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終章“止まり木”の世界、出逢う全ての物語編
2.忘れたくないのに
しおりを挟む――――俺が元の世界に帰って来て、四日。
テレビもネットも見せて貰えないので俺には何が起こってるのか解らなかったが、父さんや母さんの話では外の状況がかなり酷いらしくて、俺は相変わらず病院の中に軟禁されていた。正直もういらないのに、点滴もずっと刺されている。
体も楽になって動けるようになって来たのに、自分が今居るフロア以外には絶対に行かないようにと釘を刺されてしまった。おかげで売店にも行けやしない。
なにか気晴らしをしようとポジティブに考えようとするけど、周囲がそれを許してくれない。まあ、知らない人と出くわす事が無いのはありがたいんだけどさ。
でも、このフロア厳重過ぎなんだよな。階段やエレベーターはカードキーが無ければドアが開かない仕様になってるみたいだし、自販機の一つもありゃしない。
それに、気分を変えようと個室に付いてるトイレじゃなく、フロアにあるトイレに行こうとしても、なんか警察の人が付いて来るし……。
……まあ、四日目にして少し冷静になったから、その厳重さも理解出来るけど……それにしたって、病院にこんなフロアがあるのも警備の厳重さも驚きだった。
俺、まるで重罪人みたいじゃないか。
いやあっちの世界では似たようなもんだったんだけどさ……。
「…………はぁ……」
そんな事を思い返し、ベッドの上で溜息を吐いて膝を立てる。
俺が重罪人みたいだと思った原因の一つは、このフロアでの出来事だけでなく――さっき部屋に来ていた警察の人の事情聴取の件も含まれていた。
この、何度目かの尋問が、なんだか変な方向に傾き出したのだ。
最初に俺に話を聞きに来たのは、優しそうで柔らかそうなお友達になりたい警官のお姉さんだったのに、今日朝からやって来たのは……なんだか厳つい、二人組の男だった。しかも彼らは制服ではなくてスーツで、バッジも付けていて……明らかに、刑事かそれと同等の階級の人なんだなと解る感じだった。
その彼らが俺に矢継ぎ早に質問して来たのだ。
「本当に何も覚えていないのか」
「あの服に何か違和感は無かったか」
「他に身に着けていた物は本当に何も無かったか」
「神社で誰かと会っていたんじゃないのか」
「誘拐されるような心当たりは有るか」
…………等々。
前半は何となく分かるけど、後半の質問が明らかにおかしかった。
なんで「誰か」が居る前提で質問して来るんだろうか。警察のお姉さんは、俺の事を気遣ってくれていたのかその辺は何も聞かなかったし……たぶん、あれが一般的な失踪人の扱いだったんだろうけど、今日のは明らかに「事件」って感じだった。
……なにか、解ったんだろうか。
他人が関与してるというような証拠でも出たんだろうか?
気にはなったけど、それを俺が知る事は出来なかった。父さんと母さんは何か聞かされていたみたいだけど、母さんが泣いてたので聞くに聞けない。
刑事っぽい二人組が帰った後に、異様に優しくなって「なにか欲しい物は無い?」とか訊いて来たから……たぶん、何か悪い事が見つかったんだろうけど……。
でも、結局はそれも「不可解だ」で終わるんだろう。
だって俺は、異世界から帰って来たんだから。
……そのはずだ。それで間違いないはずなんだ。
でも、人の記憶なんてアテにならない。
俺は「異世界に居た」と信じてるけど、本当は変質者か誘拐犯に拉致でもされて、その間の記憶がつらかったせいで、妄想の世界に逃げて記憶をすり替えてしまったと言う恐ろしい可能性もある。
刑事が訊きに来たからと言って、俺が異世界に居た事が証明されることなど絶対に無いのだ。……だからこそ、怖かった。このベッドから、動けなかった。
あの神社に確かめに行ったら……俺が望んだ証拠ではなく、俺が信じたくなかった証拠が見つかるのではないか。あの二人のおじさんが、俺の記憶をぶち壊すような、恐ろしい現実の証拠を突きつけて来るのではないか……と。
それを思うと、俺は泣くよりも恐ろしくなってきてしまった。
……だって、もしもそれが真実だとしたら、俺のこの気持ちは全て「嘘」と言う事になってしまう。ブラックと言う恋人が居た記憶も、あの世界での旅も、すべてが「精神的苦痛から逃れる為に俺が造り出した世界」だと確定してしまうんだ。
あんなに、大事だったのに。
自分自身の倫理観すら捻じ曲げてしまうくらい……好き、だったのに……。
…………俺が必死にあの世界を思い出そうとする度に、この世界の「現実」が酷い可能性を突き付けて来ようとする。
曖昧で無限の解釈を持つ魔法ではない、立証できる確かな科学の力を以って、俺の記憶を「妄想だ」と追い詰めようとして来ていた。
――怖い。もし体力が完全に回復して、どこへでも出られるようになったなら……俺は、あの神社に行けるんだろうか。
あの場所にブラック達の世界とのつながりを探しに行けるんだろうか。
もし、今までの事が本当に俺の妄想なら。
俺が本当は、犯罪者に何かされて精神を病んでしまっている人間なら……
………………。
それを、もう、考えたくなかった。
今は病室で何の情報も受け入れずに寝ていられる事が、ただありがたい。
父さんも母さんも仕事とかやる事があるから、付きっ切りではいられないけど……でも、それが逆に俺を安心させてくれた。
夕方になると、そう言っても居られなくなったけど。
――――学校の下校時刻になって少し後、なんと俺の友達四人が、揃って見舞いに来たのだ。尾井川だけでなく、ヒロもシベもクーちゃんも来てくれた。
学校があるから無理をするなと言ったんだけど、それでも金持ちのシベが「ここはウチと繋がりがある病院だから、俺の顔が利くんだ」とか言って、わざわざ俺の事がバレないように車を用意して来てくれたのだそうだ。
