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暗黒都市ガルデピュタン、消えぬ縛鎖の因業編
迷走の果てに
しおりを挟む想い人を、鳥籠の中に閉じ込めて持ち歩く。
そんな望みの醜悪さを人は愛情だと言って取り繕うが、実際に行動に移してみればどれほど罪深い事かを体感する事になるだろう。
相手を愛しているから閉じ込めたい。いかなる時も共に過ごし、飽きもせず視界に常に相手の姿を映しておきたい。そう願うのは人として当然の事だろう。だが、その愛する人が怯えても構わずに鳥籠に放り込む事は……ただの、独占欲に過ぎない。
そう、ただの独占欲だ。執着心だ。愛と言う感情には程遠い物のはずだ。
頭の中では、そう理解しているのに。
(…………俺は……何をしているんだ……)
幕を締め切った薄暗い馬車の中。
背後に連結している荷車の車輪の音を聞きながら、レッドは頭を抱える。
今の自分が行っている事は、一体どういう名になる行為なのだろうか。
理解出来ない。いや、したくないのかも知れない。
ただ流されて従って、欲しい物の為だと言われて人形のように動いて、彼のためと言われて……こんな風に、獣を扱うような檻に入れて、買い上げて。
想い人を買う。いや、飼う?
あれだけ大事にしたいと思っていた相手を、飼うのか。心を手に入れる事もせず、金で強引に買おうと言うのか。それどころか野山の獣のように扱って首輪をつけて、地面に這い蹲らせるようなことをするなんて。
それが正しい事なのか。普通の事なのか。
頭の中では散々に己の理性が問いを喚く。だが、それ以上に。
それ以上に……己の全てが、我欲に支配された子供のようにがなり立てていた。
――――手に入らない。あの男がこの世に存在している限り、ツカサの心の全ては手に入らない。どれほど自分が愛しても、尽くしても、ツカサはあの男達の事ばかり考え、自分を犠牲にしてまで行動する。あの男の痕跡をこの世から消す事でもしない限り、彼の深い愛情は得られない。そう、最早どうしようもない。彼は、あの悪獣にも劣る男によって、心を奪われてしまっているのだ。
心の器は、一片たりとも隙間が無く――あの男の毒によって、侵されている。
未来永劫、あの男の事を忘れられないように。
だったら、もう、奪うしかないじゃないか。……と。
…………だが、そんな事にすら、もう。
「それにしても、面倒ですねえ」
頭を抱え自分の思考の中に嵌り込んでいる自分に、声が放り投げられる。
感情のない、人を小ばかにすらしているような軽い声。
だが、相対する席に座る相手を裏切る事は出来ない。自分は、そう“制約”を交わしてしまった。その制約を覆す事は、死を意味する。
目先の事に囚われて取り返しのつかない失態と犯してしまったが、もう遅いのだ。
陰鬱な感情に支配されながら、レッドはゆっくりと顔を上げた。
「この国では、名のある者しか力を発揮できない。それに、人族の叡智の結晶である【スクナビ】をもってしても、生きた物を簡単に持ち運ぶ事など出来ないとは……。お蔭でこんな不格好な輸送方法をしなければいけない。まったく、貴方の国は本当に面倒臭い国ですねえ」
今となっては黒衣で顔を隠す必要性も無くなったギアルギンは、覆いを解いてその人並み外れた美貌を曝け出している。
薄く紫がかった銀髪に、人族では有り得ない長い耳。長い睫毛に縁どられた双眸は切れ長で笑みを湛えており、柔和な美男子という印象を抱かせた。
だが、この男の笑顔は何の意味も含んではいない。もし、意味があるとすれば……相手を油断させるためだろうか。そう考えても仕方のない相手だった。
「……スクナビは口伝曜術の一種だが、使える者は一級でも少ない。それほど難易度が高い曜術だ。制約も無駄も多い。プレインで作られていたスクナビボックスだって限度は有るし、時の流れを止められる訳ではないからな。……あの呪いの石が箱の中に入っていても効力を失わないのだから、俺達には知り得ない理由があって、生物の縮小は出来なくなっているのだろう」
真面目に言葉を返すと、相手はせせら笑うような顔を見せる。
ああ、本当にこの男は腹立たしい。仲間だと思った事など一度も無かったが、最早共犯になってしまった身では逃げる事も叶わない。
それがまたレッドの思考を薄暗くさせて、揺れる箱の中で俯くしかなかった。
だが、相手はと言うと、こちらの事など気にもせず会話を続ける。
「法則の話など、どうでも良いんですけどねぇ。まったく、人族と言う物は面倒臭い事この上ないですよ。何もかもが鬱陶しい。彼ほど拘束されてはいませんが、大陸の国の“決まり”は本当に煩わしくて辟易しますよ」
黙って聞いていると、溜息を吐いて窓を覆っている幕を開ける。
外から陽光が差し込んできて、わざとらしく顔に当たって来た。
