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最果村ベルカシェット、永遠の絆を紡ぐ物編
15.献身
しおりを挟むガストン・ドーレリアン。男はそう名乗った。
己の事をしがない奴隷商人だと言っているが、憎悪や嫉妬と言った未熟な偏見を破って改めて冷静に観察すれば、この男が「しがない男である」とは言い難い。
悪徳の街の中にあって、軽微の警戒で済むほどの高い地位を持ち、他の奴隷商人との繋がりも太い。なにより、夜中まで聞こえるはずの奴隷達の嘆きや悲鳴が、全くないのだ。良い方法であれ悪い方法であれ、奴隷達をそこまで封殺できている相手が「ただのしがない奴隷商人」である訳が無い。
なによりブラックは、彼の家名に覚えがあった。
「そうか、ドーレリアン……。お前はエルドゥーレを治めていた貴族か」
――そう。まだこうして大陸を飛び回る事も出来なかった頃、その名前を“あの女”から聞いた事が有った。
ドーレリアン一族は、節制と秩序を重んじるという平民の如き感覚を持った一族。一時期はサロンの華のように讃えられる事も有ったと言うが――。
「…………なるほど、お前もただの“悪人”じゃないんだな」
ブラックが思わず記憶を引き出すのを止めたのを見てか、ガストンはその記憶が忌々しいとでも言うように自嘲気味の歪んだ笑みを浮かべる。
この男は、当事者だ。ブラックが考えた事を読み取れない訳が無かったのだ。
それほどまでに、この男は徹底的に打ちのめされたのだから。
ならば、ヘタに言い繕うのも今更かも知れない。
意外にも己が殊勝であった事にブラックは驚いたが、だからと言ってこの男に気を使う義理も無かったので、思い出した事を簡潔に伝えた。
「僕が知ってるのは、貴族なのに醜い男がいるって噂話くらいだったけど……別に、領地がどうこうしたって事は無かったと思うけどな。没落でもしたのか」
そう聞くと、ガストンは肩を軽く揺らして笑った。
まるで、ヤケにでもなっているかのように。
「元から周囲に好かれてはいなかったが、領地の事で学術院と大きく揉めてな。……天下の曜術師サマ学者サマに逆らったのが運の尽きだ。領地のありとあらゆるモンを徹底的に毟り取られて、最後に残った俺は自分の家から蹴り出されたよ」
「お前の所は厳しいがそれなりに豊かだったろう。暴動は起きなかったのか」
「ハハ……領民は節制より贅沢品でバカになるのが好きだとさ」
……ドーレリアン一族はこの国の新興貴族であったが、法の番人を長く勤めていた一族なだけあって質素倹約と清廉潔白を美徳とし、領地を賜った後も随分と誠実な領地運営を行っていた……という、話を聞いた事が有る。少なくとも、ブラックがこの忌まわしき帝国に居た時は、ドーレリアンの領地は平穏だったはずだ。
(学術院だけじゃなく、他の貴族からも追い打ちを掛けられたんだろうな……)
表も裏も無い、清廉潔白で非の打ちどころのない素晴らしい領主。
そんな存在は怠惰で腐り切った貴族達の中では異質であり、稀有と言っても良い。当初は物珍しさから貴族達も歓迎し持て囃していたのだろうが、やはり、純白すぎる物と言うのは、後々疎ましがられる事になるらしい。
清らかであるとは言い難い集まりに純白な存在が一人いれば、後ろ暗い者から詮索されて、最悪の場合は強引に罪を作られ潰される。貴族はそんな集まりだ。
だから、ドーレリアンは潰された。
税を必要以上には取り立てず、平民にも最低限の節制を重んじ、神の教えを忠実に守って領地を盛り立てた挙句が、このザマと言う訳だ。
「神なんてものは幻想に過ぎないってことか」
「さてね……。神様にだって好みは有るってことかもしれん」
随分と自分を下げたような言い方だ。
だが、無理もないかとブラックは思った。
(僕が“あの女”から聞いた話は、だいたい悪口だったもんな。やれ鷲鼻がブサイクで滑稽だとか、あの顔で高潔ぶっているのが嗤えてくるとか、まあとにかくこの悪そうな顔とは真逆の行動がどうのって、聞いてるだけでウンザリするほどだったっけ)
それ以外に胸糞悪くない話題は無いのかと、女と言う存在が更に面倒に思えた原因だったが、その“話している方がみっともない話”のタネにされている本人は、もっとウンザリしただろう。
話を聞いた限り、ドーレリアンの統治は少し潔癖すぎるきらいもあったが、市井を淀ませるような厳しさは無かったし、元々平民だったドーレリアン一族だって、加減と言う物を理解していたはずだ。それが打ち倒されたと言うのは中々想像しがたい。
さきほど「領民は贅沢品でバカになりたかった」と言っていたが、もしや他の貴族に手を回されて、先に領民から骨抜きにされてしまったのだろうか。
