異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編

17.懊悩 (遅れてスミマセン…;

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 幸いとは、全てが満ち足りうれう様のない事である。

 教会の胡散うさんくさい神父は礼拝の時にそうのたまうというが、今ほどその言葉の真偽を確かめたいと思う事は無かった。

(すべてって何だ。何が満ち足りたら幸せなんだ。その幸せは誰が決める?)

 考えながら、ブラックは剣を振ってモンスターの血を飛ばす。
 こんな事をしている場合では無いと解っているが、血の臭いを嗅ぎつけて他の物がやってくるのを避けるためには、仕方のない行為だった。

 だが、そんな風にして立ち止まっていれば、考えないようにしていた疑問が湧く。
 あの男と話してからずっと、ブラックはその疑問に苛まれていた。

(…………独りになった途端にこれだ。本当に、自分の弱さが嫌になる)

 子蜂はどうやらモンスターが多く潜む場所では活動がしにくいらしく、あまり体調が良くなさそうだったので、強引にたまに帰した。
 ツカサがいなくとも自力で帰れるくせに、今までブラックのそばに居たのは、子蜂なりにブラックを心配していたからなのだろうか。意思疎通が出来ないので正確な所は判らないが、もしそうだとしたらお節介な蜂だと思った。
 まったく、似なくて良い所ばかりツカサに似ている。

(まあ、蜂蜜が詰まった繭玉みたいなモノをくれたから、別にいいけどね)

 今のこの状況では貴重な食料だ。
 あまり甘いものは得意ではないが、心がささくれている時は甘味もありがたい。
 食事代わりに軽くすすりながら、ブラックは再び薄暗い森の中を駆け出した。

 ――今ブラックが移動している場所は、アランベール帝国の東端に近い山脈の間に存在する、高く険しい谷間の地面をおおう細長い樹海だ。
 かれこれ半日ほど、この森の中をモンスターを斬り捨てながら走っていた。

 人の気配も道すらも無い谷間の森には、モンスターが多く潜む。
 いつもの状態ならそんな事で一々立ち止まる事も無かったのだが、今のブラックは片腕を失っている。慣らしたとはいえ、この動きにくい森の中では、確実に仕留めるためにモンスターと出遭ったなら一々こうして立ち止まらなければならなかった。
 それに加えて問題なのが、周囲を覆う濃い霧だ。

 この谷は深く細いが、森の中央を一つの大きな川が走っており、そのせいなのか森も湿気を帯びて鬱蒼うっそうとしている。それだけでも厄介だと言うのに、周囲には濃い霧が立ち込めているので、走るのにも難儀する有様だった。

 それに、霧の為かそれとも空自体がくもっているのか、この場所は酷く薄暗い。
 まるで地獄への道を進んでいるようにも思えて来て、ブラックは息を吐いた。

(あの男から聞いた『ツカサ君が連れ去られたかも知れない場所』は、この先の場所で最後だ。けど……こんな所に、本当に村なんてあるんだろうか)

 その情報は、まさに雲どころか霧を掴むような話だ。
 だが、今のブラックにはその情報にすがる以外に出来る事は無かった。

 なにより、相手はツカサの幸せを真剣に願って行動している。そんな相手が様々な場所からかき集めて来た情報を、今更色眼鏡で見る事など出来ようはずもない。
 こんな思いやりの心が自分に有ったのかと驚きだが、あの男の情報を信じる大きな理由は、恐らく思いやりの心だけではない。
 それは多分……今の自分が、あまりにも無力だったからだ。

(考えてみれば、僕はこの国の地理はほとんど知らない……。覚えようと思っても、頭がこの国の事を思い出したくなくて、勝手に忘れて行くんだ。ツカサ君と出逢う前は、もう二度と戻りたくないとすら思ってたくらいだもんな……。我ながら、都合のいい頭で泣けてくる)

 ツカサに「何でも覚えていられて凄い」といつも褒めて貰ったこの頭脳も、万能ではない。人である限り、どうしても心に動かされて記憶をまげげてしまう。
 それに、ツカサに出逢わなければ知らない事が沢山あったのだ。千を越える書物を読み知識を得ても、知る事も出来ない事はどうしようもなかった。

