異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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裏世界ジャハナム、狂騒乱舞編

  商談

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 なるほど、ティオ・シムラーという男は並々ならぬ紳士のようだ。

 応接室の調度品は、この悪趣味極まる場所にしてはそこそこ趣味が良い。普通、成り上がりの商人ではこうは行かないものだ。必ずと言っていいほど「高級感」の意味を履き違え、成金趣味で物を揃えて失笑される。

 だが、シムラーはそのありがちな失敗を完全にいなしていた。
 応接室の眺めは目に煩くなく、それでいて上品さを上手く引き出しているのだ。

 裏社会で商売をするのなら、礼儀作法は必須……などと言われていたが、ここまで自然に「教養ある人間」のフリを出来ているのも珍しいだろう。
 ブラックはゆったりと椅子に腰かけつつ、とりあえずは相手を褒めてやった。

「ラークさん、今回はご無理を言ってすみません」

 テーブルの向こう側に座るシムラーは、好青年然としており嫌味は全くない。
 それどころか、人の良さそうな雰囲気で申し訳なさそうに眉根を寄せている。
 これが演技なら称賛ものだ。そう思いつつ、ブラックはにっこりと笑う。

「いえ、私どもの踊り子がお世話になっているのですから、このくらいは……」
「こちらこそ、大事な姫君と親しくさせて頂いて、本当に何と言ったらいいか…………」

 そう言いながら、照れたように頭に手をやる。
 本当に、だ。

(いっそ……称賛したくなるくらいに、ね)

 ブラックは内心でそう吐き捨てながら、にこやかに笑い手を軽く浮かせた。

「それで……私に話があるとのことでしたが、どんな事でしょうか? ルギからは『良い話がある』とだけしか聞いていないもので……」
「ああ、その事なのですが…………その、失礼なことをお聞きしますが、興行団というのは暮らし向きは……実際どういうものでしょうか」
「暮らし向き、と言いますと」
「気分を害される話かも知れませんが……」
「構いませんよ」

 気分なら初めから最悪だ。
 今更何を言おうが、この張り付いた笑みは消えることも無い。

 勿体もったいつけた芝居はいいからさっさと言えと思いつつ、ブラックは紳士的な笑顔で片手を軽く差し出す。そんなブラックの態度に、シムラーはホッとしたように溜息を吐き、そうしてやっと切り出した。

「興行団と言うのは……恒久的な支援者が居る訳では無く、各地で支援者を探し芸を売ると聞いていますが…………ラークさんの興行団もそのようになさっているんですよね?」

 芸を売る、と言う言葉にも、もちろん幅広い意味が有る。
 通常ならば、言葉通りに素晴らしい芸を見せて支援者を獲得する意味になるのだが、芸が売れない場合、やむを得ず団員を娼姫として支援者達のしとねへと送り込む事も有る。

 ブラックも一度そのような女と寝た事が有るが、実際柔軟性に富む女との一夜は新鮮で、これに金を出す支援者がいると言うのも頷ける話だった。大体、娼姫が法的に認められる国の方が多い世界だ。これを哀れと言う輩は貴族連中だけだろう。
 シムラーは、まさにそんな貴族のように憂えた顔をしているが……。

(ふむ……? 僕とツカサ君がセックスしてるのを、貴族に抱かせるための練習とでも思ったか……いや、ツカサ君の話では、彼は僕とツカサ君が恋仲ではないかと煽っていたな。と言う事は……その点を攻めてくるか)

 あの時は、後先考えずにキス痕を残してしまったのは失態だと思ったが、上手い具合に相手の策略に食い込んだらしい。
 一つ一つ言葉を選びながら、ブラックは「興行団の仕事」をぺらぺら喋った。

「そうですね……我々は流浪の集団ですので、劇場勤めの人々とは違います。……まあ多少は、芸事と関係ない事もやりますが……それもやむを得ない事です。経営状態は常に火の車で、我々は休む暇も有りませんからねえ。……ですから、今回は少人数で興行半月分ものお慈悲を頂けて喜んでおります」
「ああ、それは良かった……この世界の人々は、素晴らしい物には金を惜しみはしない。……しかし、それも一時しのぎなんですよね。資金が尽きて、再び困窮した時は……ルギ君達も、支援者を作るために奮闘せねばならない」

 膝の上で両手を組み、シムラーは目を細める。
 ブラックも同じように目を細めて、肩をすくめた。

「もっと簡単に仰っていただいて構いませんよ。この興行団は、団員が体を売って食い繋いでいるんですよね……と。はっきり言われたとて、事実である以上うろたえる必要もありません」
「…………冷静ですね。ルギ君も、そういう事をしているんでしょうに」
「綺麗事を言って一人を特別に扱えば、必ずどこかで不平不満が出ますので」

 足を組み、ブラックはにっこりと笑顔を見せてやる。

(まあ、ウソだけどね)

