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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
46.例え相容れぬものであったとしても
しおりを挟む「レッド、今すぐ心を落ち着けて。周りを見て」
両肩を掴み無理矢理こちらを振り向かせるが、レッドは今眠りから覚めたような顔をして、俺の言葉の意味が解らないとでも言う風に眉根を寄せる。
しかし何か異変が起きたらしい事は理解したのか、目をゆっくり動かして……それから、驚いたように丸々と開いた。
「なっ……これ、は……っ」
やっと自分が置かれている状況に気付いたらしい。
理解が出来るのなら、大惨事にはならないだろう。俺は内心ホッとして、レッドが激昂しないように言葉を選んで続けた。
「たぶん、さっきの話で【紅炎のグリモア】が暴走してるんだ。このままじゃベルカシェットが燃えてしまうかも知れない。それに、アンタの体だって危ないんだ」
「っ……! だっ、だが……」
妙に歯切れが悪いな。
何かを言いたいようだが、言葉が出てこないようだった。まさか……。
「自分でもどうなってるのか解らないのか?」
困惑するようなレッドに問いかけると、素直に頷く。
自分で引き起こしている事なのに、何も解らないのか。一瞬、俺の方が途方に暮れそうになったが、しかしそのあまりの危険性に気を取り直した。
自分で制御出来ていない。それは一番ヤバいタイプの暴走じゃないか。
もしこれでレッドがどうにも出来なかったら、グリモアの凄まじい炎によって村が焦土にされてしまうかも知れない。
放たれたらどれだけの威力になるかすらもまだ分からないのに、このままだと全員で心中だ。そんなの認められる訳がない。何とかしないと……!
「レッド、落ち着いて。この周りの炎は、グリモアの力が暴走しようとして漏れ出た物なんだよ。心が脆くなったら、呑み込まれてしまうぞ」
「う……っ。だ……だが……っ」
眉間にぎゅっと皺を作ったまま、レッドは所在無げに目を泳がせる。
その体の周囲には赤い光が陽炎のように揺らいでいて、レッドが逡巡するような動きをする度に落ち着くどころかゆらゆらと燃え上がっていた。
レッドはこの曜気の光に気が付いて無いんだろうか。
解らない。考えてみれば曜術の事なんて殆ど何も知らない俺では、これがレッドの意志に因る物なのか、それとも、グリモアの力によって湧き上がっている物なのかも解らなかった。俺ではあまりにも力不足だ。
だけど、ここで諦める訳には行かない。やると決めた以上、どうにかしてレッドの力の暴走を止めなければ……。
「レッド、落ち着いて。今はこの炎を何とかしないと……」
「そ……そう……だな……。そう、だ……この炎、この、炎を……っ。でも、どうして、何故、こんな……こんな……っ」
「レッド……?」
なんだか様子がおかしい。もしかして、正気じゃないのか?
いや、意識ははっきりしているはずだ。俺がいる事も理解出来ている。だけど、レッドの様子からすると、明らかに動揺している。
自分でも訳が解らないのだろうか。それとも、自分でも感情をコントロールできずに焦っていると言う事なのか。だとしたら……。
「うっ、ぁっ、あっあっあぁああ……!」
自分の体を抱き締めて、レッドが震える。驚いたように瞠目して青ざめているのに、彼の周囲には恐ろしい程の赤い光が噴き上がっている。それが徐々に輝く火の粉をちりちりと弾き飛ばし始めていて、今にも炎の壁に引火しそうだった。
もしこの光が全て炎に成ったら、どうなってしまうのか。
恐ろしい事を考えて全身が一気に冷えるが、周囲の熱が許してくれない。
とにかく、レッドを止めなければ。俺は再び相手の肩を掴んで揺さぶった。
「レッド、落ち着いて! どうしたんだよ!」
出来るだけ大きな声で問いかけるが、レッドは青ざめたまま首を振るだけで。
何故自分がこうなっているのかも判らないとでも言いたげな様子だ。
だけど、それを責める事は出来ない。俺だって同じような事になった記憶がある。こういう場合、自分でもどうしたら良いのか解らなくなってくるのだ。
自分が理解出来なくて、自分でもどう鎮めたら良いか分からなくて、どんどん深みに嵌って混乱してしまう。そうなるともう抜け出せない。泣いたり喚いたりして心を落ち着ければまだ立ち直れるチャンスは有るけど、レッドの今の状況では、そうして感情を爆発させたらどうなるか想像が付かなかった。
爆発させてしまったが最後、この部屋も……なんてことも有り得るのだ。
どうしよう。感情を鎮めるための方法も今は役に立たない。
激情を吐露させてしまえば爆発し、抑えつけようとすればいずれ噴出してしまう。何をやっても残るのは破滅だけだ。
