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暗黒都市ガルデピュタン、消えぬ縛鎖の因業編
10.誰かの目ひとつで
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「お前、最近ずっとガストン様の所に居るな」
いつもの掃除中、枯れ草色の髪をしたそばかす青年が、俺に向かってそう言う。
確かに言われてみれば、ここ三日ぐらいずっとそばに居るような気がする。
執務室の掃除とか、一緒に食事してマナーとか教えて貰ったりとか、それから俺が覚えている事を話したりおやつ貰ったり、本を読ませて貰ったりおやつ貰ったり……まあとにかく、最初の頃から考えてみれば半日以上一緒に居るな。
さすがに寝る時は別々だけど、良く考えたら確かに変かも……。
奴隷としてはいけない事なのかなあとは思うんだけど、でも俺にものっぴきならぬ理由があるので、どうにもあの人から離れられないんだよなあ。
だって、三日前のあの騒動から、俺はまだ立ち直れていなかったんだから。
……まだ立ち直ってないのって感じだけど、あの時は本当に犯されると思ったし、あの状態じゃ誰も助けに来てくれないと思ってたから、抵抗しながらも「最早どうしようもない」と絶望してたんだ。おかげで下手に記憶に残っちゃって、夢にまだあの路地裏が出てくる。人に触れられるのも、今はちょっと怖い。
だからなのか、助けてくれたガストンさんの傍になんとなく居るようになって……。
でも、そんなんじゃ駄目なんだよな。
結局の話、俺が弱かったから、あんな奴にお持ち帰りされちゃったんだし。
だけど、今は一人で居たらどうにかなりそうだったんだ。
……一人でいると、何で俺があんな事をされなきゃならないんだと思うと凄く悔しくて、抵抗すら出来ない弱い自分が情けなくて、泣き喚いてしまいそうになる。
俺だって、絶対弱くないのに。こんな世界でなけりゃ、男らしく自分一人でピンチを切り抜けて、今頃武勇伝にでもなってたかもしれないのに。
なのに……現実の俺は、どうしようもなく弱くて、無力で。
でも、それをすんなり受け入れてしまったら、本当に心まで負け犬同然の奴隷になってしまいそうで、俺はどうしても泣き喚くのを我慢したかった。
だから、あの人の傍から離れたくなかったんだ。
……二度も助けて貰ったからか、あの人の傍に居ると何故か安心できた。
どうしてだかガストンさんの顔を見上げていると、心が自然と暖かくなってとても安心できるんだ。最初に出会った時からずっと、そう思っていた。
でもそれって、どんな感情なんだろう。
父さん……に向けるのともちょっと違うよな。男惚れって奴なんだろうか。
そんな経験した事無いから解らないけど、でもそれも違うよなあ。
「おい、聞いてんのか」
「あっすっすみません!」
「お前なんか気に入られるような事でもしたのか?」
「え……えーと……気に入られるような事……」
どっちかって言うと、俺が危なっかしいから傍に置いてくれてるような気がするんだが、実際のところどうなんだろう。
よく解らなくて思わず唸ってしまう俺に、相手はつまらなそうに溜息を吐いた。
「まあ何でも良いけどよ、お前よくあんな性格も顔も悪いオッサンの傍に四六時中引っ付いていられるな。本当正気を疑うぜ」
「そっ……そんなに嫌なんですか? ガストンさんと仕事するの」
思わず「そんな事を言うな」と怒りそうになったが、ぐっと堪える。
一週間くらい黒狼館に居るから、そばかすお兄さんとも知らない内に結構仲良くなってしまい、今じゃ命令とか関係なく普通に話す間柄なんだけども、このお兄さん(そう言えば名前を教えて貰ってないが、確かマルセルとかいう名前だった)たら、どうもガストンさんの事あんまり好きじゃないみたいなんだよな……。
そりゃまあ、ガストンさんって悪人顔だけど、でも実際優しいじゃん。
どうして嫌うのかよく解らないんだけど、でもそれを言えば相手は不機嫌になるので、俺は押し黙ってそうですかねと曖昧な返事を返すしかなかった。
ガストンさんもゲンコツするけど、この人は何かにつけて小突いて来るからなあ。
コンビニで短期間バイトしてた時に出会った大学生のチャラい先輩みたいだ。
少々ヤンチャっぽい先輩ってのはどうしてこう人を殴るのだろうか……。
まあそんな事を考えながら返答をした俺に、そばかす兄さんは不機嫌そうな顔になって腰に手を当てる。