 もし自分が本当に興行団の団長なら、ツカサを働かせること自体が有り得ない。
 そもそも踊り子なんて言う危険な仕事もさせないし、誰かが手を出そうとするのなら、男だろうが女だろうが切り裂いて殺すつもりだ。それでも他人に奪われると言うのなら、檻にでも入れておく。他人に差し出すなんてもってのほかだ。

 まあ実際は、そんな事をすればツカサに嫌われるので実行はしないが。

(でもね、お前の事も殺してやりたいよ。ティオ・シムラー……)

 踊りを見た。手に触れた、キスをした、抱き締めた、ベッドに押し倒した。
 その罪状は万死に値する。

 本来なら四肢を引き裂いても足りないが、約束を違える訳にはいかない。証拠が出揃い、全てが万事解決するまではただの「ラーク」で居続けるしかなかった。
 目の前に敵がいるのに滅する事が出来ないというのも、中々の拷問である。

 そんな事を考えつつ余裕の態度で居座り続けるブラックに、シムラーは一瞬だけ拳を握りしめたが、まるで何かを憂うように顔を歪めるとブラックに訴えて来た。

「あなたは……あなたはルギ君を愛していらっしゃるのではないんですか」
「ああ……そういえば、貴方は私達の関係をご存知でしたね。……まあそうですね、私は彼を愛していますよ。ですが、仕事と言うのは常に公平で合理的でなくてはならない。愛する者だとしても、団長としては贔屓ひいきをする訳にはいかないんです」
「悲しくはないんですか」
「悲しいですよ」
「……そうですよね。貴方は私達が初めて二人きりで劇場に行く時に、『ルギ君に不埒な真似をするな』と言う様な事を仰った。私が彼と貴方の関係を疑ったのは、そこからなんです。……だから、正直ずっと後ろめたさを感じていました」

 淡々と言葉を返していたブラックに、シムラーは切なそうな表情を浮かべた。
 ブラックはその表情に釣られて、大仰に片眉を顰めて問う。

「後ろめたさ……私に対してですか?」
「ええ。……見た所、ルギ君は貴方への思いを捨てきれてないようでした。最初は確信が有りませんでしたが……私が彼をここに連れて来た時、彼の態度ではっきり分かったんです。あの子は、貴方の事が好きなのだと」
「…………」
「ですが、貴方は今彼を私に預けている。支援者となる可能性がある私に、支援をして貰おうと考えて」

 当たり前だろう。支援金目当てでなければ、一番の出し物(と言う設定)である舞踏を行う踊り子を差し出すはずがない。
 そんな事、裏社会の人間なら考えればすぐに分かる事だろうに。
 なにを今更、と眉をしかめるブラックの態度に、シムラーは畳み掛けて来た。

「私には……私には、その事が耐えられないんです!」
「……はい?」
「ルギ君は貴方を思っている。なのに、他の男に体を差し出して、我慢して、貴方の思いに応えようと必死になっているのに……なのに、私はそれを利用して……」

 この男は何を言っているんだろうか。油断か。油断させる気なのだろうか。
 とは言え、体の熱が上がっていくのは止められない。

 思えば第三者からツカサの態度を評価される事なんてなかった。シアンすら、こういう話をブラックにぶつける事は無かったのに、よりによって今、にっくき敵がツカサがどれほど自分を思っているのかを切々と語っているのだ。

(あ、やばいなこれ……)

 顔が、にやけそうになる。
 体の熱は、平然を装っていた顔にまずい効果を与えそうなほど上昇していった。

「ラークさん、ルギ君は……ルギ君は、愛する貴方の為に私に優しい顔をしているんです。本当は、そんな顔は貴方にしかしたくないはずなのに……私には、それが辛くて……彼の恋焦がれた瞳を見ていると本当に……」

(あーっ、あーーーっ、や、やめてくれないかなー!! そう言うの今僕ほんとう駄目だから! 今は本当に駄目だからぁああ!)

 ヤバい。最近浮かれてたのが裏目に出た。
 ツカサがやっと自分を意識してくれたのが嬉しくて、情けない事に自分でも驚く程に今のブラックは浮かれているのだ。そんな時に「第三者から見ても、彼は貴方に惚れてます」なんて言われて喜ばない奴がいるのだろうか。いや、いまい。

 それが世辞せじだとしても、春が来た頭にはそんな事など関係なかった。

(ヤバ……か、顔が……)

 絶対に、今、軽く赤くなっている。
 思わず眉根を顰めたブラックに、シムラーは食いついたようにテーブルに身を乗り出す。そして、興奮しています、と言わんばかりに目を見開いて言葉を続けた。

「ほら、貴方だってルギ君を愛しているんでしょう! だったら……もう、こんな事はやめませんか……?」
「し、しかし……」
「旅をする理由は有るんですか。貴方がたはそうまでして旅を続けたいのですか」
「それは……我々には安住の地などないから……」
「でしたら! でしたら…………こうしませんか?」

