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ベランデルン公国、意想外者の不倶戴天編
甘い気持ちと苦い出会い2
しおりを挟むこの世界のホットケーキの作り方ー。
小麦粉に砂糖一さじ、何の卵か知らないが真っ黄色な殻の卵を一個、水を適量、緩めの生地を作ってからパフ粉を二さじ。
それらを混ぜた記事を、油を引いて熱したフライパンに丸く流して焼けば、あっという間に完成だ。
こんがりきつね色に出来るかは、その人の腕次第。
……つまり、ものすっごく簡単である。
正直な話、婆ちゃんの家と家庭科の授業でしか作った事がないので、記憶が結構曖昧だが、これ俺の世界の作り方と変わらないんじゃないかな。
たぶん動物の乳があればもっと美味しく出来るんだろうけど、今回はバロメッツ(ヤギっぽいモンスター)を飼っている人を探す暇は無かったので、バターやバロ乳は今回はお預けだ。
油と砂糖は宿の厨房でお金を払って分けて貰ったが、これからもホットケーキを作るんなら買わなきゃいけないよなあ、やっぱし。
持ち運びの問題はスクナビナッツに入れればオッケーだけど、この世界では油も保存があんまり効かないので、そう長い時間は置いておけない訳だし……うーむ、料理を続けるなら今後の課題だな。
砂糖もなかなかに高価だし、代替え品を考えておくべきかも。
まあとにかく、久しぶりのホットケーキにしては上手く出来たので良しとする。
「ツカサ君、まだ食べちゃダメ?」
ブラックはふんふんと鼻を動かしながら、皿の上のちょっと歪なホットケーキをじいっと凝視している。ナイフとフォークを持って準備万全な相手に苦笑しながら、俺は今日取って来たクレハ蜜を取り出した。
「待て待て、ホットケーキにはこれが重要なんだ」
物欲しそうな中年から皿を取り上げて、まだ熱いうちに蜜を掛ける。
飴色にも似た琥珀色の液体が、ふくらんだケーキを伝ってとろりと皿に落ちて、ふわりと良い匂いを立てた。どうやら暖かい物に触れると更に香りが増すらしい。
「ほい、食っていいぞ」
甘い匂いのおやつに、ブラックは目を輝かせてナイフを入れた。
切れ目からじんわりと蜜が流れ、生地に染み込んでいくのが見える。ブラックはその一切れをまじまじと確認した後、まだ幾分かマナーを保った仕草で口に入れた。
「んんん! 生地がほんとにふんわりしてるっ! なによりこの蜜がじんわり染み込んだ所がたまらないね……ツカサ君、こんな料理作れるなんて凄いよ……!」
「いや、褒められるほどでも……まあでも美味しいなら何より」
自分用に取って置いたホットケーキにも蜜をかけて、一口食べてみる。
「んっ、なかなかイケるな!」
牛乳とかバターとかが入ってないから、ちょっと粉っぽさが強い感じもするが、それをクレハ蜜が上手く緩和しているようで存外に美味い。
あと、俺の焼き方は絶対ヘタだったろうに、ホットケーキがめっちゃ膨らんでて柔らかい食感を保ってるおかげで、より美味しくなってるようだ。
もしかしなくても、この膨らみパフ粉のおかげだろう。
粉を増やすともっと膨らんだのかな?
なんにせよ美味しい。久しぶりの甘いおやつめっちゃ美味しい。
久しぶりに向こう側の世界の食べ物っぽい物を食べた気がするよ、ううう。
「はー美味しかったー……ツカサ君、これまた作ってくれる?」
「ん? ま、まあ材料さえあればっご……んがっんぐ!」
詰まった、詰まった!
