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港町ランティナ、恋も料理も命がけ編
溺愛
しおりを挟む話し合いの結果でこうなったのは仕方ない。
とは言え、よりにもよってどうしてこの熊と共に遠くからツカサを見守らなければならないのだろうか。
隣でじっとツカサの動向を見張っているむさ苦しい大熊を見て、ブラックは相手に聞こえない程度に深々と溜息を吐いた。
ファランの頼みのために祭り用のパーティーを組んだとはいえ、自分とツカサには、あの軟弱な男の恋路など本来微塵も関係ない。
ツカサに色々と教えてくれているのは感謝するが、正直な話二人っきりの時間を潰されるのは鬱陶しくてならなかった。ブラックにとっては、他人の恋路など心底どうでも良い事だ。しかし、ツカサがファランを師匠と呼び“健全な意味で”慕い、彼の恋を応援すると言うのなら、ブラックも付き合わざるを得ない訳で。
(……ツカサ君は本当におせっかいだよなあ…………)
ブラックが一言でもファランの事を「どうでもいい」と言えば、ツカサは烈火の如く怒るだろう。
そうして、口をきいてくれなくなるに違いない。絶対にだ。
自分の事には全く興味がない上に、人との触れ合いにはブラック以上に奥手だというのに、何故こうも他人の恋愛や感情に対しては敏感で献身的なのか。
その人の感情に敏感な部分を、少しは自分や己に向けてくれればいいのに。
そう思うと無性に腹が立って、ブラックは視線の遠く先に居るツカサを睨んだ。
(ツカサ君、解ってるのかな。本当に自覚なさすぎだよ)
クジラ島で焦って呼びに行った時もそうだったが、ツカサは今でも自分が他人にどう見られているかを理解していない。
――ツカサから聞くところによると、彼の世界では成人である十七歳であっても、彼のような容姿の人々が多く居るのだと言う。
だから、ツカサは自分がごく普通の一般的な人間だと思い込んでいるようだが、残念ながらこの世界では彼の常識など通用しないのだ。
筋力がない代わりに程よく肉の付いた体、子供のような背丈。好みはあろうが、それでもあどけない童顔であると誰もが思う、愛嬌のある顔立ち。
加えて、人懐っこく誰彼かまわず優しく受け入れてくれるような笑顔。
そんなもの、普通の――少なくとも、この世界の健全な――男子が、持ち長らえていようはずもない。囲われたり家庭に入る妻でもない限り、あのままの愛らしい存在でいられようはずがないのだ。
特に、冒険者であればなおさら。
(だいたいさ、凄く抱き心地良いけど、こんだけ一緒に旅してて少しも筋肉がつかないってどういう事? 物凄く気持ちいいし食べたくなっちゃうくらい柔らかくて凄く大好きだけどさ、ちっちゃくて可愛くて人懐こいままってどういう事? この大陸じゃ、そんな考え方でいると誰かに犯されて、すぐに大人になって渋くなるばっかりなんだよ? 有り得ないよね? 有り得ないから、興味をもたれるんだよツカサ君。それを理解してほしいのに……してくれないんだよなあ……)
その「有り得なさ」を教えない自分も悪いとは思うが、しかし、これを言えば彼は絶対に体を鍛えるとか言い始めて、あの柔らかな感触が半減してしまうだろう。
それは嫌だ。絶対に嫌だった。
わがままだが、恋人なんだからそれくらいは許してほしいと思う。
何故なら、ツカサは全てが得難い物で出来ているような稀有な存在なのだから。
そんな相手を自分の恋人に出来たのだから、大事にしたいのは当たり前だろう。
(だって普通さ、あんな可愛くて魅力的な子が冒険者なんてありえないよ)
体を拓かれて、清純さを失くした事で美しくなる娼姫や青年は存在していても、犯されても愛らしい少年のままの十七歳なんて、まずお目にかかれないだろう。
もちろん、冒険者なんて一番可愛さとは程遠い。そんな世界だからこそ、珍しい存在が目の前に現れれば誰もが手に入れたくなる。
ゆえに、ツカサがその姿を保てば保つほど、魔の手は増えるのだ。
今だって、リリーネとか言う海賊の事を聞き回ってる最中に、後ろからツカサの尻を触ろうとする手が伸びたりしている。
本当に我慢ならない事態だ。
だが、ブラックが出て行って殺そうと思うより先に、ファランがブラックを慮ってか、その不届き物の手を再起不能な程に(文字通り)握りつぶしてくれるので、まだここから動かずに済んでいるが。
彼の恋路は心底どうでもいいが、こういう配慮をしてくれる部分には感謝せねばなるまい。明日の祭りでは、出来るだけ協力してやろう。
(いや、そんな事はどうでもいいか。……にしても、本当に困ったもんだ。ファランが居なければ、ツカサ君たら倉庫に連れ込まれて犯し殺されてるよ。きっと君の世界じゃ、そんな事は滅多にない平和な世界なんだろうけど……ここはその世界とは違うんだ。それだけはちゃんと伝えてるはずなのに……まだ警戒心が薄いんだよなあ、まったく……)
