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参 海ノ妖ノ章
参ノ肆 罪に気づくとき
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港に着くと、砂浜で網の手入れをしていた少女が、ずぶ濡れのフェノエレーゼとヒナを助けてくれました。
着物を乾かす間、少女の家の着物を貸してもらいました。
卯月のはじめなので、雪解け水が流れ込む海はフェノエレーゼとヒナの体を予想以上に冷やしていました。
ふたりは少女の家に世話になり、いろりに手をかざして暖をとります。
「ふああ、あったかいねぇ。フエノさん」
「そうだな。雀が余計なことをしなければ着替える必要などなかったのだがな」
『チチチ、いつまでも根に持つなんて、旦那は酷いでさ~』
普段着ている着物はとても気に入っていたので、フェノエレーゼはかなりご立腹です。
フェノエレーゼとヒナを助けてくれた少女はサワと名乗りました。
サワは今年で十四。漁師の父と二人暮らしで、二つ上の姉は二月前他の村へ嫁にいったそうで、フェノエレーゼはその姉の着物を貸してもらったのです。
十五、六の娘用とはいえフェノエレーゼはそれなりに上背があるため、丈がやや短めです。
隠れきれないくるぶしから上に呪の印が見え、見たくなくて藤色の裾を引っ張ります。
「ごめんなさい、フエノさん。姉さんの着物、小さいですよね。明日の日没までには乾くと思うんだけど。貴女たちの着物は海水を吸っていたから川の水ですすぎ直したの。せっかく質のいい生地なのに、あのままだと塩気でダメになってしまうわ」
サワは台所のかまど前で振り返り、お盆に湯飲みを二つのせて運んできました。湯飲みには桜の花が入っていて、仄かに甘い香りがします。フェノエレーゼとヒナの前に、湯気のたつ湯飲みをそっと置きました。
「どうぞ、桜湯です。桜の村にいる友達から塩漬けをもらったの。こうして飲むととても美味しいし温まるのよ」
「サワさん、ありがとう。着物を貸してくれただけでなく、お洗濯まで。海に落ちたときは死んじゃうかと思ったわ」
「いいっていいって。この辺りの海は龍神様がお守りくださっているから。漁師がうっかり船から落ちても、無事浜におくり届けてくれるのよ。あたしの幼なじみも漁師でね、海に落ちたとき龍神様が助けてくれたそうよ」
人好きなあの龍らしい。そんなことを思いながら、フェノエレーゼは桜湯をすすります。桜の香りが鼻を通り、甘味と塩気とあいまってとても美味でした。
「おおい、今帰ったぞ。サワ。隣の婆さんから聞いたぞ。客人がいるって?」
筋肉質てがたいのいい男が家に入ってきました。あごはヒゲでおおわれて、細い目元はサワによく似ています。
両手に桶を下げていて、そこから跳ねる魚の尾が見えました。
「お帰り、お父! この人たちは、フエノさんとヒナちゃん。猪に追われて海に落ちてしまったんですって。だから着物が乾くまでうちに泊まってもらおうと思って」
「そうか。そりゃあ、大変だったな。俺はカンジ。こんな狭いとこで良かったら泊まってきな、お嬢さんがた」
カンジは大きく口を開けて笑います。そして二つあるうちの小さめの桶を持ち上げてサワに渡します。
「サワ。ケンジロウんとこにもおすそわけしてやんな」
「え、あ、で、でも。あたしご飯作らないと」
サワは顔を真っ赤にして首を左右に振るけれど、カンジは乱暴に草履を脱ぎ捨てもう一度サワに桶を押し付けます。
「はん。甘く見るなよ。漁師鍋くらい俺でも作れらぁ。むしろお前がいたらお嬢さんがたと語らう邪魔だ。行け。シッシッ」
サワは苦笑して、桶を抱えたまま頭を下げます。
「えっと、それじゃすぐ戻るから。フエノさん、ヒナちゃん。ゆっくりしていってね」
草履を突っ掛けて駆け出しました。サワを目で追い、ヒナは首をかしげます。
「おじちゃん。ケンジロウって?」
「ケンジロウは俺の漁師仲間、シンベエっつうんだが、そいつの息子だ。サワと同い年でな。先日の嵐でシンベエの船が転覆してな。ケンジロウだけは龍神さまのお導きで助かったんだが、まだ怪我が治ってなくて漁に出られねぇのさ」
「たいへんだったのね。わたしの村も嵐で畑が半分ダメになってね。おばあちゃんもしゅうかくが少ないって泣いてたわ」
「そうか、嬢ちゃんも苦労したんだな。人間は自然には逆らえねえ。悲しいこった」
カンジがまな板で魚を豪快にぶつ切りにして、お湯の沸いた鍋に放り込みます。勢いあまって汁が飛び、雀に当たりました。
『チチィーー! 熱いっすーーー!!』
いつもなら騒がしいと雀を一喝するのに、フェノエレーゼは他のことに気をとられていました。
ヒナの村を襲った嵐も海の嵐も、起こしたのはフェノエレーゼだったのです。それが原因で猿田彦の怒りを買い、罰として翼を封じられたのです。
