうなあと思いつつ、俺は藍鉄の召喚珠を取り出したのだった。
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