「……っ」
何をやっても、破滅。
俺には何も出来ないのか。レッドを止めると言ってブラックに全てを任せて来たのに、なんて体たらくだ。情けない。俺は人一人落ち着かせる事すら出来ないのか。
嫌いだけど放っておけないから助ける……なんてブラックに言っておいて、何にも出来ずに座り込んでいるままじゃ、あまりにも情けないじゃないか。
また迷惑をかけている。自分から「出来る」と言ったくせに、結局は失敗して暴走させて、どうにもならなくなった“あの時”みたいに…………。
「おっ……俺っ……お、れ、そ、そう……俺、は……俺はっ……母、上っ、ははうえが、母うえっ、あっ、あぁあっ、あぁあああ……!!」
頭を抱えてレッドが地面に膝を付く。まるで動物のように丸まったレッドから再び物凄い量の赤い光が噴出し、さっきから雪のように舞っていた火の粉が一気に増殖して、目の前で小さい雷のような光を閃かせながらバチバチと音を立てた。
炎の壁に囲まれた場所は、最早赤い光に飲みこまれて一気に熱くなっていく。
その異常な光景を見て、俺は血の気が引くのを感じた。
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい。いつ発火してもおかしくない。
皮膚を捻じるような熱い空気が、じりじりと肌を焼いている。このまま気温が上昇すると、完全に火傷を負う程の温度になってしまうだろう。それに炎が加われば、俺達はひとたまりもない。それどころか、この周辺は……――
「れっ、レッド!」
「あぁあぁあああ!! あああああああああ!!」
俺の声を遮り、レッドは頭を抱えたまま地面に向かって叫んでいる。心の中の処理しきれない感情を制御出来なくなったのか、ガタガタと震えていた。
その間にも、彼の体からは恐ろしい光が噴き出していると言うのに。
……止めなきゃ。もう、何が何でも止めなきゃ。
少し離れてしまった距離を一気に詰めて、手で触れようとする。だが、その前に俺はレッドの体に起きている変化を見止めて思わず硬直した。
今まで無傷だったはずのレッドの服が、じりじりと音を立てて燃え始めている。
火の粉が降りかかったように所々が小さく焼け焦げ、嫌な臭いを発していた。
やっぱり、力を制御出来てないんだ。このままではレッドも焼け死んでしまう。
「レッド! 落ち着いて、レッド!」
とにかく正気に戻さなければ。これじゃみんな死んでしまう。
再び手を伸ばしてレッドの肩を掴もうとする、と。
「うあ゛ッ!?」
じゅっ、と嫌な音がして、思わず手を引く。
痛みとひりつく感覚に恐る恐る掌を返してみると、そこは真っ赤になって、所々が嫌な斑状になった火傷が……。
……こ、こんなの、さっきは無かったのに。
じゃあ、さっきよりもグリモアの力は増しているのか。レッドの心も、段々と正気を失っているのか。母親の恐ろしい真実を聞いて、耐え切れなくなって……。
「……っ」
でも、こんな事で負けていられない。
火傷がなんだ。俺は不死身だ。絶対に元に戻ってしまうんだ。なら、どれだけ傷付こうが問題なんてない。何も考えられないなら、体を張って止めるだけだ。
それに、俺には指輪がある。俺を守ってくれる、指輪があるんだから。
「ぅ……」
じりじりと焼ける手で必死に指輪を取り出して、握る。
そうすると不思議と掌の痛みが和らいだような気がして、俺は息を吐いた。
ああ、そうだ。いつだってこの指輪は俺を守ってくれている。
だから、恐れる必要はない。
いつだって、ブラックは俺を守って…………――
「…………あ」
――――そう言えば、俺もレッドと同じ状態になった事が有るじゃないか。
イスタ火山の中でクロッコとギアルギンに遭遇した時、俺は力の制御が出来ずに、膨大な量の巨大な蔓を出現させてしまった。ブラックはアレを「夢遊病」と言ったが、もし今のレッドが同じ状態で、自分一人では術を止める事が出来ないとしたら。
だったら、俺にも一つだけ……出来る事が、ある。
けれどそれは、俺にとっては許容できるかどうかという行為だった。
「…………」
……俺は、レッドが嫌いだ。
ブラックを自分の都合で犯人扱いして、ずっと追い立てて、胸糞悪い一族と一緒にブラックの事を散々見下して虐めた。その上に、あのクロッコと手を組んで、俺達を散々苦しめたんだ。それが悪い事だと、知っていながら。
それなのに、ずっとずっと、ブラックの事を逆恨みしていた。俺の事だって、自分の思い通りにしようとして、グリモアの“支配”の力で記憶を消しやがったんだ。
そして、何も知らない俺を奴隷にして、恋人だって嘘をついて…………。
…………そんなの、到底許される事じゃない。