 そう、結局自分は、何の役にも立てない。
 あの忌々しい小僧と対峙したアタラクシア遺跡で、その事を痛感したはずなのに、大事な事に気付いたはずなのに……ツカサの行方を調べる事すら、自分より弱い平民である“あの男”にかなわなかった。

(大事な人一人守れもしないで、ぽっと出の男に頼るなんて……何をやってるんだ、僕は……)

 考えを振り切るように、剣を収めて再び走り出すが……いきどおりは消えない。
 むしろ自分の情けなさに焦燥感が増し、胸を掻きむしりそうだった。

(僕はツカサ君を守れもしない。守って貰ってばかりで、ツカサ君を守ろうと思って贈った指輪も、結局ツカサ君を守る事すら出来なかった。それどころか、その指輪のせいでツカサ君は酷い火傷を負って、今もきっと治って無くて……)

 考えれば考えるほど、今更自分が情けなくなってくる。
 あの男と出会ってからその事ばかりがぐるぐると頭の中をめぐって、大人げなく騒ぎ立ててしまいそうだった。

(……解ってるさ。そう考えてしまうのは、僕がツカサ君を幸せに出来てるのかって考え始めてしまったからだ。今までは一緒に居るだけで幸せだって思えていたのに、あの男と出会ったせいで……)

 いや、そうではない。あの男と出会ったから、気付いてしまったのだ。
 満身創痍になってまで自分を守ろうとするツカサは、ブラックと一緒に居て……
 今まで、幸せだったのだろうか……という、疑問に。

(……ツカサ君は、僕と一緒に居て幸せだって言ってくれるだろう。それは確実だ。だって、僕達は恋人なんだもの。ツカサ君は泣いて喜んで、僕との婚約を受け入れてくれた。一生懸命、セックスに積極的になろうと努力もしてくれたんだ。その気持ちは嘘じゃない。それだけは、僕にだって真実だって解る。だけど……)

 いくらツカサ自身が幸せだと思おうとも……一歩退いて見てみれば、自分達の関係はあまりにも陰惨で、到底健全な関係とは言えなかった。
 だがそれは、黒曜の使者とグリモアだからという事ではない。
 もっと根本から、問題があったのだ。

 いざと言う時に、どうしてもツカサに助けられてしまう。例えツカサを守るつもりで居ても、結局自分は最終的にツカサを頼ってしまう自分がいる。ツカサを傷付けてしまう自分を止められない。

(それに、僕は……暴走して、ツカサ君を何度も……)

 考えて、拳を握る。

 ……思えば、まだ心も体も少年であるツカサには、辛い事ばかりだった。

 例え不運に見舞われてこの世界に召喚されてしまったとしても、彼は優しい世界で生きて行けただろう。ブラックが旅に連れ出さなければ、戦う必要も無くラクシズの娼館でのびのびと生きて行けたはずだ。それだけの選択肢が、彼にはあった。
 だが、自分が連れ出してしまった。どうしてもツカサが欲しくて、ツカサに愛して貰いたくて、彼の平穏な世界を奪ったのだ。黒曜の使者の真実を知るためという、もっともらしい理由を持ち出して。

 そんな事なんて知らなくても、ツカサは正しい行いをしていただろうに。

(今更なのは解ってる。黒曜の使者の真実も、ツカサ君にとっては知って良かった事のはずだ。ツカサ君だってそう言ってた。そう言って、笑ってくれたんだ)

 だが、だからと言ってそれが幸せとは限らないだろう。

 自分とツカサは、ディルムでの最後の日は確かに幸せの絶頂に居た。
 だが、一歩引いた所で彼の立ち位置を見れば――――

 災厄を抱く男に嫁ぐことになってしまった、哀れな少年でしかなかった。

(だけど、それでも、一緒に居たかった。ツカサ君と一緒に居たかったんだよ)

 自分には、何も無かったから。
 ツカサと出会って初めて、大事な物が出来て、色んな事が見え始めたから。
 だから、色んなものを教えてくれた一番愛しい人と、未来永劫一緒に居たかった。

 そんな自分の愚かなわがままが、彼を苦しめる事になる。
 解っているはずの事実を、見ないふりをして。

(本当は、解ってるさ。……僕と居ても、ツカサ君が満ち足りる事は無い。“支配”の力に怯えて、あのクソガキに追われて逃げ惑う事になる。僕と一緒に居たら、ツカサ君は……曜気を失って、最悪の場合死ぬかもしれない。そんな恐怖がずっと付き纏うことになる。解ってる。でも、だけど、もう手放す事なんて出来ないよ……!)