俺一人のためにバカな事をするなあと思わず笑ってしまったが、それを言うと全員に怒られてしまった。みんな、それぐらい心配したんだと。
そう、言われると……ありがたくて、本当に申し訳なくなる。
けれど、その気持ちを吐き出す事は出来ない。その負い目のせいか、クーちゃんやヒロに「いつものつーちゃんらしくない」と泣かれてしまった。失敗だ。
せめて、尾井川達には迷惑を掛けたくない。
だから殊更頑張って、いつもみたいにおどけてみせて、俺は自分が元気である事を見せつけ安心させようとした。それをみんな受け入れてくれたのか、しばらくは学校でやってたみたいに話が出来て……それだけは本当に楽しかった。
まるで昔の頃の自分に戻ったみたいで、その時だけはこの状況を忘れられた。
まあ、帰り際にシベに「勉強においついとけ」と言われて、国語や英和の辞書やらノートやらどっさり渡されて、ヒロには泣き付かれて、クーちゃんには「おかず!」と、彼特製の濃い絵柄のえっちな絵を頂いて、ちょっと正気に戻ってしまったが。
でも、本当にいい友達だ。俺には勿体ないくらいの。
そんな友達を切り捨てたんだと思うと……どうにも、辛かった。
「…………はぁ……」
独りになると、溜息が深くなる。
そんな事をしても何も解決しないのは解っているが、吐かずにはいられなかった。
……いずれ、俺は退院して学校に復帰する事になるだろう。その時の事を考えると憂鬱だし、外で何が起こっているか解らないから外に出るのも怖かった。
それに……元の生活を続ける内に、俺はあの世界を忘れてしまうかも知れない。
なにも無いから、思い出しかないから、思い出す事すら辛くなって無理矢理に忘れようとするんじゃないかと怖くて、カーテンを開けるのを止められた日からずっと、窓に近付く事が出来なくなってしまっていた。
でも、いつかはこの部屋から出なければならない。
イヤでも普通に生活して、元の自分を取り戻していかねばならない。
その途中で……知りたくない真実を、突きつけられてしまうかも知れないのだ。
――――俺が今まで旅をして来た世界なんて、どこにも存在しない……と。
「………………」
それが、一番怖い。
何もかもを切り捨てて選んだ世界が夢想の世界だなんて、認めたくなかった。
だけど時間は無情に過ぎて行く。俺の傷は、驚異的な速さで治って行った。
……それが、黒曜の使者の力なのか、それとも現代医学の力なのかも、俺には解らない。この世界では、超常的な力なんてまやかしでしかないのだから。
「……もう、夜か…………」
最近は、眠るのが怖かった。
この世界に戻ってきた頃からずっと見続ける、指輪を探し闇に呑まれる夢。
その悪夢が、日を追うごとに何故か明確になって来て、最近では闇の中から何かの恐ろしい呻き声が聞こえるようになってきたからだ。
まるで、俺を闇に引き摺ろうと手招くような呻き声。
だけどその声に抗う事も出来ず、俺は毎回闇に呑まれて目が覚める。
そうして胸の真ん中を服の上から探って……失望に沈む。
もう、気が狂いそうだった。
「寝たくないな……」
けれど眠らなくてはいけない。
明日もお医者さんと話をしなければいけないし、恐らく刑事もやって来るだろう。
父さんと母さんも来るし、尾井川達も明日また来ると言っていた。
休む暇はない。元気にならないと。元気な所を見せて、みんなを安心させないと。それが、この世界を切り捨てようとした俺に科された罰なんだから。
切り捨てようとした人達を、これ以上悲しませてはいけない。
だから……。
「…………」
なんだか、部屋に居たくなかった。
少し動けるようになってきた体で難なくベッドを降り、点滴をぶらさげたスタンドをコロコロ転がしてドアを開ける。すると、ドアの横には監視の人が座っていた。
相変わらず、こんな場所で黙って座っている。
でも四日目ともなると顔見知りになってるから、それほど怖くない。
「どうした潜祇君。また気分転換かい」
顔は怖いけど、初老の優しい監視員さんだ。警察から派遣されて来たから、制服を身に纏っている。この人にも家族がいるだろうに、夜までこんな仕事をさせてしまって本当に申し訳ないよなあ……。
だけど表面上は元気を装って、俺は何とか笑って見せた。
「眠れなくって……ちょっと、トイレに」
「ついて行かなくて平気か?」
「大丈夫っす。すぐ、戻って来るんで」
別に逃げる必要もないし、ここのトイレは窓から人が入って来れない仕様になっている。逆に言えば、中の人も逃げられない。だから、警備の人も安心なのだ。
そういう所は手間が無くていいよなこのフロア……なんて事を思いながら、俺は男子トイレに入る。だけど催してる訳でもないので、なんだか疲れてしまい蓋を閉じた洋式便座に座り込んでしまった。
……空気が冷たくて、気持ちが良い。
窓が少し開いているからだろうか。外の風が入って来て、頭がすうっとした。
排気ガスの臭いとかも色々と混ざった風だけど、それでも自然は自然だ。その心地良さに、ついうとうとしてしまった。
「――――……」
意識が重くなる。
ここで寝ては風邪を引くぞと思っても、ひんやりした壁やタンクに腕が触れると、目を覚まそうと言う意識が急に萎えて来てしまって。
……少しくらいなら、ここで寝ても良いだろう。認識が甘くなり、頭がゆっくりと背後のタンクへと圧し掛かった。解っているけど、目がぼやける。
腕も足も力を失くして弛緩し、心地いい感覚に意識が沈んで――――
――――――…………。
…………あれ……。
――――…………。
なんか…………声が……聞こえる……。
誰の、声……だっけ……。この声、聞いた、事が…………。
――――…………!
