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セレーネ大森林、爛れた恋のから騒ぎ編
1.いにしえより来たる
しおりを挟むかつて、母に聞かされた話がある。
ライクネス王国は、神に望まれて生まれた土地なのだと。
我らの知る所でない「第一の創世」と呼ばれた時代――神は我々の暮らす豊かな国を望み、白き肌と鮮やかな金の髪を持つ我らの始祖を作った。
その頃の我々にはまだ力は無く、そして脅かす物も存在しなかった。
我々はその地を楽園と呼び、神により齎された様々な恩恵を享受し、堅牢な壁が無くとも、豪奢な服が無くとも、ただ幸せに浸り生きていたという。
我々が己の力で考え、幸せに暮らしながら歩む事。
神はただそれを望み、我々を慈しむように育ててくれていた。
しかし神はある時より姿を消した。
形を違えても我々に手を差し伸べてくれた神は、ある日突然失われたのだ。
我々は悲嘆に暮れたが……それを見かねてか、神は再び姿を現した。
だが、再び現れた神は――――表情を変えていた。
我々を苛むように“モンスター”という異形を地上に遣わし、我々の力では対抗し得ない存在を創りだし、幸せの園に住んでいた我々に苦難を与えるようになったのだ。
世は荒れ、新たな脅威は世界を覆い、未だ知らぬ楽園の外からは、我々には予想もしえない場所から訪れた“別の国の人々”という存在が入り込んだ。
楽園は最早楽園ではなく、我らの国は「世界」の一部となった。
その「世界」の乱世に、我が一族の始祖は立ち上がったと言う。
――あれは我らの神ではない。楽園の外より舞い降りた黒き悪神である。
――我が剣は神に愛されし祝福を抱く白刃、神の御許に集い、乱世を平定せよ。
創世の神が愛した金の髪を靡かせ、傍らに美しい漆黒の髪を持つ少女を従えた、我々の先祖。その雄々しい姿と、悪神を思わせる黒髪の美しい少女を従えた勇士に世界は沸き、彼のもとには乱世を生き残った多くの英雄が集った。
悪に支配された心は彼の“神の御業”によって浄化され、世界は平穏を取り戻し――――長き戦いの末、悪神は遂にこの世を去った。
その雄々しき始祖の男はやがて「勇者」と讃えられるようになり、それ以来このライクネス王国では、「勇者」と呼ばれる気高く素晴らしい存在を、我らが神と共に讃えるようになったと言う。
…………しかし、幼い頃の自分はその結末に納得がいかなかった。
彼らは、その後どうなったのだろう。
勇者として讃えられた男と、その彼と共に戦った少女はどうなったのだろうか。
その後の戦乱に現れない勇者たちは、どこに行ったのだろうかと……――。
だから、母に聞いた事があった。
「平和になった世界で、勇者はどうなったの」と。
その問いを投げかけた時、母は悲しげな顔をして、こう言った。
――――貴方は、叶わぬ恋をしてはなりませんよ。
……今は亡き母の言葉の意味は、今も良く理解出来ていない。
「そうですねえ……【ナミダタケ】の生息地となると……トランクルから近い場所なら、海側じゃなくてセレーネの森の北側に行くと良いかも知れません。森の湖に流れ込む水は、全て北にある国境の山から流れて来るので……たしか、森の深部に湿地帯が有ったと思います」
ふくよかなおばちゃんがバロメッツの乳を搾る光景を見つめながら、ベルカ村の村長をしているアドルフさんが教えてくれる。
そう。俺は今、ベルカ村でバロメッツの乳を分けて貰っている最中だ。
以前、バロ乳を貰った時に「いつでも取りに来て下さい」と言われていたので、今日も遠慮なく余った分を頂いている訳だが……実はこのバロ乳、俺のリオート・リングの中に、前に貰った残りがまだ入ってるんだよね。
しかも、依然としてバロ乳は腐っていない。平気で一週間以上も新鮮さを保っている。これは、この世界では驚異的な事だった。だけど、牛乳……いやバロ乳は、あればあるほど色々な事に使うので、俺は今日もこうしてありがたく分けて貰っている訳だ。まだまだ腐るかどうかの研究は必要だしね。
あ、もちろん謝礼は払ってますよ!
