異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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首都ディーロスフィア、黒曜の虜囚編

  ただ泣いたままでは終われない2

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 今が何時で、外がどうなっているのかすらも判らない。

 もしかしたらもう真夜中なのかもしれないが、それでも俺は再びレッドがこの部屋に来るまでずっと起き続けて待つ事にした。
 どうせ、やる事も無かったからな。

 リオート・リングに収納していたアマクコの実をかじって小腹を満たしながら、じっとその時を待つ。来て欲しくないという気持ちも有ったけど……一旦寝てしまった事で時間の感覚を忘れた俺では、今は動く事すらも出来なかった。

 多分、夜中ならラトテップさんが迎えに来てくれるはずだけど……何かトラブルが起こって来られないって事も有る。だから、迂闊うかつに換気ダクトには入れなかった。

 手持無沙汰なら、ドアの外の扉番の兵士に「レッドを連れて来て」と言えば良いとは思うのだが……その程度に元気だとなれば、またあの場所に連れて行かれるかもしれない。折角「俺は不調だ」と言って時間の猶予ゆうよを作れるカードを手に入れたのに、些細ささいな動きでギアルギンにこちらの無事を見抜かれる訳にはいかない。
 だから、俺は待つしかなかったのだ。

 例え……これから、自分でも吐き気がするような事を行うつもりであっても。

「…………」

 アマクコの実の甘さが、口の中に広がっていく。
 これを初めて食べた時は、ブラックもクロウも隣に居て、友達であるマグナもそばに居てくれたんだっけ。思い出すと、何だか凄く胸が苦しかった。
 ……やっぱり、小腹が空いたからって無闇に食べるもんじゃないな。
 でも、腹が満たされたお蔭でほんの少しだけ冷静さが戻ったような気がする。

「……冷静になっても、やる事は変わんないんだけどな」

 そう言いつつリングを再びベッド脇にある台に預けたと、同時。
 鉄扉がいつも以上にゆっくりと、なるべく轟音を立てないように開く音が聞こえてきた。今日に限ってこんな風に開く……って事は……相手はレッドだよな。

 やっぱり、心配になって見に来てくれたんだな……。
 って、ああもう、だからほだされたらダメなんだってば!
 今からやる事は、絶対情に流されちゃいけない事なんだから……!

 必死に自分を叱咤していると、がちゃりとドアが開く音がした。
 思わず緊張してしまったが、慌てて体を弛緩しかんさせ俯く。相手に表情を気取られる訳にはいかなかった。

「……ツカサ……?」

 気弱な声で呼びかけられたが、あえて無視を決め込む。
 そんな俺に対し、相手は数秒迷ったようだったが、ゆっくりと部屋に入って来た。

「ああ、起きていたか……」

 明らかにホッとしたような声に、また少し胸が痛む。
 レッドの、俺を労わる優しさだけは本物だ。敵であっても、俺が憎むべき相手であっても、レッドの様子がおかしくても――――それだけは、嘘じゃ無かった。
 だから……辛いんだ……。

 今から自分がしようとしている事を考えると、自分自身に反吐へどが出そうだったが、成し遂げなければもっと反吐の出る存在に成り下がる。
 それだけは、避けたい。
 グッとつばを飲み込んで、俺は――――

「っ、う……う、ぅ……うえぇ……っ」

 まだ緩み切っていた涙腺を無理矢理に高揚させ涙を強引に引き出し、わざとらしく大仰に泣いてみせた。

「っ!? つ、ツカサ、大丈夫か、もしかしてまだ傷が……っ」

 慌てて近寄ってくるレッドに、俺は間髪入れずに立ち上がって
 レッドに、抱き着いた。

「えっ……」

 思わず言葉を失くしたレッドに、俺は服を強く掴みながら顔を胸に押し付ける。

「……怖、い…………」

 自分でも笑ってしまうような、震えた情けない声。
 だけど、レッドは俺の演技を本物だと思っているのか、少し狼狽していたようだったが、恐る恐ると言った様子で俺を抱き締めた。

 抵抗する事は出来ない。
 震えそうになった体を押し留めて、俺はただ抱き付き続けた。
 レッドが、自分に都合のいい解釈をするようになるまで。

「ツカサ……そんなに、怖かったのか……」

 若々しい広い手が頭を撫でる。
 足の指にぎゅっと力が入ったが、俺はそれを甘んじて受け入れた。
 レッドの手つきは、まだ「俺が自分を信頼している」と思いきれないでいる。その思いを強く錯覚させてやるためには、ここで拒否してしまう事は出来なかった。
 そんな俺の態度を味わってやっと安心したのか、レッドは嬉しそうに息を吐くと、今度は俺の髪に頬を擦りつけるように体を曲げて、懐深く俺を抱き込んで来た。

「…………」
「本当に、すまなかった……。契約が有るからとは言え、お前にあんな酷い事をする様をただ見つめているだけで……。ギアルギンを止めるのも、一歩遅れて」

 敢えて、沈黙を貫く。
 だけどレッドは俺の様子を気にせずに続けた。

「……お前が張り飛ばされ、ギアルギンに首を絞められているのを見て……母上の事を、思い出して……止めるべきだったのに、体が動かなかった……」

 母上?
 母上って、レッドが「ブラックに殺された」と主張しているあの母上か……?

