異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

文字の大きさ
上 下
1,097 / 1,264
最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

18.変化に戸惑う

しおりを挟む
 
 
 このところ、ツカサの表情が自然になって来た。

 それは、時間の経過とともに他人の感情を記憶し、自分の中に取り込んだからかも知れないが、自分や村長夫婦に見せる顔は記憶を失う前のように動き、自然と笑う事も多くなってきた。今では、落ちこんだり戸惑う顔すらも見せるようになったのだ。

 そう、ツカサはようやく感情を取り戻して来たのである。
 ……だが、そうしてツカサが人らしくなってきた事で、新たな問題が出て来た。

 それは、彼の「探究心」だ。

(記憶を失ったからと言って、その存在の性質は変えられない物だ。例え違う方向に転換できたとしても、それは記憶を失った後に与える物に左右される。俺はその選択を、誤ってしまったのかも知れない……)

 記憶を封じる前のツカサは、本が好きだった。自分がツカサに心を寄せる切欠も本だった。だから、彼が好きだった本を再び好きになって欲しかったのだ。
 しかし本を与えるという事は、彼に様々な思考を体感させるという事だ。自分とは違う存在の行動を知る事で、他人には他人の思考があると知る。その行動を己の心と照らし合わせ、怒りや共感を得る事こそが、自我を生むのだ。

 本と言うものは、理解する頭さえあれば無限の可能性を生む。
 他人と接する機会がなくとも、他人と接する「真似」は行う事が出来るし、善も悪も喜びや悲しみすらも学ぶ事が出来る。
 ただの紙の束が、人の心を如何様いかようにも変える力を持っているのだ。

 だから、ツカサは得てしまった。
 「探究心」という、諸刃もろはつるぎになりうるものを。

(その心は、一番危険なものだ。何かを知りたいと求める心は好奇心を生み、自我を発達させていく。俺の言う事にすら……疑問を抱くようになるんだ)

 本を読めば、いずれはそうなる。
 ……解っていたのに、それでも自分は本を与える事を止められなかった。

 もう一度、あの図書館での時と同じように……かたわらで、笑って欲しかったから。

(自分から記憶を奪っておいて、記憶を失くす前のツカサが欲しいとは……我ながら笑える冗談だ……)

 ギアルギン……いや、クロッコにそそのかされて記憶を奪ったのはレッド自身だ。
 あの男の甘言に負けて、ツカサから記憶を奪い、その反動か何かで感情や今までの記憶まで失わせてしまった。だからこそ、これからはもう二度とあの男の事を思い出させないようにと思い、彼の事を一から面倒見ようと決めたのだ。

 そして、誰にも邪魔をされないように、このベルカシェットに来たのである。
 この国の極致にある、よそ者が滅多に立ち入らない場所に。

(その目論もくろみは、成功した。ツカサの中には俺しかいないし、俺の事を恋人だと信じ体も難なく開いてくれたんだ。もう何も憂うことなど無い。ツカサの瞳が真紅である限り、ツカサは俺だけの恋人で居てくれる……)

 だが、記憶は失われ感情も消えてしまっても、ツカサ自身が消えた訳ではない。
 「封じた」という言葉通り、ツカサの中にはまだ元の彼の記憶が眠っているのだ。だからこそ、レッドの今までの行動は失態と言えなくも無かった。

 “支配”の力の強さは散々見せつけられた。だが、その力は未知数だ。
 もしかすると、まだ知らない力や欠陥があるのかも知れない。
 何かのきっかけで“支配”が解けてしまう事も有り得るだろう。

 もし、探究心がそのきっかけになってしまったら。
 それを思えば、気が気ではなかった。

(ツカサ……)

 彼は今、自分の恋人として自分に付き添ってくれている。
 夜もベッドを共にし、以前は警戒していた自分の手を嫌がる事も無く、自然に受け入れてくれるのだ。最近ではついに、恥じらってくれるようにもなった。薄暗い部屋の中で、未知の快楽に震え見つめて来るツカサの姿は、言いようもなく欲をそそる。
 弱い所に触れれば、イヤと言いながらもレッドを真剣に拒否する事など無く、与える快楽に甘く可愛らしい声を微かに漏らすまでになった。
 レッドを恋人だと思っているから、そこまでの事を許してくれるのだ。

 だが、その状態で以前の記憶を少しでも取り戻してしまったら、どうなるのか。

 ………考えただけでも、恐ろしくてたまらなかった。

(こんな状態で家を出なければならないなんて……本当に、厄介だ)

 ツカサには「入っていい」と言っていない部屋……過去に自分が使っていた部屋で装備を整えながら、レッドは姿見の向こうの自分を見やる。
 昨日までは平民の服のような簡単な物を着ていたが、今は身形みなりの良い詰襟の服と肩から体を覆う外套がいとうを羽織って、貴族として恥ずかしく無い恰好をしている。
 本当なら今は来たくなかったが、そうも言っていられなかった。

(ベルカシェットの別荘に居れば、嫌でも本家に連絡が行く。それは解っていたが……まさか、一度帰って来いと呼び戻されることになるとはな……)

