異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

文字の大きさ
上 下
1,121 / 1,264
最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

38.気付きを与えるのは1

しおりを挟む
 
 
「はっ、はぁっ、はぁ……っ!」

 必死で空気を吸い込みながら、廊下を逃げる。
 自分では走っているつもりなのに、足が上手く動かなくて全然速度が上がらない。

 それが怖くて、レッドに追いつかれるんじゃないかと思うとどうしようもなく背中が寒くなる。でも後ろを振り返る事すら出来ない。
 必死に体を引き摺って、なんとか階段まで辿たどり着こうとすると、背後からガタッと音がして床が大仰にきしんだ。

「ツカサ……ッ」
「……っ!」

 レッドが、追って来た。

 確信して、やっと階段の手すりに手が届く。
 半ば腕の力だけでそこから階段に滑り込もうとすると、背後からレッドが怒鳴り声のような鋭い声音をこちらにぶつけてきた。

「待てツカサァ!!」

 その鋭い声が怖くて、ひざから崩れそうになる。だが今捕まってしまえば終わりだ。
 さっきのよく解らない奇跡が再び起こってくれるとは限らない。それよりもレッドから逃げて、早く距離を置かないと。まだ相手が動けない内に、早く。

 そう思い、一段目に足を降ろそうとすると。

「我が名、レッド……――」

 何故か唐突に俺に向かって名乗りを上げようとしたレッドが、その次に何か言葉を紡ごうとした瞬間。また何かが割れるような音がして、遠くからうめき声が聞こえた。

「うっ……ッ!」

 だが俺も急に体に痛みが走って、その場でうずくまる。
 何が起こっているのか自分でも解らず、目が痛くて思わず両手で覆った。
 だけど、立ち止まる訳には行かない。レッドが再び動き出さない内にと思い、痛みを堪えながら、俺は段に尻を付きながら慎重に階段を降りた。

「なっ……何故だ……何が起こっている……!?」

 一段ずつ降りる最中に、苦しげなレッドの声が聞こえる。
 信じられないとでも言いたげな言葉に足が止まりそうになったが、その思いを振り切って、俺はどうにか一階に辿り着く事が出来た。

「はぁっ、は……」

 もう何分も経ったような気がする。だけど、きっと十分も経っていない。
 レッドが呻いたのは数秒前だ。充分に追って来られる。逃げなきゃ。
 まだ少ししびれていたが、足は動く。さっきより調子が良い。それどころか、さっきの目を覆うような痛みが起きてからむしろ体が軽いかも知れない。
 何故そう思うのか解らなかったが、俺は何とか立ち上がり玄関に急いだ。

 こうなってしまっては、もうここには居られない。
 まさかこんな風に出て行く事になるとは思わなかったけど、仕方ない。
 俺は失敗した。いや、いつかはこうなるって解ってた。覚悟をしていなかった俺が悪いんだ。感傷に浸る暇があるなら、今は自分の安全を確保しなければ。

 だけど、どこへ行こう。
 ブラックの所に行って良いものだろうか。それこそ危険じゃないのか。
 片腕のないブラックは、レッドに勝てるのか。逃げ切れるのか?

 考えながら、玄関へと走る。
 だけどそんな自分の弱気な考えに、真っ向から反論する自分も居て。

 ――ブラックは、俺が今まで見て来た誰よりも強い男だ。俺を守ってくれる、絶対に見つけてくれる奴なんだ。そんなアイツが負ける訳がない。
 自分の大事な人だと思うのなら、信じないでどうするんだ。

 ……そう思って、万が一の心配をしてしまうもう一人の俺を叱咤しったする。
 だけど、どちらが正しいのか、解らない。

 ブラックを頼りたい。危険に曝したくないから頼ってはいけない。
 ドアノブをひねるけど、その迷いが俺の思考を狂わせるのか、どちらに回したら開くのかすらも認識できなくて、再び焦りと恐怖が湧きあがってくる。

 もう時間が無い。決めなければ。開けなければ。
 逃げなきゃ、安全な場所に逃げなきゃ。でもどこに、誰の所に、誰と逃げる、自分一人で逃げるのか?

「つ、かさ……!」
「あ……あっ……あ、ぁ、あ……!」

 逃げなきゃ、嫌だ、逃げなきゃ、逃げなきゃ逃げなきゃ……!

 そう思うのに、手を動かしてもドアが開かない。
 ドアノブの音がガチャガチャと耳を叩く。うるさい、何で開かないんだ。どうして。
 開け、開け……!!

