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首都ディーロスフィア、黒曜の虜囚編
8.神の啓示を受けし者1
しおりを挟む「シッ……。兵士は眠らせたとはいえ、あまり時間が無いので……さ、早く立って」
「え、えっと、あの……」
「安心して。貴方をここから連れ出したりはしません。……いや、私にはそんな力がないだけですけどね。……ですが、せめて情報だけでも……さあ、お早く」
よく解らないが……ラトテップさんは、俺を連れ出そうとしているようだ。
しかし、兵士を眠らせたとはどういう事だろうか。施設の中からは連れ出さないというのも変だが、そもそも何故彼がここにいるのか……。
いや、考えていても仕方がない。
今の俺には、自力でこの部屋から出る方法が無い。だから、もし少しだけでも外の様子を詳しく見る事が出来るのなら……後でどんな罰を受けたって、この機会を逃す訳にはいかない。なら、俺が取る行動は一つだ。
すぐさまベッドを降りた俺に、ラトテップさんは笑うような気配を見せると、俺の手を引いて薄暗い部屋から脱出した。
「……!」
鉄扉を開ける役目の扉番が詰めている部屋に出ると、そこには兵士達が倒れており、二人ともぐっすりと眠りこんでいた。慌てたが、どうやら外傷は無いようだ。
ほっとしていると、ラトテップさんがゆっくりと扉の片方を開いた。二人がかりでやっと開けられるあの鉄扉を、たった一人で。
……じゅ……獣人ってのは、ネズミの獣人でもかなりの力持ちなんだな……。
「ツカサさん、静かについて来てください」
人差し指を唇に当てて「静かに」とのジェスチャーをしながら、ラトテップさんは俺を呼ぶ。頷くだけの返答をして、俺は彼の後に続いて扉の部屋を出た。
……周囲はやはり薄暗く、人の気配はない。どうやら消灯時間らしい。
「……近場の兵士達は“幻眠香”という香の煙で眠らせています。しかし、全員に効果があるかどうかは私でもちょっと解らないのでね……」
そんな物が有るのか。やっぱ世界は広いな……。
さすが商人だ。色々と知っているなあと思いながら付いて行くと、俺はある事に気付いた。どうやらこの道は……俺が毎日連れて行かれる、あの妙な機械とギアルギンが俺を虐める部屋が併設されている場所への道だ。
思わず足が止まってしまったが、ラトテップさんは俺の様子にすぐに気付いたのか、表情が解るくらいの至近距離まで近付いて来て無意識に震えていた俺の手をぎゅっと握った。
「あなたがされた事は知っています。しかし、今は堪えて下さい。あなたには教えなければいけない事が有るんです。それはきっと、あなたの為になる。だから」
「…………わかり、ました」
ラトテップさんの手は、暖かい。
間近に見える相手の顔は、目が細くて一見して笑顔にしか見えないような、感情が分かり辛い顔立ちだけど……何故だか、彼が嘘を吐いていないという事だけは感じ取る事が出来た。
……とにかく今は、付いて行こう。
落ち着きを取り戻して頷いた俺に、ラトテップさんは安堵したように笑う。
だけど俺の手を離す事は無く、もう二度と震えないようにとしっかりと握りしめて俺を例の場所へと連れて行ってくれた。
「…………」
ごうん、ごうん、と独特の轟音が聞こえて来る。
こんな時間でも止まる事無く動き続けていると言うのだろうか。
橙色の非常灯のような小さな明かりがぽつぽつと灯る通路を進み、あの入口の前へとやって来ると、ラトテップさんは再び俺に近付き囁いた。
「ここでは、あまり騒いではいけません。今は人が居ませんが、何か有れば他の所に居る兵士がやって来る。私は耳がいいので、できるだけ小声で」
言いながら、フードを少し広げて自分のネズミの耳を見せるラトテップさん。
そう言えば……今の彼の服装は、闇にまぎれるような黒の単色の服で、今まで着ていたマントとは違う。
……そういえば……レッドは、ラトテップさんやブラウンさんと同じマントを着ていた。あのマントを羽織って、俺達を騙す手伝いをしていたんだ。
そんな相手なのに……信用していいんだろうか。
だけど、こんな場所で俺を連れ出す理由もないし……気になるなら、もう聞いてしまったほうが早いのかも知れない。どうせ、俺は逃げられないんだから。
「あの……ラトテップさん」
「なんですか」
「どうして……レッド達に協力してたんですか」
入り口をくぐって、例の部屋に入る。