 でも、殴り飛ばされて首を絞められているのを見て思い出すって、どういうこと。
 もしかして、レッドの母親はそのような暴行を受けていたのだろうか。だとしたら、それがトラウマになって、硬直してしまった事も頷けるが……。

「すまない……俺が、俺が……あんな馬鹿な契約をしたばかりに……」
「…………」

 レッドは確かに愚かな事をした。悪魔に魂を売ったような物だ。
 だけど、自分の愚かしい行為はきちんと自覚して、後悔している。その思いが、今の言葉に表れていた。

 ……でも、それでも、ブラックを殺そうとする意志は揺るがない。レッドが悔やんでいるのは、あくまでも俺を苦しめる物事だけであって、ブラックとクロウを無実の罪で捕えて虐げている事には、微塵も後悔していないんだ。
 その事を考えると、俺はレッドの優しさを無邪気に喜べなかった。

「ツカサ……どうしたら、許してくれる。どうしたら、あの時のように俺に笑いかけてくれるんだ……教えてくれ。俺に出来る事が有ったら何でもするから……」

 ――嘘つき。俺が本当に望む事は、絶対に叶えてくれない癖に。
 「ブラックとの事を誤解だと理解して、二人を解放してくれ」と言ったら、お前はそれを叶えてくれるのか。俺可愛さに憎しみを捨ててくれるのか?
 出来ないに違いない。例えそれが勘違いであっても、認められないだろう。

 俺がレッドの事を敵だと思い信頼できなくなったのと同じように、レッドだって復讐をすぐにやめる事は出来まい。明確な証拠と、その事実を受け入れるまでの時間。それが揃って、初めて自分の中のわだかまりが消えるんだ。
 仮にレッドが頷いたとしても、今日明日で適う事ではないだろう。
 ……信頼は一度の過ちで消え去るっていうのに、辛いもんだよな。

 だけど、俺がそんな事を思っているのも知らずに、レッドは俺を強く締め付けて、俺の髪に顔をうずめて来た。

「ツカサ……何をすれば、また笑ってくれるんだ……?」

 切なそうな声で、レッドが問いかけて来る。
 少しも俺の事を疑っていないレッドを充分に確認して、俺はようやく動いた。

「…………に、いて」
「え……?」

 問いかけられて、服を掴む腕に力を籠め、再度体を密着させる。
 心の中は驚くほど冷えているのに、自分の行動のみっともなさを思うとどうしても顔は赤くなって、それすら不快で、俺はレッドの胸に顔を押し付けた。

「ずっと……眠るとき、以外…………そばに、いて……」
「ツカサ……」
「離れないで。部屋に、ひとりに……しないで……」

 恥ずかしさに、自分の声が震える。
 だがその震えがレッドには好意的な態度に見えたようで、相手は俺の頭を掴み強引に顔を胸から引き剥がした。
 そうして、俺の顎を上へと向ける。そこには、レッドの嬉しそうな顔が有って。

「ツカサ……。分かった、もう一人にしない……怖い事は、させないから……」

 レッドの顔が、近付いて来る。
 薄く開いた唇に強烈な既知感を覚えて、俺は思わず背筋が凍った。
 ああ、これは――キスをされる前兆だ。

「…………っ」

 キス。レッドとキスをするのか。
 ああ良いだろう、相手を騙すなら、キスの一つや二つ出来て当然だ。
 ブラック達に不義理になるかも知れないと思いながらも、自分が決めた事なんだ。後で激怒されてお仕置きされようが、見捨てられようが……二人を助けるためには、レッドとキスくらいはしないと駄目だろう。

 俺の目的は、レッドを自分の虜にして……いいように、操る事だ。
 だから、レッドの俺への好意を利用するなんて下卑た事を、やって。
 でも……だけど…………っ。

「――――ッ!」
「つかっ……」

 名前を呼ばれる前に、俺は――――
 レッドの首にしがみ付いて……そのまま、唇をレッドの首筋に当てた。

「つ、かさ」

 ………………おれの、ばか。馬鹿野郎。何やってんだ。
 キスくらい出来なきゃ信用されないだろうに。素直にキスを受けてやらなきゃ、レッドを手玉になんてとれないのに。

 なのに、なんで。どうして……無意識に、嫌がっちまうんだよ。

 男のくせに、キス程度のことでブラックに操立てするような事して……!!

「っ、う……うぅう……っ」

 情けない。出来ない自分が本当に情けない。
 ブラック達を助ける為に裏切る覚悟を決めたのに、それでも、キスできない。
 あいつが悲しい顔をするって思ったら、ブラックに嫌われるって思ったら、覚悟していたはずなのに……もう、何も出来なかった……。

「ツカサ……すまなかった……。大丈夫、大丈夫だから…………」

 首に抱き着いた俺を支えるように抱き締めて、レッドは優しく俺を宥める。
 だけど、その優しさが今はとても辛くて。

「ずっと一緒に居れば良いんだな? わかった、ずっと一緒に居るから」

 背中を撫でる手が、ぞわぞわと俺の背筋を総毛立たせる。
 だけど今は、それが俺を辛うじて冷静にさせてくれた。

 俺のやるべき事をやれと、言っているように。

「…………て」
「え?」

 聞き返すレッドに、俺は……もう一度、はっきりと言う。

「俺を…………レッドの部屋に……連れてって……」

 それがどんな間違いを起こすか判らない言葉であっても、俺は退く訳には行かなかった。……それ以外に、この部屋を出る手段が見つからなかったから。











 
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