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イスタ火山、絶弦を成すは王の牙編
52.恨むことは辛く苦しい1
しおりを挟む「なっ……」
何が起こっているのか、一瞬わからなかった。
だって、ヒルダさんがクロウにナイフを刺して、でも、なんで。どうして。
クロウは悪い事なんて何もしてないじゃないか。なのにどうして。気が動転して敵と間違えたのか? それとも何か変な術に掛かって……そうか、ヒルダさんは何かに、いやギアルギンに操られているんだ。
だからあんな所から出て来て、クロウの事を躊躇いもなく刺したんだ、そうだ、きっとそうに違いない。だったら二人とも危ないじゃないか!
「クロウ!!」
藍鉄にまたがって、矢も楯も止まらずクロウのもとへと向かう。
途中、ギアルギンの横を通ったが、相手はニヤつくだけで俺を簡単に通してしまった。それが何か含みが有ることを証明していたけれど、今はあいつに構っている余裕などない。クロウが刺されて動けないんだ。行かないと、早く手当しないと。
「でも、なんで……」
どうしてヒルダさんがクロウを刺したんだ。
呆然と立っているヒルダさんを見るが、彼女が何を考えているのか解らない。ただ崩れ落ちたクロウを見下ろして、言い知れぬ表情を浮かべているだけだ。
でも、その姿がいつもの彼女じゃないって事は俺にも解る。
ヒルダさんは、いつも優しい微笑みを浮かべている。いつも誰かを気遣うような顔をしているんだ。あんな顔のヒルダさんは、普通じゃない。そうに違いないんだ。
……そんな訳が無いことは俺自身が一番よく解ってるのに、だけどそう思わずにはいられなかった。いつもの姿が彼女の「普通」だと思いたかったのだ。
だって、そうじゃないと……あまりにも、気持ちに整理がつかなかったから。
「クロウ!」
藍鉄が頑張ってくれたお蔭ですぐにクロウの所に辿り着いた。
慌てて降りたせいで盛大に落ちて体を強かに地面に打ち付けてしまったが、そんな事など関係ない。俺のことよりクロウだ。ええい、体が痛くてうまく動かん!
チクショウと毒づきながら、俺は四つん這いでクロウに近付く。
患部にはナイフがまだ深々と刺さっていて、血が流れ落ちている。でも、これなら好都合だ。どこかが欠損した訳でも無いし、これなら応急処置で傷を塞げるぞ。俺は慌ててクロウを仰向けにすると、シャツをたくし上げて回復薬を取り出そうとする。
だが。
「させない……助けさせない……!!」
「えっ……」
凄まじい思いが込められたような声が聞こえたと、同時。俺の手にあった回復薬が飛んだ。……いや、飛んだんじゃない。誰かに叩き落とされたんだ。
だけど俺は、俺のすぐ傍にいるその人がそんな事をしたなんて思いたくなかった。
「ヒルダさん、なんで……」
どうして、そんな事をするんだ。
クロウを刺しただけじゃ満足出来ないのか。何がそうさせるんだ。
優しかったヒルダさんがこんな酷いをするのが信じられなくて相手を見上げるが、彼女は表情を一つも動かさず俺達を見下ろしている。
俺がどんなに視線を送っても、ヒルダさんはいつものように笑ってはくれない。
それどころか、クロウのナイフを抜き取ろうと飛び掛かって来た。
「ヒルダさん!!」
「離して! 貴方は黙ってなさい!!」
ヒステリックに叫び、ヒルダさんは止めようとする俺を必死に牽制して、クロウの腹に刺さったナイフを抜き取ろうとする。そんな事したら出血がひどくなる。
だけど、俺はどうしても女性相手に乱暴な事が出来なくて、ヒルダさんに力負けをしてナイフを抜き取られてしまった。
「ウグッ……!」
「死ね……ッ、死んでしまえ!!」
ヒルダさんらしくない強くて乱暴な言葉が吐き付けられて、再び血塗れのナイフが振り下ろされようとする。
光を反射した刃が煌めいて、その切っ先が、クロウの胸に――――
「やめろおおおお!!」
嫌だ。今度こそクロウが死んでしまう。
強く思って、俺は反射的に身を乗り出しクロウを庇った。
「あ゛ッ、ぐ……ッ」
二の腕に強烈な痛みが走る。
なんとか腕だけ間に合ったらしく、左腕が異物を飲み込んだような圧迫感に筋肉を緊張させる。それがより一層痛みを倍加させるようで、俺は呻きながらクロウの胸に倒れ込んだ。背後から息を呑むような音が聞こえたが、振り返る事が出来ない。
だけどどうしてもクロウを守りたくて、俺は蹲りながらも必死でクロウを覆うように体を移動させた。
「う……うぅ゛……ッ!」
腹が湿る感覚がする。きっとこれはクロウの血だ。
自分の腕からも何かが流れているような気がしたが、そんなの構っていられない。
早く。早くクロウの傷を塞がなきゃ。
大地の気を送って自己治癒能力を促しながら、回復薬を使ったらいい。
そしたらクロウは無事だ。
「く、ロウ……」
名前を呼んで、クロウの顔を見る。
だけど相手は目を閉じたまま動かない。いつものクロウなら何か言ってくれるはずなのに、何故かクロウは呻くだけで答えてくれなくて。
明らかに危険な状態なのが解って酷く焦る。
どくどくと心臓が早く脈打つたびに腕が痛くなって、大地の気を渡そうとしても、その動揺が術の発動を阻んでしまう。冷静になろうとしているのに、冷静になれない。早くクロウの事を助けなきゃいけないのに、どうしよう。どうしたら。
「ヒルダ様、何をしているんです? 絶好のチャンスではないですか」
「ッ……!」
この声は、ギアルギン。
