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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編
53.あの時から、ずっと
しおりを挟む俺、そんな大層な事したかな。
だって、ブラックと初めて会った時は凄く緊張してて、どうすれば良いのか解らなかったから、世間話から始めた方が打ち解けられるかなって思ってたくらいで……。
とにかく、あの時はいっぱいいっぱいだったんだよ。
そんな会話の中に重要な会話などあっただろうかと顔を上げると、ブラックは嬉しそうな顔をしたまま、抱き上げた俺の頬にキスをして顔を擦り付けて来た。
無精髭がちくちくして刺激が強すぎるけど、そんな事なんてもう今更過ぎて慣れて来ちゃってる自分がいる。だって、ブラックの顔って常にこうなんだもんな。
いつだってだらしなくて格好悪いけど、でも素直な顔。
こんな事を許容すんのは男としてどうなのって考えたりもするんだが、ブラックがしたい事なんだと思うと、拒否する気も起きなくて自分で自分が恥ずかしい。
ホントは俺もブラックとこんな事するのが好きなのかなって思うと、今の状況を変に意識してしまいそうであまり考えたくなかった。
だけども、そんな俺の動揺に気付いているのか、ブラックは笑うような息を吐くと更にぎゅっと抱き締めて来る。まるでぬいぐるみになったかのようだ。
おっさんがぬいぐるみ抱いてるって何か凄いアレだけど。
……いや、そうじゃなくて。
こんな風に懐かれるくらいの事なんてしたかな、俺……。
本当によく解らなくて眉根を寄せると、そんな俺の表情に気付いたのか、ブラックは俺の頬に再びキスをしながら言葉を続けた。
「ほら、一番最初。ツカサ君が僕の名前を聞いた時に言ってくれたじゃない。自分と一緒だって。僕の名は格好いい意味が有って、黒は高貴な色なんだって……」
「……あ……そういえば……そんな話したな……」
今更気が付いて言う俺に、ブラックはクスクスと笑った。
「ツカサ君、このまえ風呂場で言ってくれた事がまんま一番最初に言ってくれた言葉なのに、覚えてないんだもんなあ。……ほんとに、ツカサ君にとっては“なんでもない事”だったんだね」
詰ってるような台詞にも思えるけど、ブラックの声はとても嬉しそうだ。
頬や口の端に何度もキスをして、俺に頬を摺り寄せて来る。
「でも、あの時は本当に特別な事だって思わなかったし……」
そう言うと、ブラックは綺麗な菫色の瞳を潤ませて口角を上げた。
「ふふっ……。だから僕は、ツカサ君が唯一の運命の相手だって思ったんだよ。敵であろうが、災厄だろうが、出逢った時から僕の名前を……呪われた“黒”という名前を認めてくれた。だから、そんな別の世界の目を持つ君を……好きになったんだ」
「そ……そーかよ」
名前が切欠だったのか……。
でも、それなら俺じゃなくたって良かったんじゃないのかな。
ブラックの名前を変に思わない奴なんて、俺の世界にはごまんといるぞ。
俺の世界でなら、ブラックだって気兼ねなく生きて行けたはずだし、だから、別に俺じゃなくたって……。
「でもね、最初は本当に殺すかどうか迷ったんだよ? だって僕、黒曜の使者を殺すためにライクネスに行ったんだしさ。……だから、ゴシキ温泉郷に着いても本当にずっと悩んでたんだ」
「ブラック……」
少し辛そうな声に見返すと、ブラックは俺の口に軽くキスをした。
思わず目を丸くして驚いてしまった俺に、相手は目を細めて眩しそうに笑って。
「……だから、僕が本当に心から君を好きになったのは……きっと、ツカサ君が僕を追いかけて抱き締めてくれた時だったんだと思う。……あの時から僕は……僕は、ずっと……ツカサ君に、救われて来たんだよ……」
そう言って、また……唇を、合わせて来た。
「っ……」
……ずるい。ずるいよ。
そんな風に言われたら、何も言えない。拒否も出来ないじゃんか。
俺じゃなくても良いじゃんって思ったのにすぐ否定するような事を言って、そんな真っ正直な目を向けて来られたら……おれは……。
「ツカサ君……好き……大好きだよ……あの時からずっと……」
「ぁ……ぅ……んん……っ」
後頭部を掴まれて、ブラックから離れられなくなる。
息が苦しくなって服を掴むけど、ブラックはずっと唇を合わせたままで俺を拘束してそのまま草の上に押し倒した。
「は、ぅ……んむ……ん、んん……っ」
