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遺跡村ティーヴァ、白鏐の賢者と炎禍の業編
縛鎖
しおりを挟む自分の眼差しに、相手が怯えているのが判る。
それは今話した事への恐れか、それとも己の険しい表情に向けられた恐怖なのか。どちらにせよ、ツカサにとっては怖い事に変わりはないとブラックは思った。
(ごめんね、ツカサ君。こんな事なんて考えたくなかったよね。今までずっと答えをはぐらかして、この話題に触れないようにしてたんだもんね……)
しかし、宣言せずにはいられなかった。
ついこの前まで、自分はその事実を知らなかったのだから。
……全てのグリモアが発現すれば、黒曜の使者の命は揺らぐ。
あの時――――アタラクシアでツカサが語ってくれた事を聞いた時から、彼が重大な「何か」を隠しているだろう事は悟っていた。自分には話せない、何かを。
だが、ブラックはそれでも構わなかった。
何故なら、彼があの本を読んで知った事を隠したのは、ブラックを思っての行動だと理解していたからだ。
ツカサは、優しい。いつもブラックの事を考えてくれている。
過去を話すのを渋れば「いつでもいい」と許容し、秘密があると言えば「無理には聞かない」と傍にいてくれる。相手からすれば面倒臭いだけの存在だろう。けれど、それでもツカサはブラックをいつも気に掛けてくれたのだ。
だから、隠し事をされても腹など立たなかった。
けれど……そう言っても居られなくなったのだ。あの若造から話を聞いた日から。
(…………まさか、【黄陽の書】があの三流貴族に渡っていたなんてね)
【黄陽の書】――日の曜術師のみが開く事を許される、紫月に相対する魔導書。
ブラックが所有する【紫月の書】の【幻術】に唯一対抗できる威力を誇る【奇蹟】を引き起こす事が出来る、まさに“勇者”の称号を得た者が持つに相応しい力だ。
ライクネスでは、代々【勇者選定の儀】において、その魔導書が継承されると話に聞いた事がある。しかし、やはり――その魔導書が“返還”されていたと聞くと、何とも言えない気持ちになった。
ブラックの知っている【黄陽の書】は過去の存在になってしまったのだと思えば、今まで感じた事のない漠然とした不快感が胸の内を揺さぶるのだ。
だが、今考えるべきはその不快感の定義ではない。
ブラックが本当に懸念した事は、その現在の【黄陽のグリモア】であるラスター・オレオールが伝えて来た、恐ろしい未来の話だった。
あの日。
トランクルから出発する前に、あのクソ生意気な三流貴族にツカサ達から離れた場所へと誘導された時。一言目に発された言葉に、ブラックは面食らわずにはいられなかった。何せ、あの時点では思ってもみない事を言われたのだから。
『俺は、黄陽のグリモアになった』
……一瞬、何を言われたかが解らなかった。
だが相手の真剣な――いや、どこか焦燥を感じるような表情を見やり、ブラックは重大な事態が起こったのだと察したのだ。
お互いに嫌悪する相手だと言うのに、それでもこの三流貴族が自分を呼びだしたとなれば、その意地を張っていられない事態が起こったと言っているのも同義だろう。
そして、その事態とは……ツカサに関する事。
自分達が協力するような事と言えば、それ以外には有り得なかった。
だから、ブラックも態度を改めて、相手に真面目に返答してやったのだ。
『それはご愁傷様』
『…………その言葉は冗談には聞こえないな、さすがに』
落ち込んだその声音に、相手が本当にグリモアになったのだと確信する。
そう。ブラックと同化しているこの魔導書は、そういう存在なのだ。
頂点に立つ力を手に入れたと笑う愚か者は、誰一人としていない。そんな浅はかな存在を魔導書が選ぶ事は絶対にないのだ。
選ばれるものは常に――――正しいものか、後悔するもの。
誰一人として、最後まで驕る者はいなかった。
グリモアとはそういう禁忌の書なのだ。
『それで? その黄陽のグリモア様が何の用だい』
『貴様はしらばっくれる演技だけは一流だな。……俺の目が節穴とでも思ったか? 下郎は誤魔化せても、俺の目は誤魔化せんぞ。お前もグリモアの一人だろう』
『…………厄介だな、その目』
