異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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空中都市ディルム、繋ぐ手は闇の行先編

30.盤上を見下ろす部外者

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「読んでしまいましたか、それを」
「ヒッ!?」

 背後からいきなり声を掛けられて、思わず変な声が出る。
 驚いて振り返ると、そこには……――

「バリー……ウッド、さん……?」

 部屋には俺以外誰も居なかったはずなのに、視線の先には白いひげを蓄えた大賢者のような出で立ちの老人……バリーウッドさんが立っていた。
 どうしてここにいるんだ。そう思って目を見開くと、相手は少し申し訳なさそうな顔をしながら軽く笑った。

「いや、驚かせて申し訳ない。怖がらせるつもりはなかったのだが」

 そう言いながら、一歩近付いて来るバリーウッドさん。
 だけど、今の俺にはそれすら怖くて思わず一歩下がってしまう。

 無意識に大きく逃げたせいか、背中が机に当たってガタンと大きな音をたてたが、それに気付いたころにはもう俺の退路は断たれていた。
 目の前に、バリーウッドさんが居る。
 その表情は優しいはずなのに、それでもとても怖い。昨日までは全く怖いと思わなかったのに、どうしてこうなってしまうんだろう。

 思わず身震いしてしまった俺に、バリーウッドさんは微笑んだ顔を申し訳なさそうに歪めて、俺の肩を優しく掴んだ。

「っ……!」
「落ち着いて。貴方には何もしやしない。やっと……やっとこの境遇を分かち合える人が現れたのだから」
「え……」

 分かち合うって何だろう。
 一瞬考えて、俺はバリーウッドさんが“最後の真祖しんそ”である事を思い出した。
 そうだ、この日記が真実を語っているのだとしたら、バリーウッドさんはこの日記にある“最後の子”ということになる。アスカーの事を知っている最後の神族なんだ。

 やっとその事に気付いて顔を見返すと、バリーウッドさんは緩く微笑んだ。

「その日記は、文明神アスカーの日記。儂がここに来る事が出来たのは、彼に一から創造された存在であり、彼の名残が有るからなのですよ。そうでなければ、異世界人でも無い儂が、神の術をすり抜けられるわけが無いのですからな」
「……もしかして、バリーウッドさんは前からここを知ってたんですか?」

 この人は、ここに入って来て平然としているし、何が有るかも知っていた。
 という事は、少なくとも一度はここに入って日記を読んだって事だ。それがいつかは断定できないけど、内容を知っている所からして……文明神アスカーと一緒に来たわけじゃないんだろうな……。

 その俺の予想を肯定するかのように、バリーウッドさんは小さく息を吐いた。

「ええ、ずっと昔から……。ですが、ここに来たのは三度目です。一度目は子供の頃探検としてここへ来て、二度目は日記を見つけ深く混乱した。そして、三度目は……貴方がここに来てくれたという事を知って、矢も楯も止まらず来てしまいました」

 年甲斐も無く、ね。
 そう言いながらウインクをするバリーウッドさんに、俺は噴き出してしまった。
 ……そうだよな、バリーウッドさんは良い人なんだ。怖い事なんて何もない。それに俺の事情も知ってるんだから、信じてもいい人のはずだ。

 覚悟してここまで来たのに、怖がっていたらなにも始まらない。
 やっと震えが治まってきた俺は、バリーウッドさんに問いかけた。
 ……この人が、今見たおぞましい物に関しての答えを持っている気がしたから。

「バリーウッドさん……先に、確かめておきたい事が有ります」
「なんでしょう」
「文明神アスカーは…………いや、この世界に存在する神々は……俺とから来た、異世界人なんですよね……?」

