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アコール卿国、波瀾万丈人助け編
13.ある夜森の中爺さんに出会った
しおりを挟む「これ、は……」
俺の体の何十倍も大きな獣が、目の前にいる。その黒い目は俺の顔ほども有り、口はと言えば俺の体なんか一飲み出来そうな位大きかった。
熊のように見えるけど、そのヤギの様にくるりと曲がった角が普通の熊ではないと主張している。血の臭いはその獣の口から広がっていた。
「あ……ああ……」
やばい。殺される。
一気に体が緊張し、俺は硬直した。だが。
『お主か。わしの意識に干渉してきたものは』
「あ……え?」
年老いた厳格そうな声が、直接耳に届いた。
だけど、目の前の大きな獣は口を動かしてはいない。ただ俺とロクをじっと見ているだけだ。何が起きたのか解らず黙っていると、ロクが俺の肩に上って来て、また一声鳴く。その声に、獣の大きな目はゆっくりと瞬きをした。
『なるほど、お主がわしに気付いたか。よもやこの森にわしと通じる事が出来る物がおるとは思わなんだが……“神翼の龍蛇”の血族であるなら不思議はないか…………だがわしはもう老いた。咎人として逃げ延びたこの地で死ぬことが定め……折角その人族を連れてきてくれて悪いが、捨て置いてくれ』
「つ、連れて来たって……ロク、どういう事だ?」
ブラックを見つけたんじゃなかったのか。
……ってことは、ブラックは生きてるんだな?
ロクを見やると、俺の思いが解ったのかコクコクと頷いた。
な、なんだ……ブラックの血の臭いじゃなかったのか。良かった。
でも、ならなんでこの爺さんモンスターは血だらけなんだ?
ロクが俺を連れて来たって事は、もしかしてロクはこのモンスターを助けて欲しかったんだろうか。
「この爺ちゃん怪我してるのか? だから俺を?」
「キュー!」
『人族の子よ、そのダハは心優しき使徒だ。だが幼いゆえに物事の道理を知らん……。死ぬ定めの存在を生かそうとするのは、摂理に反する事……そのことをしかと学ばせよ……分かったのなら、去ぬがよい』
それだけ言うと、血まみれの獣はぐったりと寝そべった。
俺達を襲う気はないっていうか、そもそも襲う気力がないのか……。
ただ死を待っているような獣の爺ちゃんを見て、俺はぐっと口を引き結んだ。
……自然界の掟って奴に従うなら、確かにそれが一番なのかもしれない。
死ぬべき獣が死ぬことで、生きていける獣がいる。どちらか一方に偏れば、きっとバランスが崩れてしまうんだろう。だから、この爺ちゃんは自分を放って置けと言ってるんだ。それは正しい。だけど。
「ロク、どこ怪我してるか分かるか?」
「キュー!」
『お……おぬしら……やめい……わしは、もう生きとうないのだ……』
「そう言われて『ハイそうですか』って言えるほど、俺は優しくないんでごめん。あと、アンタが死んでロクが泣くのは嫌だから、アンタの説教は断固拒否するぞ。生態系とか難しいからパスパス」
そう言いながら俺が獣の爺ちゃんを牽制する間に、ロクが爺ちゃんの体を細かに観察し、俺に逐一怪我をしたか所を教えてくれる。得に酷いと教えてくれたのは、前足と腹部だった。
なるほど、確か腹にはぱっくり開いた生々しい傷が有り、前足にも深く抉られた酷い損傷が見える。肉球が有るはずの手は、ズタズタになっていた。でもこれって……どう見ても戦ってできた傷だよな……。
それに、良く見たら古傷みたいに残ったものも沢山ある。
「回復薬沢山作っといてよかったな……」
「キュキュー!」
モンスターにちゃんと効くかどうかは解らないけど、掛けてみるっきゃない。
俺のケツの中に入れて平気だったんだから、直でかけても平気だろう。
あんな事で直がけオッケーとか知りたくなかったけどな!