(ああ、まあ、良く有る事だな。誰だって目の前の快楽には弱いもんだ。僕だって今『煙草をくれてやる』と言われたら、殴ってでも強奪するぐらい欲求不満だからな)
詳しい事は知らないが、ドーレリアンの領民も、贅沢品をこっそりと与えられた事により節制を忘れ、快楽こそが正しいと思い込んで暴動を起こしたのだろう。
己を厳しく律していた者ほど、落ちる時は地の底まで落ちるものだ。
目の前で本に埋もれている男を見れば、一目瞭然だろう。
(清廉潔白で正義を体現したかのようだった男は、人を殺す事も厭わない奴隷商人に……か。まったく、笑えない話だな)
本当に、笑えない。
何故なら、ブラックにはこの男に思う所があったからだ。
「……それで、悪人に成り下がった男が、どうしてツカサ君を勝手に売り払った男を殺したって? いまいちよく解らないな。嘘でもついてるんじゃないのか」
「お前からすればそうだろうな……だが、俺にはそれ以上言いようがない」
「首と胴体が離れ離れになろうとも、か?」
「後悔するのはお前の方だと思うが、やりたいならやればいい」
皮肉めいた言い回しがお上手だ。
しかし、そうでも言わなければこの男は生きて来られなかったのだろう。
自嘲と皮肉と自己否定。自らを最も低い位置に突き落とす事で、初めて心の安寧が得られるのだ。「自分はその程度の存在だから、虐げられるのは仕方ない」と。
(…………ああ、嫌だ。本当に虫唾が走る……まるで……)
まるで……――昔の自分を、見ているようだった。
「…………ツカサがどこに行ったか、俺は正確には知らん。だが、下男は死ぬ前に『顔を隠した黒衣の異邦人』らしき二人組が買って行ったと言っていた」
「――――ッ!」
顔を隠した、二人組の異邦人。
いや、片方は異邦人ではない。自分を散々に追い回した愚か者だ。間違いない。
だがどうして、何故ツカサの居場所を突き止めたのか。
軽く混乱するブラックに構わず、相手は続けた。
「ツカサは何か……恐らく、記憶を思い出したみたいで、とにかく二人に対して酷く怯えていたらしい。だが、男が何か名前のような物を呟くと、眠ったとか」
恐らく“真名”を使ってツカサを支配したのだろう。
だが、その前に引っかかる所が有ってブラックは問うた。
「まて、記憶を思い出したってどういうことだ?」
「あ……そうか、話してなかったな……。お前は身内だから、ツカサの体の事も知っていると思って話すが……あの子は最初、酷い状態だったんだ。見つけた時も後頭部はまだ修復されて無くて、赤子同然の意識で……。だからか、完全に肉体が直っても記憶を幾つか失ってたみたいでな……。だが、お前の事はぼんやり覚えてたようで、記憶も徐々に修復されていて……ずっとここに居れば、いずれはお前の事も全部思い出していたはずだ」
「…………」
ガストンのどこか沈んだ声を聴いて、ブラックは何故この男が「相思相愛なもの」のように振る舞えていたのかを理解した。
褪せた赤い色の髪に、声質は違うが低さは似ている声。そして、あまり似たく無い部分まで見覚えがある。心当たりが、在り過ぎた。
だが、だからこそツカサは……この男に懐いたのだろう。
恐らく、ブラックに似ていたから、というだけではない。
あの愛しい少年は、自分を求める者に対しては、いっそ自己犠牲とも思えるほどの献身を持って己の身を投げ出す。ツカサは、かつて感じたものをこの男に見出した。だから、求められる事に応え、この男の好意を受け入れていたのだろう。
自分の幻影も手伝って、ツカサはきっと警戒心も無かったに違いない。
きっとツカサはこの陰気な男に健気に付き添って、笑いかけて、ずっと共に……。
「…………ツカサ君を犯したのか?」
聞きたくなかった言葉が、口をついて出た。
その言葉にガストンは反応したが、暫し沈黙する。
犯したのか。犯したのであれば、どうやって犯したのか。ツカサはどう啼いたのか。良い声だったか。ブラックの物であるツカサを思う存分堪能したと言うのか。
もしそうだとすれば。
「……あんな純粋な子に、そんな事なんて出来なかったよ」
「…………!」
「それに、気付いていたんだ。あの子は俺の中にお前を見てるってな……。それなのに、俺が手を出したら後々ツカサは苦しむ事になるだろう。そんなこと出来るかよ。だから……その剣を収めてくれ」
言われて、自分がマントから剣をちらつかせていた事に気付く。
自分でも解らないほどに動揺していたのかと今更気付いて、ブラックはその動揺を気取られぬように、剣を収めた。とにかく、相手の言葉に嘘は無いだろう。
この男は、悪人に落ちても滅多な事が出来なかった。
奴隷が騒いでいないのが、その証拠だろう。
正義を貫けなかったが、完全な悪人にもなれなかった。