叫んで、る……何か、言ってる……。
なに、いってるんだろ……なに、を……。
――――……っ……!
「…………ぁ、え……」
この、響き。この声……聞いた事、ある……。確かに、記憶に……ある……。
夢だと思ったけど、でも、いや、今は夢の中なのかな。
こんなに現実感のある夢の中なんて初めてだ。うっすら目を開いて、ゆっくり頭を起こしてみる。するとそこには……その、トイレの床には……一面に、黒い水がどろどろと広がっていた。
「…………?」
だけど、ボケた頭の俺にはそれがおかしい事だとは思えない。
頭をふらふらと揺らしながら立つと、水に足を入れた時の音が響いた。
ああ、そうか。これはただの水だ。きっと水道管でも壊れたんだろう。
そう思い、警備のおじさんに報告しようと思い緩慢な動作で立ち上がる。
「え、と…………」
これ、点滴スタンドが抵抗受けないかな。
そう思いながら一歩足を踏み出して、ふと、目の前にある洗い場の鏡を見る。
「…………え……?」
その鏡の中には、自分の顔が映るはずだ。
だが、そこには……――別の物が、映し出されていた。
「な……っ」
鏡の、向こう側。
俺の姿を映し出すはずの鏡に映るのは、まるでどこかの部屋の中のような風景だ。黒い壁に、煌々と光る巨大な何か。その光る謎の物体の下には、何かの大きな機械が有って、その機械の前には――――
「……あ…………あ、あぁ……!!」
必死に、機械を操作している……赤い髪の男が、居た。
「ブラック……!!」
反射的に、鏡に向かって駆け出す。その際にスタンドを蹴ってしまい、盛大な音を立ててスタンドを倒してしまったが、最早そんな事などどうでも良かった。
何かが抜けた腕の痛みも、黒い水も、もうどうでも良い。
目の前に映る光景に駆け寄って手を伸ばすが、鏡は手を受け入れてはくれない。
何度も触るが、向こう側へは決して届かなかった。
「ブラック……ブラック!!」
叫ぶが、俺の声は届かない。
だけど鏡は俺の意志を読み取ったかのように中の光景を移動させ、ブラックの顔の真正面を映して見せた。
「あ……あぁ……ああぁああ……!」
ブラック。間違いない、ブラックだ。一日も忘れた事なんてなかった、俺の恋人。
大事な人、この世界を切り捨ててまで一緒に居ようと誓った人だった。
左手の薬指には、ちゃんと指輪が光っている。俺の目と同じ、琥珀色の小さな宝石を嵌め込んだ、俺達の大事な婚約指輪。
その指輪をはめた指を必死に動かし、ブラックは片手で髪を掻き乱していた。
『――――ッ、……!! ――……!!』
何を叫んでいるのか解らない。だけど、口の動きでこれだけは解った。
ブラックは……俺の名前を、呼んでいるんだと。
「~~~――……ッ! ぶら、っく……っ……ブラック……っ!」
「おい、どうしたんだ潜祇く……っ」
どこかから、声が聞こえる。
鏡の中じゃない。その声は、こちらの世界で聞こえている。
それを理解した瞬間、鏡の中の映像が消えて俺はその場に座り込んだ。
「く……潜祇君こっちに…………あれ……?」
警備員さんが不思議そうな声を出す。
だけど、俺には「どうしました」と聞く余裕すらも無い。
……あと、少しだけ。もう少しだけでも、見ていたかった。
もう二度と会えないのなら、妄想でも幻覚でも良いから会いたかったのに。
そう思うと、堪えようと決心した涙が出て来て止まらなくて。
もう、俺は座り込んだまま動けず、ただただ涙を流すしかなかった。
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