ざぱっと腹部や前足にぶっかけて、光るのを待つ。
「ウッ……グゥウウ……」
うめき声と共に、回復薬が掛かった部分が薄らと光りはじめる。
じわじわと傷口に浸透していくのが見えて、俺は少し離れた場所で様子を窺った。なんかの拍子にあのでっかい腕で引き倒されたらたまったもんじゃないもんな。
『な……なんだ、これは…………とても、温かい……』
「よっし! 効いてんな。おい爺ちゃん、ちょっと口開けて」
『わしは、まだ喋れぬ……』
「違う! 口の中に回復薬入れんだよ!」
『カイフクヤク……おお、そうか……この薬は人族のみが造れるあの……』
え、喋れるモンスターでも回復薬とか知らないんだ……。ってことは、獣人とか魔族とかでも薬は調合できないのかな。いや、この爺ちゃんが特別なモンスターってだけで、他の種族は違うかもしれないよな。
即決は禁物。とにかく爺ちゃんに回復薬を飲ませねば。
爺ちゃんの口が開くのをロクと一緒にじっと待っていると、相手もついに諦めたのか血がべっとりついた口を大きく開いた。おお、ここで神様の泥団子を口に入れたらあの映画みたいだな。俺が入れるのは残念ながら液体だけど。
大きな赤い舌の上に乗せるように回復薬を垂らすと、相手はまたゆっくりと口を閉じて喉を動かす。もわっと生臭い臭いが襲ってきて俺とロクは思わず身を引いたが、獣の爺ちゃんはそれ以上動かなかった。
「お……」
眠るように目を閉じた巨大な獣の体が、ほんのりと光り始める。
それに呼応するように、傷口に掛けた薬が一層強く輝き、血まみれの獣は周囲を照らし出すほどの温かな光に包まれた。その影響なのか、傷口がシュウシュウと音を立てて次々に治っていく。
明るくなったお蔭で見えた顔は安らかで、とても心地よさそうだった。
『おお……体が……体が……』
良かった、獣にも有効なんだな……っていうか、人間の何十倍もでかいトト○みたいな相手でも数本でいいのか。凄いな回復薬。
そんなことを思っていると、相手は完全に回復したのかぶるりと身震いした。
すると、纏っていた光が飛び散り、辺りはまた真っ暗な森になる。
「大丈夫か?」
『ああ、体がとても温かい……傷も殆ど治った……というか、わしの古傷までこの通りだ。お主一体どんな回復薬を使った。これは並の薬では無いぞ』
「い、いや、ただの手作りです……」
真心こめて作りましたけど、特別な事なんもないです。
しいて言えば、ハンドメイドで新鮮だったから効いたんじゃないかなあ。
「グフッ……おかしな子供だ……グッ」
「あんた喋れっ、あっ、まだ動いたらダメだって! 回復したって言っても長時間あの状態だったんだろ? すぐに動いたらまた傷口が開くぞ!」
いきなりテレパシーっぽい声から生の声になったからびっくりしたけど、無理はやめてほしい。お爺ちゃん若くないんだから。慌てて近寄ったら、獣の爺ちゃんは大きな鼻をひくつかせて低く笑った。
「お主らは本当に訳の解らぬ子らだ……こんな巨体の化け物など、お主らにとっては脅威以外の何物でも無かろうに……だが、あいわかった、暫し体を休めよう」
「そうそう、それでいーの。あと爺ちゃん、血だらけじゃ不潔だぞ。爺ちゃん傷を洗うために川に来たんだろう? 俺が洗って血を流してやるよ。あ、でも、途中で俺を食おうとするのはナシね」
「そんな気などもう起こらんよ。お主らの身勝手さには呆れ果てたわ」
悪く言ってるつもりだろうけど、許容してくれてるのは丸分かりなんだよなあ。
俺とロクはニンマリしながら、とりあえず爺ちゃんの体を水で濯いでやった。
勿論、ここでは水の曜術でちょちょいのちょいだ。
水を操る練習にもなるし、獣の爺ちゃんも綺麗になるし一石二鳥。
落ちない汚れや牙にこびりついたのは、布で擦って落としてやる。
剥き出しの土を赤黒い液体が染めて、なんか物凄い惨劇が起きたみたいな感じになった頃、ようやく爺ちゃんの体は臭くなくなった。
大した時間はかかってないけど、本当大変だったなこれ。