そういえば、この三流貴族は「他人の気の流れ」を見る事が出来るとツカサが言っていた。ツカサ自身も見破られたと言っていたので、能力は確かな物なのだろうとは思っていたのだが――まさか、そこまで解るとは。明らかに危険な能力だ。
今の内に刳り貫いておくべきだろうかと考えたブラックに、相手は眉根を寄せた。
『勘違いするな。別に脅迫したい訳ではない。ツカサの様子からすれば、もうお前がグリモアであることは知っているんだろう? ……それに、この完璧な俺ですらグリモアという未知の存在の気の流れは把握できなかった。特にお前は、完全に己の気の流れを制御している。同族にならなければ、読み取る事すらも出来なかったぞ。……実に、悔しい事だがな』
本当に悔しげに顔を歪める相手に、溜飲が下がる。
そう言う事ならば、多少こちらの存在がバレようが構わない。
『でも、その話をしたいのなら、態々ツカサ君や駄熊の耳が届かない所にまで来なくたって良かったんじゃないのか? わざわざ防音の術がかけてある部屋に来てまで話すことがお前にはあるってのかい』
そもそも、二人きりで話すのも嫌だ。
しかしそれは相手も同じだったのか、ブラックと似たような苦々しげな表情に顔を歪めながら、フンと鼻を鳴らした。
『俺とて、お前のような不潔で怠惰極まる中年なんぞと一緒に居たくないわ。だが、ツカサの為の話だからこそ、ツカサに話す訳には行かなかったんだ』
『回りくどい説明は良いから早く言え』
『ああこの……まあいい。だったら聞いて文句を言うなよ。いいか中年、お前は知らないようだから教えておくが……ツカサにもうこれ以上、グリモアを近付けるな』
それは、どういうことだ。
目を見張ったブラックに、相手は真剣な表情を崩さずに続けた。
『俺は、陛下からある“事実”を聞いた。異世界から迷い込んだ者……その中でも特殊な能力を有する異世界人は“神の使者”と呼ばれる事があるらしい。陛下が仰る事には、ツカサも細かい違いが有れそういう存在だろうと。なにせ、ツカサはとても普通の人族とは思えない力を有しているわけだからな』
『…………』
ツカサの話から大まかな事は知っていたが、改めて聞くとライクネスの国王がいかに異常かを思い知らされる。
各国の元首ですらその存在を忘れている「異世界」というものを認識し、そのうえ自分達でも知りようのなかった真実を、容易く掴んでいたとは。異世界の者達の末路を書き記した資料を所有しているとはいえ、理解する事は簡単ではないだろう。
なのに、ライクネスの国王はそれを知りつくし、連綿と続く知識を以って、神から授かった術を【勇者】に施すとは……流石は、始祖の国とも言われる大国だ。
しかし、ならばなおさら危うい。
表情を険しくするブラックに、いけ好かない貴族は翠の瞳を向けた。
『……だからこそ……これ以上、グリモアを増やす訳にはいかないんだ』
『……は……?』
思わず間抜けな声で聞き返したが、相手は表情を崩さずに続けた。
『俺は最初、あれほど柔らかで強い気に包まれているツカサが、お前ごときの循環に衰弱するほど気を持って行かれるのが不思議だった。……貴様が色狂いのケダモノであっても、ツカサをそこまで衰弱させる力なんてないはずだからな。……だが、それがグリモアとなると話が違ってくる』
そう言ってブラックを真っ直ぐ射抜いた瞳の強さに、思わず言葉を失った。
――――この男は……知っている。
いや、知ってしまった。
類稀なる能力に加え、ブラックと同じ存在になった事で、全てを悟ったのだ。
【紫月】と相克を成す【黄陽】のグリモアと言うだけでも厄介なのに、この短期間でそこまでグリモアを理解してしまうとは。普通に考えれば非常に危険な存在だったが、ブラックは自室に置いてきた剣を探そうとはしなかった。
聞くべきだ、と本能のような物が衝動を押し留めていたのだ。
そんなブラックの態度に目を細めると――相手は、静かに告げた。
『俺は、陛下に教えられた。……もし、特異な力を持つ異世界人が出現し、その力が世界を脅かす時――七人のグリモアを目覚めさせろと。そのグリモアが……
神の力を冒涜する“黒い災厄”を屈服させ、世界に救いと豊穣を齎すのだ、と』
――――グリモアが、災厄を屈服させる……?