でも「廃棄処分せずに済んで楽だから」って受け取って貰えないんだけどね。
……それはそれとして、お乳を搾って貰っている間に、この北方の地域に詳しいアドルフさんに、催涙スプレーに使う【ナミダタケ】の生息地を教えて貰おうと問いかけていたのだが……まさか森にあるとは思わなかった。
「深い所に湿地帯があるんですか」
ンベェエエエエと鳴くバロメッツの特徴的な声を聞きつつ言葉を返すと、爽やかイケメンのアドルフさんは人の良さそうな笑顔でニコニコと頷く。
「ええ。ほら、なにせ、国境の山を越えればそこはもう雪国でしょう? 万年雪の層の端が山に染みて水となり、こちらへと流れて来るので、この地域は基本的に水に苦労が無いのですよ。とはいえ国の中では少し寒い地域ですので、穀物を育てるのには少々不向きなのですが……」
「へー、そんな水の豊かな地域だから、湿地帯が」
「まあ元々ライクネスは水も緑も豊かな土地なので、湿地帯は他の場所にもあるとは思いますが……トランクルから近いと言えば、やはり【亡者ヶ沼】かと」
…………ん?
アドルフさん、いま、なんて言った?
「も……もうじゃがぬま……?」
亡者? 亡者って言った?
まさか、そんな。聞き間違いですよねと言わんばかりに見上げると、相手は俺に照れ臭そうに微笑んで、少し小首をかしげた。
「ええ、亡者ヶ沼です。あそこはよく生き物が落ちる底なしの部分があって、死ぬ間際の生物の断末魔とか、モンスターのアレとかそれとかの咆哮が聞こえるので、冒険者以外は立ち寄らないようにとこんな名前が」
「ひ、ヒィ……」
「ああでも亡者ヶ沼は珍しい植物が自生してるので有名で、綺麗な所なんですよ。あのあたりも整備されれば、こちらも活性化するんですけどねえ」
森の深部の開けた場所にあると言う【亡者ヶ沼】は、名前に反してわりと綺麗な所らしい。しかも、自生している珍しい植物がある……珍しい植物……!
そ、そうだな。名前が怖いだけで実際には綺麗な場所なら、行ってみるのも悪くないよな! まあ俺一人で行くんじゃないし、一人にならなけりゃ怖いものなんて何もないさ!
「あ、でも、亡者ヶ沼にはモンスターがいるんですか」
「ええ、ライクネスでは珍しいですが、繁殖地になってるとかなんとか……。しかし定期的に討伐すれば周囲に被害が出ない程度なので、ロバーウルフなどの被害の方が我々としては気になるくらいですね」
「あはは、確かにあいつらはどこにでもいますもんね」
ロバーウルフ、通称盗賊狼は、北端南端以外の地域すべてに生息している。
よく見る名前のモンスターだが、こいつらはもちろん普通の狼じゃない。高い知能を持っており、実は大物になると尻尾がどんどん増えたり形が進化したりとか色々厄介な性質が有って、しかも繁殖期には人間すら襲って犯す、モンスターの中でもゴブリンと同じくらい人族に迷惑な存在なのである。
普段は「遭ったらすぐ戦闘!」って感じだから、考える暇も無いんでスルーしてたけど、よくよく考えるとあの狼ってすげーヤバいな。
幸いな事に、俺は繁殖期のロバーウルフに遭った事もないし、ライクネスは果実も実り放題の豊かな国なので、ヤンチャな奴らじゃない限り滅多に人里に降りては来ないのだが、それでもあいつらは娯楽で人を襲う事も有るからなあ……。
そう言えば俺、植物系とかスライムとか獣系のモンスターは見た事が有るけど、ゴブリンはまだ見たことないな。エルフやピクシーが居るんだから、この世界にも厄介者のゴブリンっているはずだけど……。
「ツカサくーん、まだー?」
色々と考えていると、バロメッツの小屋から少し離れた場所にいるブラックの声が聞こえてきた。バロメッツは神経質な生き物なので、すぐに殺気を放つ中年と熊さんは危なかろうと思い遠くに居て貰っているのである。
「ごめーん、もうちょっとー!」
小屋の窓から手を振ると、ブラックは手を振り返してくる。