 ツカサが不幸になるとしても、もう二度と彼がいる幸せを手放せない。
 どうしても、失いたくない。
 自分を唯一愛してくれたツカサを、誰にも渡したくなかった。
 例え、ツカサから恨まれる事になろうとも。

「……ッ!」

 自分の中の迷いを置き去りにするかのように、ブラックは一心不乱に走った。

 あたりが血を吸った布のような気味の悪い色に染まって行く。
 夕方なのだと思う間もなく、ぽつぽつと頭やほおに当たる感覚が有って、雨が降って来たのだと解った。だが、足は止められなかった。
 森がまばらになり、段々と周囲が開けて行く。
 暗い緑に埋もれた谷間をついに抜けると――――そこは、濃い霧に覆われた草原と……その向こう側に、薄らと見える森と小さな集落のような物が見えた。

 なぜこの霧で向こう側が見えるのか不思議だったが、今のブラックにはそんな事を考える余裕すらない。ただ村が有った事に息をひきつらせて走るしかなかった。
 あの場所に、ツカサがいるかもしれない。今度こそ、会えるかもしれないと。

「ツカサ君……」

 駆けだして、急に濃い霧が現れた事に一歩退く。
 分厚い壁のようになって特定の範囲だけを流れて行く霧は、どうやら川の上にだけ現れているようで、これは一種の結界なのだとブラックは察した。
 この濃い霧の壁が、モンスターを寄せ付けないのだろう。だが、人族である自分には関係が無いはずだ。そう思い、川を渡ろうとして。

「ッ……!!」

 ばちん、と小さな雷が走って弾き飛ばされ、ブラックは瞠目どうもくした。
 どうやらこの霧は、ただの霧ではないらしい。恐らく、霧の向こうの集落にとって好ましくない存在を退ける結界にもなっているのだろう。
 だとすれば、この向こう側にツカサが居る可能性が高い。
 やっと、会える。だが、今の状態では会えない。この結界はかなり強力な物だ。隻腕せきわんで、しかも心が揺れている状態のブラックでは、この結界を破るような力を発揮する事は到底出来なかった。だが、向こう側にツカサがいる。絶対に、いるのだ。

「ツカサ君……っ」

 矢も楯も止まらず、もう一度肩から結界にぶつかる。
 だが、体に強い衝撃を与える雷が走るだけで、越える事が出来ない。鋭い切れ味を持つヴリトラで壊せないかと振るってみたが、むなしく弾かれてしまった。武器では、結界に触れる事すら出来ない。

 それでも触ればどこかが弱くなるはずだと思い、ブラックは場所を変えては何度も何度も体当たりを繰り返した。
 体が痺れても、顔に雷が当たっても、雨が降る薄暗い中をふらふらと歩きながら、結界の隙間を見つけようと何十回も体当たりを繰り返したのだ。

 それ以外に出来る事は、何も無かったから。

(ツカサ君、ツカサ君、ツカサ君……っ)

 愛しい恋人の事を考えながら、拳を握りしめて必死に体当たりを繰り返す。
 雨で髪が顔に張り付いても、電撃が雨のせいで強くなり体に衝撃を与えて来るようになっても、ブラックは体当たりを続けた。
 まるで、自分への罰のように。
 そうしなければ、ツカサに顔向けできないとでも言うように。

(会いたいよ、ツカサ君。会って、抱き締めて、抱き締め返して欲しい。優しい声で、柔らかい腕で、ぎゅってして欲しいよ。もう二度と、離れないって……っ)

 だがもし、この村で幸せに暮らしていたなら、どうしたら良いのだろう。
 自分と一緒に居る時以上に幸せに笑っていたら。
 平穏に暮らしている事を謳歌していたとしたら――――

 自分は……
 どうすれば、良いのだろう。

「うっ、う゛……ッ、う、うっ、うぅ……っ」

 声が、勝手にぐずぐずに崩れて行く。
 頬を伝うのが雨なのか他の何かなのかすら、もう解らない。

 だが、片腕では止めようも無かった。

 自分自身がボロボロになっても、自分ではもうどうにも出来ないのだから。











 
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