ドンドンとゴリラの如く胸をドラミングして水を飲もうとするが、コップに水がない。やむをえず、俺は水差しから一気に水を流し込んで事なきを得た。
「ツカサ君、水差しから直接はさすがに行儀悪いよー」
「げほっ、ごほ……わ、わーっとるわい! 仕方ないだろ、いきなり詰まったんだから……ちょっと水差し洗って水貰ってくる」
「残ったの食べていい?」
「はいはい、俺の分ならどうぞ!」
人の物まで欲しがるたぁふてぇ野郎だ、と思ったけど、子供のようにキラキラと目を輝かせている中年には敵わない。
っていうか拒否したら面倒だから拒否できない。
よっぽど気に入ったんだな、ホットケーキ……。
三十路も後半っぽいオッサンがホットケーキにがっつくという光景はとてもシュールだが、まあ今更だし慣れてるから良い。慣れないとやってられない。
俺は喉の違和感に顔を顰めながら、水差しを持って部屋を出た。
「あ゛ー……喉が変だ……」
呑み込めない感じがまだ残ってて辛い。こういうのって長引くんだよなぁ……。
喉を擦りつつ、フロントへ向かおうと一階へ降りる階段の方へと向かう。
すると。
「…………あれ?」
なんか、階段の所でチラチラしてる。
見間違いかと思って目を擦ってもう一度見やるが、やっぱりなんかいるっぽい。
階段……正確には、三階へと登る階段の踊り場から、なにかがこっちを見ているのだ。何だかよく解らないが、三階と言ったら俺達よりも金持ちな人間が泊まっているエリアのはず。そんな所に泊まってる奴がチラチラするのか。
不思議に思いながら近付いてみると、そこに居たのは見覚えのある人間だった。
「えーっと……アンタ確か昨日トイレで……」
「はひっ!! あっ、あのっ、す、すみません覗き見なんかしててっ!」
正体を見破られた途端、相手は慌ててこちらに降りてくる。
その姿はまさしく、昨日トイレで出会ったあの冴えない従者であった。
「あの、何で覗き見してたんですか?」
「えっと、じ、実はその……良い匂いがするなって思いまして……その、それで、わたくしの主がその……あの……」
しどろもどろで言いながら、相手はしょぼんと肩を落とす。
……ははーん、さては「あの食べ物を持ってこい!」とか「夕食にしろ!」とか無茶な命令されたのかな。このパターンだとそう言う困った命令でしょう。
俺と関係ない事なら、こんなに謝ったりどもったりはしないだろうしね。
「さては、持って来いって言われたんですか?」
ビシッと切り出すと、従者は俄かに慌てぶんぶんと首を振った。
「い、いえあのっ、そんなおこがま……って何で分かったんです!?」
「何となく、カンで」
「か、カンですか……」
「その感じだと、相当ダダこねられたんでしょ」
昨日より余計にどもりまくってるし、ハの字眉が更に酷くなってるもんなあ。
解りやすいなと思いながら指摘すると、相手は肩を落として項垂れた。
「うぅ……その…………実は、ご主人様は甘味には目が無く……それで、今までに嗅いだ事のない菓子の香りが漂って来たので、どうしても食べたいと仰られて」
ほほう、俺のホットケーキはお貴族様でも知らない良い匂いがしたのか。
まあ誰が作っても大体あんな匂いになるだろうが、そこまで求められれば悪い気はしない。特に、今はブラックに褒められたのも有って俺は天狗になっているのだ。普段なら戸惑うところだが、今日は頼まれたら断れまい。
作るのにさほど時間は掛からないし、材料費がもらえれば作っても良いかも。
そう思って冴えない従者のおじさんに提案すると、相手はこの世で仏様でも見たような顔をして、何度も何度も頭を下げて礼を言ってくれた。
ホントに簡単な料理なので、そんなに感謝されると後ろ暗いんだがなぁ……。
でもまあ、一度助けた縁が有るし、今はクレハ蜜にも余裕があるからよかろう。
俺は従者のおじさんと一緒に一階まで降りると、再び厨房のお兄さん達にお願いして色々と貸していただき、お貴族様用のホットケーキを作ってやった。
今度はちゃんと丸い形のきつね色に仕上がったぜ。
「ほい、コレがお貴族様が欲しがってたおやつだよ」
「ふわぁあ……ほ、本当に良い匂いがしますね……!」
「早く持って行ってあげなよ。冷めるとあんまり美味しくないと思うし」
水差しを洗って水を分けて貰いつつ、俺は相手に忠告する。
いやほんと、こういうのって食べ物自体の温度も味の内なんだよね。冷めてしまったら不味いとお貴族様に怒られかねないし、出来るなら早く食べて頂きたい。
しかし、従者のおじさんはクロッシュで保温した皿を持ちつつ、困ったような顔で俺をじっと見て動かない。もしかして、まだ何か用事があるんだろうか。
ここまで関わったら仕方がないかと思い、俺は相手に聞いた。
「まだ何かあるんスか」
そう言うと、従者のおじさんはまた眉をハの字に歪めて情けなく口を歪めた。
「あ、あの、そのぉ……出来たら、あの……ドアの所までで良いので、わたくしに付いて来て下さらないでしょうか……」
「えーと……なんで?」
「その……ご主人様は好奇心が旺盛な方でして……おそらく貴方の事を聞かれると思うので、余計なお手間を掛けさせる前に付いて来て頂いた方が良いのではないかと思いまして……」
「なるほど……」
さすがは従者、主人の性格がよく解っている。
「ぱっと挨拶するだけなら……」
「ほ、ほんとですか! ありがとうございますぅう! お約束を捻じ曲げるような事をして本当にすみません、助かります……!」
そう言うなり何度も頭を下げるおじさんに、大人のやるせなさを感じてしまう。
俺の父さんとかも時々電話でペコペコしてたりしたけど、そう言うのを見ると人に使われるのって大変だよなあとうんざりしてしまう。
偉い人の言う事を全部聞かなきゃいけない立場の人ってのは、付いてるだけで気苦労が絶えないだろう。俺には絶対無理だなこういうの。
人に従う事は出来るけど、途中でやんなって逃げそうだし。
そう言う事を考えないだけ、このおじさんって偉いんだろうなあ……。
俺より頑張ってるのに、初対面の時に変な人とか思ってごめんねおじさん。
早速参りましょう、と俺を先導して歩き始める腰の低い後ろ姿を見ながら、俺は社会の辛さに溜息を吐いた。
「ところで……あの、お名前まだ聞いてませんでしたよね」
「あ、そういえば。俺はツカサ。えーっと……従者のおじさんは……」
「わたくしは、ベルナディット・フォン・ソクサンズと申します。どうか、気軽に“ベルナー”とお呼びください」
フォン! やっぱ金持ちの家の従者となると名前も違うな!!