ここからでも不機嫌な顔をしているのが判るが、もうちょっと我慢して欲しい。
「三人でお出かけとは、本当に仲の良いパーティーなんですねえ」
「仲……うん……うん……? まあ、仲はいい……ですね……多分……」
色々と思う所はあるが、まあ、確かに、仲は良いのかも知れない。
だがそう言われると微妙に納得できないのは何故なんだろう……。
「今日もセイフトへ?」
「あ、はい。ちょっと冒険者ギルドに寄って買い物に……ナミダタケの事について調べに行こうと思ってたので、色々用意してたんですよ」
「ほう……買い物も三人で?」
「あ、いや、その時はちょっと別々に……」
言われてみれば、確かに男三人で買い物ってなんか変だよな。
俺だって友達と本屋に行ったらすぐにバラけるのが普通だったし、人の買い物になんて興味はなかったんだけど……今の俺は一人で買い物もできないので(貞操の危機的な意味で)、ブラック達と常に一緒なんだよ。……だから早く催涙スプレーを作りたいんだがな。
でも、今日はちょっと意外だったな。
二人とも何か用事が有ったのか、俺をアニタお婆ちゃんの所に預けてどっかに買い物しに行ったんだもんなー。
まあ俺がアニタお婆ちゃんの所で用事を済ませている間だけだったから、別に待ったりはしないで済んだけど……一体何を買ったんだろう。
酒とか以外には物欲が薄い二人なので、何を買ったのかちょっと興味が有ったんだけど……人の事を詮索するのはよろしくないので、結局聞けなかったんだよなあ……。だって、そう言う奴だと思われるのヤだし……。
ううむ、女々しい。こういう事を考えるのはやめよう。
頭を振って気分を切り替えると、俺は再びアドルフさんを見上げて笑った。
「でも、アドルフさんが色々と知ってて本当に良かったです! ほんとは他の街の図書館に行こうかなって思ってたんで……手間が省けちゃった」
俺の「もしかしたら、この周辺に詳しいアドルフさんなら何か知ってるかも!」と言う思い付きも偉いが、博識なアドルフさんも偉い! ていうかありがたい!
本当にありがとうございます、と軽く頭を下げてお礼を言うと、アドルフさんは更に照れて、いやぁと頭を掻きながら恥ずかしそうに肩を動かした。
こんなに照れるとは……なんか婆ちゃんの集落の大人を思い出すなあ。
農家のおじちゃんの野菜を褒めた時とか、こう言う感じだったんだよなー。何かほのぼのするわ。
いやーしかし、ほんとこの村の人達はアドルフさんを筆頭に良い人ばかりだ。
独身の男どもは物凄くて近寄りたくないけど、やっぱ村ってのはこうでなくちゃな。ベイシェールはもう村って言うか街だったから、田舎大好きな俺的にはベルカ村の方が安心するわ。アドルフさんも親しみやすいしな。
……背後から殺気がしたような気がしたけど、気のせいだろう。
そんなこんなでバロ乳を三壺分絞って貰った俺は、お礼のお金代わりのお菓子を飼い主さんとアドルフさんに渡して、ベルカ村を後にした。
あんまり長居しちゃうとまた何か変な事になるからね。
と言うワケで、熊さんモードのクロウに乗って、トランクルへ戻ろうとのしのし歩みを進めていたのだが。
「ツカサ君、あの若造と何話してたの……。随分と楽しそうだったけど……」
危うげな眼で俺を見つめながら器用に藍鉄を操るブラックに、俺は妙な勘繰りを起こすんじゃないと睨み返した。
「あのなあ、さっき言ったじゃん。【亡者ヶ沼】の情報貰ってたって」
「それ以外にも何か話してたじゃないか」
むうっとむくれるブラックに、俺は眉根を寄せる。
良い歳したオッサンが子供みたいな拗ね方するんじゃないよまったく。
「だから世間話だって。俺達が仲良いねって話とか、買い物の話とかしか……」
「ふーん?」
「本当だぞブラック。オレは聞いていた」
「だよなあクロウ! ほら~、クロウだってそう言ってんじゃん」
こういう時にクロウの熊耳は頼りになるなあ!