「はぁっ……は……はぁ……ツカサ君……っ」
背中が草に刺激されて、少しちくちくする。
けれどそれ以上に与えられる感覚に体が妙に熱くなって、キスのし過ぎなのか頭がぼうっとして、どこに寝ているのかすら気にならなくなった。
俺の後頭部を支えている大きな手の感覚や、顔中に感じるブラックの髪の毛や顔の感触の方ばかりに敏感になって、次第にここがどこなのか解らなくなってくる。
ブラックの掌が背中に当たってて、俺の足を両側から拘束するようにブラックの固い足が触れている。視界はブラックに覆われてて、他には何も見えなかった。
だけど、何故か俺はそれがとても嬉しいような気がして。
ブラックが「俺を好きだ」って言ってくれる事がいつも以上に心臓をドキドキさせて、キスをしてるだけなのに、頬が痛くなるほど熱くなって涙が出そうで堪らない。
でもそれは、嫌だからじゃないんだ。
自分がそれを一番分かっているから、どうしようもなく胸が苦しかった。
こんな所で、こんな事してる場合じゃない。それは解ってるのに、俺の心の中は「ずっとこうしていたい」だなんて、似合わない事を思っちまって。
でも、仕方ないよな。そう思ったんだ。
そう思えるくらい、俺は…………――――
「――――ハッ!! あっ、あああ! 危ないっ!!」
「……えっ!?」
唐突に物凄い声を出されて現実に引き戻されたが、ブラックはそんな俺の驚きなど構う事無く飛び退いて、何を思ったか木の幹に頭をぶつけだした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛まだダメだまだダメだ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だああああ」
「えっ、ええええ!? ちょっ、ぶ、ブラック!?」
すげーガツガツ言ってんだけど、アンタそんなに頭突きして大丈夫なの!?
つーか待て待て待て、何でそうなるんだお前は!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「ブラック、落ち着いてブラックったら!」
慌ててブラックを引き剥がし草の上に放り投げ、俺はブラックに馬乗りになった。
こうでもしないと、隙をついて再び木にぶつかり稽古をしに行きそうだからな。
「あ゛うぅ……」
「ったくもう……一体どうしたってんだよ! 怪我は……してないみたいだけど、血が出たらどーすんだよ、俺いま回復薬も品切れだし、曜気も渡せないんだからな!」
シアンさんに思った以上に渡しちゃったからか、未だに力が出ないんだぞ。
そんな状態なのにお前に怪我をされたら治しようがないじゃないか。
回復薬を作るにしても、聖水がこの場所にあるかどうかも解らないのに。
頼むから無茶な事はしないでくれよと睨むと、ブラックは間抜けな顔で俺をじぃっと見上げて、それから嬉しそうにだらしなく顔を緩めやがった。
「でへ……ツカサ君、すき……」
「もうそれ良いってば! アンタ本当に今日はヘンだぞ……?」
スキスキと言われてつい俺もムードに流されちゃったけど、良く考えたら最初からこのオッサンは様子がおかしかった訳だし、もしかしたら熱でもあるのかも。
風邪を引いたのなら早く戻らなければと思い、俺はブラックの赤くなった額に手を当て熱を測ろうとした。しかし、何度もぶつけて赤くなった額を触っても、熱の有無は解らない訳で……。
「あは、ツカサ君大丈夫だよぉ。僕、熱とかないからっ、至って健康だから! あ、いや、ツカサ君にはオネツなんだけどね!?」
「オッサンくさい言い方やめろ!」
オネツってなんだオネツって。
古いドラマでしか見ないような事を何故お前は言えるんだ。お前マジで前世は俺の世界の人間だったんじゃないのか。
ふざけたその一言でゲンナリしてしまったが、ブラックはと言うと、俺を見上げて蕩け顔でご満悦だ。何がそんなに嬉しいんだお前は。
「えへ……えへへ……ツカサ君の騎乗位だぁ……こ、興奮しちゃうなぁ……」
「ばーっ! ばかっアンポンタン! そんな事ばっかり言うなら帰るからな!?」
「あーッ待って待ってごめんなさいぃっ! まだ帰っちゃ駄目っ、もうちょっとだけ散歩しよ? ねっ、ねーったら」
今まで主導権を握ったと思っていたのに、ブラックは俺の体を抱えて軽々と上体を起こしやがる。ちくしょう、なんでお前はそんな体力お化けなんだよ。
普通、健康な十七歳の男に乗られてそんな簡単に動ける訳ないだろ!?
