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陸 雪女ノ章
陸ノ拾弐 翼のない越冬、独りでない越冬
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フェノエレーゼが地上に落とされてから、最初の冬が訪れました。
朝起きれば冷たい空気が肌をさし、フェノエレーゼは身震いします。
この雪深いなかで野宿なんてしようものなら、眠っている間に凍え死んでいたでしょう。ナギに頼んで屋敷に居候させてもらえて幸いでした。
フェノエレーゼは土浦邸の縁側に座り、膝を抱えます。
目の前に広がる庭では、ヒナとソウジが寒さをものともせずかけまわっています。
宗近が村の農具鍛冶師のもとで働くようになったため、ソウジも宗近に会うため村に来ることが多くなったのです。
ヒナを通じて村の子どもたちともうちとけ、ソウジには笑顔が増えました。
今二人は雪のつぶてを転がして、大きなたまをつくるのに熱中しています。ヒナの背丈ほどの大きさになった雪玉の上で、雀がチイチイと上機嫌に歌います。
「フエノさーん、見て、丸ちゃん!」
『おっかあ、てんぐも、みて。スズメ、つくった!』
「はいはい。そうか。そいつはよかったな……。あー、雪なんぞ転がして何が楽しいんだ」
ヒナとソウジに楽しげに呼びかけられ、フェノエレーゼは雑な返事をして二の腕を抱き込みます。
「そんな嫌そうな顔をしないで、フェノエレーゼさん。子どもは遊ぶのが役目みたいなものですよ」
部屋のなかで繕い物をしていたムツキはにこにこと笑い、その様子を見ています。
ソウジの新しい着物を仕立てるついでに、ヒナの着物も繕い直してくれているのです。
「ちっ。あんな童にすら役目があるのに」
宗近のように壊れた農具を直せるでもなく、ムツキのように繕いものをできるわけでもない。
ナギは村長に呼ばれていないし、自分だけなにもなくてフェノエレーゼはとても虫の居所が悪いのでした。
あからさまに不機嫌な反応をされたので、ムツキは遠慮がちにといかけます。
「フェノエレーゼさんは、役目が欲しいのですか?」
「違う。そういうことではない。私は善行を積まないと呪いを解くことができないんだ」
ようやく右腕の肘から先の印が消えたところ。まだ全身の呪を解くには時間がかかりそうです。
「あなたは、ワタシと宗近さんが会えるよう取り計らってくれました。それは善行にはなりませんか?」
「宗近が自らお前に会いに来たのだろう。私が何をしたというのだ」
助けたなんて思っていないため、フェノエレーゼは眉をひそめます。
そんなフェノエレーゼに、ムツキは苦笑します。
「ワタシがあなたたちに救われたと思った。それだけで十分です。
善きことは、命を救うとか、悪事を働く者を止めるとか、そういうことだけではないです」
そう言い切るムツキの微笑みには、最初会ったときの弱さなど感じられません。
宗近とーー心を通わせたつがいとともにいるからなのでしょうか。
「……私達あやかしの命は人間より遥かに長い。人間は先に死ぬ。それがわかっても宗近を選んだのはナゼだ?」
現実を見ないようにしているのか、それとも。フェノエレーゼは思っていたことをそのまま聞きます。
ムツキは針を動かすのをやめて、フェノエレーゼに答えます。
「あやかし同士だって別れはくるでしょう。命の長さなんて、関係ありません。一緒にいたいから。それだけでは答えになりませんか?」
「ふん。人間として育てられたお前にしか言えんのだろうな。私には何年経っても理解できそうもない」
「そんなことありません。いつか必ず、あなたにもわかるときが来ます」
あまりに力強く言われ、フェノエレーゼは勢いにまけてうなずきました。
まったく相手をしてくれないフェノエレーゼに業を煮やしたヒナが、雪まみれになりながら走ってきます。
「フエノさん、フエノさん、一緒に作りましょ。たくさんあそぶのも善きことよ」
「意味がわからん」
謎の理屈を力説するヒナに手を引かれ、雪遊びの輪に放り込まれます。
帰ってきたナギが白湯を入れてくれて、揃って暖を取る。
独りで空を舞っていた頃は考えもしなかった賑やかな越冬に、フェノエレーゼはなんとも言えないむず痒い気持ちになるのでした。