庇ってくれてありがとうと体を倒して抱き着くと、クロウはむふーと息を吐いて耳を動かした。
「こ、このクソ熊……っ」
「悔しかったらお前も獣になればいい。もちろんやらしくない奴だぞ。むふ」
「ぐぬぬ……」
「まあまあ……。それより、二人ともどこに買い物に行ってたんだ?」
話題を反らすために、実はずっと気になっていた事を言うと……二人は一瞬沈黙して、なにかを誤魔化すように笑った。
「は、はははは。まあそれは~…………とにかく、今日は一日ゆっくりしてから、明日その【亡者ヶ沼】って所に向かおうか」
「話題そらしたな」
「ツカサ、今日の夕食はなんだ?」
「お前もかクロウ」
なにを隠してんだか知らないけど、なんか嫌な予感がするんだよなあ……。
でも問い詰めるのも何か意識してるみたいで癪だし……。
ブラックが隠し事するのは今に始まった事じゃないけど、でも今回の場合は二人して知らぬ存ぜぬだったから、凄く気になるんだが……仕方ない。
釈然としなかったが、二人の事だからいずれ解るだろうと自分を納得させて、俺達は貸家へと戻った。
クロウには別室で着替えてこいと服を渡して、俺はブラックと一緒に買って来たものを選別するために台所で荷物を取り出す。そうして暫く作業をしていると――――玄関のドアを軽くノックする音が聞こえた。
「すんませーん、郵便でーす」
「郵便? ツカサ君、誰かに手紙送ったの?」
「あ、そうそう。この家に来た時に、送って下さいって書いてたんだよ。でも返事が早いな。誰だろ?」
ブラックと一緒に玄関に向かうと、赤色の軍帽みたいな帽子を被り、大きな赤い鞄を掛けた青年が、扉の向こう側に立っていた。
おお、なんかいかにも郵便配達のお兄さんだ。
「えーと、トランクルのツカサ・クグルギさんですね? 二通のお手紙をお預かりしてまーす。こっちは受取証が必要なので、サインかメダルの提出を」
サインかメダル?
メダルって……あれか、俺の曜術師のメダルか。使う事が無かったので仕舞ったきりだったが、まさかこんな所で必要になるとは。でもどうするんだろ。
気になったので、俺の身分を証明する“日の曜術師”メダルを渡してみると、相手は「失礼します」と言って朱肉っぽい物を取り出し、メダルの縁をそこにぐるりと付けて紙の上にごろごろ転がした。
すると……紙に、メダルの淵に掘り込まれた文字が転写されたではないか。
へー、メダルってこう言う証明にも使うのか……!
「えーと……日の曜術師の、ツカサ・クグルギ……さん。はい、確認しました! ありがとうございますー」
布で綺麗にインクを拭きとってメダルを返すと、郵便配達のお兄さんは俺に二通の手紙を渡して、駆け足で去って行った。
「ふーん、手紙ってこうやって受け取るんだねえ」
「あれ、ブラックも知らなかったの?」
「だって僕、手紙送る相手いないし」
「…………あ、開けてみよっか」
あのねブラック、ちょいちょい悲しい情報出すのはやめてね……。
本人は気にしてないのかも知れないけど、俺的には物凄く心が痛いんだよう。
もー手紙くらいなら俺が送っちゃるから……と変な事を考えつつ、二通の手紙を見てみると……妙な事に気付いた。
一通は一般的な封筒だが、もう一通は凄く高級な紙を使った封筒で、しかも……何かの家紋の押印付きの封蝋をしてあったのだ。
やけに高級な手紙…………でも、誰だこれ。俺そんな高貴な人に送ったっけ?
訳が分からんと二通の手紙の宛名を見て――――俺は、目を丸くした。
「湖の馬亭と…………リタリアさんだって……?」
あれ……お、おかしいな。
俺、リタリアさんには手紙は送ってないはずなんだけど……。
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