『……おい、それって、まさか』
『…………愚民にしては理解が早くて助かる。ああ、そうだ。お前達に起こった事を考えれば、何をどう屈服させて豊穣を齎すのか想像がつく。つまりこれは……多分、七つのグリモアが全て揃えばツカサを殺せるという意味か……もしくは…………七人のグリモアが居れば、ツカサの“全て”を使役できると言う意味になる』
全てを、使役できる。
……貴族らしい、耳触りのいい言葉だ。
しかしブラックは、その言葉が凶悪な甘さの砂糖に包まれた毒のようにしか思えなかった。自分が身を以って知っているからこそ、なおさら。
『……僕がツカサ君の曜気を勝手に奪えていたのは……』
『グリモアだから、という事になるな。……仮説でしかないが、グリモアに相応しい能力を持つ存在は、異世界人の能力を操れるのかも知れない。だから、無尽蔵の気を持つツカサは、今保てる気の限界までお前に奪われてしまった。そしてそれは、多分俺でも起こりうる。……他のグリモアも、出来てしまうかもしれない』
『…………!』
『ツカサがもし五つの曜気全てを使えるのなら、間違いなくツカサの力はグリモアによって制御できるはずだ。そうなれば……何が起こるか、解らない。俺はツカサを道具になどしないが、グリモアが七人揃い異世界人と対峙した時に何が起こるかは……誰にも解らない。前回グリモアが揃った時は、異世界人などいなかったのだからな』
……誰も知らないからこそ、起こりうる恐怖。
紫月のグリモアである自分ですら否定できないその可能性に、言葉が出ない。
ツカサを衰弱させてしまった事を身を以って知ってしまったからこそ、自分達が揃ってしまう事でツカサが殺されるという予想も、笑い飛ばせなかった。
『……今は予想にしか過ぎんが、警戒するに越した事はない。……この大陸は、最近騒がしい。奇妙な事件が立て続けに起こっている。……聞けば、数百年は封印されるはずだったグリモアも、再び二冊が消えたという。…………もし、全てのグリモアが解放されてしまえば、俺達もどうなるか解らない。だからこそ……もう、これ以上、グリモアを目覚めさせる訳にはいかんのだ』
そうだろう、と同意を求められて、ブラックは頷いた。
目の前の気に入らない存在への反発心よりも、ツカサを失ってしまう懸念の方がずっと大きく強かったからだ。
自分とツカサには、そうなる可能性についての嫌な符号が有り過ぎる。
だからこそ、ツカサを失ってしまうような……ツカサの心を壊してしまうような事だけは、避けたかった。
『ツカサの鍛錬も必要だが、今はグリモアの能力の把握が最優先だ。いま何人のグリモアが存在しているのか、本は何処にあるのかを知っておかねばならない。……鍛錬に協力すると言っておいてなんだが、今はツカサを一か所に留めておかない方が良いだろう。運命と言うものはどこで動き出すか解らん。なるべく人の来ない場所へと旅をした方が良い。それに……』
『エンテレケイアで何か解るかも知れないしね……』
先回りしたブラックの言葉に、相手は深く頷いた。
『非常に納得いかん事だが、今ツカサを守れるのはお前しかいない。……こちらでも早急に魔導書の所在を探す。だから……それまでは、決してツカサを手放すな。鍛錬については、状況が判り次第、世界協定経由で使いを送る。それまで、ツカサを人の多い場所に連れて行かないでくれ。いいな中年』
言われなくても、そうする。
ツカサを失わない為なら、ツカサをずっと自分の傍に縛り付ける為なら、ブラックは何だってやるつもりでいた。
例えそれが……人を殺す事になったとしても。
(…………だけど、そんな事……ツカサ君に言える訳ないよね)
炉の前で座ったまま、以前の記憶を反芻して溜息をつく。
唐突に出現したグリモアの情報に怯えるツカサに、こんな事を言えるはずが無い。何より、ツカサが今まで隠していたであろう事実だ。ブラックが既に「知っている」と言えば、どうなるかすら判断が付かなかった。
今は、ツカサの為にも何も言わない方が良い。
けれど、新たなグリモアを目覚めさせないという意思は、絶対に示しておかねばならなかった。ツカサに「それは危ない事だ」と教えるためにも。
(ツカサ君は、黒曜の使者の事で何かを隠している。もしそれが、僕が知った事だとすれば……話したくないはずだ。僕が傷付くって解ってるから……。それを必死に隠してるツカサ君に、言えるはずないよ)
ツカサは、ブラックに「言いたくない事は言わなくていい」と言ってくれた。
自分の全てを知る事でツカサが離れて行くのを怖がったブラックに、優しくそう言ってくれたのだ。だからこそ、ブラックもまたツカサを動揺させるような事は言いたくなかった。ツカサに、離れて行って欲しくなかったから。
だが……そうも、言っていられなくなるかもしれない。
(現在確認されているグリモアは、僕を入れて五人。紅炎、碧水、緑樹、黄陽……紫月――――。あと、二人。あと二人で、ツカサ君に……)
危害が及ぶのか、それとも…………。
(考えたくない。思い当たる事がありすぎる。嫌だ。僕はツカサ君を失いたくない、そんな理由で壊したくない、ツカサ君は僕の恋人なのに……っ!)
例えツカサを壊してしまうのだとしても、そんな理由で彼を失うのは絶対に許せなかった。ツカサは、ブラックの唯一の恋人だ。最初で最後の、大切な存在なのだ。
誰にも渡すつもりはないし、絶対に逃しはしない。壊すのならば、自分の手で己が望むように壊したい。誰かに強いられて彼を失うなんて、我慢ならなかった。
(絶対に、嫌だ。そんな事させない。絶対に……――!!)