何をしに来たんだと威嚇したいのに、体が動かない。だけどせめてクロウのことは守りたくて、俺はクロウの体に体を被せた。
「ヒヒィン!!」
「クゥー!」
「クキャーッ! きゃふー!!」
藍鉄とペコリアの怒ったような鳴き声が聞こえる。
その声に、ギアルギンは嘲るように笑った。
「おや、ご主人様を守ろうと? モンスター如きに今更なにが出来る。そんなに死にたいのなら……お望み通り、殺してやろうか」
「――!」
冗談のような声だが、そうじゃない。本気だ。
ダメだ、このままペコリアと藍鉄を出していると、本当に殺されてしまう。
死なせるわけにはいかない。
「も、どれ……ッ!!」
痛みで呻きそうになる喉を堪え、必死に声を出す。
その瞬間、ぼうんと音がして胸ポケットに振動が起こった。
「チッ……そう言う所だけは早く手が回る……。まあいい。どの道、動けまい。さあ今のうちですよヒルダ様。その少年もろとも刺しておしまいなさい」
「なっ……! で、ですが、ツカサさんは……」
「関係ありますよ? この憎き熊の飼い主ではないですか。汚らわしい獣人を人族の大陸で連れ回している物など、罰されて当然でしょう」
「けれど……」
何を言ってるんだ。とても失礼な事を言われているのは判るけど、でも動けない。
せめて二人が何かを迷っている間に、回復薬をもう一度取り出さなければ。
まだ動かせる右腕で、ギアルギンに気取られないよう慎重にバッグに手をのばす。その間も、二人は何かの言い合いを続けていた。
「だけど彼は違うわ、彼は……」
「その“彼”も、貴方から大切なものを奪った。……そうではないですか?」
「っ……」
ヒルダさんが言い淀む。
――俺が、ヒルダさんから……大切なものを、奪った?
それって……ゼターのこと……?
「この二人は貴方から大切なものを全て奪った。そうではないですか? そんな不倶戴天の敵が目の前にいる。しかも一人は手負いで、一人は私の敬愛する神の罰を受け力を封じられている……そう、これは神が齎した貴方への天恵なのです」
「けれど……」
「言い出したのは貴方ですよ? 仇を討ちたいと」
「…………」
話が見えない。だけど、今はそんな場合じゃない。早くしないと。
「……っ、ぅ……」
何とか手が小瓶に入れていた回復薬に届く。
左腕がズキズキして痛いけど、大丈夫。俺は大丈夫だ。
小瓶を捕まえ、ゆっくり口に持ってくる。歯で栓を開けて、それから――クロウの腹に薬を零した。体が光って、確かに回復薬が効いているのが見える。
良かった……とりあえず、傷は塞がったはず……。
「ほら、貴方が迷っているから傷を塞がれてしまったではないですか」
「ッ……! ツカサさん……なんてことを……」
「健気ですねえ。けれど、貴方も本当はこうしたかったのでしょう? 傍にいて、彼を支えたかった。それなのに、貴方の思いは二度も裏切られ、貴方はとうとう一人になってしまわれた……。それなのに、愛する者を失う悲しみをこの二人は知らない。貴方が悲しみに暮れているその時も、幸せに浸っていたのです。……その事を、貴方様は許せると?」
「…………」
ゼターの事だろうか。
確かに俺はヒルダさんから大切な存在を奪ってしまった。
許せない罪を犯したのは確かだけど、でも、それでもゼターは彼女にとって大切な息子だったんだ。そのことを考えれば、本当なら俺を許せるはずが無い。
逆恨みと言われるかもしれないが、そんな事を言われて収まるようなら、人は人を愛したりしないだろう。それが間違っていると解っていても、心底愛した存在を奪われてしまったなら、理不尽な怒りを持ってしまっても仕方がない。
ヒルダさんの息子のゼターを監獄に送ったのは、間違いなく俺だ。だからこそ、俺は恨まれたって仕方がないとしか言えなかった。
俺だって、もしブラックやクロウが何かの罪で捕まって、処刑されたとしても……その時に、誰かを恨まずにいられる保証はない。
今だって、クロウを傷つけられて我慢出来なかった。
自分を大切にしろとクロウに怒られたのに、どうしても体が動いてしまったんだ。
それはきっと、ヒルダさんだって同じはずだ。
でも俺は……償えない……。
死ねないし、彼女の為に死ぬわけにはいかなかった。
「この少年なら刺しても死にませんから、存分に罪を問うと良い。……さあ、二人に罰を下してあげましょう」
「…………」
「決心が出来ませんか? ならば、手伝ってあげましょう」
ぱちん、と指を鳴らす音がする。
体を動かすと痛む左腕に動きが制限されたが、必死で顔を上げると……そこには、俺達を見下ろしているギアルギンとヒルダさんがいて。
その背後から、巨大な陰がゆっくりと姿を現した。
「え……」
その影は、長い首で、俺の何倍も大きな体をしていて……――
「う……嘘……」
思わず、呻くような声を漏らす。
だが、その声は大きな影が喉をぐるぐると鳴らす音に掻き消されてしまった。
「モンスターが一匹だと、誰がいいました?」
赤い宝石を額に頂いた、竜のような赤い鱗の生物。
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そんなモンスターが、ギアルギンの後ろで大人しく首をもたげていた。
やはり、トライデンスもギアルギンが出現させたものだったのか。そうは思えど、今の俺に出来る事は何もない。
せめて未だに動けないクロウに体を乗り上げて守る事くらいしか出来なかった。
→
※次視点混在です
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