 ――――そう。そうとしか考えられなかった。

 慈愛の神ナトラの態度に、文明神アスカーのあまりにも日本人染みた文章、それにこの世界に色濃く残る異世界人の痕跡。

 例え神々がここに最初から存在するもので、俺達の世界を見ていただけの存在だったとしても、自分の世界を異世界の情報や知識で染めるような事はしなかったはずだ。参考にするにしても、異世界に取り入れたことで語源を失った単語を平気で使い続ける不自然さは感じていたはず。

 なのに、この世界の神々はそれを修正しようとしなかった。
 前に「既にある存在を消す事は出来ない、しかし改変する事は出来る」という話を聞いたが、そういう事が出来るなら単語を差し替える事も出来たはずだ。
 言葉なんて、俺の世界でだって生まれては死んでいくものだ。面倒ではあるけど、異世界に染まる事を嫌がる神なら、何万年かかっても言葉を差し替えただろう。

 だけど、この世界は変わらなかった。
 エルフ神族への干渉を避けたように、神々はこの世界に散らばる不可解な存在を、修正しようとはしなかったのだ。

 それはきっと……自分になじみのある単語だったからだろう。
 もっと言えば、この世界の単語は異世界に存在する英語や日本語から作られた言葉によって成り立っている。
 バリーウッドさんや、ブラックの名前だってそうだ。
 特にブラックの名前は「黒」という意味をしっかりと持っていた。

 ……文字は全く違うのに、言葉の全ては俺の世界に依存している。
 そのあやふやさに、最初から気付くべきだったんだ。

 最初から、この世界には……
 “世界の根幹に関わる事の出来る”異世界人が、存在していたんだって。

「…………そうですね。かつての神々もまた、貴方と同じ知恵を有する人達でした。貴方と同じ豊かで艶やかな黒髪を持ち、美しい琥珀こはく色の瞳を持っていましたよ」
「……やっぱり……」
「日記の内容から推測すると、黒曜の使者も同じ色を持っていたようですな」
「え……?」

 それじゃあ、歴代の黒曜の使者も全て日本人だったんだろうか。
 聞いてみると、バリーウッドさんは申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「儂は、黒曜の使者という存在には、貴方ともう一人……キュウマ・イオウジというディルムの救世主にしか出会った事がありません。使者に関しては詳しい事は解らなかったのです。ですから、キュウマ殿に対しても最初は【神の敵】として疑っている所が有りましてな」

 キュウマ。やっぱりキュウマはここに来てたんだ。
 じゃああのメモも……もしかしてキュウマが……?

「ですが、実際に話してみて、その気を感じ取って……儂はその考えを改めました。彼も、貴方も……殺戮者とは到底思えぬほどに、他者を思う優しい光に満ちていた。そして、キュウマ殿にこの部屋に残っていた創造主様の日記を見せて貰った事で、儂の中の疑念は晴れ、また新たな疑念が生まれてしもうたのです」
「……アスカーに対しての、不信感とか……ですか」

 あの日記の内容は、とても酷い物だった。
 地上の人間達を「コマ」扱いするだけに留まらず、神兵と言われたエルフ神族すら人間扱いなんてしていないような言い方で、日記には他人を見下すような事ばかりが書いてあった。正直に言えば、胸糞悪いにもほどが有る内容だったんだ。

 俺が見てもそう思うんだから、彼に心酔していたはずのバリーウッドさんの悲しみは計り知れないだろう。だって、親に見下されてたみたいな物なんだから。
 そんなの、耐えられる訳が無い。

 アスカーの所業に思わず顔が歪んだ俺に、バリーウッドさんは苦笑した。

「ほら、そうやって貴方も儂のために怒り、悲しみを思いやって下さる。……だから儂は、創造主であるアスカーと完全にたもとわかったのです。そして、貴方を……来たるべき時に来たる黒曜の使者を迎えて、力を貸す事が出来るように、ずっとこの浮島でお待ちしておりました」
「え……じゃあ……最初から俺が災厄じゃないって事は知ってたんですか……?」