「んふふ、ツカサ君はちっちゃくて軽くて可愛いなあ」
「バカにしてんのかお前」
「でも僕からしてみれば、ツカサ君はちっちゃくて軽いのに変わりはないでしょ? それとも、ツカサ君は僕より背が高くて体格が良いのかな」
「ぐ、ぐぬぬ……」
この野郎、至極真っ当な事を言いやがって。
そりゃ確かにほんのちょっと、いやもう極僅か、もう本当に僅差で平均に届かない程度の俺の身長を考えればお前にとっては貧弱低身長かもしれないけど、だけど俺だって男なんだからな、女子と比べれば俺だって立派なんだからな!!
泣いてない、泣いてないやい。この世界がデカブツばっかだから悪いんだい。
「へへ、でもさ、僕は可愛いツカサ君が好きだよ。だって僕ね、抱き締められるよりこうやってツカサ君の事ずーっと抱き締めてたいもん。ツカサ君が今のツカサ君で、僕はとっても嬉しいなぁ~」
「うぐ……ぐ、ぐぅう……」
だから、そう言う風に言われたら何も言えないんだってば。
こいつマジで解って言ってるんじゃないのか。俺の事おちょくってんのか。
もういい加減にしないと本気で帰るぞ、帰るからな!!
内心怒りながら、どうやってブラックを引き剥がそうかとムカツク目の前の中年の顔を見やると。
「えへ……ツカサ君……」
「ぅ……」
でれでれと緩んだ格好良さの欠片も無い顔で、ブラックが喜んでいる。
何がそんなに嬉しいんだか分からないレベルだが、ブラックは俺を抱き締めながら胸に顔を押し付けてぐりぐりと懐いて来やがって鬱陶しい。
本当にもう、頭小突いてやりたいんだからな。マジで。
でもあんまり間抜け面だから、しないでやってるんだ。ありがたいと思えよ。
「ねえツカサ君」
「なんだよ」
ぶっきらぼうに答えると、ブラックは俺を見上げてニッコリと笑った。
「僕ね、ツカサ君に抱き締めて貰った時、凄く嬉しかったんだ。今までずっと、誰かを抱き締める事でこんなに嬉しくなるなんて思いもしなかったんだ。……だからね、僕は、ツカサ君がこんな風に僕を受け入れてくれるのが本当に嬉しいんだよ」
「っ……」
キラキラした菫色の瞳。
頬を嬉しそうに紅潮させて、子供みたいに笑う人懐こい笑顔。
それなのに今聞いた言葉はなんだか切なさが有って、俺は言葉を失くした。
「ツカサ君……もうちょっとだけ、僕に付き合って。……ね。お願い」
「それは……良いけど……」
やる事もないし、アンタにプレゼントするバンダナも作り終えちゃったし。
でも、そんなに沢山散歩したかったのかな。
こんな風に、その……い、イチャイチャするために……?
そんなにフラストレーションが溜まってたんだろうか、ブラック。
だったら、その……別に、嫌じゃないし、もう少しくらい付き合っても……。
「えへへ、ありがとう」
「ん……」
そんなに言うんなら散歩だって何だって付き合ってやるよ。
俺達は、こっ、恋人同士、だしな! うん!
でも、面と向かって言われたら照れ臭いんだけど。
何だかむず痒くて熱くなってしまった頬を掻く俺を立たせて、ブラックは再び手をギュッと握って来た。今度は、いつもみたいに指と指を絡めてしっかりと。
「あのね、夕方になったら行きたい所が有るんだ。だからもうちょっと散歩しよ」
「行きたい所?」
「うん。見せたいものがある所。それまでさ……そうだ、思い出話でもしようよ」
素直に頷いた俺に、ブラックは笑って肩を揺らした。
「でもさ、なんだかすぐに夕方になっちゃいそうだよね」
「ん? なんで?」
「僕達の思い出って、物凄くたくさんあって、喋り切れないからさ」
確かに、それもそうかも。
一緒に旅した時間は俺の世界の友達よりもずっと短いのに、今じゃ家族を抜かせばブラックとの思い出が一番たくさん出来てしまった気がする。
けれどそれが一番大事な奴との思い出だと思うと不思議と心が温かくなって、俺は不覚にもまた顔に熱を上げてしまった。
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