綺麗になる頃には爺ちゃんもだいぶ動けるようになっていて、猫のようにちょこんと伏せて俺達を覗き込んでいた。
「うむ……久しぶりにすっきりしたぞ」
「そりゃよかった。……あ、そうだ。爺ちゃんって熊だよな? じゃあ、蜂蜜とか大好物だろ。俺持ってるからさ、栄養付けるために食べなよ」
「ヌッ、はっ、ハチミツ……!?」
俺の上半身では抑えきれない程の大きな鼻が、思いっきりひくひくと動く。明らかに興奮してる爺ちゃんに苦笑しながら、俺は蜂蜜を二瓶ほど爺ちゃんの口に流し込んでやった。ま、これも人助け……うん? 熊助けだ。
「ぬぅうう……うまい、うますぎる……! 何十年ぶりの蜂蜜……甘露、実に甘露なり……!!」
感激して目をウルウルさせている獣の爺ちゃん。規格外にでっかいけど顔は熊そのものだし、妙に時代劇っぽい口調でなんか可愛い。
そういや熊って黒目がちでじっと見てたら本当愛らしいんだよなあ。
中身爺ちゃんなのにギャップありすぎて戸惑うわあ……。
「むむむ……お主には貴重な物ばかりを施して貰い、なんと礼を言ったらいいものやら……わしには何も礼の出来る物は無い故……」
「いや、そんな事は良いんだけど……お爺ちゃん、なんでこんな危ない場所で死にそうになってたの? この巨体だったら敵なんていないだろうに」
「ふむ……まあ、長話は嫌いなので端的に言うが……わしはとある場所から逃げてきた獣人でな。年老いて最早人化はせぬが、そのせいで色々とあったのだ。それで手負いとなり、辿り着いたのがこの平穏な国の深い森だった。……で、ここで傷を治そうと他の獣の肉を食ろうていたのだが、やがて肉も尽き傷も酷くなり……後は朽ちるだけと己の人生を悔い改めていた。そこへ主らが来たのだ」
長……うん、いや、長くない! 端的だ!
きっと色々あったのを爺ちゃんなりにぎゅっと凝縮したんだろう。言葉の端々から苦労がしのばれて、俺は「大変だったんだねえ」とばかりに頷いていた。けど、改めて言葉を反芻していてある事に引っ掛かり、思わず爺ちゃんを見上げる。
「な、なあ、爺ちゃん。この腐食の森で肉を食ってたって……もしかして、この森のモンスターばっかり襲って食べてたの?」
「ん? そうだぞ。ここは何故か血の臭いと死臭に満ちていてな。故にわしの獲物が溢れるほどおった。それ故、この森の獲物を次々に捕らえて食えば、負った傷も回復するだろうと思ったのだが……意外と深かったようでな」
「な、なるほど……」
っておじいちゃ――――ん!!
アンタかよこの森綺麗にしちゃった犯人はっ!!
どんだけ大食らいなの、森の獲物モンスター殆ど食べちゃうって、お爺ちゃんの胃袋どんだけ大きいんだよ!!
いや、でも、原因が分かったのは凄いぞ。この森のモンスターが消えたのは獣の爺ちゃんのせいだったんだ。
血の臭いも腐臭もしなかったのは、俺達が森に入るずっと前に全て食べつくされてたからか……それか、爺ちゃんが骨も残さず食べたから。血は時間が経てば臭いが消えてしまうし、腐臭も臭いの元がなければ発生のしようがない。
死肉からの臭い以外の「元」に関してはまだ爺ちゃんのせいと断定出来ないが、それでもモンスターが消えてしまった理由はこれで説明できる。
「あのさ、お爺ちゃん……もしかして、まったくモンスター見かけなくなった?」
「そう言えばそうだな。わしは細かいものから食うていった故、最後は森の主かと思われるものと戦ったが……それも倒して食った。それからは、獲物がいなくなり段々と臭いも薄れてしまったな。お蔭で随分と腹が減ったものだった」
うん……決定だねこれ……。
ていうかヌシって。どう考えてもお爺ちゃん強いよね。巨体からしてすっごい力持ってそうな気はしたけど、老人なのにお爺ちゃん死ぬほど強いんだよねこれ。
いや意思通じてよかったな。じゃなかったら今頃食べられてたよ。
「なんじゃ、お主妙な顔をして」
「……あのね、お爺ちゃん。実は……」