どこか人が少ない山奥で子供を育てれば、あれくらいの無垢さになるだろうか。
いや、無理か。結局、ツカサの「お人好し」は天性のものなのだろう。
自分で言うのもなんだが、じゃなければブラックのような奴に絆されはしない。
その無垢さが“我が恋人の良い所”ではあるのだが、しかし荒くれ者の多い海賊や冒険者の前では、それも控えて欲しいと思わざるを得ない訳で。
(冒険者や海賊は旅をするせいで、細くて綺麗な女性や可愛い男の子にはほとんど出会えないからな……。みんな性には奔放だし、可愛い男の子には大抵もう恋人がついてて手を出せない事も有るから、冒険者ならと思って近付くんだろうが……僕にしてみればいい迷惑だよ)
しかし、そう考えるとなんだか不思議な気持ちだった。
元々は恋人がいる人間を寝取る方で厄介者だった自分が、今はそんな厄介者に対して激しく怒っているなんて。
それを考えると少し嬉しい気持ちがないでもなかったが、でもやっぱりどこの馬の骨とも解らないような人間にツカサを視姦されるのは我慢ならない。
自分の隣には、じっとツカサを見ている横恋慕熊が居ることだし。
(本当にコイツ、邪魔だよなあ……)
ラッタディアの時もそうだったが、この熊、どうにもいけ好かない。
存在自体が気に食わないのという事もあるが、それだけではなく……どうもこの男、ツカサに何かしたのではないかと思うような嫌悪感を感じさせるのだ。
何、というのは具体的には思い浮かばないが、しかし自分の勘は良く当たる。
それ故、余計にこの男が鼻持ちならなかった。
無言でこの男と一緒に居るのは、苦痛だ。拷問にも等しい。
(……早く戻ってこないかなあ、ツカサ君……)
遠くから見る姿も悪くはないが、やはり恋人と言う存在は傍に置いてこそ幸せを感じられる。今は特にそう思っていた。
(手を繋いだり、抱き締めたり、頬を摺り寄せたり……正直、セックスの方が好きだけど……ツカサ君とはそんな事もたくさんしたいなって思うよ。……本当に)
クジラ島で、自分を宥めるために手を繋いでくれた時の嬉しさが忘れられない。
「足元が危ないから」とか「アンタが面倒くさいから」などという理由を愚痴ってはいたが、ブラックにはちゃんとツカサの優しさが解っていた。
自分の為に。ブラックの為に、ツカサは恥ずかしさを堪えてくれた。
ブラックを想うからこそ、態度に示してくれるようになったのだ。
それがどれほど嬉しかったかは、言葉ではとても表す事が出来ない。
自分を受け入れてくれている、大事にしてくれていると言う事が、こうして真摯な態度で示されることが今まで無かったから、心が躍って仕方なかった。
……強請らずとも、髪を梳いて、自分を心配して、手を握ってくれる。
抱き締めて淫らな睦言を囁く事も、恋人になった今は許してくれているのだ。
いくら優しいツカサでも、きっと他の男にここまではしないだろう。
それを想えば、心身ともに昂ぶるが……ここで昂ぶっても意味は無い。
だから早くツカサに抱き着いて、この暖かい思いをぶつけたかった。
(今日は、だっこして寝るのを許してくれるかな。僕が頑張ってるって解ったら、ツカサ君はちゃんとご褒美をくれるんだもんな。ああ、早く帰ってこないかなあ)
老人と話している姿を見ながら目を細めていると、不意に隣の熊が口を開いた。
「おい。ツカサが帰って来る前に、聞きたい事が有るんだが」
「……なんだい」
相変わらず礼儀のなってない獣だ。
と、自分の事は棚に上げて不機嫌に言葉を返したブラックに、クロウは続ける。
「お前は、きちんと泳げるのか」
「…………はい?」
いきなり何を言いだすんだこの熊はと顔を歪めるが、クロウはブラックの表情など気にもせずに淡々と続ける。
「泳げるのかと聞いている」
「何故そんな事を聞く?」
ブラックが泳げようが泳げまいが、この男には関係ない事だ。
なのに何故わざわざ訊いて来るのか。まさか、自分がまともな泳ぎ方を出来ないから、こちらを窺っているのだろうか。
それとも、もしやブラックが泳げなければ船上で殺そうと思っているのか。
物騒な未来を考えてしまうが、ブラック自身がそんな事をしようと考えるような人間なので、そんな予想になるのも仕方がなかった。
元々が、他人など肉塊程度にしか思っていない性格のブラックだ。
ツカサが居なければ、とことん外道だった。
そんなブラックの心を知ってか知らずか、クロウはこちらの問いに目を細める。
「明日の天気が心配だったからだ」
「……どういうことだ? それと僕が泳げる事と何の関係がある」
「……空気が重い。雲が早く動いて、そのくせ鼻が湿る。……もしかしたら、明日は思っても見ない天気になるかも知れない。そうなれば、ツカサが海に落ちる事も有り得るだろう。それに、お前が泳げなければ落ちた時に助けがいるからな」