 恐らく、長らく留守にしていた事への小言を聞かされるのだろう。
 そう。「小言」だ。
 誰も今の自分を叱責しっせきする事は出来ない。それが解っているからこそ、強い事も言えないのというのに呼び出す「本家」が、鬱陶うっとうしくてどうしようもなかった。

(だが、行かねばベルカシェットに乗り込んでくる可能性もある。……ツカサの事を隠し通すためには、こうするしかないんだ……)

 どうしても、最低一日は家を開けなければならない。
 その間にツカサに何か起こったらと思うと、気が気ではなかった。
 
(この村には、本以外にツカサの記憶に刺激を与える物は何も無いはずだ。しかし、絶対に安全だと言う訳でもない……)

 外套を整えながら、溜息を吐く。
 記憶を失わせた事の弊害に今更怯えるなんて、滑稽だ。

(昔のツカサを奪ったくせに、昔のツカサと同じようになって欲しいと願って、未練たらしく書物を与えるなんて、相反する事をやっているくせにな)

 自嘲して、レッドは気合を入れるように自分の頬を両側から軽く叩いた。
 こんな事をぐちぐちと言っている場合では無い。
 一人で悩む暇があるのなら、さっさと用事を済ませて帰宅し、ツカサの体調に変化が起きないようにずっと一緒に居ればいいのだ。

「…………よし」

 悩んでいても仕方がない。
 いずれそうなるのであれば、その対策を考えるしかないのだから。

 レッドはそう思いきると、部屋を出て玄関へと向かおうと階段を降りた。
 と、階段横でレッドが降りてくるのを見上げているツカサの姿が見えてくる。そう言えばツカサには何処へ行くのかを伝えていなかった。

 完全に階段を下りてツカサに向き合うと、相手は不安なような、どこか思い悩んでいるような表情を浮かべてレッドにすがって来る。
 あまりの可愛さに思わず狼狽してしまったレッドに、ツカサは真紅に染まる美しい瞳をキラキラと輝かせながら、眉を情けなく下げてねだるような視線を送って来た。

「どうした、ツカサ」
「あ……あの……あのな、レッド……お願い、森に行かせて」
「またそれか……」

 昨日の帰りがけに「森にはモンスターがいるから行ってはいけない」と真剣にさとしたのに、どれだけ森に行きたいのか。思わずレッドはあきれた声を出してしまった。
 前は素直にレッドの言葉を聞いていたのに、ここまで食い下がるのは初めてだ。
 自我が芽生え始めたツカサにとって、このおねだりはかなりの大冒険なのだろう。
 だが、それでも許す訳には行かないかった。

 霧の結界の中にある森に、モンスターがいるという話は聞いた事が無いが、しかし森は結界が安定しない時が有り、万が一ツカサが外に出たらと思うと気が気ではないのだ。しかし、ツカサにそんな事を言う訳にもいかない。
 「結界」などと聞けば、好奇心がうずいて更に見に行きたくなってしまうだろう。
 それだけは避けたい。そうなると、逃げ出す可能性も高まるのだ。

 安心できない状況である以上、彼をこの村から出す訳にはいかなかった。
 だが、そんなレッドの思いをツカサが知るはずもなく。

「お願い、レッドと一緒に行くから。その……森の果物を取りに行きたいんだよ」
「森の……」

 その言葉で全てを察して、レッドは少し心臓がどきりとなったような気がした。
 なるほど、さては村長の妻から自分の好物の話を聞いたのか。
 明確に欲しい果物の事を言わないのは、こっそり作ってこちらを喜ばせたいからに違いない。自我が芽生えたおかげで、そのような可愛らしい言動も出て来るようになったのか。そう思うと、レッドも悪い気はしなくて。

(だったら、俺が付いて行って監視をすれば良いが……しかし、今日は無理だ。森に連れて行く時間が無い。だが、この感じだと一人で向かいかねない……)

 「こっそり」と考えているのなら、レッドの為にと想って、言いつけを聞かず一人で森に行くことも充分に有り得た。
 だとしたら、むしろ頭ごなしに禁止する方が危ないかも知れない。
 ツカサは、抑圧されればそれだけ反発するような男らしさも持った少年だ。現に、レッドが昨日「モンスターが出る」と言ったのに、今日もねだって来たのだ。もし、その気概すらよみがえりかけているのだとすれば、むしろ拒否するのは悪手だろう。

「…………仕方ないな……」

 ため息じりにそう呟くと、ツカサがぱぁっと顔を明るくする。
 その顔もやはり、最近見るようになったツカサらしい可愛い表情だ。

 しかし、今はその可愛く生き生きとした顔を見たく無かったなと複雑な思いを抱きつつ、レッドはツカサの頭を撫でて艶やかな黒髪の感触を堪能し、ツカサに言い聞かせるように最大の譲歩を口にしたのだった。















※またもや少し遅れて申し訳ない…あんまり進んでないですね…(;^ω^)
 次のための溜め回と思って許して下され…

 
しおりを挟む
感想 1,344

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...