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序 天狗ノ章

閑話 白い烏と大天狗 出逢い

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 空から翼を失ったフェノエレーゼが落ちるより、二百年ほど昔のことです。

 日ノ本の山で、カラスのひなが生まれました。
 殻を破り、はじめて目に入ったのは親烏。
 まわりには自分と同じようなひなが二羽いました。
 毎日親鳥からご飯をもらい、すくすく育つはずでした。

 それからひとつき、親烏が餌を探しに飛び立ったあと、木が大きくかしいで倒れました。
 巣は壊れ地面を転がり、烏のひなはあまりの痛さと恐怖で涙を流しました。

 目の前には息をしなくなった兄弟が横たわっています。

 なぜ、こんな目にあわなければならないのか。小さな烏のひなにはわかりません。

 震えている間にも次々に木がなぎ倒されていき、他の小鳥たちの巣も地面に転がっていきます。親鳥がまだ温めている最中だったたまごは、むざんにも割れていました。


 木を伐り倒した生き物は、二本の足で立ち、衣をまとい、斧を振るって木を倒します。

 烏のひなには、二足歩行の生き物たちがとても恐ろしい化け物に見えました。

 それが人間と呼ばれるものだと理解したのは冬を二つ越した時でした。
 独りで木の実をとって日々を生き延び、ひなはいつしか大人の烏になっていました。

 かつて烏が生まれた森は今や村となり、たくさんの人間が住む地になっています。

 いつか故郷を取り戻したい。
 そう思った烏はまず人間をここから追い出そうと思い立ちます。
 村のなかに舞い降りると、小さな人の子が烏を見て顔を歪めました。

「なんだあの烏は。きしょくわるい。何でまっしろいんだ?」

「来るな来るな! きっと災いを呼ぶ悪いものだ! あの赤い目で睨まれたらきっと呪われるぞ!」

 次々と石つぶてが投げられ、そのうちひとつが烏に当たりました。額から瞳の赤より深く黒い血が流れ落ちます。

『私がお前たちに何をした。なぜ、私はこんな目にあわなければならない』

 どんなに泣いて叫んでも、くちばしからもれるのはカーカーという烏特有の鳴き声だけです。
 心の叫びは誰にも届きません。

『憎い。人間が憎い。私に力があれば……お前らなんて!』

 白い烏は村から飛び去り、それから百年の月日が流れました。



 人間に復讐しよう。その思いを糧に白い烏は人を越える年月を生き、妖怪ーー烏天狗と呼ばれる存在になっていました。

 人と同じようにすらりとのびる手足。純白の髪に涼しげな赤の瞳。

 人間ならば絶世の美人と詠われるような容姿に、背中から出る真っ白な翼。
 そしてこの百年の間に風を操る力を得ました。

 嵐を起こしては人家を吹き飛ばし、畑を荒らし、あわてふためく人間を空から見下ろして笑うのです。
 空には白い烏の嫌いな人間がいない。
 空を舞い人間の不幸を見るのは何より幸せでした。

「ああ、楽しい。楽しいぞ。私からすべてを奪った人間たちから奪うのは。ははは!」

 憎しみを糧として生きてきたせいで、白い烏は神聖なるあやかしではなく、魔性の……化け物に堕ちかけていました。

 ある日、大樹の枝に座り荒らした人里を見ていた白い烏に、初老の烏天狗が声をかけてきました。

「そのようなことはもうやめろ。そなたはその力をもっと別のことに活かせるはずだ」

 仰々しい言葉づかい、細工のされた仮面で目元をおおっているため顔はわかりません。

 左右のこめかみで結ばれた白髪は白い烏と違い年月を得て白くなったとわかる、灰色みを帯びた白です。
 頭から被った木綿の大きな布の服は肘と膝のところで結んであります。

「お前、誰だ。なぜ私の邪魔をする」

「ワシは猿田彦命さるたひこのみことと呼ばれておる。ワシは名乗ったぞ。そなた、名をなんと申す」

 猿田彦は白い烏が座っていた枝先にとまりました。よく見れば足は烏のそれです。
 名前。自分が何者なのかを指すもの。

「ない。私はとうの昔に親兄弟を亡くしている。名前など、あったとしても覚えていようもない」

 白い烏は百年独りで生きてきたため、自分の名を知らず、そして呼ぶ者もいませんでした。

「ならばそなたに名を贈ろう。笛之絵麗世命フェノエレーゼノミコト。ワシと一緒に来い。そなたは人を傷つける以外の、もっと多くの大切なことを学ばねばならぬ」

「嫌だ。私は何にも縛られたくない」

 白い烏ーーフェノエレーゼは顔を背けます。
 逃げても逃げても、猿田彦は毎日フェノエレーゼのところにきました。
 半年これを繰り返し、ついにフェノエレーゼは折れ、猿田彦から妖術などたくさんのことを学ぶことになったのです。



閑話 白い烏と大天狗 出逢い 了
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