(……どこまで行っても、この男は“ただの人”なんだな)
だがそれこそが真っ当なことなのだ。
人は、全くの正義にも全くの悪にもなれない。
もしどちらかに振り切れたとしたら、その存在は既に人を越えている。
だからこそ、この哀れな男は、ツカサの感情が自分だけに向けられたものではないと理解していても、手を離す事も一線を越える事も出来なかったのだ。
その事を、ブラックは責める事は出来なかった。
「その言葉を信じる事にしよう。そんな勇気もなさそうな事は一目で分かるしな」
「……酷い男だな、お前は」
「それでも、僕はツカサ君の恋人だ」
ハッキリ言ってやると、ガストンはやっと緩んだ顔で笑って鷲鼻を鳴らした。
今まで陰鬱な顔をして俯きがちだったが、なにか吹っ切れたのだろうか。ゆっくりと立ち上がり、中央から折れた執務机に潜り込んで何かガタガタやりだした。
何をしているのかとしばらく待っていると、やっと出て来て相手は何かを両手に持ってこちらへ近付いてくる。その手の中の物を見て、ブラックは目を丸くした。
「それは……」
「ツカサが記憶を取り戻した時に渡そうと思って、取って置いた。……指輪は一度、売っ払っちまったがな……。その右手に嵌めてるのは、こいつの片割れだろう」
ツカサが腕に布を巻いて隠していた【庇護の腕輪】と、自分が贈った指輪。
その二つを手に入れて、ブラックは改めてなんだか胸が引き絞られた。
(ツカサ君は、いつも腕輪をつけていた。指輪だって、左腕を犠牲にしてまでずっと持っていようとしてくれた。それなのに……)
ツカサが見に付けていた大切なものは、今ここにある。
ここに、彼だけがいない。
「ッ…………」
ツカサのぬくもりすら感じられない冷たい金属の輪に、声が詰まる。
だが、相手はそんな情けないブラックに詰るような言葉は言わず、ただ告げた。
「俺は、ツカサと一緒に居たかった。この醜い顔を好きと言い、悪党に成り下がった今の俺を受け入れてくれたのは、ツカサだけだったから。……だが、ツカサの本当の幸せは……俺と一緒に居ることじゃないんだ」
「…………」
「ツカサは、お前の事を愛している。記憶を失っても、お前の面影を探していた。……俺には、ツカサを本当に幸せにしてやることは出来ない。それが解っていたから、この二つを後生大事に持ってたんだよ」
自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、ガストンはこちらの顔を見やる。
その目には、一部の嫌味も無かった。
「俺が知っていることなら、何でも教える。出来る限り協力しよう。だから、どうか……ツカサを、奴隷から解放してやってくれ……あの子の、幸せのために」
「…………」
目の前の男は、散々人に虐げられてきた。醜い男だと、言われてきた。
だが、ブラックを真剣に、睨み付けるかの如く凝視している今の相手には、何故かそんな風な事など微塵も思えなかった。
この男は、それほどまでに……ツカサを想い、幸せを願っている。
(ツカサ君の……幸せ…………)
頭の中で、その言葉が何度も反響する。
幸せ。
ツカサの、幸せ。
それは、勿論……自分と、常に一緒に居る事だ。生涯離れない事だ。
ツカサもそう言ってくれた。涙を流して指輪を嬉しいと言ってくれた。
だが、目の前の男が言っているのはそう言う事ではない。
自分と相手が共有する幸せではなく、相手が全てにおいて幸福であるかどうかを願っているのだ。そして、この男はその「ツカサの幸せ」のために、身を引く事を決心して、ずっと自分を待っていた。
ブラックの隣に帰る日を思い、胸を痛めながら。
そうすれば、ツカサが幸せで平穏無事に居られるのだと信じて。
(…………ツカサ君の……)
自分と一緒に居れば、ツカサは平穏無事で幸せに暮らせる。
そう、言えるのだろうか。
ツカサの“本当の幸せ”は……――
「どこへ行ったかまでは解らないが……俺には、少し心当たりがある。……どこまで辿れるかは未知数だが、せめて情報だけでも持って行ってくれ」
「あ……ああ。……頼む……」
このガストンという男は、本当にツカサの幸せを心の底から願っている。
だからこそ、自ら身を引いてブラックを待ち続けていた。
同じような心の闇を持つと言うのに、ツカサに執着していると言うのに、それでも、ツカサがより幸せで居られるならと別れを決心していたのだ。
(幸せを願うから……身を引く……?)
解らない。何故それで、満足出来るのだろう。
どうしてそんな風に己を抑えていられるのだろうか。
解らない。
解りようもないが……――――
何故かずっと、胸が苦しくて、仕方が無かった。
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