「何をした……そんなに俺から逃げたいのか……!!」

 鬼みたいな、低くて怖い声が近付いて来る。
 手が震えてどうしようもなくて、もうどうなったって良いとドアに体当たりをすると

「ッ……!!」

 どん、と音がして俺は投げ出されるようにドアの向こう側に転げ落ちた。

「っ、ぐ……ッ」

 一気に寒くなって、風が体の周りを通り抜けて行く。
 外だ。外に出たんだ。

「ツカサ!!」
「ぅっ、あ……!」

 また強い声で呼ばれて、反射的に体が起き上がる。
 とにかく逃げなければと地面を踏みしめ、俺はよろめき重心を左右に揺らしながらも、不格好に走り出した。
 何度も体にダメージを受けているせいか、体が揺れて視界がふらつく。
 でも、走れるだけマシだ。

 肺を冷やす息を思いきり吸い込むと、俺はとにかく森の方へ走った。
 誰も居ない街の薄暗い道を走って、レッドから逃れようと。

「待て……ッ」

 背後の声が、再び遠く離れて行く。まだレッドも何かの衝撃から立ち直っていないんだ。なら出来るだけ距離を稼ごう。レッドが俺を見失うまで、走るしかない。
 だけど、月明かりに照らされているとは言えども、古い煉瓦れんがの道は所々が欠けたり陥没かんぼつしていて俺みたいな運動音痴にはとても走り辛い。

 何度もつまづきそうになりながら、俺は転ばないように必死に走った。
 だけど、人気ひとけのない空間と言うのは、逃げる者にとっては嫌な空間でしかない。

 自分が地面を蹴る音や相手が追い駆けて来る足音すらも響くほどに、空気は澄んでいる。そのせいで、この場所には俺とレッドしか居ないのだと理解してしまい、更に恐ろしさが増してくるのだ。

 薄暗い、誰も居ない街。追いかけてくる足音。冷たい空気と、思うように動かない自分の足。まるで、悪夢の中のようで泣きたくなってくる。

 叫びたくても怖くて声が出なくて、必死で逃げているのに景色が動くのが遅い。
 こんな悪夢何度も見た事が有る。だけど、今ほどこれが夢だったら良かったのにと思った事は無かった。

 追いかけられる悪夢は、いつも終わる前に目が覚めていた。
 だけどこの現実は都合よく覚める事は無い。
 捕まってしまえば、俺は壊されるか、最悪殺される。
 だがそれが終わりではない。

 俺が「黒曜の使者」で有る限り、意識を手放そうが再び「元の俺」に立ち戻り……永遠に終わらない悪夢を味わうことになるのだ。

「ぃ……いや、だ……っ、それだけは……嫌だ……ッ!!」

 ここで捕まってしまえば、もう戻れない。
 ブラックに、二度と会えなくなるかもしれない。支配されて、今度こそ自分が誰であるかすらも解らないようにされて、死ぬまで好きにされるかもしれない。
 どのみち、人間である俺は死ぬ。

 嫌だ。そんなの嫌だよ。
 ブラックだけじゃない。俺の可愛い相棒達や、クロウやシアンさん達にもう二度と会えずに自分が自分でなくなってしまうなんて、もう嫌だ。
 もう二度と、消えたくなんてなかった。

「っ……く……ブラ、ック……」

 助けを求めるように、名前を呼ぶ。
 一度二度と、何か解らない力が働いた。もしそれが……ブラックが俺の為に作ってくれた指輪のおかげだというのなら、俺はブラックに会いたかった。

 迷惑をかけるかも知れない。ブラックにまた危険がおよぶかもしれない。
 だけど、それでも……もう、離れるのは嫌だった。

「はぁっ、は……はぁっ、はぁっ、はぁ……ッ!」

 呼吸が苦しい。どうしようもなく辛くて、立ち止まってしまいそうになる。
 だけどそれでもレッドを近付けさせないまま村を抜けて、森を目指す。そうなると、背後のレッドもあせって来たのか、足音が近付いてきた。

 相手と俺の歩幅はあまりにも違い過ぎる。
 このままだと追いつかれるんだ、ペースを上げないと。そう思っても、俺の体力がレッドに劣っている事は覆せない事実で。
 俺はもう、足が縺れそうになってしまっていた。

 だけど、まだブラックには遠い。まだ走れ。走らないと。
 村と森の間の草原を、駆け抜けようと一生懸命に足を動かす。だが。

「ツカサ……っ!!」

 必死な声が、すぐ後ろで聞こえる。
 何かが近付いてきた気配がする。

 もう、駄目なのか。
 そう思った。と、同時。

「――――――ッ!」

 目の前から、赤々と燃える何かが迫って来たと思った瞬間。

 俺のすぐ横を凄い速度で通り過ぎて、すぐ背後で爆発した。

「っ!?」

 何が起こったのかと思わず立ち止まる。
 だが、そんな場合ではないと走り出して――――俺は、真正面に見える暗がりの森から、何かがやってくるのを見た。
 それが「なにか」なんて、もう、間違えようも無くて。

「ツカサ君!!」

 その声を聴いた瞬間、俺は体の力が一気に抜けるのを感じた。














 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です

渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。 愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。 そんな生活に耐えかねたマーガレットは… 結末は見方によって色々系だと思います。 なろうにも同じものを掲載しています。