「アイツ本当うるせーんだよ。やれああしろこうしろ細かく命令するし、奴隷の部屋の掃除なんぞ適当にしておけばいいのに、綺麗にしろってうるせえし、奴隷のエサにすら、アレの量が少ないアレを使い過ぎだっつうんだぜ? 奴隷にあんだけ懸想して馬鹿じゃねえのかあいつって感じ」
「普通はそこまでしないんですか?」
問いかけると、それで愚痴のスイッチが入ったのかペラペラと語り出した。
「俺は他の奴隷商人にも雇われてたからな。普通はこんな事しねえよ。檻に入れて、スキモノの金持ちが買いに来るまで放置しときゃ良いのさ。奴隷が怪我してようが、金持ちなら回復薬なんて幾つも買えるだろうし、躾だって本当はどうでもいいんだ。買った奴が後でどうにでもするだろ。なのに、アイツは一々命令しやがる……」
「…………」
「俺達は人を捕まえて売って横に流すだけの、この世で一番楽な商売してんだ。それを面倒くせえ規則なんて持ち出してどうすんだっての」
これじゃ、指示されまくってる雇われの自分達の方が奴隷のようだ。
そう言いながらケッと声を吐き捨てる相手に、俺は何とも言えず視線を逸らした。
……だって、俺の感覚からすれば、それは全然悪くない事だったから。
「ほんっと、給料もそれなりのくせして、小煩いオッサンだっつうの。金払いが良く無きゃとっくに雇われ連中で襲撃して殺してるっての」
「ええぇ……」
殺すって……いや、そうか、ここは無法の街なんだ。
ここでは殺人なんて日常茶飯事で、強盗も珍しい事じゃないんだろう。だからこの黒狼館の壁だって高いわけだし、俺も玄関を出てゼロ歩で強姦されかけたのだ。
俺の世界の基準で考えてはいけない。彼らはそうしないと生きて行けないし、それが街のルールなのだ。本来なら、死んだ人を弔う事すら滑稽なんだろう。
今更ながらにとんでもない街に異世界転移してしまったなと思っていると、不意にお兄さんが俺の顔をずいっと覗きこんできた。
「なあ」
「んんっ!? なっ、なんですか!?」
急に顔を近付けて来られたので、思わず驚いてしまい一歩退いてしまったが、相手は更に距離を詰めて来て俺の目をじっと見やる。
何だろうかと悪い意味でドキドキしていると、お兄さんは真剣に問いかけて来た。
「お前、俺の事を信用してるか?」
「え? あ、はい……」
色々思う所は有るけど、別に嘘を吐かれたり意地悪されたりはしてないし、聞いた事も真っ当に教えてくれるしな。信用してるかどうかと訊かれたらイエスだ。
そう思って素直に頷いた俺に、お兄さんは目を細めて続けた。
「じゃあ、お前……俺に協力しろよ」
「え……」
協力って、なんの。
思わず目を見開いた俺に、お兄さんはニタリと意地悪そうに笑った。
「お前、本当は奴隷になりたくないんだろ? 本当はアイツに毎回呼び出されるのも嫌なんだろ? だったらよ、二人で逃げようぜ」
「え……」
「なに、逃げ道は俺が用意してやるよ。だからお前は、アイツにもう少し取り入って、アイツの部屋から金目の物をありったけ盗んで来ればいいだけさ。気に入られているお前なら簡単なはずだぜ」
金目の物を、盗むって。
俺が、ガストンさんから金目の物を盗むって、そんな。
何を考えてるんだと固まってしまったが、そんな俺の反応を自分の良い方へとったのか、相手は悪い笑みを浮かべたままで俺の両肩を掴んで揺すった。
「俺はお前が奴隷以上に価値がある奴だって知ってる。掃除も洗濯も、まるで金持ちの屋敷の給仕並だ。ちょっとすれば、すぐに働けるようになるさ」
何言ってんの、この人。
なんで俺の働く先を勝手に決めてるの。
「それに、黒髪は売れないと言ったが……お前、よく見りゃけっこう可愛い顔してるからな。上手くすれば、屋敷の主人に気に入られて美味しい思いをさせて貰えるかもしれない。火傷の痕だってよ、裏方の仕事ならそう疎まれもしねえさ。良くすれば、その腕を憐れんでお慈悲を貰えるかも知れねえぜ?」
やめろ。そんな事を言うな。
俺をどういう目で見てるんだ、アンタは。
俺はそんな事したくない。憐れんでなんか貰いたくない。
どうしてアンタは俺の行先を決める、どうしてそんな嫌な事を言うんだよ。
「……どうだ。自由になりたいよな。金が欲しいよな?」
「…………」
「安心しろよ、お前が取って来たものは山分けにしてやるからよ。なっ」
そう言いながら、相手は俺の肩をぽんぽんと叩く。
今までは力任せに叩いて来ただけだったのに、今は、労わるように優しく。そんな力加減が出来たんだと思うくらいに、優しく俺の肩を叩いていた。
とても、寒い。体の中から冷えて来て、凄く気分が悪くなった。
だけど今それを訴えれば大変な事になると思い、俺は必死に感情を奮い起こし表情を緩めると、曖昧な笑みで目の前の相手に笑ってみせた。