俺は意を決して、この腐食の森に来た事情を話した。
そして、お爺ちゃんがこの森のモンスターを殆ど食べてしまったせいで、腐食の森の役割が果たせなくなっているという推測も。
勿論、俺が曜術師である事と、腐臭の大元の臭いを取り戻すために来ている事、そしてこれに関してはまだ原因は不明と言う事も教えた。
なんぼなんでも、全部お爺ちゃんのせいって訳じゃないだろうしな。
相手はそれをふんふんと頷いて聞いていたが、話を終えると「アチャー」と言わんばかりに大きな熊の手で己の額を押さえた。
「ぬううう……知らなんだ……それは知らなんだぞ! 申し訳ない、この地がそのように重要な地とは知らず……ぬぅううう、わしも手負いでなければその程度判別できたものを……返す返すも迷惑をかけた……」
「いや、俺は迷惑かかってないから謝んないで。っていうか、知らなかったんならしょうがないよ。お爺ちゃんは生きるために必死に食べてたんだし……まあその、ちょっと量が多すぎたかな~って感じではあるけど」
まさか、腐食の森も、モンスターの九割を食われるなんて思わなかったでしょうよ。大型獣人の出現とか、この森のサイクルにはあり得ない事なんだろうし……。それに普通はありがたいことなんだしね、凶暴なモンスターを退治してくれるってのは。誰が責められる事でもない。
でも、そうなるとどうすりゃいいんだろう。爺ちゃんがこの森に定住するつもりなら、どうにかして森と馴染む努力をして貰わなきゃいけないよな。
「お爺ちゃん、この森にずっといるつもり?」
「そのつもりであったが、どうもわしがおるとこの森に迷惑をかけるようだ……。移動できればそれが良いが、わしはなにせこの巨体だからな……移動するにも身を隠せる場所でないと……」
「故郷に帰るとかはダメなの?」
「可能であればわしも帰りたい。……しかし、人族の大陸からわしの住んでいた所までは船に乗らねばならぬ。わしの巨体ではそれは出来ぬだろう。この大陸に連れてこられた時は我もまだ人化出来たが、今は老いすぎて最早姿を変える事すらままならぬ」
そうか、お爺ちゃん獣人って言ってたもんな。てか獣人て年老いたら人間に変身できなくなるのか。どっちが基本の姿かは判らないけど、人化出来ないならやばいよな。十トントラックより大きいこのサイズじゃ並の船には乗れないし、かといってそんな渡航費お爺ちゃんにあるのかどうか。
「うーん……でも、このままだとお爺ちゃんずっとこの森の獣食べちゃうよね」
「ぬぅ。元の凄惨な腐食の森に戻すなら、わしが居ってはならぬだろう。わしは他の獣の数倍飯を食うでな……」
うーむ……。俺とロクとしても、出来ればお爺ちゃんには故郷でゆっくりと余生を過ごして頂きたい。自分では咎人って言ってたけど、話しをする限り凄く良いお爺ちゃんだし……俺にはどうも悪人には見えないんだよなあ。
それに、故郷に帰りたいなら帰してあげたい。俺にもその気持ちは解るから。
でも、お爺ちゃんを船に乗せるにしろ人目に付かないようにしなきゃ行けないし……と思って、俺は有る事を思いついた。
「そっか、頼めばいいんだ」
「ぬ?」
「ウキュ?」
でっかいヤギ角熊と俺の肩の上に居るロクが首を傾げる。
ふっふっふ、まあまあお二人さん俺に任せて下さいよ。
「お爺ちゃん、ちょっと待っててくれる? 断言は出来ないけど……お爺ちゃんを故郷に帰してやれるかも知れない」
「なんと! それは真か!」
この世界に来たばかりの俺ならどうしようもなかっただろうが、今の俺にはこの世界でのツテが有る。どうせならこれを使わせて貰おう。
人助けの為なら、多少ズルく使ったって許されるはずだ。
こうなりゃ善は急げ。さっさと森の死臭を取り戻して、ご老体を助けないとな!
俺達は一旦獣の爺ちゃんと別れると、針の穴程にも小さくなっていた焚火の元へ走って戻る事にした。
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