白い泡の浮かぶ黄金色の液体を満たした巨大なカプセルは、相変わらずそこに鎮座して轟音を立てていた。しかし、さすがに深夜ともなると人気は無く、ただ光に照らされた機械が泡のかたまりを定期的に噴き上げているだけで。
やはり、見れば見るほどオーデル皇国の“あの機械”に似ているなと思っていると、ラトテップさんが俺の質問に答えてくれた。
……とても、重い声音で。
「…………私は……この国を統べる【十二議会】の使徒、【大いなる業】の一員で、斥候として働いていました」
「……!!」
「私がここに入れたのは、そのお蔭です」
「だ、だったら、なんで……兵士を眠らせて、俺をこんな場所に……」
【大いなる業】の一員だというのなら、こんな事をしなくたって俺に会いに来れただろう。俺にとっては敵だけど、この謎の施設の人達はみんな【十二議会】のしもべ的なものなんだ。レッドに手を貸す役割を持つほどの人間なんだから、願えばほんの少しくらいは俺に合わせて貰えたはず。
なのに、どうしてこんな事を。
理解出来ないと顔を歪める俺に、ラトテップさんは気持ちが沈んでいるような顔をして、軽く俯いた。
「…………それは……今から、私が国に反旗を翻すからです」
「え……」
「私は罪を犯しました。一生償っても償えない、愚かしい罪を……。だから、せめてあなたとレッド様には幸せになって貰いたい。その為には、あなたの恋人をレッド様に殺させる訳にも、あなたを……組み込ませる訳にも、いかない」
「組み込ませる……?」
言っている事が良く解らない。
説明を求める俺の顔を見ることもなく、ラトテップさんは視線から逃れるようにゆっくりと機械へ向かって歩き出した。
「遥か昔のこの国には、文明神アスカーの加護によって様々な知恵が齎され、人々を楽園へと導く為にありとあらゆる研究を行っていました。病の治療、外より来たるであろう外敵への備え、そして……荒野の多いこの土地を緑の溢れる本当の楽園を造るために、神を崇めながら……」
ラトテップさんは機械にそっと触れて、カプセルを見上げたが……すぐに、悔やむように顔を歪めて俯いてしまう。
心配になって近付くと、彼は一度ぎゅっと眉を顰めてから表情を落ち着かせて、俺を申し訳なさそうな目を向けると緩く笑った。
「その中で、ある日【機械】という物が神によって齎されました。それは、この世界を狂わせる可能性のある“黒曜の使者”を……物として、封印する機械でした」
「え……」
思わず絶句した俺に、ラトテップさんはただ言葉を続けた。
「神は仰いました。あの存在は、世界の安寧を壊すと。だから、アスカー教の信徒であるこの国の人々は、自分達を救ってくれた神の為に、その【機械】を造り……悪しき“黒曜の使者”を、封印しようとした。……しかし、神と同等の力を持つ相手に敵う【機械】を我々は造れず、撃退され……文明神に見放されてしまいました」
「…………」
「進化する法を失った我らは途端に弱体化し、使者の造り出すモンスターによる侵攻を食い止める事が出来ず、西の果てにあると旅人に伝え聞いた【楽園】を目指して、一度逃げ出したと……アスカー教の禁忌の書には、そう記されているそうです」
神と黒曜の使者の争い。どこかでその話を見た覚えがある。
それって、まるきり…………アタラクシアの絵本の話そのままじゃないか……!
「――――ッ!!」
思わず、全身に鳥肌が立つ。
反射的に自分の体を抱き締めたが、あまりにも受け止めきれない情報を一気に教えられて、俺はどうしたらいいのか解らなくなっていた。
何から考えて、何を問えばいいのか、判断できない。
黒曜の使者がモンスターを造り出すってのはどういう事だ。それに、黒曜の使者を封印する機械って何なんだ。神様は何故、そんな物を作った。ラトテップさんはどうして、その失われたはずの【機械】の話を俺に聞かせたんだ。
どうして、俺が……“黒曜の使者”だってことを、知っている。
……ラトテップさんが俺に対して何を求めているのか、わからない。
こんな話をこんな場所で明かしてくる意味も、まったく理解出来なかった。
だけど、ラトテップさんはそんな俺の表情を見て、少しやつれているような薄い微笑みを浮かべると、悲しそうに眉根を寄せて。
「……信じて、くれますか?」
今の、話を。
敵であるはずの自分が、話す事を。
そう言っているような辛そうな表情は、もう偽りには思えなかった。
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