「…………随分と優しいね」
「お前の事など心底どうでも良い。オレは、ツカサを悲しませたくないだけだ」
この駄熊、いけしゃあしゃあと言い放つものだ。
思わず剣を抜きそうになったが、今はなまくら以下の折れた剣だったことを思い出し、ブラックは辛うじて自分を抑えると溜息を吐いた。
この熊は、ブラックを気遣ったのではない。自分が溺れた事でツカサが悲しみ、他人を拒むのを恐れたから、ブラックに泳げるかを訊いたのだ。
目の前で恋人が死ねば、ツカサはきっともう恋人を作るまいと思うだろうから。
……平たく言えば、ツカサと付き合うのを諦めていないので心配したのである。
そうでなければ、恋敵のこの熊がブラックの心配なんてしないだろう。
いくら誇り高い獣人とて、この男も基本は「欲しい物は奪う」人種なのだから。
……やはりこの男とツカサを二人っきりにはさせておけないな、と心の中で思いつつ、ブラックは先程の言葉を反芻して眉を顰めた。
「嵐……本当に来るのか?」
「わからん。天気の事はオレより狼や犬、猫族の方が詳しい。……だが、強い風が吹く事は確かだろう」
「……ふーん」
それを自分に先に教えると言う事は、この男も一応はブラックの事を認めていると言う事なのだろうか。
考えて、ブラックは変な感覚に顔を歪めた。
(なんだか、昔の事を思い出して嫌になっちゃうな……)
昔、一緒に旅をしていた仲間も、ブラックを仲間として気遣いつつも必要以上に干渉して来ることは無かった。
けれど、仲間として心配し、信頼し、自分を信じてくれていたような気がする。
当時の自分はその事を理解出来ず、今になってようやく解った事だが……その事を考えると、熊……クロウクルワッハと自分の関係は、恋敵である前に仲間と言うつながりがあるのだなと感じて、ブラックは何だかむず痒くなった。
(昔は大事な事が解らなかったのに、解らなくていい今になって解っちゃうなんて、本当にたまんないよ。……これも、ツカサ君のせいなんだろうなあ……)
今まで他人を信じなかった、見ないようにして来た自分を、ツカサは変えた。
人に頼る事、人に教わる事、人と親しくなる事の大切さを、恋人であるツカサが教えてくれたのだ。無意識に、自然に。
だからこそ、今は少し恨み言を言いたかった。
他人なんて、対立すれば戦って殺す障害だと思っていた。
なのに今は、恋敵一人満足に排除できずにいる。
“ツカサのためだ”と思うと、殺意より先に自分が嫌いな「我慢」をしようと言う無意識が働いて、ぐっと堪えてしまうのだ。これはとんでもない負担だった。
そんな負担を強いられているのだから、自分だって愚痴の一つくらい零していいだろう。
死ぬまで破滅の道を進む運命の自分を救ったのは、ツカサなのだから。
(ツカサ君、早くこっちにおいで。僕の所に、帰って来てよ)
家族の所へ帰る手段があるという事を打ち明けてもなお、ツカサは「帰りたい」とは言わなかった。ブラックに肩を寄せて、帰る手段など忘れたかのように、今もブラックの恋人としてずっとそばに居てくれる。
それは、ブラックの隣こそが“ツカサの帰る場所”であるからだ。
誰でもない。
クロウでも、ロクショウでも、異世界の家族でもない。
この、薄汚れた自分こそが。
(……だから、僕にもう、ツカサ君が悲しむような事はさせないで)
こちらを見ているその目が、隣の男を見つめていたとしたら――――
ブラックは、躊躇いなくこの隣にいる「仲間」を殺すだろう。
普通になる努力をし、人としての「当たり前」を知り始めたからこそ、深く暗くなっていく闇もある。失いたくないからこそ、凶暴になっていく感情も有るのだ。
恋をした事を悔やむ気はないが、やはり、愚痴くらいは聞いてほしくなる。
ブラックの全ては、ツカサのせいで「そうさせられる」のだから……
少しは、その愛らしい奔放な行動を自重してくれと。
「はあ……いつか本当に監禁しちゃいそうだよ、ツカサ君」
「何か言ったか変態」
「うるさいな、独り言に一々反応してくるなよ無駄に耳ざとい駄熊」
「なにを」
「なんだと」
やっぱりこのいけ好かない熊だけは、ここで殺しておくべきかもしれない。
ツカサは悲しむだろうが、二人の幸せな未来のためだ。
そんな邪悪な思いを抱きながらクロウと睨みあっているブラックに、ツカサからの「やめんか二人とも」という怒鳴り声が降って来た。
まったく、怒りたいのはこちらだと言うのに。
→
※思ったより長くなったのでお祭り編はちょっと区切ります(;´Д`)
本当は祭り編もこっちに一緒に入れてクロウとアッー!する展開も一緒に
入る予定でした……後書き通りじゃなくてすみません本当…_ノ乙(、ン、)_
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