救われたと思った、それだけで十分。一緒に生きるのに命の長さなんて関係ない。ムツキの言うことを理解できるようになるのは、まだ先のこと。
陸 雪女ノ章 了
朝起きれば冷たい空気が肌をさし、フェノエレーゼは身震いします。
この雪深いなかで野宿なんてしようものなら、眠っている間に凍え死んでいたでしょう。ナギに頼んで屋敷に居候させてもらえて幸いでした。
フェノエレーゼは土浦邸の縁側に座り、膝を抱えます。
目の前に広がる庭では、ヒナとソウジが寒さをものともせずかけまわっています。
宗近が村の農具鍛冶師のもとで働くようになったため、ソウジも宗近に会うため村に来ることが多くなったのです。
ヒナを通じて村の子どもたちともうちとけ、ソウジには笑顔が増えました。
今二人は雪のつぶてを転がして、大きなたまをつくるのに熱中しています。ヒナの背丈ほどの大きさになった雪玉の上で、雀がチイチイと上機嫌に歌います。
「フエノさーん、見て、丸ちゃん!」
『おっかあ、てんぐも、みて。スズメ、つくった!』
「はいはい。そうか。そいつはよかったな……。あー、雪なんぞ転がして何が楽しいんだ」
ヒナとソウジに楽しげに呼びかけられ、フェノエレーゼは雑な返事をして二の腕を抱き込みます。
「そんな嫌そうな顔をしないで、フェノエレーゼさん。子どもは遊ぶのが役目みたいなものですよ」
部屋のなかで繕い物をしていたムツキはにこにこと笑い、その様子を見ています。
ソウジの新しい着物を仕立てるついでに、ヒナの着物も繕い直してくれているのです。
「ちっ。あんな童にすら役目があるのに」
宗近のように壊れた農具を直せるでもなく、ムツキのように繕いものをできるわけでもない。
ナギは村長に呼ばれていないし、自分だけなにもなくてフェノエレーゼはとても虫の居所が悪いのでした。
あからさまに不機嫌な反応をされたので、ムツキは遠慮がちにといかけます。
「フェノエレーゼさんは、役目が欲しいのですか?」
「違う。そういうことではない。私は善行を積まないと呪いを解くことができないんだ」
ようやく右腕の肘から先の印が消えたところ。まだ全身の呪を解くには時間がかかりそうです。
「あなたは、ワタシと宗近さんが会えるよう取り計らってくれました。それは善行にはなりませんか?」
「宗近が自らお前に会いに来たのだろう。私が何をしたというのだ」
助けたなんて思っていないため、フェノエレーゼは眉をひそめます。
そんなフェノエレーゼに、ムツキは苦笑します。
「ワタシがあなたたちに救われたと思った。それだけで十分です。
善きことは、命を救うとか、悪事を働く者を止めるとか、そういうことだけではないです」
そう言い切るムツキの微笑みには、最初会ったときの弱さなど感じられません。
宗近とーー心を通わせたつがいとともにいるからなのでしょうか。
「……私達あやかしの命は人間より遥かに長い。人間は先に死ぬ。それがわかっても宗近を選んだのはナゼだ?」
現実を見ないようにしているのか、それとも。フェノエレーゼは思っていたことをそのまま聞きます。
ムツキは針を動かすのをやめて、フェノエレーゼに答えます。
「あやかし同士だって別れはくるでしょう。命の長さなんて、関係ありません。一緒にいたいから。それだけでは答えになりませんか?」
「ふん。人間として育てられたお前にしか言えんのだろうな。私には何年経っても理解できそうもない」
「そんなことありません。いつか必ず、あなたにもわかるときが来ます」
あまりに力強く言われ、フェノエレーゼは勢いにまけてうなずきました。
まったく相手をしてくれないフェノエレーゼに業を煮やしたヒナが、雪まみれになりながら走ってきます。
「フエノさん、フエノさん、一緒に作りましょ。たくさんあそぶのも善きことよ」
「意味がわからん」
謎の理屈を力説するヒナに手を引かれ、雪遊びの輪に放り込まれます。
帰ってきたナギが白湯を入れてくれて、揃って暖を取る。
独りで空を舞っていた頃は考えもしなかった賑やかな越冬に、フェノエレーゼはなんとも言えないむず痒い気持ちになるのでした。
救われたと思った、それだけで十分。一緒に生きるのに命の長さなんて関係ない。ムツキの言うことを理解できるようになるのは、まだ先のこと。
陸 雪女ノ章 了
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