 シムラーの綺麗な碧玉の目が、ブラックを射抜く。
 その瞳に宿る光に先程とは全く違う感覚を覚え、ブラックはびくりと固まった。

「こうしませんか……とは」

 じっと相手を見て、おののいたような声を出す。
 その情けない声を聞いて……シムラーは、狐のように目を細めて笑った。

「私が、貴方がたの安住の地を作ります。勿論、団員の方を全て受け入れましょう。あの武芸者の方も、面倒を見ます。ですから……もう悲しい旅はやめて、ルギ君をこんな可哀想な生活から抜けさせて下さい」
「…………貴方が、我々全員を食わせてくれるとでも?」
「ええ。ですから、もう愛するものを傷付けるような事はもう」
「……身請みうけと言うには、少々大所帯過ぎると思うのですが」

 踊り子だけ欲しい、と言うお願いなら解るが、どうしてブラック達全員を養うと言うのか。
 いや、何となくやりたい事は解る。彼は、「ツカサがブラックを好いているから」ブラックも一緒に取り込んで、ツカサを養いたいと言っているのだ。

 これが本当に善意からの申し出なら、これほど度量の大きい男もいまいが……。

 いぶかしげなブラックに、シムラーは笑った顔のまま続ける。

「大丈夫。私はこの施設での仕事の他にも人材斡旋業をしていますし、住処程度はどうにでもなります。貴方がたのやりたい仕事も、きちんと用意しましょう。ですから、どうか」
「…………我々には、芸を披露する事しか出来ませんが」

 裏社会の人材斡旋あっせん業など、暗殺者や運び屋を手配する程度だろう。そんな闇の商人のどこに、ブラック達のような一芸のみの人間を食わせる仕事が有るのか。
 まさか、新たに興行団の紹介なんていう商売を始めるつもりなのか?

 あまりに突拍子のない相手の言葉に戸惑うように眉間を険しくするブラックに、シムラーはしばし笑みを浮かべていたが……。

 やがて、こう、呟いた。

「何を仰います、ラークさん。貴方は、高等な査術さじゅつを使う事の出来る……
 “有能な術師”ではないですか」
「――――っ」

 その言葉に瞠目どうもくするブラックに、シムラーは顔色一つ変えずに首を傾げる。

「初めてお会いした時、貴方は私に査術を使いましたね? 生憎、私も少々索敵と鑑定を使う事が出来ましてね……妨害できる程度には有能だと自負していたのですが、まさか妨害を突破される思いませんでしたよ。突破された感覚がした時は驚いたなあ……一般人は曜術はおろか、気の付加術も使えない。だから、貴方が高位の術師なんて思いもしなかった……」

 ――――やられた。

 直感的にそう思って、ブラックは初めて無意識に顔を歪めた。

 査術は、人の大まかな情報を読み取る事が出来る術だ。気や曜気を使えない一般人なら、まずこちらが査術を使ったとは解らない。だがしかし、高位の術師相手だとそうも行かないのだ。

 相手も査術が使えた場合、こちらが査術を使ったのを感知できるし、能力が同等かそれ以上であれば妨害だって可能になる。妨害するための術を相手が心得ていた場合、こちらが査術を使えばその行為が知れる事も有るのだ。

(油断していた……普通の商人は、まず使えたとしても鑑定程度だからな……)

 商人は、索敵や人の概要を知る能力を伸ばしはしない。そう思っていた。
 これは完全に自分の慢心のせいだ。
 あまりの事に硬直するが、シムラーの言葉は止まらない。

「あの武芸者の方も、貴方も……もしかしたらルギ君も、一芸だけの存在ではない何か『特別な力を持つ者』なのでしょう? でしたら、仕事は山ほどあります。勿論もちろん……一芸を使わない仕事も、時にはお願いするかもしれませんが」

 シムラーの目が、抜け目ならない狡猾な男の目に変わっている。
 この男の本性はやはり邪悪なのかと思ったが、今更引く算段も無く。ブラックは動揺した表情をあえて直さず、シムラーに格好のつかない声を返した。

「……断る、と、言ったら?」
「残念ですが、無理矢理を聞いて頂くしかありませんね。……ここがジャハナムである事をお忘れなきよう。貴方がたの帰る『階段』は、全て我々が見張っている……その事をお忘れなく」
「私達の素性も知らない貴方が、今から階段を封鎖する……と?」
「素性なんてどうでも良いんですよ。だから、調べなかっただけだ。……貴方には弱みがある。それだけの情報で十分だった。だから、私達は彼をどうにかして手に入れようとしたんですから」

 ……つまり、最初から目的は…………。

「……目的は、だったという訳か」
「勘違いして貰っては困りますが、ルギ君も『欲しい物』のウチですよ? ついでだったのは認めますが……彼もまた、手放したくないですから」

 腸が煮えくり返るのは、これで何度目だろうか。
 だが、今回のはそんな一文では済ませられない程、頭が沸騰していた。

 自分の愛する者を、敵に「エサ」として使われたと言う事実が許せずに。










 
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