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序 天狗ノ章

壱ノ弐 とべない天狗

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 低くうめいて、真っ白なその人は目を覚ました。

「うう……」

「お兄さん! よかった。生きてた!」

 開かれた瞳は夕焼けよりも赤い色でした。
 何度もまばたきして空を見上げ、自分の背を振り返り、真っ青になりました。

「ない、ない、ない! そんな……私の翼が!」

「つばさって、これのこと?」

 ヒナは若者の袂にひっかかっていた白い羽を見せました。
 鷹なんて目じゃないくらい大きな羽は、一尺はあるでしょうか。

「よこせ!」

 若者はヒナの手から羽をひったくり、がっくりとその場にひざをついてしまいました。そして空に向かって大声を張り上げます。

「よくもやってくれたな、サルタヒコ!!」

 振り上げた両の袖がめくれ、白い腕に藍色の紋様が刻まれているのが見えました。
 腕をぐるりと巻くその模様は蔦のようにも見えます。

 若者の叫びに応えるように、家より大きなカラスが空から降りてきました。普通のカラスと違うのは大きさだけではありません。二つの瞳も赤く輝いていました。

 『生かしておいただけいいと思え、フェノエレーゼ。その呪はお前がこれまで行った悪行の分刻まれている。人を救い善行を積めばその呪は消え、翼も戻る。悪行ならば呪は広がる。全身に呪が及べばお前は二度と天狗には戻れん』

「勝手なことを抜かすな!」

 カラスが飛び去ると、若者はなにか考えるように目を閉じたあと、ヒナを見下ろしました。

「しかたない。人間と関わりたくなどはないが……おい人間。お前の願いを言え」

「え……?」

 話がうまく飲み込めないヒナに、フェノエレーゼは講釈する。

「わからんやつだな。人の願いを叶えるのは善行。善行を積めば私は天狗に戻れる。簡単な道理だろう?」

「ぜんこうって、なぁに?」

「善きことだ」

 ヒナは今の話を子どもなりに頭のなかでまとめます。

「つまり、へのえさんは、わたしの願いを叶えると天狗になる?」

「へのえではない。私は笛之絵麗世命フェノエレーゼノミコトだ。間違えるな人間」

「へのえ、れいぜぃ……」

「フェ、ノ、エ、レー、ゼだ!」

 フェノエレーゼは苛立ちます。
 なぜ力を奪われた先で出会ったのがこんな発音もままならない童女わらわなのだろう。

 先程のカラスはサルタヒコノミコト。フェノエレーゼのあるじです。
 そしてフェノエレーゼは風の神力を持つ天狗でした。
 それはそれは白く美しい大カラスだったけれど、ある理由でサルタヒコノミコトに翼を奪われ、人の世界に落とされてしまったのです。

 何度言い直させてもへのへの言うので、フェノエレーゼはあきらめました。

「……もうよい。笛之ふえのと呼ぶがいい。私は崇高なる天狗。これしきのことで怒るものか」

 実はまだ腹をたてていたけれど、フェノエレーゼは一刻も早く天狗に戻りたかったので、フエノで妥協しました。
 ヒナは期待に満ちた瞳で笑います。

「フエノさん。わたしはヒナ。この前の嵐で畑がだめになってしまったの。収穫の手伝いをしたいからわたしを大人にして。背丈は四尺あればなんとかなると思うのだけど」

「却下」

「じゃあ三尺」

「却下。今より縮むつもりか」

 力をなくしたフェノエレーゼにそんな願い叶えられるはずもありません。
 この調子では呪いを解くのに幾年かかるかわかりません。

 ため息ひとつついて空を仰いだ手の甲には、飛べないフェノエレーゼをわらうように藍の呪いが刻まれていました。


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