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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編
48.貴方を失うくらいなら1
しおりを挟む「ツカサ君!」
バン、と背後で大きな音がして、いくつかの足音が近付いて来る。
背後に人の気配を感じたが、俺は振り返る事無くクロッコ……いや、ギアルギンを睨み付けた。
「おい、なんだこれは。どういうことだ?」
「ツカサが何故こんな場所に居る」
ブラックとクロウの声が、いつもより低い。きっと怒っているんだろうけど、こうやって駆け付けてくれた事を思うと心強くて、その声も俺を奮い立たせてくれる。
しかし、怒りを向けられた張本人は笑みを崩すくともなく、ただ笑っていた。
何事も無いような顔をして再び書類に目を通し始めるエメロードさんの隣で。
「まあいい。仮に私が貴方の言うギアルギンという存在だったとしましょう。その事を証明できる“何か”は有るんですか?」
その名前を聞いた瞬間、背後の二人が体勢を変えた音が聞こえた。
たったの一言だけで、全てを理解したのかも知れない。
だけど、相手との問答は俺にしか出来ない。頭の良い二人なら上手い回答が出来たかも知れないが、俺では完全に力不足だ。でも、それでもやるしかなかった。
「ドービエル爺ちゃんにお前を会せる。爺ちゃんはお前の髪の毛の色と、ニオイを知っている。それに、プレイン共和国にお前の正体を知る者はもういないけど、お前が運んだ物の記録は、さっき言ったリュビー財団の共犯者たちがつけていた帳簿に残ってるだろう。誑かされた馬鹿な奴でも、商人は商人だ。上を誤魔化すための帳尻合わせをするために裏帳簿とか作ってたりするからな」
「おや、それでも私をその“悪魔”とやらだと断定できる証拠にはならないのでは? 君の見間違いという事も有るし、帳簿では人の形は見えない。それに獣人如きの鼻で我々の存在を証明できるとは思えませんねえ」
「貴様ッ、父上の鼻を愚弄するのか!!」
クロウが獣の唸りのように喉を震わせながら怒声を放つ。
しかしクロッコとエメロードさんは少しも怯える事は無く、エメロードさんは先程と同じようにペンを紙に走らせていた。
「私の存在を証明できる物は何も無い。それでもまだ、私を悪魔と罵りますか」
教会のステンドグラスのような縦に長い嵌め込み窓から光が差す。
その強い日差しに陰が掛かり、対峙している二人の表情が暗く染まった。
「…………真実を知ることが、幸福に繋がるとは限らない」
呟いた一言に、クロッコは目を細めて反応した。
俺は握り締めていた拳をなんとか解き、その中にあった物を指で取り直す。
そうして、二人に見せつけた。
「こんな高価そうなもの、そうそう誰かに渡さないよな? 型番とかは無いとしても、誰がどんな奴に渡したかって事くらいは分かるはずだ。例えそれがお前じゃなくて“ギアルギン”に渡った物だとしても……繋がりは、出来てしまうんじゃないのか」
エメロードさんは、このバッジを「思っているよりも重要なものだ」と言った。
その真意は俺には分からない。だけど、もしこれがギアルギンの正体を掴む物だとするなら、その尻尾を踏む手掛かりになるはずだ。
例えこれを奪われようが、リュビー財団が壊滅しない限りその情報は手に入る。
ギアルギンがここに居るという事は、少なくとももう一人の共犯者であろうレッドは別の場所に居て、この事を想定して既に動いている可能性もあるが……それでも、リュビー財団に危害を加える事は出来ないはずだ。
彼にも立場と言うものがある。皇帝の庇護を頂く存在をぶち壊すという事は、戦争を意味するのだ。国家対個人ではあまりにも分が悪すぎるだろう。
オーデルの武力は、侮って良いものじゃない。それに今は妖精達とも手を組もうとしている。騒ぎを起こせば圧倒的に不利なのはギアルギン達でしかなかった。
…………だけど……それを、エメロードさんが教えてくれたのは何故だ……?