悪役令嬢になりたくない(そもそも違う)勘違い令嬢は王太子から逃げる事にしました~なぜか逆に囲い込まれました~

咲桜りおな
恋愛
 四大公爵家の一つレナード公爵家の令嬢エミリア・レナードは日本人だった前世の記憶持ち。 記憶が戻ったのは五歳の時で、 翌日には王太子の誕生日祝いのお茶会開催が控えており その場は王太子の婚約者や側近を見定める事が目的な集まりである事(暗黙の了解であり周知の事実)、 自分が公爵家の令嬢である事、 王子やその周りの未来の重要人物らしき人達が皆イケメン揃いである事、 何故か縦ロールの髪型を好んでいる自分の姿、 そして転生モノではよくあるなんちゃってヨーロッパ風な世界である事などを考えると…… どうやら自分は悪役令嬢として転生してしまった様な気がする。  これはマズイ!と慌てて今まで読んで来た転生モノよろしく 悪役令嬢にならない様にまずは王太子との婚約を逃れる為に対策を取って 翌日のお茶会へと挑むけれど、よりにもよってとある失態をやらかした上に 避けなければいけなかった王太子の婚約者にも決定してしまった。  そうなれば今度は婚約破棄を目指す為に悪戦苦闘を繰り広げるエミリアだが 腹黒王太子がそれを許す訳がなかった。 そしてそんな勘違い妹を心配性のお兄ちゃんも見守っていて……。  悪役令嬢になりたくないと奮闘するエミリアと 最初から逃す気のない腹黒王太子の恋のラブコメです☆ 世界設定は少し緩めなので気にしない人推奨。

BL短編

水無月
BL
『笹葉と氷河』 ・どこか歪で何かが欠けたふたりのお話です。一話目の出会いは陰鬱としていますが、あとはイチャイチャしているだけです。笹葉はエリートで豪邸住まいの変態で、氷河は口悪い美人です。氷河が受け。 胸糞が苦手なら、二話から読んでも大丈夫です。 『輝夜たち』 ・シェアハウスで暮らしている三人が、会社にいる嫌な人と戦うお話。ざまぁを目指しましたが……、初めてなので大目に見てください。 『ケモ耳学園ネコ科クラス』 ・敏感な体質のせいで毛づくろいでも変な気分になってしまうツェイ。今度の実技テストは毛づくろい。それを乗り切るために部活仲間のミョンに助けを求めるが、幼馴染でカースト上位のドロテが割って入ってきて…… 猫団子三匹がぺろぺろし合うお話です。 『夏は終わりだ短編集』 ・ここに完結済みの番外編を投稿していきます。 ・スペシャルはコラボ回のようなもので、書いてて楽しかったです私が。とても。 ・挿絵は自作です。 『その他』 ・書ききれなくなってきたので、その他で纏めておきます。 ※不定期更新です。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

紫南
ファンタジー
魔法が衰退し、魔導具の補助なしに扱うことが出来なくなった世界。 公爵家の第二子として生まれたフィルズは、幼い頃から断片的に前世の記憶を夢で見ていた。 そのため、精神的にも早熟で、正妻とフィルズの母である第二夫人との折り合いの悪さに辟易する毎日。 ストレス解消のため、趣味だったパズル、プラモなどなど、細かい工作がしたいと、密かな不満が募っていく。 そこで、変身セットで身分を隠して活動開始。 自立心が高く、早々に冒険者の身分を手に入れ、コソコソと独自の魔導具を開発して、日々の暮らしに便利さを追加していく。 そんな中、この世界の神々から使命を与えられてーーー? 口は悪いが、見た目は母親似の美少女!? ハイスペックな少年が世界を変えていく! 異世界改革ファンタジー! 息抜きに始めた作品です。 みなさんも息抜きにどうぞ◎ 肩肘張らずに気楽に楽しんでほしい作品です!

4番目の許婚候補

富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。

スキルが生えてくる世界に転生したっぽい話

明和里苳
ファンタジー
物心ついた時から、自分だけが見えたウインドウ。 どうやらスキルが生える世界に生まれてきたようです。 生えるなら、生やすしかないじゃない。 クラウス、行きます。 ◆ 他サイトにも掲載しています。

縦ロールをやめたら愛されました。

えんどう
恋愛
 縦ロールは令嬢の命!!と頑なにその髪型を守ってきた公爵令嬢のシャルロット。 「お前を愛することはない。これは政略結婚だ、余計なものを求めてくれるな」 ──そう言っていた婚約者が結婚して縦ロールをやめた途端に急に甘ったるい視線を向けて愛を囁くようになったのは何故? これは私の友人がゴスロリやめて清楚系に走った途端にモテ始めた話に基づくような基づかないような。 追記:3.21 忙しさに落ち着きが見えそうなのでゆっくり更新再開します。需要があるかわかりませんが1人でも続きを待ってくれる人がいらっしゃるかもしれないので…。

処理中です...