「貴方、よくこんな国に住めますね。いくら国主から手厚い待遇を受けているからと言っても、結局のところ他の国よりも締め付けが多い事に変わりは無いでしょう? それを知っていても、金と権力に縋っているなんて、本当に貴方の一族は欲まみれの素晴らしい一族だ」
解っている。これは、自分を弄んでいるのだ。
最初の頃から比べれば随分と気安くなったと思うが、その気安さは友好的になると言ったものではない。人族を見下すという神族の悪癖を更に強めるかのように、遠慮など無くこちらに暴言を吐くようになるといった「気安さ」だった。
この男は、無抵抗でいるしかない者にわざと暴言をぶつけて楽しんでいるのだ。
レッドは何度となくこの暴言を聞かされて来た。それは自分の抵抗力を削ぐ策略かと考えそうになるくらい、何度も。
だが、今の今まで反論出来た事は無かった。そんな事をすれば、制約を違えたのだと言われて、最悪の場合死を選ばされるかもしれない。それは避けたかった。
(……まあ、何を反論しようが結局は言葉の刃で返されると知っているから、無言でいる。と言う事もあるんだがな……)
とは言え、最近は少し違う。
あの天空島のディルムでの一件が有ってから、どこか……鬱憤をぶつけるかのように、レッドに幾度となく悪態をついていた。
勿論、そう思われないように、巧妙に柔和な雰囲気で押し隠してはいるが。
(余程、自分の思い通りにならなかった事が気に入らなかったんだろうな……)
それを思えば、自分も負けた側なのに何故か胸が透くようだった。
――この悪辣な男でも、心の中までは見透かせまい。
俯いたままで自嘲するかのような笑みを浮かべながら黙っているレッドに、相手は気を良くしたのか知らないが、また何やら呟き始めた。
「それにしても、本当に面倒な国だ。隠れるのには適しているが、逃げるのには特に厄介とは……目的の物も手に入れたし、追っ手を撒くためにも、そろそろこの大陸を離れるべきかもしれませんね。ここでは、いざと言う時に移送を使えない」
そう言えばそうだ。この男は特殊な術を使えると言うのに、このアランベール帝国では決して使わず、今だってこのように馬車を使って移動していた。
この国では基本的に馬車での移動が普通だったので、レッドは疑問を感じなかったのだが……今の相手の言葉に、引っ掛かりを覚えた。
“移送”を、使えない。相手が唯一使える曜術ではない特技を使えない。
そんな事実は今初めて聞いたが……この国の特殊な環境を考えると、それも仕方のない事だろうと思わざるを得なかった。
(旅人は皆そんな事を言うな。なにせ、この国は己の名の他に……――)
そこまで考えて、レッドは俯いたまま疑問に顔を歪めた。
(術が…………使えない……?)
考えて、今一度己の中の「当たり前」を思い起こし目を丸くする。
そうだ。この国では“名のあるもの”しか曜術を使えない。
曜術を扱うには、ある事をしなければ……この国での己の存在を証明する、“二つ名”というものを取得しなければならないのだ。
――“二つ名”とは、己の称号を現す本名とは別の名称だ。
この国の貴族や名のある一族は当然のように所有しているが、そうではない平民や異国人はその“二つ名”を持たないため、この国では曜術を使う事が出来ない。例え、天才的な才能が有っても、だ。曜術を使用するには、この国で改めてギルドに登録し直して名を貰うか、武勲を立て栄誉ある“二つ名”を頂くしかないのである。
それが、叡智を守る偉大な一族の為に神が齎した法なのだ。
だからこそ、この国の国民でも力のある物達は全て二つ名を持っている。この国の“識名帳”に名が記されているのだ。
そうでなければ、満足に術も使う事が出来ない。この国は、そう言う国なのだ。
(だがこの男は、今……術が使えないと言った……)
そんな馬鹿な、とレッドの中の誰かが呟く。
そうだ、この男は“黒鋼の伯爵”という不名誉な二つ名を持っていたはずだ。だから自分はそれがこの国での二つ名だと思っていたが……そうでは無かったのか。
考えて、今更幾つも思い当たる事が浮かんでくる。
そう言えば、この男はこの国ではあの不可解な術を一度も使った事が無かった。
レッドが隔離されていた渓谷からも、徒歩で移動していたのだ。
そもそも、おかしいじゃないか。
あんな術が使える存在が、なぜアランベール帝国に入る時だけは、素直に国境の砦を越えて入国したのだ。いつものように二人で移送すればよかったではないか。
そうだ、イスタ火山へ向かう時だって、一緒に行動すればそれで済んだはずだ。
なのにそれをしなかった。別行動を取り、わざわざ徒歩や馬車などで出国していたのだ。日数を重ねてもそうせざるを得なかった理由は、一つしかない。
この男は、アランベール帝国では“移送”が使えないのだ。
そこまで考えて――――レッドは、瞠目した。
(待て。だったら、俺はそもそも……)
この悪魔と
制約など交わしていないのではないか?