嵐は自分が起こしたのだと、フェノエレーゼはヒナたちの前で言い出すことができませんでした。
着物を乾かす間、少女の家の着物を貸してもらいました。
卯月のはじめなので、雪解け水が流れ込む海はフェノエレーゼとヒナの体を予想以上に冷やしていました。
ふたりは少女の家に世話になり、いろりに手をかざして暖をとります。
「ふああ、あったかいねぇ。フエノさん」
「そうだな。雀が余計なことをしなければ着替える必要などなかったのだがな」
『チチチ、いつまでも根に持つなんて、旦那は酷いでさ~』
普段着ている着物はとても気に入っていたので、フェノエレーゼはかなりご立腹です。
フェノエレーゼとヒナを助けてくれた少女はサワと名乗りました。
サワは今年で十四。漁師の父と二人暮らしで、二つ上の姉は二月前他の村へ嫁にいったそうで、フェノエレーゼはその姉の着物を貸してもらったのです。
十五、六の娘用とはいえフェノエレーゼはそれなりに上背があるため、丈がやや短めです。
隠れきれないくるぶしから上に呪の印が見え、見たくなくて藤色の裾を引っ張ります。
「ごめんなさい、フエノさん。姉さんの着物、小さいですよね。明日の日没までには乾くと思うんだけど。貴女たちの着物は海水を吸っていたから川の水ですすぎ直したの。せっかく質のいい生地なのに、あのままだと塩気でダメになってしまうわ」
サワは台所のかまど前で振り返り、お盆に湯飲みを二つのせて運んできました。湯飲みには桜の花が入っていて、仄かに甘い香りがします。フェノエレーゼとヒナの前に、湯気のたつ湯飲みをそっと置きました。
「どうぞ、桜湯です。桜の村にいる友達から塩漬けをもらったの。こうして飲むととても美味しいし温まるのよ」
「サワさん、ありがとう。着物を貸してくれただけでなく、お洗濯まで。海に落ちたときは死んじゃうかと思ったわ」
「いいっていいって。この辺りの海は龍神様がお守りくださっているから。漁師がうっかり船から落ちても、無事浜におくり届けてくれるのよ。あたしの幼なじみも漁師でね、海に落ちたとき龍神様が助けてくれたそうよ」
人好きなあの龍らしい。そんなことを思いながら、フェノエレーゼは桜湯をすすります。桜の香りが鼻を通り、甘味と塩気とあいまってとても美味でした。
「おおい、今帰ったぞ。サワ。隣の婆さんから聞いたぞ。客人がいるって?」
筋肉質てがたいのいい男が家に入ってきました。あごはヒゲでおおわれて、細い目元はサワによく似ています。
両手に桶を下げていて、そこから跳ねる魚の尾が見えました。
「お帰り、お父! この人たちは、フエノさんとヒナちゃん。猪に追われて海に落ちてしまったんですって。だから着物が乾くまでうちに泊まってもらおうと思って」
「そうか。そりゃあ、大変だったな。俺はカンジ。こんな狭いとこで良かったら泊まってきな、お嬢さんがた」
カンジは大きく口を開けて笑います。そして二つあるうちの小さめの桶を持ち上げてサワに渡します。
「サワ。ケンジロウんとこにもおすそわけしてやんな」
「え、あ、で、でも。あたしご飯作らないと」
サワは顔を真っ赤にして首を左右に振るけれど、カンジは乱暴に草履を脱ぎ捨てもう一度サワに桶を押し付けます。
「はん。甘く見るなよ。漁師鍋くらい俺でも作れらぁ。むしろお前がいたらお嬢さんがたと語らう邪魔だ。行け。シッシッ」
サワは苦笑して、桶を抱えたまま頭を下げます。
「えっと、それじゃすぐ戻るから。フエノさん、ヒナちゃん。ゆっくりしていってね」
草履を突っ掛けて駆け出しました。サワを目で追い、ヒナは首をかしげます。
「おじちゃん。ケンジロウって?」
「ケンジロウは俺の漁師仲間、シンベエっつうんだが、そいつの息子だ。サワと同い年でな。先日の嵐でシンベエの船が転覆してな。ケンジロウだけは龍神さまのお導きで助かったんだが、まだ怪我が治ってなくて漁に出られねぇのさ」
「たいへんだったのね。わたしの村も嵐で畑が半分ダメになってね。おばあちゃんもしゅうかくが少ないって泣いてたわ」
「そうか、嬢ちゃんも苦労したんだな。人間は自然には逆らえねえ。悲しいこった」
カンジがまな板で魚を豪快にぶつ切りにして、お湯の沸いた鍋に放り込みます。勢いあまって汁が飛び、雀に当たりました。
『チチィーー! 熱いっすーーー!!』
いつもなら騒がしいと雀を一喝するのに、フェノエレーゼは他のことに気をとられていました。
ヒナの村を襲った嵐も海の嵐も、起こしたのはフェノエレーゼだったのです。それが原因で猿田彦の怒りを買い、罰として翼を封じられたのです。
嵐は自分が起こしたのだと、フェノエレーゼはヒナたちの前で言い出すことができませんでした。
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