てか良く考えたら、俺ってばこのおじさんにめっちゃタメ口使ってたけど、結構失礼だったんじゃ……うわ、なんか話しかけやすくってつい。
「えーと、あの、ちなみにベルナーさんはどんなご職業で……」
「わたくしは、今はご主人様の小間使いを代行しております。本来なら、こうした旅のお供は執事長が行うのですが……色々と事情が有りまして……その為、この国にて執務代行を行っていた現地監督のわたくしが、ご主人様のお世話の代行を仰せ付かっているのです」
「し、しつむだいこーって……どんだけ位の高いご主人様なんですか……」
「いえ、帝国内での位はええと……あの、ですが、我が主は使命がございますゆえ、わたくし達はその使命を補佐すべく各地に常駐しておるのです」
何だかよく解らないが、凄い人なんだな。
リュビー財団とかそういう系かな?
歯切れの悪い従者おじさんことベルナーさんの言葉に首を傾げつつ、俺は二階を通り過ぎてお貴族様が泊まると言う三階までやって来た。
この世界、娼姫の宿である湖の馬亭もそうだったけど、階数が上がる度グレードが増していくんだな。高い建築物がほとんど存在しない国だから、やっぱ天に近い場所の方が位が高いってイメージになってるのかね。
まあ俺の世界でもそれが普通だから違和感はないが、そういう「お決まり事」ってなんか不思議だよな。まぁ、高い所から見る風景ってスッゴク広くて綺麗だし、一番いい場所! ってのも解らなくはないけどね。
「そういや俺、この世界で登山とかした事ないな」
登山と言えば、小学校の遠足で地獄の登山ピクニックをやらされてガチギレした記憶しかないわ。今じゃ車とかで山の頂上とか行けるし、行きたいとも思わなかったけど……この世界だと山越えとか経験する機会があるのでは。
うわーやだなー。
ブラックのお仕置(と言う名の性欲発散)とどっちが辛いだろう。
「何か仰いましたか?」
「あ、なんでもないっす。えーっと、お部屋はどちらで」
「一番奥の貴賓室です」
もう本当王様待遇っすねご主人様。マジでどんな人なんだろう。
緋毛氈の廊下を歩いて突き当りのドアへ近づくと、ベルナーさんは俺に皿を一旦預けてドアをノックした。
「ご主人様、ご所望の菓子を持ってまいりました」
すると、数秒間があって、鍵の外れる音がした。
ドアノブが回り、ゆっくりと扉が開く。
「…………現物は」
扉の奥から聞こえたのは、存外若い声だった。
てっきり壮年のおじさんか何かだと思っていたのに、この声の感じは二十代前半くらい? 俺と同い年程度のマグナよりは年上って感じだろうか。
ベルナーさんに皿を渡しつつ、どんなご主人様なんだろうかと見ていると。
「…………え」
ドアの隙間からはっきり見えたのは、仮面だ。
顔の上半分を覆う青みがかった仮面の肌が見えて、俺は思わず息を呑んだ。
貴族に仮面って嫌な事を思い出すんですけど……。
やだー、ラスターの屋敷での貴族ぶってるブラック思い出すからやだー!!
あの時も結局無理矢理掘られたりで良い思い出ねーんだぞ畜生ー!!