どのようにも取れるように、と。
そうすると相手も勘違いしたようで、満足そうに笑うと俺からすぐに退いた。
「んじゃ、俺は逃げ道用意して置くからよ、盗んで来れたらすぐに言うんだぞ」
いいな、絶対だぞ。などと念を押されて、相手は俺を監督する事すら忘れて部屋を出て行ってしまった。俺が裏切るかも知れないなんて、微塵も思わずに。
……それだけで相手にどう思われているか解ってしまい、俺は泣きたくなった。
「…………やっぱ、奴隷なんだ……」
あいつからしてみれば、俺は何処まで行っても奴隷でしかないんだ。
だから俺の行く先も決めるし、俺をどう使えば更に金儲けが出来るかという事しか考えないし、自分がどうするかも俺には言わなかった。
きっと、逃げた後は俺を奴隷のように働かせるつもりだったんだろう。
盗品を山分けすると言うのも、本当か解らない。だって、一番危ない事をするのは俺一人だ。あいつは何もしないで、俺が金を運んでくるのを待ってるつもりなんだ。そんな相手と一緒に逃げたって、どうなるか解ったもんじゃない。
たった数分の事なのに、相手が俺をどう見ているのかはっきり解ってしまった。
アイツは、これから先も俺を奴隷としてしか見ない。それを暗に示すような提案をされた事で、俺はどう思われているか理解してしまったんだ。
それが酷くショックで、俺はしばらくその場に立ち尽くすしかなかった。
だって俺は……あの人の事を、少しは信頼してたから。
「…………」
奴隷って、こういう事なのかな。
相手に見下されて、使われるための物だと認識され続けて、従わされる。
どんなに心が強い人でも、周囲の人間にそう認識され続けたら、いつかはその視線に負けて「自分はそういう存在だ」と思い込んでしまうだろう。
奴隷と言うのは、自分で成るものではない。
きっと、周囲の人間に奴隷扱いされる事で成ってしまう物なんだ。
それは何だか……俺がいた世界で味わった事と、少し似ている気がした。
「……いけね……掃除が終わったら、ガストンさんに呼ばれてるんだった……」
あまり思い出したくない過去を考えたせいか、逆に思考が逸れる。
だけど今は嫌な事を考えたくなくて、俺は掃除を終わらせると、片づけをして黒狼館の本館――ガストンさんの執務室がある洋館――へと向かった。
無言で館を歩いて、いつものように執務室の扉の前で立ち止まる。
汚れていないか今一度自分の体を確認してから、扉をノックした。すると、ややあって中から「入れ」と低く少し掠れた声が返ってくる。
その声に少し心がほぐれるのを感じながら、俺はドアを開けた。
「遅い。昼前に掃除を終わらせろと言っただろう」
入って来るなり文句を言う相手に、俺は扉を締めながら謝った。
「す、すみません……」
「……まあいい。突っ立ってないで、こっちに来い」
「はっ、はい」
ガストンさんが就いている執務机に近付くと、相手はすぐそばに立った俺を見て、少々迷うように視線を泳がせたが……やがてしっかりと俺を見つめた。
まるで、何かを覚悟したかのように。
どうしたんだろうかと目を瞬かせていると、ガストンさんは軽く息を吐いて。
それから、告げた。
「…………お前は、今日からこの館に移れ」
「え……」
「……お前を売りに出すのは……やめる。お前は危なっかしいし、それに……黒髪の奴隷となると、やはり売れそうにないからな……」
そんな悪人みたいな事を言いながらも、ガストンさんは判りやすく目を泳がせて、ゴホンと咳をする。
隠せもせずに軽く頬を染めて照れる相手に、俺は何だか泣きそうになった。
だけどこの感情は、さっきのとはまるで違う。
暖かくて、嬉しくて、目の前の相手に抱き着きたくなるような喜びが湧いてくる。
傍に置いてくれたのは、やっぱり奴隷だからじゃ無かったんだと思うと、目の奥が熱くなって、じわじわと何かが出て来そうだった。
「……まあ、お前が嫌なら……」
「嫌なわけ、ないじゃないですか……」
嫌じゃないよ。全然嫌じゃない。
アンタの傍に居られるだけで、心が暖かくなって安心するんだ。
そんな人の近くにずっといられるなら、どんな場所だって嬉しい。
悪い事をして逃げるよりも、ずっと幸せな事だよ。
「…………嫌じゃ、ないのか」
俺を見上げる、目つきの悪い目。
だけど、ちっともこわくない。
「ガストンさん、俺……ガストンさんの為に、色々、頑張りますから……!」
そう言うと、相手は目を見開いて、それから――――
また、俺を抱き締めてくれた。
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