そんな気持ちが、顔に出てしまったのだろうか。
「ブラック……。大丈夫か?」
そう言われて、反射的に顔を上げる。
すると、目の前にはツカサが立っていて……自分を心配するかのように、柔らかな手でそっと頬を包んでくれた。
「あ……」
「…………大丈夫か?」
見上げたツカサの顔は、「ブラックが心配だ」という事を隠しもしない表情で。
幼さを残した顔立ちに浮かぶ大人のような表情に、思わずブラックは手を伸ばしていた。そうして、そのままツカサの腹部に顔を埋めて抱き締める。
いつもなら「何をする!」と怒鳴っただろうに、ツカサはブラックの動揺を細かに感じ取ったのか、何も言わずに頭を優しく抱きしめてくれた。
「……ツカサくん……」
情けない声が出る。けれど、ツカサは笑う事も無く頭を撫でてくれた。
「…………白金の書がグリモアなのかどうかは解らないけど……。俺も、マグナには読ませちゃいけないと思う。結局、利用されるだけだもんな。それに……遺跡に情報があって、白金の書の正体が判るんなら……行くっきゃないだろ。国王サマには悪いけど……コッチの方が俺達的には最優先事項だし」
ブラックの「絶対に読ませない」という発言は、ツカサには年甲斐も無いワガママに思えたかもしれない。しかし、ツカサは何も言わない。
ツカサにも何か思う所が有ったのだろう。けれども、何も言わず賛同し、荒い息を漏らすブラックをずっと宥めてくれている。その優しさが、嬉しかった。
「んん……ツカサ君、好きぃ……好きだよ、好き……」
自分の息で温かくなった布越しの腹部に、頭をぐりぐりと押し付ける。
ツカサはその行動に一瞬息を詰まらせたが、それでもブラックの頭を抱いたまま足を踏ん張ったようだった。その健気な献身に、またじわりと体の奥が疼く。
どれほど情けない姿を見せようと受け入れてくれるツカサを思うと、すぐに股間に熱が集まってしまい、興奮せずにはいられない。何より、柔らかい腹部に布越しでも触れてしまうと、その服を食いちぎって今すぐ噛みつきたいという衝動に駆られ欲情を覚えずにはいられなかった。
「っ、ふ……ふぁ……つ、つかさく……ツカサ君……っ」
「んっ、や……だめ……っ、やだってば……! な、なんで急に……っ」
急に、じゃない。
可愛いから、優しいから、受け入れてくれるから、こうなる。
「ツカサ君が僕を慰めてくれるから……僕、図に乗っちゃうんだよ……」
戸惑う甘く高い声に更に股間が疼き、堪らずブラックは丁度口の部分に触れた臍を布ごと舌でぐっと押し込んだ。
「ふあぁっ!? ひっ、や、やだ……っ、へそだめ……っ」
「は……はぁっ……ツカサ君が……ツカサ君が、悪いんだよ……。そんな可愛い声を出すから……ッ」
そんな嬌声を出して誘うから、拒否をするくせに受け入れてくれるから、ブラックも我慢が出来なくなるというのに。
いつまで経ってもそれだけは理解してくれないツカサが憎らしくて、愛おしい。
何より自分の為に喘いでくれるのだと思うと、先程までの憂鬱が消し飛ぶようで、ブラックはその肉の柔らかさと甘い声に溺れずにはいられなかった。
(ツカサ君は……僕の……僕だけのものだ……。だから、絶対に渡さない。絶対に、離すもんか。もう少し……もう少しなんだ……ツカサ君が僕から逃げられなくなる程に僕に屈服するまで…………)
今まで、ツカサが自分から「抱いてくれ」と言った事なんて無かった。
強制的に言わされた事は有っても、ツカサ自身の意思でそう強請ってきた事は一度も無かったのだ。それは恐らく、彼が色事について本当に初心だったからだろう。
だからこそ、言わせたかった。
そう言わせてしまえば……もう、ツカサは自分から離れられない。
グリモアとして対峙する時が来ても、離れる時が来ても、体も心も……二度と自分からは逃げられなくなる。だから。
(ツカサ君…………ああ……早く言ってよ……早く、堕ちて来て……?)
そうしたら、思う存分自分も犯す事が出来るから。
もう、わざと焦らして挿れるのを我慢しなくても良くなるから。
だが、その切ない願いはツカサには害悪でしかないと知っている。
知っているからこそ――――素直に、言い出せなかった。
→
※次は軽いえっち。だいぶ従順。
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