 だって、ほら、アレだよな。
 俺って最初は「災厄の象徴」って言われてたし、ブラックは俺をコロコロするために派遣されたし、何よりシアンさんもそう言う事を言ってたよな。
 でも、シアンさんのお師匠様であるバリーウッドさんが「黒曜の使者自体は災厄じゃない」って事を知っていたとしたら……何というかその、意地悪というか……。

「ほっほっほ、いや、申し訳なかった。なにせ黒曜の使者を知っていると言っても、次に現れる神殺しの使者は、我々が知っている存在でない可能性もある。もし本当にモンスターのような災厄だったとしたら、シアンに真実を教えるのは危険ですからのう。なにせ、今までのあの子は全てが受け身で、流されるままに動いていましたゆえ……悪人が召喚されてきたとしたら……おお、怖いことだ」
「うーん……確かに……」

 シアンさんが受け身かどうかってのは俺には判らないけど、でも確かに優しい彼女なら、見た目が悪人っぽくても優しく話しかけそうだし、最終的には相手の口車によって丸め込まれていたかも知れない。
 バリーウッドさんが俺達に協力しようと思っても、相手が悪人じゃ無理だもんな。

「あ、でも……なんで協力しようと思ってくれたんですか?」
「フフ……簡単なことですよ」

 笑いながら、バリーウッドさんはアスカーの日記を取った。
 そうして、顔の横でひらひらと動かして見せる。

「この世界が悪しき神に支配された時や……こうして、神が本分を忘れ、民の幸せを考えるよりも我欲に走り世界を混乱させた時に……正さねばならないからです」
「世界を異世界人の都合で蹂躙されたくない……から……?」

 恐る恐る訊いた俺に、バリーウッドさんは悲しんでいるような、微笑んでいるような、とても曖昧な表情で頬を緩めた。

「そうでは有りません。この世界は恐らく出来ている。世界の根幹が、それが必要だと判断しているのです。ならば、神族は異世界から来たる異世界の神にかしずく事に異論はありません。……しかし、この世界を壊すような神は、討ち滅ぼさねばならない。少なくとも、儂だけは……それを知っておかねばならぬのです。再び、我が創造主ちちおやのような神を生まない為にも……」
「…………」
「貴方がた“黒曜の使者”は、恐らく“この世界”が望んだ抑止装置のようなものです。この日記に書いてあるように、神ではないが神と同等の創造を行う事の出来る存在で、神を殺す役目を背負っているというのなら……それが、この世界の意思。異世界から来た神の意思ではなく、この“世界”自身の意思なのです。……世界が『神を止めなさい』と言っている。ならば、この世界に在る存在として作られた我々は、そちらに従うべきでしょう?」

 ……なるほど。
 異世界から来た神様に創造された存在だとしても、その魂はこの世界の物だ。
 だからこそ、神を敬愛する存在であっても、世界のためならそちらを優先させねばならない。自分の故郷を守らねばならない……ということか。

 それを聞いて、少し安心した。
 アスカーには、神兵とか木偶人形とか言われてたけど……やっぱり神族の人達の心は、その人自身の物なんだ。

「……少し話が逸れましたね。まあ……今日色々と話しても、分からない事も有るでしょう。日を改めましょうか。ああ、しかし、この日記の事は、今は彼らに話さない方が良い。……自分の世界が異世界人に弄られた末の産物だと知ったら、少なからずショックを受けるはずです。……彼らが貴方にどういう反応をするか解らない」
「…………!」
「人は、己を操られる事に強い嫌悪感を抱きます。身内であってもそうなのだから、それを他人……しかも、勝手を知らぬ異世界の存在がやっていたと知れば、良い気分にはならぬでしょう」

 ……そう、だよな……。

 俺だって、自分の世界がエイリアンに作られたんだーとか言われたら混乱するよ。

「…………今日はもう、休んだ方が良い。色々知って、疲れたでしょう」

 バリーウッドさんのその言葉に、俺はただ頷く事しか出来なかった。











 
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