俺自身の怒りも有るけど、だけど、ブラックに対しての事が一番許せない。
今までずっと苦しんできたブラックに、憎いからと言う理由で全てを擦り付けようとしたその行為が、俺は一番許せなかった。
だから、嫌いだって言ったんだ。
ブラックの事を何も知らずに勝手に決めつけるから、嫌だったんだ。
……けど。
だけど…………。
「…………レッド……」
やっぱり、見捨てる事なんて出来ない。
誰にだって辛い記憶は有る。優しさだって、普通の人なら持っているだろう。
レッドは特別じゃない。悪い事をした奴が優しい事をしても、何も良く無いのだ。
解っているけど、でも……だからって……見捨てきれないよ。
……確かに、俺は散々良いようにされた。正気だったら「嫌だ」と暴れただろう、恋人としての行為も、絶対に拒否していただろう。
俺を奴隷にしたことも、連れ去った事も許せなかったんだ。
けれど、レッドは俺に強引に迫ったりはしなかった。
俺に受け入れられるまで決して最後まで行わずに、根気よく待とうとした。奴隷として首輪を付けても、俺を自由にさせてくれた。
なにより……俺に対しての、こいつの態度は…………
心の底から、ただ純粋に、俺に受け入れて貰いたいと訴えるようなものだった。
…………俺だったら、目の前に愛しい女性が居て好き勝手に出来るとして、邪な衝動を抑えきれるだろうか。奴隷として首輪を付けても、自由に放てるだろうか。
レッドには「俺が逃げない」という自信があったのかも知れないけど、そう思う事すら俺には出来ないだろう。きっと、囲い込んでヒステリックになりもしたはずだ。
奪い取れば、それだけ奪われる事を恐れるようになる。
四六時中ピリピリして、いつ記憶を取り戻すかイラついたに違いない。
だけど、レッドは……ずっと、待っていたんだ。
俺が感情を取り戻して、レッドの事を好きだと言うようになるまで。
「……バカだよ、アンタ…………」
好きに出来たのに、そう出来なかった。
俺が記憶を思い出すかもしれないと恐れていただろうに、それでも本を読ませて、俺が何かに興味を持つ事も止めもしなかった。
そんなの、誘拐犯のやる事じゃない。
悪い奴になると決めたなら、俺を檻に入れて洗脳でもすれば良かったのに……。
「レッド、落ち着いて。なあ、レッドったら……!」
だから、許せないのに、憎めなかった。
だってレッドの行動は、あまりにも愚かだったから。
愚かで、強引で、だけど最後の砦を崩せない。
俺の両隣に居る誰かに、とてもよく……似ていたから……。
「正気に戻ってくれよ……頼むから……」
手を伸ばして、炎に焼かれ始めているレッドに再び触れる。
またあの嫌な音が耳に届いたが、俺はその音に構わず覆い被さるようにして、レッドに抱き着いた。
「落ち着いて……大丈夫、大丈夫だから……っ」
肌が、服が、表現すらも追いつかない程に炎に巻かれる。
痛みとも疼きともつかない感覚が全身に広がったが、俺は指輪を握り締めて痛みを相殺しながら、レッドを抱き起した。
「ぅ、あ゛……ッ、あぁあっ、あ、あ……っ」
「ッ……く……っゆっくり、ゆっくりで良いから……息を吸って、深呼吸して……。大丈夫、だから」
痛がっていると勘付かれないように、ゆっくりと確実に宥める。
泣いているように肩をしゃくりあげるレッドは、俺の声がやっと少し聞こえるようになったのか、必死に衝動に抗おうと息を吸い込むように口を開いていた。
「焦らなくて、いい……っ、から……だい、じょう、ぶ……」
指輪が、抑えてくれている。痛くない。大丈夫。俺はまだ、耐えられる。
俺が今できるのは、こんな事ぐらいしか無い。だからレッドを抱き締めるんだ。
これしか出来ないから、これで救うしかない。
俺が、村も、レッドも、救うんだ。
真正面から、向き合って。
「はっ……あ゛っ、あ、ぁ……あああ……あ゛ぁ……ッ」
抱き締めた体が、息に膨らんで萎む。
熱い空気にじりじりと痛む体のあらゆる所に気を取られそうになるが、俺はレッドが本当に落ち着くまで、ただ抱き締めていた。
――――と、あれだけ凄まじい音で鳴っていた火の粉が、急に減少し始めた。
気が付けば、周囲を赤く染めていた炎も穏やかに流れている。まだ油断できないが、さっきよりは……落ち着いたのかな……。
「つ……かさ…………」
不意に呼ばれて、レッドの顔を見上げる。
すると、相手は俺の姿に酷く驚いたような顔をして……ボロボロと泣き始めた。
「レッド……」
「っ、う……ぅ、ああ……すま、ない……っ、すまない……すまない……っ!」
何度も何度も、謝る。
涙を流しながら俺を抱き返す腕は、酷く熱い。
だけど今は、振りほどく事も出来なかった。
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