「レ……ええと、レド様。こちらが件の菓子、ホットケーキです。そして、これを作ったのが……こちらのツカサさんです。あ、それとですね、ホットケーキは熱いうちにお召し上がりくださいと……」
ベルナーさんがぱかっとクロッシュを開けると、蜜の甘い香りが周囲に広がる。
仮面の男はドアの向こう側で分かりやすく狼狽すると、ホットケーキの皿を手を伸ばしてひったくり、扉を締めもせずに部屋に引っ込んでしまった。
「あの……」
「お、お待ちください。恐らく召し上がっていらっしゃるのだと思うので……」
確かに部屋の中からすげえカチャカチャ聞こえるな。
って言うかカチャの頻度多ッ! 貴族なのにどんだけがっついてんだよ!!
良家のお坊ちゃんがそれでいいのかと暫く見守っていると、ようやく金属が擦れ合う音が止んだ。ものの数分も無かったけど、完食したんだろうか。
これでマズいとか文句言われたらいやだなー……。
さて、俺の料理は可か不可か。
固唾を飲んで見守っていると、再びドアが動き、今度は大きく開いた。
やっと仮面の主の全貌が見られるのか。
どんな奴なんだろうかと思って少しワクワクしていると、レドという名の相手が部屋からゆっくりと出てきた。
「お前…………ツカサ、と言ったか。美味かったぞ、礼を言う」
幾分か硬い口調でそう言いながら、俺に近寄ってくる長身の男。
そのを姿を見て、俺は目を見張った。
金の装飾が施された青銀の仮面に、オレンジを含んだ燃えるような赤の髪。
顔立ちは精悍な青年そのもので、細くも無く厚い筋肉で覆われている様子もない均整の取れが体つきは、どこぞのモデルのようだ。
仮面の奥に隠れた瞳は綺麗な青で、その海のように深い色は鮮烈な髪の色に負けないくらいに存在を主張していた。
っつーか、こんな綺麗な赤髪、ブラック以外だと初めて見たかも……。
ブラックはウェーブがかった真紅の長髪だけど、このレドって人は左に流す感じの髪型で、モロにイケメンヒーローっぽい。こういう主人公よく見るわ。
ブラックが悪役紳士なら、この人はまさしく主人公って感じだな。
主人公か……。仮面被ってるけど、どーせイケメンなんだろうなー……。
イケメンの多い世界だし慣れたつもりだったけど、貴族でイケメンとか本当いつ出会っても殺意湧くわ。貴族って大変そうだけど人生勝ち組じゃねーか。
「どうした、俺の顔に何かついているか。……ああ、仮面か。許せ、これはやむを得ぬ事情で外せんのだ。だが呪いではない、恐ろしく思う事はないぞ」
「あ、は、はい……」
恐ろしいっていうかムカっとしてたんですけど、まあそれは言うまい。
「それにしても……お前はヒノワ人か、珍しいな」
「あ、はぁ、まあ……」
本当は異世界人なんだけど、そう言われたら頷くしかないよな。
それにしてもこの人、俺の顔を見ただけでそんな事を言うなんて……もしかして日本人の顔を知ってるのかな。
いや、違うな。ヒノワの人はやっぱり俺と同じ日本人顔なんだと言うべきか。
そうか……やっぱりヒノワは棲んでる人も生活様式も日本に酷似してるんだな。
内心新たな事実に驚いていたが、こんな所で深く考えるわけにもいかない。俺はとりあえず考えるのを中止して、精一杯の営業スマイルで仮面の男に微笑んだ。
うっかり不敬をはたらいて打ち首なんてごめんだからな。
死なない為なら、イケメンにもなんぼでも媚びを売るぞ俺は。
「しかしヒノワからこんな国にまでなにを……料理修行か」
「いえ、あの……ちょっと用事が有っただけです。俺は冒険者なので」
「なに……冒険者があのような美味い菓子を作るのか!」
「あー……アハハ、旅してると自炊するんで、必然的に上手くなるみたいっすね」
地下水道でハムステーキ作ってくれた人も居るし、人によっては美味しい冒険者メシを作ってくれるんだよな。
あのステーキはもう一回食べたいくらい美味しかった。
なので、多分他の冒険者も結構料理は上手い……と思う。
「そう言う物か……冒険者と言うのも野蛮なものばかりではないのだな」
「あの、ご主人様。ツカサさんには、ハンカチも綺麗にして頂いたんです」
あああちょっと待ってベルナーさんんん!