「……諦めなさい、クロッコ。これでもう終わりよ」
エメロードさんが、ペンを置く。
そうして、小さく溜息を吐くと机に肘を乗せて手を組んだ。
まるで、彼女こそが何もかもを諦めたかのように。
「証拠を突きつけられても居ないのに?」
「貴方、人族を侮り過ぎていたわね。……彼らにも“知恵”はあるのよ。古の叡智ではなく生まれたばかりの稚拙な思い付きだとしても……それは、やがて叡智ともなる。エネが持って来た情報と合わせれば、貴方の疑惑はより黒くなることでしょう。……わたくしが貴方のことを明かせば、もっと悪い事態になるわね」
「おや、陛下がそのようなことを仰ってよろしいので?」
今窮地に立たされているとはとても思えない態度で、クロッコはエメロードさんを見下ろす。けれど、彼女はクロッコの方を向かずに視線を落として返した。
「覚悟は出来ているわ。……わたくしには、もう、何も無いもの。ここで貴方に始末をされようが、構わない」
始末、って。
思わず口を開いたと同時、横から凄い速さで何かが駆け抜け――
気付けば、目の前にラセットが居た。
「クロッコ貴様ァアアッ!!」
地面を蹴って跳び上がり、ラセットが細身の剣を振り上げる。
そのままクロッコに斬りかかろうとした所で、相手が剣の軌道を読んでいたように手で軽く刀身をいなし、エメロードさんから距離を取った。
「ラセット……!?」
驚くエメロードさんを無視して、ラセットはクロッコに向き直る。
「これ以上、姫に近付いたら……同族であろうがお前を斬る……!!」
それは、同じ種族であれば家族同然に扱う神族にとっては、最悪の決別の言葉だ。
だがクロッコは、含みのある薄笑いを浮かべながら、わざとらしく小首を傾げて肩を竦めて見せた。
「おやおや、そう簡単に同族を裏切って良いんですか?」
「それはこちらの台詞だ!! 貴様、ずっと俺達を謀って……!!」
「謀る? 冗談はやめてほしいですねぇ。貴方達が気付けなかっただけでしょう? 全く……愚かな臣下ばかりで本当に神兵が聞いて呆れますよ」
「貴、様ァ……!」
クロッコの横顔に怒りを浮き上がらせた青筋が見える。
それほど激昂しているのだと思った瞬間。
「馬鹿なんですか? 貴方達。策でも無ければこんな場所に敵を呼び込む訳がないと判るでしょうに」
クロッコが人差し指と中指を合わせ、腕を上げる。
と。
「――――!!」
クロッコが居る位置と反対側の天井から、光る“何か”が凄いスピードでエメロードさんに向かって放たれた。
「あぐっ……!!」
「姫!?」
エメロードさんの控えめな叫び声に、ラセットが振り向く。
そして手を伸ばそうとした刹那、窓から眩しいくらいに差し込んでいた光が一気に強くなり――――窓が割れて、その場にガラスが散らばった。
「――――~~!!」
「ラセット! エメロードさん!!」
俺達が駆け付けるより先に白い霧が一気に窓から流れ込んでくる。
駆け寄ろうとしたが、周囲が霧に閉ざされていては何が起こるか解らなくて、迂闊に動けない。
「ど、どうしよう、エメロードさんが!」
「ツカサ、まかせろ!」
どん、と背後から音がして、何かが一気に生えたような「ぶわっ」という大きな音が聞こえてくる。何が起こったのかと思ったら、一気に周囲の霧が動き始めた。
背後を振り向くと、ある一点に霧が吸いこまれていく。
そうして、あまりにも強い暴風が、吸いこまれた場所の一点から噴き出された風が部屋の空気を一気に巻き込み、霧と一緒に窓の方へと一気に出て行った。
「うわ……!! す、すご……」
「むぅ、狭い部屋で良かったぞ」
クロウの声が聞こえてもう一度振り向くと、そこには二本の角を生やした大きな熊がいた。そうか、本気モードのクロウだったからこんな事が出来たんだな。
「ありがとクロウ!」
「あっ、ツカサ君!」
部屋の中がハッキリと見えるようになった事で、再びエメロードさんとラセットのいる場所を見つける事が出来た。矢も楯も止まらず俺はそこに近付く。
だが、執務机の向こう側に居たエメロードさんは――あの時のように地面に倒れ、鮮やかな血に染まっていた。
「つ、ツカサ、どうしようツカサ……!!」
ラセットが酷く慌てている。俺もその動揺に呑まれそうになったが、感情をぐっと堪えて二人に近付いた。エメロードさんはラセットに抱えられて荒い息を繰り返しているが、意識ははっきりしているようだ。
しかし、目は段々と虚ろになっていて、早く治療しなければいけない事が知れた。
患部は……背中、包丁程の幅が広く太いナイフで背中を突き刺されている。
これは、ヘタにぬいてしまったらエメロードさんが危ない。
「くっ……」
今の俺は曜術が使えない。相手に大地の気を送る事が出来ない。
彼女を癒すには、王宮を出る必要がある。
「クロウ! 頼む、俺達を王宮の外に連れて行って……いや、シアンさんのところに連れて行ってくれ!」
「ウヌ!? わ、わかった、しかしこの格好では部屋から出られんぞ」
「ああもう面倒臭いな!ちょっとどいて!」
ブラックがこちらに近寄って来て、ガラスが散らばる窓の前に立つ。
すると、宝剣・ヴリトラを抜き――――壁を、斬った。
「え……!?」
まさか、斬れるのか!?
思わず俺達が驚いた目の前で……壁が、ガラガラと崩れた。
「ツカサ君、早く乗って! 僕は横から付いて行くから!」
ブラックが自分の足にラピッドをかける。
それを見て頷くと、俺はラセットと一緒にエメロードさんを慎重にクロウの大きな背中に乗せて、自分も乗った。
「女王陛下とオレの毛をしっかり掴んでいるんだぞ」
俺達は強く頷いて、エメロードさんを絶対に離すまいと彼女の手足とクロウの熊の毛皮を強く掴んだ。
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