「…………っ」
その事に、気付いた瞬間。
ギアルギンに、いや、クロッコに出逢った時からの記憶が一気に脳内に蘇った。
己の身を滅ぼすほどの【嫉妬】の炎に焼かれ、最早人界に戻る事すら出来ずにあの「無」の渓谷で消え去るものだと思っていた。そんな自分に手を差し伸べ、この制御できない力を「簡単に制御する方法がある」と囁いた黒衣の異邦人。
黒。黒衣。それはこの国では最も忌むべき服だと解っていた。
――この国の民であるなら、服であっても決して色を失くしてはならない。災厄を避ける為に、例え葬列に並ぶ為であっても黒に近い何色かの服で収めねばならない。その色を着用する物は、異国の民であることの証明だ。この国の民ではないと、最初から解っていたのだ。
そうだ。何もかも、解っていたではないか。
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(俺は、制約は成されたのだと思っていた。あの渓谷で血を流し、この男の言う通りに動くと、歩兵になると誓った。だが……)
この男の行う事は、まさに外道とも呼べることばかりだった。
人を欺いて嘲笑い、人を貶めて愉しむ。
他人に笑顔を向けているようで、目の奥は笑っておらず常に全てを見下している。まるで生きとし生けるもの全てが玩具だと言わんばかりの様子で、誰にも興味を示す事は無かった。……いや、ただ一人……ツカサだけは、別だったようだが。
だが、自分は今までこの男に付き従って来た。
恩義に報いるための制約が全てと思って、ツカサの事を思いながらも今までずっと逆らう事も許されず従って来たのだ。相手が望むままに。
けれどもし、その制約が正式に交わされていないとすると。
クロッコはそれを承知で制約の「真似事」を行い、縛られてすらいない自分を、ずっと嘲笑いながら下僕のように扱っていたのか。
だとしたら。クロッコは、今までずっと……
俺を――――
謀っていたのか……?
「――――――ッ……!!」
冷や汗が、どっと流れ出る。俯いていた自分を感謝したいほどに掌は汗ばみ、何か言い知れぬ衝動が込み上げてきた。
今目の前にいる相手を殴っても、相手は自分に死を望めない。
最早軛は外されたも同然なのだ。
「……チッ、馬が疲れてますね……休憩するしかないか……」
激しく心臓が脈打つ。その鼓動とは裏腹に車輪の振動は徐々に緩くなり、馬車は遂に止まってしまった。
「あの子は“真名”の命令でずっと眠っているでしょうが、様子でも見て来ますか? ああ、丁度良い。ここでもう一工夫しておきましょうか」
いや、まだだ。まだ確信が持てない。
この男をどうにかするにしても、確証が足りない。
無言のままクロッコと共に馬車を降りて、荷車の幌の中で揺られていた愛しい彼を観察しに行く。未だ檻の中に入れられているツカサは、首輪のみならず手首にも枷を付けられ重い鎖に繋がれている。今はその重さに疲労したかのように、蹲って眠りについていた。
あまりにもあどけなく頼りない姿。
未だに残る、自分が付けてしまった酷い火傷の痕。
見る度に申し訳なくて、自らを痛めつけてでも謝罪をしたくなってくる。
そう思うほどに大事に想っているのに、結局自分はツカサを傷つける事しか出来ていなかった。……いつもそうだ。自分は、いつも彼を傷付ける。
どうしようもない事を覆せなくて、嫉妬に支配されて、結局……――
「レッド様。もう一度彼に命令をしましょう」
「え……」
「目を覚ましてまた騒がれたら厄介です。せっかく誰にも邪魔をされない場所で彼を見つけたのですから、余計な情報を撒き散らさないようにしておきましょう」
何を命令するつもりなのだとクロッコを見やると、相手は意地の悪そうな笑みに目を細めて、レッドに人差し指を向けた。
「彼に、仲間の記憶だけを失うように命令すればいいんですよ」
「っ……!?」
「貴方は、この可愛い思い人にあの男の影が付き纏っているのに我慢できないのでしょう? だったらもういっそ、消してしまえば良いじゃないですか。記憶が存在するから、この子はずっと憎き仇に固執しているんです。なら、まっさらな状態にして一から愛を育んだ方が簡単でしょう?」
「そ、れは……」
確かに、そうだが。
しかしそんな事をして、ツカサの体に負担はかからないのか。
記憶を改竄するという事は、彼にとって重要な記憶も失ってしまうかも知れない。
そうなってしまったら、ツカサが壊れてしまう可能性もある。
幾ら“神殺し”の異端者と言っても、頭の中を弄られる事まで想定してるのか。
支配者たる自分達が、彼の思考まで完全に支配するという事は……彼の人格の消失を招く自体にならないのだろうか……?