俺それ黙っといてって言いましたよねえ! なんでさらっと喋るんすか、なんでこのタイミングで軽々とバラすんすかぁあああ忠臣もいい加減にせんかいぃいい。
「なんだと、あれもお前のおかげだったのか! アレは本当に助かった、掃除婦がいない時間だったのでベルナーに任せざるを得ず、半ば諦めていたのだが……」
「あー、俺はあの、誰でも出来る事をやっただけなんでー……」
やばい、ヤバイヤバイヤバイ。相手の目が輝いて来ている。
これどう考えても興味持たれてる奴だ。
「お前は色々と知っているんだな。良ければ、部屋で聞かせてくれないか。今後の為にも覚えておいて損はないと思うし」
「え、えっと、あの、あの」
どうしよう、でもこれ断らないと部屋で延々話をさせられて、帰りが遅くなってブラックが怒る奴だよな。どう考えても誘いに乗ったらアウトだよな。
一期一会の相手なんだし、ここはもうビシッと断った方がいいかも。
ええい、男を決めろ俺!
ブラックに一夜ぶっ通しでケツ掘られるよりはマシだ!!
「さ、入ってくれ」
「あの、すみませんっ! 俺実はここをもう出なくちゃいけなくて……! 本当に申し訳ないんですが、急ぐ旅なのでこれで失礼します」
「えっ、そうなんですか……」
そう言うなりションボリするベルナーさんにちょっと罪悪感を感じつつも、安全には変えられないと俺は有る事ない事出任せでまくしたてる。
「お誘い頂いたのはとても嬉しいんですが……本当すみません。あの、ハンカチの洗い方はもうベルナーさんが覚えてるので、今度は大丈夫かと……それに、ホットケーキはこの国の名物みたいだから、頼んだら多分作って貰えると思います」
「いや、こちらこそ強引に誘おうとしてすまなかった。有益な情報、感謝する。早速今夜料理人に頼んで作って貰う事にするよ」
あ、意外と物分りが良い。
今まで面倒臭い貴族とばっかり出会って来たから、物凄く紳士に見えるわ。
思わぬ展開に目を瞬かせる俺に、レドさんは口を笑ませ距離を詰めてくる。
「ツカサ、ありがとう。俺は当分この宿に滞在しているから、もし何か困った事が有ったらいつでも訪ねてくれ。俺に出来る事が有れば喜んで協力させて貰う」
「いや、でもそんな……」
「良いんだ、あのハンカチは俺にとっては大事な物だったんだ。だから、お前には礼がしたい。心の隅にでも留めておいてくれ」
「は、はい……ありがとうございます……」
それでは、と言おうとしたと同時。
レドさんは俺の右手を掬い上げて、流れるように手の甲にキスをしてきた。
「!!」
「可愛らしいお前の、旅の無事を祈る。それではな、ツカサ」
さらっとキザな事をして、去っていく仮面のヒーロー。
その後ろで深々と礼をしながら、ベルナーさんが扉を閉めた。
後には俺一人がぽつんと残るのみだ。
「…………手の甲にキスって……」
それ、普通女にやるもんじゃないのか……?
……いや、というか、可愛らしい俺って、なに。
「まさか……女と間違えたとかじゃねーよな……?」
嫌な予感がしたが、これ以上ここに居るとブラックが探しに来そうで怖くなり、俺は慌ててその場を離れた。
早く水差しの水を持って戻らなきゃ、何言われるか分かったもんじゃない。手の甲にキスされた、なんて発覚したらそれこそ今日も朝までナイトフィーバーだよ。
俺がけしかけてちゃ、我慢させた意味がねぇ。
三階から一階まで一気に走って降りつつ、俺はキスされた手をぐっと握った。
「……しかし、なんだろうな…………」
良く解らないけど……あの男、初めて会った気がしなかったんだが。
「…………気のせい、かな?」
赤い髪がブラックに似ていたからだろうか。それとも、若さとそれなりの常識人ぶりがマグナを思わせたからか。じゃなかったら、貴族っぽいって事でラスターと混同してしまったんだろうか。クロウは熊ちゃんなので除外。
とにかく、何かおかしかった。
あのレドとか言う男に、俺はどこかで会った事が有るんだろうか?
「……いや、まさかな。あんなイケメンな赤髪の兄ちゃんなんて知らないし……やっぱ、ブラックみたいな赤髪だったから気になっただけだよな」
誰に言い聞かせる訳でもなくそう呟いて、俺は気持ちを切り替えるように頭を振った。とにかく今は水差しだ。余計な事は考えずに、早く部屋に戻ろう。
そう思って俺は気分を切り替えようとしたのだが――――
どうしてだか、妙な不安感はいつまでも俺の心に残り続けたままだった。
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