そうは、思うが。
「この子は慈悲深い子です。このままだと、きっとあの男の事を忘れられませんよ? いつまでも彼は恋人になっていた仇の事を思い続けるでしょうねえ」
「…………」
「貴方は、毎晩毎晩仇の名前を愛しそうに呼ぶ彼の寝言に耐えられますか? いつまでも仇に固執して心を開かない彼を、愛せるんですか? 嫉妬に狂って殺すような事になるくらいなら……そうした方が幸せだと思いますけどねえ」
「…………ッ……!」
何も、言い返せない。
自分の中の【嫉妬】の象徴が、己の中に存在する醜い心を増長させているのだ。
このままでは、いつかまたあの男の残影に耐え切れなくなって、ツカサを酷い目に遭わせてしまうかも知れない。また、酷い怪我をさせてしまうかも知れない。
もう自分には、この【嫉妬】を止める事が出来ない。
止める方法など解らないのだ。
このままでは、彼をもっと傷付けてしまう。
「さあ、彼の為に……余計な物を取り除きましょう。ねえ、レッド様」
傷つけて、しまうのなら。
そう、考えて。
「…………ツカサ……」
手が、伸びる。再び己の“真名”を呟き、彼に宣言する。
どうにも出来ない事で彼を苦しめてしまうのなら、この方が良い。きっとそれが、彼にとっても幸せな事なのだろう。
(…………俺は……卑怯だ……)
違う。そうではない。本当は、幸せだろうなんて思ってはいない。
自分は、逃げたのだ。嫉妬のあまり、彼を強引に奪う事に決めてしまったのだ。
あの男に犯されきってしまった心の器を、自分が塗り変えてやる事など出来ない。だから、簡単な方向へ流れて、彼の意志など関係なく思い通りにしようとしている。
想い人を、自分の鳥籠の中に完璧に閉じ込めるために……傷付けるよりも酷い事をこれから行おうとしているのだ、自分は。
だが、それほど自分の所業を理解していても、最早止まる事は出来なかった。
欲しい。どうしても、彼が欲しい。
自分の事を唯一理解してくれた彼を、手放したくない。
自分だけの物にしておきたい。誰にも渡したくない。
あの男のように…………彼に、受け入れて貰いたかった。
(ツカサ……)
……クロッコが悪魔であるのならば、欲望の通りに動こうとしている自分はどんな化け物になると言うのだろう。
もしかしたら、あの男より――――
(いや、そんなはずはない。そんな事など、絶対に……!!)
自分は、人を殺してはいない。あのような卑怯な男にはならない。
そう言い聞かせて、言葉を紡ぐ。
(そうだ。俺は間違ってはいない。奪われたのだから、奪ってもいいはずだ。あの男はそれだけの事をした、俺に、それだけの事をしたのだから……!!)
眠っていたはずのツカサが、赤い瞳を宿らせてゆっくりと体を起こす。
その光景を美しいと感じながら、レッドは凄惨な笑みで笑った。
――――どの道、もう真っ当な存在になど戻れはしないのだ。
この嫉妬の炎に身を焦がしたその日から。
→
※次新章です。
やっとブラックも登場(`・ω・)
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